参
三羽烏の一人、 田中 数馬が江戸へと出て、 半年が過ぎた。
他の二人とは江戸についた日に別れて、 今のところは再会していない。
江戸は広く、 様々な文化、 仕事があった。 一方で数馬のような職を求める浪人などいくらでもいた。
貯めていた路銀は江戸に出て、 二か月で尽きてしまった。 しかし、 それから四か月経った今でも数馬は金に困っていなかった。
別に定職を見つけたわけではない。 短期就労の仕事を繰り返しているわけでもない。 彼は自分の力量を活かして金を稼いでいるだけであった。
簡単に言えば彼は道場破りで日銭を稼いでいた。 江戸には多くの人々が暮らしており、 そういった人々の需要に応えるかのように、 いくつもの道場が存在していた。
無論、 有名な道場もあれば、 無名の道場だってある。 優れた腕を持つ者が籍を置く所もあれば、 破落戸に毛が生えた程度の者が開いた道場もあった。
しかし、 地方とはいえ随一と言われた道場で、 優れた腕を持つ者達と切磋琢磨してきた数馬からすれば大抵の道場は相手ではなかった。
正眼に構えて、一撃で仕留める。 大抵はそれで終わる。 負けた道場側としては面目が立たないので、 なかったことにしようとする。 大抵は金子によって解決となった。
一つの道場から巻き上げた金子は大体十両ほど。 これだけあれば数年は暮らしていけるだろう。 散財をしなければという前提でだが。
しかし、 この半年で数馬は十に近い道場に押し入り、 結果として百を超える小判を手にしていた。 ここまでして金を稼ぐ理由は特になかったが、 他にすることと言えば酒を飲むか女を抱くかくらいしか思いつかない数馬は手ごろな道場を調べては、 押し入るということを繰り返していた。
当然、 そんなことを繰り返せば恨みは買う。 しかし、 数馬は相手からの復讐を全て乗り切り、 時には相手の血でもって諦めさせた。
この日も、 とある道場の門下生達が真剣を手に襲い掛かってきたところを、 持ち歩いていた木刀で一蹴したところであった。
「……しつこいな」
そう言いながらも周囲の警戒はやめない。 以前、 弓による狙撃を受けたこともあるからだ。 面子にこだわるがゆえに手段を選ばないことがあるのを身をもって知った以上、 油断してやられないように周囲に目を配る。
「クックック……」
地に倒れ伏した門下生達のうちの一人がおかしそうに笑う。 襲ってきた面々はどれだけ軽傷でも、 骨の一本は折れるほどの痛撃を与えている。 特にこの男は肋骨に強力な一撃を入れていた。 笑うほどの余裕があるとは意外に根性を見せるな。 数馬はそう他人事のように思った。
「確かに強いな……だが、 秋山殿には敵うまい」
「秋山?」
聞いたことのない名前だ。 住処の近くと江戸に名を知られた有名どころの道場は一通り調べてみたが、 高名な剣士の中に秋山という苗字はなかったはずだ。
「知らんのか、 所詮は田舎者よな」
「その田舎者に集団で襲い掛かって叩きのめされたのはどこの都会者なんだろうな」
馬鹿にするような言葉に皮肉を込めて返してやれば、 あっさりと沈黙してしまう。
黙った男を放置して、 数馬は改めて周囲を見渡す。 人の気配もなく、 銃弾や矢が飛んでくることもない。 どうやら、 今回はこれで終わりらしい。
沈黙したまま倒れ伏す男を放置して、 帰路に就く。 今、 彼の頭の中にあるのは二つの事柄。
「秋山」という男と、 酒のことだけであった。
†
秋山、 という男についての調査はすぐに終わった。
秋山 兵衛。 江戸に無数といる道場主の一人だ。 構えている道場は小さく、 儲かっているようには見えない。 金のないところに挑むのも馬鹿らしいので、 放置していた道場の一つを構えていたのが、 秋山という男だった。
