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 水瀬道場がある地域一帯を支配する大名、 山田(やまだ) 直正(なおまさ)は大の道楽者として口さがない者達の話題によく上がった。

 地域一帯を治める藩主としての仕事に精を出すことはあまりなく、 様々な趣味に手を出しては飽きて辞めるということを繰り返していた。 ふとした拍子にかつて辞めた道楽に再び手を出すのだから、 なおさら手に負えない。

 それでも藩政が上手くいっているのは有能な家臣たちに支えられているためであった。 しかし、 藩政を担う家臣の多くは老境に入った者達ばかりで、 彼らが去った後の藩政に大きな不安があるのは言うまでもないことだろう。

 

 そんな馬鹿殿が幼少期からのめり込み続けいているものがある。 剣道だ。

 

 時折、 城下の道場を連絡もせずに訪れ、 周囲を困惑させるのだ。 そのくせ、 碌なもてなしがないと不機嫌になるのだから質が悪い。

 しかし、 一方で御前試合が行われるなど、 武芸者として輝ける場が用意されているのも藩主の剣術趣味からであった。

 腕に自信はあれども、 仕事のない次男以下の子息や浪人達からみれば、 御前試合で目覚ましい成績を残すことが雇用を得るための最短の道でもあった。

 水瀬道場では三羽烏と呼ばれる三人だけではなく、 何年も道場に通っている高弟達も御前試合で活躍することを夢見ていた。

 

 唐突になぜこのようなことを説明したかと言えば、 当の山田本人が連絡なしに水瀬道場に乗り込んできたのだ。

 まるで庶民が親戚の家を訪ねたような気軽さで声をかけてきたものだから、 最初に応対した弟子は彼がこの地域で一番偉い人であると気が付かなかった。

 少なくとも来ている服が高価なものであるのは一目で分かった。 しかし失礼のないように対応したが、 さすがにどかどかと無遠慮に入られて、師範の座る場所に堂々と腰を下ろした男の姿を見て、 門下生達は一体どういうことかと眉を顰め、 手を止めた。

 

「ん、 俺のことは気にしなくていい。 ほれ、 何をしている。 はよう打ち合わんか」

「え、 いや、 貴方は一体……そこは師範が座る場所で……」

「ああ、 そのお方は大丈夫だ」

 

 指導していた右平が平然と座る男に話しかけられ反応する。 そんな右平を制止する刑部。

 知り合いですか? そう聞く前に愛助が来客用の玉露と羊羹を持ってくる。 そのまま、 男の前に置くと、 男は至極当然のようにそれを口に運んだ。

 

「殿、 お付きの者はどうされました」

 

 刑部のその一言で、 道場内の一同は上座に座っている男がこの藩を治める大名であることを理解する。

 慌てて手を止めて、 平服する一同。 それを見た山田は手を振りながら、 「気にするなと言っておるだろう」と気軽に言う。

 いや、 そんなことを言われても。 門下生達のそんな内心に気付かずに山田は刑部に話しかける。

 

「他の者は置いてきた。 なにかと口うるさいものでな。 それにほら、 最近面白いやつが入ってきたのだろう。 今、 茶と羊羹を持ってきた奴か」

「ええ、 愛助と申します」

 

 刑部がそう紹介すると、 愛助は道場主の隣に座り一礼する。 堂々としたその姿はまさに一番弟子とでも言わんばかりのふるまいだ。

 師範代として下座にいる三羽烏がそのことに気付くが、 藩主の手前、 露骨な反応をすることはできなかった。

 

「ふむ、 ならばその技見せてもらおう」

 

 山田がそう言うと、 いくつかの決まりきった文言の後に真剣と試し切り用の巻き藁が用意された。

 真剣を握るのは愛助。 彼は目の前にある巻き藁を睨みつける。 そして一呼吸入れると、 居合斬りの要領で刀を抜いた。

 一の太刀で真横に両断し、 二の太刀で宙に浮いた巻き藁を二つに断ち切り、 三の太刀として降り下りた一閃は四分の一になった巻き藁をさらに両断した。

 見事な技だ。 と三羽烏を含めた門下生達は素直に認めた。 しかし、 あの程度の技ならば三羽烏だけではなく、 他の高弟達にだって可能だ。

 数か月という短い月日で考えれば見事なものではあるが、 彼らだって今まで積み重ねてきたものがある。 同じような立場になれば、 彼以上の技を見せることはできると自負していた。

