陸
凶賊共への襲撃が急になったのには当然ながら理由がある。
凶賊「燐火」の所在が判明すると同時に、 彼らの次の狙いが発覚したためだ。
江戸有数の大店、 越後屋。 とある藩の御用商人でもある大店の手代に「燐火」の一人が接触したということが判明したのだ。
しかも、 目撃した御用聞きと彼の手下によれば手代は酷く困惑しており、 苦労している様子も見られた。
「燐火」が離れた後、 御用聞きが手代に接触したところ、 恋人が彼らに誘拐されたのだという。 彼らの要求は今夜、 店の戸を開けること。
もし、 手代が彼らの要求を呑めばどうなるかは火を見るより明らかである。 しかし、 このまま無視してしまえば、 何の咎もない女性がどのような目に合うのか……。
幸いなことに、 凶賊の後をつけた手下によって、 彼らの隠れ家は判明した。 どうやら攫われた女性もそこにいるらしい。
その上で、 火付盗賊改方は二手に分かれるという手段をとった。 片方は越後屋の防衛に、 もう片方は隠れ家の襲撃に。
凶賊の狼藉を防ぎ、 同時に攫われた女性を救出する。 隠れ家に居残る凶賊も始末したいという考えなのだろう。 彼らの隠れ家がある場所は道が複雑に入り組んでおり、 取り逃がす可能性もある。
それならば、 大通りに面した越後屋で迎え撃った方がうち漏らす可能性が減らせる。 手勢の同心もだが、 それ以外の協力者も大勢集めることができたが故の作戦であった。
数馬達は後詰めとして、 大通りある家の中に隠れていた。 すでに越後屋内には火付盗賊改役である鬼瓦 帯刀含む手練れの同心達が控えている。 数馬達の役目は逃げてきた凶賊を斬り殺すことであった。
日が沈んでからそれほどの時間が経たないうちに、 二十は超えるであろう影が越後屋の門前へと向かっていく。
街灯なんてものは存在しない時代である。 しかし、 それゆえに月の光は明るく、 人相までは分からずとも、 そこに人がいることだけはよく分かった。
「まだだ……まだ待てよ……」
左膳が小声で呟く。 それは周囲に伝える命令というより自身に言い聞かせる言葉に近かった。
右平も唾を飲むと、 汗ばんだ手のひらを袴で拭い、 抜いていない刀を握りなおすという行為を何度も行っていた。
三人の中で一番修羅場慣れしていると言っていい数馬も自身の心臓がやけにうるさいのを感じていた。
門前に集まっていた影のうち一人が閉じられた扉を叩く。 少しして、 扉の閂が取り外された音がする。 すると同時に影が一斉に刀を抜いた。 月明りに鈍色の刃が照らされているのが遠くからでも見えた。
そして、 影の一つが扉を開くと同時に刀を突きだす。 影達の視点から見れば、 脅しに屈した手代が扉を開けたので、 先に始末して、 口をふさいでおこうという考えからなのだろう。
しかし、 彼らのたくらみは火盗改に露見した時点で破綻している。
金属同士がぶつかり合う甲高い音。 驚きながら退く凶賊集団。 彼らが開けた空間から次々と屈強な武士達が出てくる。
その先頭にいる男、 鬼瓦 帯刀は堂々と名乗りを上げた。
「火付盗賊改役、 鬼瓦 帯刀である」
「出るぞっ」
鬼瓦の声は静かであるが、 重々しく夜の大通りに響く。
長官の名乗りを受けて、 数馬達と共に控えていた同心が、 周囲の剣士達に合図する。
「……! 火盗改……!」
数馬達にとって、 どこかで聞いたことがある声がする。 どこで聞いた声か思い出す前に同心と凶賊達が斬り合いを始めた。
「構うことはねえ! 火盗改がなんだ! 全員斬り殺せ!」
「手向かう者には容赦はするな!」
互いの頭目の檄が飛ぶ。 凶賊の声に聞き覚えを感じながら、 数馬は刀を抜いて、 近くにいた凶賊に斬りかかる。
襲われた凶賊は慌てながらも、 刀を抜いて防御する。
金属同士の甲高い音が響いたが、 それも一瞬。 防御されることを確信した数馬は素早く体制を整えると、 防御していないところへ切り返す。
今度は反応する事が出来ずに、 胴を薙がれる。 臓物を腹からまき散らしながらその凶賊は息絶えた。
周囲を見れば、 ほぼ互角ではあるが、 どちらかと言えば火盗改が優勢のようだ。 返り討ちにする者も中にはいるが、 次第に凶賊達は同心や彼らが呼んだ剣客達に斬られていく。
「どけぇ!」
そんな中、 二人の同心を斬って、 数馬の方へと向かっている男がいた。 数馬も斬って道を開かんと、 男は刀を振り下ろす。
―――速い!