しかし、 気になって調べてみたら、 様々な武勇伝が次々と数馬の耳に届く。
裏の世界で知られていた暗殺者を返り討ちにしたとか、 数馬でも知っている高名な剣士と引き分けたとか、 人斬りとなった元弟子を一対一で斬り倒したとか……
調べれば調べるほどに秋山 兵衛という剣士がいかに強いのかが伝わってくる。
老境に入り、 全盛期というには年を重ねすぎている。 それでも秋山の腕は今も並大抵のものではないことは調べから予想できた。
一度戦ってみたい。 わずかに残っていた剣士としての誇りが疼きだす。 幸いと言っていいのか分からないが、 秋山兵衛の道場は歩いてそれほど遠くない位置にある。
時間にも余裕がある。 なので、 善は急げと言わんばかりに数馬は木刀を手にして秋山道場へと向かった。
以前の調査の通り、 秋山道場は小ぢんまりとしており、 繁盛しているようには見えない。 玄関から入らず、 横に回って窓から道場内を覗いてみれば、 門下生達が鍛錬をしていた。
門下生たちは皆、 活気にあふれ、 真剣に竹刀を打ち合っている。 江戸で有名な大道場と比べても、 門下生達の実力が劣るとは到底思えない。
「―――すごいな」
思わず口からそんな言葉が漏れる。 門下生達の風貌からして、 侍と町民が半々ずつと言ったところか。 それでも、 互いに切磋琢磨する様は身分など関係ないと表現せんばかりだ。
金になりそうにないと、 この道場を避けていた自分が急に恥ずかしくなり、 窓から顔をそらす。
「なんだ、 もっと見ていかないのか?」
そのまま道場を去ろうとした数馬の背後から壮年の男に声をかけられる。 小柄な男だ。 鍛えているようだが、 一見すれば強そうに見えない。
しかし、 わずかな動きの所作から男がかなりの修練を積んでいることが分かる。 何事もないようにふるまうその姿からは“隙”と呼べるものが一切なかった。
「お主は最近噂の道場破りだな。 こんな寂れた道場になんの用だ?」
自然体で聞いてくる男。 まるで、 「お前程度など不意打ちされても返り討ちにできる」と言わんばかりだ。
さすがにそれは被害妄想が過ぎるだろうと、 気を取り直した数馬は改めて、 男を正面から向き合う。
そうして告げる。
「ここの道場主と、 いえ、 貴方と手合わせさせてください。 秋山 兵衛殿」
「いいぞ」
あっさりと認められたことに拍子抜けしながらも男、 秋山を先頭に道場に足を踏み入れる。
秋山が戻ってきたことに門下生達が気付くと、 打ち合いをやめて、 場を譲っていく。
やがて中心には秋山と数馬の二人だけとなり、 門下生達が持ってきた竹刀を両者とも手にする。
互いに正眼に構える。 互いに睨み合う。 少しばかりの時間が過ぎる。
門下生達の中から唾をのむ音が周りに聞こえるほど静かな時間が流れるが、 数馬はそれを感じるほどの余裕はなかった。
目の前の男からは隙というものがまったく見えなかったからだ。 誘いこもうと隙を見せても、 動く気配すらない。 ただ、 こちらをじっと見据えてくるだけだ。
まるで巨大な岩を相手にしているかのよう。 自身よりも小柄なはずの相手がである。
「―――こないのか?」
「っ!」
挑発されている。 そう気づくことなく数馬は一気に詰めて、 最小動作での突きを打つ。 避けにくく、 防御もしにくい一撃だ。 多くの自称達人を幾度となく仕留めてきた突きでもある。
パンッと竹刀同士が打ち合う音がした。 数秒後、 弾かれた竹刀が落ちる音が静まり返った道場に響く。
弾かれた姿勢のまま固まる数馬の鼻先に秋山の竹刀が突きつけられる。
「まだやるか?」
その言葉に返答することはできず、 一礼した後に引き下がる数馬の背を秋山は黙って見送った。
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