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 久々の投稿。

 全七話になります。


 日課の素振りを終えて、 水瀬(みなせ)道場の師範代、 田中(たなか) 数馬(かずま)は木刀を戻した。

 そのまま、 裏手の井戸へ汗を流そうとしたところ、 友人二人がこちらへとやってきた。


「おう、 朝っぱらから頑張るな」

 

 そう声をかけてくるのは渡辺(わたなべ) 左膳(さぜん)。 数馬と同じ水瀬道場の師範代だ。

 

「さすが、 筆頭殿は朝から精が出ますなあ」

 

 からかうのは加藤(かとう) 右平(うへい)。 彼も水瀬道場の師範代である。

 

「ほう、 師範代の右平殿は兜を脱がれると。 では、 次の師範は筆頭師範代であるこの田中 数馬で決まりですかな」

「ぬかせ」

「ちょっとした冗談ではないですか。 何が筆頭師範代ですか」

 

 からかいの言葉に気取るように返せば、 軽く小突いてくる二人。

 「やめろやめろ」と笑いながら押し返せば、 二人ともそれ以上何もすることはなく、 「また後でな」と告げると道場の方へと入っていく。

 さて、 改めて汗を流そうと裏庭へと歩を進めれば、 井戸にはすでに先客がいた。

 

「あきさん……!」

「数馬さん、 朝稽古ですか」

「え、 ええ。 他の門下生たちが来る前に軽くですが、 汗を流しておこうかと思いまして……」

 

 先程の悪友たちとの会話とは打って変わって、 しどろもどろになる数馬。

 さもありなん、 彼女、 水瀬(みなせ) あきはここの道場主である水瀬 刑部(ぎょうぶ)の一人娘であり、 その美貌も相まって、 “桜小町”の名で噂される美女なのだ。

 

「あきさん! おはようございます!」

「おはようございます! 今日もお美しいですね……!」

 

 彼女がいることに気が付いたのだろう。 道場から先程の二人が大慌てでやってきた。

 うへへ、 とだらしない表情をする二人に微笑むあきと、 内心で大きく舌打ちをするもそれをおくびにも出さない数馬。

 この三人は、 互いに剣の腕を高めあう悪友にして、 この水瀬道場の後継者の地位を競い合う好敵手にして、 水瀬 あきの夫の座を狙い合う恋敵であった。

 

 数馬が汗を流して少し経つと、 他の門下生達も続々と顔を出す。 師範が顔を出すのはそれより半刻(一時間程)後の時間帯であり、 その時には師範代達によって道場は奇麗に掃除されている。

 本来であれば、 一番下の見習いがするべき行いであるが、 朝練を終えた師範代の三人が清掃するのがいつの間にか当然の日課となっていた。

 実際には三人が桜小町にいいところを見せようと張り切っていたのが発端ではあったのだが。

 ある程度人数がそろったところで、 稽古の時間となる。 この際、 師範代の三人は他の門下生達に教える立場となる。 一人一人見て回り、 口をはさむ。 師範である水瀬 刑部が口を出すことは少ない。

 師範代の三人によって教え方は当然異なる。 左膳の教えは厳しく、 右平の指導は優しい。 数馬のそれは二人の中間あたりといったところか。

 この教え方の違いは水瀬道場に三つの派閥を生む結果となった。 各師範代を次の道場主にという声だ。 師範代達の実力が拮抗しており、 三人とも表立って争おうとしないため、 対抗心をあらわにする程度であった。

 しかし、 この道場にいる全ての者が確信していた。 藩の中でも随一と言われる水瀬道場の後継者は“水瀬の三羽烏”として名高い師範代の三人のうちの誰かであると。

 

「師範代! 表で誰か倒れています!」

 

 とある行き倒れが現れるまでは。

 

 

 

 †

 

 

 

 行き倒れていた男は愛助(あいすけ)と名乗った。 どこから来たのか、 どこの生まれなのか、 それらを一切語ることなく、 ここに住まわせてほしいと頭を下げて頼み込んできた。

 

「……どう思う」

 

 道場主である水瀬 刑部に認められて、 下男として住むことになった愛助のことである。

 愛助が門前で行き倒れてからから数か月が過ぎた小料理屋の一角で数馬の問いに左膳と右平が面白くないと言わんばかりに意見を述べる。

 

「細やかなところに気が利くが、 あの目が気に入らん。 こちらのことを見極めようとしながらも見下している目だ」

「……聞いたところによると、 師範直々に剣を教えてもらっているとか。 下男としての賃金替わりとのことですが、 僕らがあの門をくぐるのにどれだけ苦労したことか」

 