 

「いかがでしょうか、 殿」

「くれ」

 

 道場主の言葉に返された返答は一つだけ。

 

「あれくれ」

 

 しかし、 その返答は三羽烏を含めた門下生達が欲してやまない一言でもあった。

 

「……それは、 困りますな」

 

 言葉の通りに刑部は困り顔で答える。 一般的な道場主からすれば大変名誉なことであり、 嬉々として差し出すべきであることなのに、 刑部は渡したくないようだった。

 まだ、 教えたいことがたくさんあるのか。 それとも、 今になって正式に入門させていないことが気になったのか。 門下生達がいらぬ想像をしていると、 やがて、 意を決したかのように刑部は山田に申し上げた。

 

「申し訳ありませんが、 この話はなかったことにしていただきたく」

「ほう、 なぜだ」

 

 頭を下げる刑部。 大名の疑問は一般的に考えれば当然のことだった。 門下生達も師範が断った理由を知りたかったので、 各々思うところはあれども黙って師範の言葉を待った。

 

「彼にはいずれ婿養子として、 この道場を継いでほしいと考えていますので……」

「―――は」

 

 その言葉が師範達に聞こえなかったのは幸運だったのだろうか。

 少なくとも師範代は間違いなく聞き取れたし、 門下生達も近くにいる者は聞き取った。

 しかし、 数馬の不敬ともいえる一言だけの呟きは無視されて、 道場主の言葉にご機嫌になった藩主が話を進める。

 

「ほう、 それはそれは」

「娘の方も愛助のことを憎からず思っていたので……奴の技は先程見たとおりです。 門下生にも慕われている奴ならばこの道場の跡継ぎにふさわしいかと考えまして」

 

 上機嫌の藩主と師範。

 そんな彼らの話を遮るように数馬は音を立てるように強く踏みつけて、 立ち上がる。

 

「―――納得いきません」

 

 無礼だぞ。 と怒鳴る刑部を睨みつけて、 数馬は言う。 ハッキリ言えば上位の者達の会話に割り込むなど許される行為ではない。

 本来ならば抑えるべき左膳も右平も止めようとはしない。 門下生も彼の言葉に同意しているか、 彼の気迫にビビっているかのどちらかであり、 どちらにしても彼を止めようとはしなかった。

 

「俺も他の者も、 いずれはこの道場の後を継ぎたいと考えて努力していました。 田中でも加藤でも、 あるいは他の高弟であったとしても、 俺は飲み込むことはできました」

「ならそうしろ。 話は終わりだ」

愛助(そいつ)は水瀬道場の門下生ではありません。 そう紹介されたこともありません。 師範の温情で雇われた下男にすぎません。 なのにそいつがこの水瀬道場の跡継ぎであると言われて、 俺は納得できません」

「僕も同意見です。 内弟子だったとしてもそう紹介されたことはありません」

「同じく。 少なくとも愛助(そいつ)を後継者だと認める門下生はここにはいません」

 

 右平が数馬の言葉に同意する。 左膳も続くように同意する。

 門下生から制止や反論の言葉が出てこないことに戸惑う刑部。 不機嫌になる山田だが、 当の愛助が立ち上がり、 「受けて立つ」と言わんばかりに竹刀を構える。

 動揺している師範を置いて、 門下生達は道場端に下がっていく。 右平から竹刀を受け取った数馬は中段に構える。 一方の愛助は上段の構えをとる。

 真剣な表情の数馬。 相手を見下すような笑みの愛助。

 ―――瞬間。 一気に距離を詰めた数馬の突きが愛助の竹刀を弾き飛ばした。

 

「この程度の腕しかない愛助に、 道場を任せるのは不適格です。 御再考を」

 