とっさに避けることができないと判断すると、 真正面から受け止める。 想像していた以上に重い一撃に押される数馬。
今宵は月の光がやけに明るい夜である。 互いの顔はその月明りに照らされて、 よく見えた。
「お前は……」
見たことがある凶賊が数馬の顔を見て思い出したようにほくそ笑む。
そのまま、 互いに一歩ずつ引いて、 刀を構える。 数馬は中段に、 相手は上段に。
月明かりが二人を照らす。 数馬は相手が浮かべている笑みがあの日と同じよことに気が付いた。
凶賊が目の前の相手を斬り殺さんと一歩踏み出す。
が、 それより速く踏み込んだ数馬の突きが凶賊の喉を貫いた。
凶賊は何かを言おうとしていたが、 数馬が刀を抜くと、 突かれた喉から血を噴き出すだけで何も言えなかった。
喉をつかれたのが原因で生まれた隙をつくように、 大上段に構えなおした数馬は、 まっすぐに刀を振り下りした。
刀は少しでも息を吸おうと苦しむ凶賊の顔を二つにし、 胸の半ばまで切り裂いた。
崩れ落ちる凶賊を尻目に周囲を見渡す。 優勢だった状態は完全に決着がついており、 息を荒くしながらも立っている火盗改の同心達と、 血を流して倒れ伏す凶賊「燐火」の集団がそこにいた。
「……終わったか」
「ああ」
返り血で服を染めた左膳は疲労を隠そうともしない。 かくいう数馬ももう凶賊がいないと確信した途端、 どっと疲労が押し寄せてきた。
血を拭ってから刀を納め、 改めて周囲を見渡す。 凶賊に斬り殺された同心や剣客もいたが、 凶賊は誰一人逃げることは叶わずにここで斬り殺されてしまったようだ。
「二人とも無事でしたか」
「そういうお前は少し腕が落ちたみたいだな。 後で医者に診てもらうと良い」
肩で息をする右平が二人に話しかける。
数馬と左膳は無傷ではあるが、 右平はいくつか小さい切り傷を負っていた。 命に係わるような怪我ではないものの、 いたるところから血を流すさまはかつて同格であったはずの二人と比べても、 “差”というものを感じさせる。
左膳の言葉に「そうですね」と肯定の返事をした後、 少し悩むように考え込むと、 意を決したように二人に尋ねた。
「……あの、 もし、 僕の見間違いだったらいいのですが……こいつらって……」
「俺達が斬ったのは凶賊、 燐火の一味だ。 それでいいじゃねえか」
そう言いながら左膳は刀を納める。 口には出さなかったが、 数馬も同じ気持ちだった。
右平は納得いかないようだったが、 自身の中で折り合いをつけたのだろう。 「それもそうですね」と言うと、 ようやく納刀した。
その後、 鬼瓦の密偵達が人質の救出に成功したことを伝えにきたことで、 今回の一件は落着となった。
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