 二人の意見に数馬は同意するように頷く。 時折時間を見つけては竹刀を振るう愛助のことを多くの者が見ている。 嬉しそうに指導する刑部の姿も。

 面白くないのは師範代の三人を含めた門下生達だ。 彼らが門をくぐるのには決して安くはない金を払っているのだ。

 特に三羽烏の三人は武家の生まれでありながら、 次男三男の生まれであるため、 実家での居心地はあまり良くない。

 この時代、 跡継ぎたる長男が健在であれば、 次男以下はただの無駄飯ぐらいであり、 彼らは何らかの方法で自立しなければその一生をごく潰しで終えてしまうことになる。

 三人は水瀬の三羽烏と言われるほど剣の腕があり、 師範から“皆伝”の伝書を与えられている。 これは、 水瀬一刀流の技を全て修めた者にしか与えられないものだ。

 実力者と言える高弟はいれども、 皆伝にまで至っているのは現在では三人以外にいない。 三人はそれだけの実力者なのだ。

 しかし、 剣一本で生きていくにはさらに上の伝書“指南免状”が必要となる。 指南免状がなければ、 水瀬一刀流の看板をつけた道場を開くことはできない。

 しかし、 上の伝書を授与されるには実力はもとより、 金一封を謝礼として納めなければならなかった。 皆伝までならばともかく、 独立を許す証である指南免状の授与料はかなりの額であった。 とてもではないが、 数馬の家が彼の為に払ってくれる額ではないと諦めるほどには。

 おそらく、 他の二人も同じ立場なのだろう。 ゆえに三人は水瀬道場を切り盛りするほどの実力者でありながら、 いまだに独立できないでいた。

 

 しかし、 そんな三人にも一つの道がある。 婿養子だ。 水瀬 刑部の一人娘であるあきと結ばれることで、 水瀬道場の跡取りとなれる。 藩随一と謳われる水瀬道場の後継者になれば、 門下生からの月謝や高位藩士からの援助で食べていくことができる。

 無論、 道場を切り盛りするだけの腕があればの話ではあるが、 数馬には自信があったし、 他の二人も同様であった。 ここで跡取りを巡る醜い争いが起きないのは互いが互いの境遇を知っているからこそであろう。

 三人は三人とも他二人の剣の実力も指導の腕も知っている。 勝負すればどうなるか分からないと言えるほどに三人は良き好敵手だった。 彼らにならば負けでも仕方がないと諦められる程度には。

 

 しかし、 ここで愛助という存在が突如割り込んできた。 実力も人となりも分からず。 しかも、 師範は彼を大層かわいがっている。 三人が心休まらぬのも無理はないだろう。

 

「いやしかし、 愛助は入門の儀式を行っていないだろう。 そもそも、 無一文で親類縁者もいない愛助が入門料を支払えるはずもない」

「たしかに、 こういう事にうるさい師範が前例を無視して愛助を後継者に据えるわけもない。 後援者ができれば話は別だが……」

「愛助の奴はよく気が利く奴です。 剣を学ぶ熱意もある。 しかし、 それだけです。 どの家もどこの誰とも知らぬ奴のために金など払わないでしょう」

 

 ああ、 なら安心だ。 と数馬は盃に残っていた酒を飲もうとしたところで、 あることを思い出す。 嫌な記憶だ。

 

「そういえば、 最近愛助の奴はあきさんにやたら馴れ馴れしいと思わんか」

 

 数馬のその言葉に、 左膳と右平の二人も心当たりがあるのか苦々しい表情をする。

 

「言われてみればそうですね。 母親を早くに亡くし、 若くして家を切り盛りする立場になったあきさんからすれば、 頼もしい存在なのかもしれませんが」

「あきさんは美しく、 優しい人だ。 愛助め、 変なことを考えていないだろうな」

 

 苛立ちを隠そうともせずに酒を一気に呷る左膳。 そういえば、 彼はあきさんにべた惚れしていたのだったな。 と、 どこか他人事のように思う数馬。 憤然する左膳を見て、 なだめるように右平が声をかける。

 

「まあ、 落ち着いてください。 もうすぐ御前試合が行われます。 我らが水瀬道場の為に、 無様な試合を行うことはできません。 そんな心乱れた状態で試合に出るつもりですか」

「っ、 そうだったな。 すまない。 こういう時こそ冷静になるべきだな」

 

 そう言って、 大きなため息を一つ。 そうして再び杯に酒をなみなみと注ぐと、 一気に飲み干した。

 

「さすがにもうやめておきましょう。 明日に差し支えます」

「そうだな。 俺もそう思う」

 

 友人二人にそう止められて、 再び注ごうとした手を止める。

 結局その後はそのまま解散となった。

 

 そして、 そのまま時間は過ぎていく。

 三羽烏は他の門下生を指導しながらも、 愛助が師範やその娘だけではなく、 門下生の間を動き回っているのを見ていた。

 最近では彼の周りに集まる人は増えているように見える。 皆伝の伝書どころか、 最初の伝書である“切紙”さえも与えられていないはずの愛助が知らず知らずのうちに師範代と同じように教える立場にいる。

 しかも、 当の師範はそのことを注意することすらしない。 ニコニコと嬉しそうにその光景を眺めるだけだ。 普段から厳格で形式にこだわる彼の姿を知る者からすれば、 偽物なのではと疑いたくなる光景だ。

 一人娘であるあきと親し気に話している様子もよく見られた。 彼女が師範代の三人に声をかける姿が少しずつ減っているのに目ざとい者は気づいただろう。

 当然そんな状態であれば面白くないのは師範代の三人だ。 特に左膳は分かりやすいほどに機嫌が悪く、 周囲に当たり散らそうとしないのが不思議なほどであった。

 

「左膳め。 最近の奴は気が乱れすぎている。 他の二人もだ。 まったく何をしているのだ」

 

 そう愚痴りながらも、 愛助を見る師範。 愛助に批判的な門下生たちはその姿を冷ややかな目で見ていた。

 

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