 バランスを崩して尻もちをつく愛助を尻目に刑部へと向き直る数馬。 背後にいる門下生達の様子はさすがに分からないが、 向けられる視線は悪いものではない。

 

「む、 確かに。 少しばかり実力がついていないと言えるな」

 

 顎に手を当てながらそう考える藩主。

 

「―――黙れ。 田中家の三男坊風情が儂の決定に逆らうのか」

 

 一方の師範は弟子の反対に烈火のごとく怒っていた。 保守的な考えを持つ刑部からすれば、 下の者が上に意見するなど考えられないことであった。

 さらに今回の場合は、 藩主の目の前で自身のお墨付きを潰された形である。 刑部からすればすぐに刀を抜こうとしないだけの分別が残っているだけでも冷静であるつもりだった。

 

「そもそも、 愛助が兄弟子である貴様に勝ちを譲ってやったのに気づかんのか」

「ならば上段の構えを取るという目上の者に対する無礼を行わないでしょう」

 

 刑部の言葉にひるまず言い返す数馬。

 彼の言う通り、 格上に対して上段の構えは失礼にあたるとされている。 後年、 ある若年の剣士が片手上段の構えをとったことで、 対戦相手の怒りを買い、 血まみれで昏倒するまで叩きのめされたという記録も残っている。

 愛助が遠慮をしたというのならば、 上段の構えは取らないだろうという数馬の意見は間違ってはいない。

 しかし、 弟子の反論に師範はますます顔を赤くする。 かろうじて、 怒鳴り散らさないだけの理性は残っていたらしい。 怒りを抑えたような低い声で数馬に告げた。

 

「破門だ。 二度と我が道場の門をくぐるな」

「そうですか」

 

 一礼して道場を去る数馬。 尻もちをついていた愛助を気遣う桜小町が、 非難がましい視線を向けてくるが、 それに答えることはなく、 数馬は道場を去った。

 

「ちょっと待てよ」

 

 三羽烏の一角が道場を去った後、 その後を追うようにして残りの三羽烏も道場からやってくる。

 二人の声に振り向いた数馬は少しばかり困ったような表情になる。

 

「二人はまだ師範に睨まれていないだろう。 早く戻ったらどうだ」

「僕らのことより、 貴方はどうするんですか。 なにかあてでもあるんですか」

 

 心配する右平の言葉に「ない」とあっさり答える数馬。 そもそも、 師範に対する失望を抱いたのは先程の騒動が原因である。

 それまでは、 なんだかんだと信頼していたのだが、 今回の一件で数馬は師範を見限った。 水瀬 刑部は老いさらばえて、 耄碌したのだと。

 後先考えずに飛び出したのは若さゆえの特権と言えるかもしれないが、 二人に言われて数馬は自分の居場所がないことにようやく気が付いた。 問題を起こした三男坊を抱えられるほど、 田中家は余裕がない。

 

「なら、 江戸に行かないか」

 

 そんな数馬に左膳が提案する。

 曰く、 彼は最近の刑部に不信感を覚えて、 地元で燻っているより、 いっそのこと江戸で一旗揚げたいと考えていたのだった。 その準備も少しずつだが進めていたという。

 

「今回の件で俺も師範が耄碌したと確信した。 明日にでも出ていくつもりだ」

「……貴方もですか」

 

 右平が話す。 彼もまた、 思い切って江戸で一旗揚げようと考えていたという。 まだ準備は終わっていないが、 終わり次第、 彼もまた江戸へ出るつもりだったという。

 二人の言葉に、 数馬も心を決める。 江戸へ出て、 一旗揚げようと。

 なお、 三人一緒になって活動するつもりはなかった。 一人一人バラバラの方が都合がいいと三人とも考えていたからだ。

 

 

 

 かくして、 翌日には三人は同時にこの地を去り、 江戸へと向かうことになる。

 藩の中でも随一と言われる水瀬道場の後継者と目されていた“水瀬の三羽烏”はこうしてあっさりと水瀬道場から消えていった。

 奇しくもそれは御前試合が行われる前日のことであった。

 


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