肆
「しつこい」
溜息をつきながら、 数馬は刀を一振りした。
周囲には斬り倒された男達が転がっている。
秋山の道場で敗れてから数日。 数馬が負けたことはそこそこ知れ渡っていた。
しかも、 その話を聞きつけた腕自慢や数馬に恨みを持つ者達がここぞとばかりに襲い掛かってくるのだからたまらない。
幸いと言っていいのかは分からないが、 襲ってくる敵の腕は大したことのない連中ばかりだ。 問題は真剣を手に襲ってくることくらいか。
真剣を手に襲ってくる以上、 こちらも真剣で対応しなければならない。 一対一ならばともかく、 複数人相手では木刀一本では不安が残る。
結果として、 自らの血の池に沈む愚か者どもが時折町の外れに出現することになる。
数馬自身、 襲ってくる彼らにうんざりしており、 最初の発言もそれに由来している。 一応周囲を警戒もしているが、 他に敵はいないようだった。
今日はこれで終わりか。 納刀しつつ、 町外れの空き地から去ろうとしたとき、 正面からある男がこちらへと歩いてくるのに気が付いた。
男はこちらが自身に気が付いたのを確認すると、 数馬の足元には目もくれず、気軽な様子で声をかけてきた。
「色々と恨まれておるのお」
「おかげさまで」
男は数日前に数馬を打ち破った秋山 兵衛であった。
秋山は一番近くで倒れ伏している男に触れると「ふむ」と感心したかのように小さく呟く。
「これから飲まないか」
「え」
そして、 つい先程の行動をなかったかのような提案。 人を殺したことについて何か言われるかと身構えていた数馬は呆れたような声を出してしまった。
そのままの勢いのまま秋山に少し古びた一軒家へと連れてこられた。 秋山が無造作に扉を開けると、 そこには小料理屋の風景があった。
「いらっしゃい、 いつものでいいかい」
「ああ、 いつもの頼む」
壮年の男性に出迎えられて小あがりの畳座敷に座る秋山。 一拍遅れてから、 数馬も席に着く。
何か頼むべきか迷っている数馬の前に、 徳利を満たす清酒といくつかの肴が目の前に並べられていく。
何も注文していない数馬が驚いたように店主の方へ顔を上げるが、 隣に座っていた秋山が「儂の奢りだ」と告げると、 秋山の方に視線を移す。
先程の自分の発言を認めるかのように秋山が頷くと、 肴の一つに箸を伸ばす。
そのまま口に運ぶ。 猪口に注いだ清酒を飲む。 秋山に倣うように数馬も知らず知らずのうちに酒を飲んでいた。
提供された肴も旨い。 箸と酒が進む。 気が付けば徳利の中身は空になり、 並べられた料理も半分が胃袋の中に収まっていた。
「一つ聞きたいことがあるが、 いいか」
「何をですか」
二本目の徳利も空けたところで秋山が尋ねてきた。 酔いも大分回ってきた数馬は一体何が聞きたいのか、 問い返す。
「君の剣は誰かから習い、 近い実力を持った者達と切磋琢磨して身につけたものだ。 多少荒んでいるものの、 根っこが変わるほど歪んでいない。 だからこそ気になるのだ」
―――何故、 道場破りなどという愚行を繰り返すのか。
秋山の問いに数馬は押し黙る。 何から言うべきか、 何を言わずにいるべきか。 考えていると、 扉が開く音がする。
暖簾も出していないのに珍しい。 それだけ店の腕がいいのだろう。 そう考えながら、 なんとなく開いた入口の方へと視線を向ける。
そこにいたのは知らない顔と懐かしい顔。 片方の顔を見た瞬間、 数馬は跳ねるように畳座敷から降りる。
「左膳!? 久しぶりだな!」
「!? まさか、 数馬か!」
共に江戸へ出た友人の一人、 渡辺 左膳が、 一人の男の供としてそこにいた。
「!? 左膳、 数馬! 僕のことも覚えていますか!?」
そう叫びながら、 裏の調理場から飛び出し、 そして躓いたのかたたらを踏むのは同じく江戸へと来ていた加藤 右平。
水瀬の三羽烏と呼ばれた三人はこうして、 特に感動的ではない再会を果たしたのだった。
「―――それで、 今は何をしているのだ」
酒を注ぎながら数馬は尋ねる。
数馬を連れてきた秋山と、 左膳を連れてきた壮年の男。 そして、 この店の板前は彼ら三人から少し離れたところで会話をしている。
三羽烏を放置というわけではなく、 積もる話があるだろうからと、 離れてくれているというのが実際のところなのだろう。
三人の好意に感謝しながらも、 左膳が先ほどの問いに答える。
曰く、 江戸で三人と別れた後、 仕事を探したがうまくいかなかったこと。 これは数馬もそうだったし、 右平も同じだったという。 多少剣の腕が立つと言っても所詮は田舎者に過ぎなかったということだ。
その後、 左膳はチンピラのような暮らしを送っていたという。 これに関しては道場破りで日銭を稼いでいた数馬からは特に何か言えることではない。
「で、 俺は恐喝まがいのことをやっていたら、 ある日鬼瓦の旦那に叩きのめされてな。 それ以来、 旦那の小者として雇ってもらっているんだ。 今日はたまたま、 旦那がオススメするっていう店を紹介してもらったんだ」
「気に入られているんだな」
「ああ、 剣の腕を旦那が認めてくれてな。 旦那の仕事も時折手伝っているのさ」
「仕事? 鬼瓦さんは一体何の仕事を……」
「火付盗賊改役だ」
左膳の何ともないような一言に、 右平と数馬は凍り付いたように動きを止めた。
火付盗賊改役。 火盗改とも呼ばれる放火・押し込み強盗・賭博を取り締まる火付盗賊改方の長官のことである。
文官で構成されている町奉行に対し、 火付盗賊改方は武官で構成されており、 先手組の組織が使われていたため、 結束力が高い一方で、 取り締まりは乱暴になる傾向もあったとされている。
時代によっては嫌われることも多い火盗改であるが、 今の火盗改は少し荒っぽいところもある一方で、 大物凶賊を何人も捕らえたという実績があった。
特に今の長官はその名はあまり知られていないものの、 公平無私な人物であると市井でも評判で、 そんな人物に使い走りとはいえ仕えている左膳は三人の中では出世頭であると言える。
「フフフ、 それに聞いて驚け。 最近、 先手組の同心への婿養子の話もあってな。 この話が上手くいけば、 俺も誉ある火盗改同心の仲間入りというわけだ」
自慢するような左膳の言葉に二人は言葉を失う。 同期のさらなる出世にあぜんとする数馬。 一方の右平は少しためらうように話し始める。
「実は皆さんと別れた後、 僕も仕事が見つからずに行き倒れてしまったんです。 その時、 ここの大将に拾っていただいて……実家でも食事の手伝いなどはよくしていたので、 こういった料理は苦手ではなく……」
いずれは暖簾分けからの独立も考えているという。 照れくさそうにそう告げる。
そうか、 応援しているぞ。 と気楽に呟く左膳に対して、 数馬は内心穏やかではいられなかった。
同じように江戸へ来た二人はなんだかんだと安定した居場所を手に入れつつあるというのに、 自分は野良犬のようなその日暮らしから進歩していない。
しかし、何をすればいいのか分からない。 そんな不安をかき消すように猪口に注いだ清酒を一息で飲み干した。
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