クロノカタナ (4)
少し間が開いてしまいましたが折り返しに入ります。
クロノカタナ (4)
~※~
そこは、いつか見たような情景だった。
(これは夢だ)とクロは思った。
陽光が差した森の中、小川に足を下ろし静かに佇む女の姿。
日の光のせいか亜麻色に見える真っ直ぐな長い髪をひるがえし、翡翠のような瞳を輝かせ、彼女はドンと人一倍大きな胸を張ると得意げな顔を見せた。
丁度、少女から女性へと移り変わった時期なのか、その表情には微かに幼さが残っている。
「私の本当の名前は―――。ただの―――。二人でいる時は―――姉さんって呼んでくれるとうれしいかな。故郷の国には弟や妹も居たお姉さんのエキスパートなんだから」
彼女は日の本の着物とは違う、不思議な白い衣類を着付けていた。
自分で縫ったと言う、わんぴーすと呼ばれる物らしい。大きく肩が見えるほど露出が高く、寒くないのだろうかと疑問が浮かんだ。
彼女が自分を何と呼んだのか、夢の中ではよく聞き取れない。いや思い出せない。
ただ、彼女の印象的な容姿だけは、片時も忘れることは無かった。
「ああ、やっぱ足浸けるだけでも気持ち良いわ」
ふわりと足を覆う布の裾を持ち上げ、彼女が歩く度に小川はパシャパシャと水音を鳴らす。
彫りの深い顔立ち、雪のように白い肌、しなやかに伸びた手足。背も大抵の男よりもずっと高く見える。彼女が日の本の人間で無い事は、幼いクロの目にも明かだった。
いや、最初に見た時は人では無く、鬼や天狗のような人外の類いではと過ぎった程だ。
その魔性の美しさとは裏腹に、彼女の気さくな態度が妙に馴染まなかった。
「俺は・・・『シキサイ』の中の事しか知らないから。拾ってくれた元締めも、あまり昔のこととか話してくれないし・・・俺は・・・『シキサイ』ではお前の兄で、お前は初めての妹だから・・・年が上でもちゃんとハクって・・・妹って呼びたい」
黒く大きな外套越しに自身の膝をかかえ、クロは少し恥ずかしげに彼女を見上げた。
「まったく、すっかり部隊に染まっちゃって。年功序列って言葉を知らないのかしら。元締めもややこしい取り決めを作ったものね。先に入った者順で兄弟姉妹を呼び合うなんて」
面倒くさそうに頭を掻きながら、ハクは大きなあくびをした。
コロコロとよく表情を変えるハクに、クロは言い知れない温かな感情が沸き立つ。
「俺は・・・ここで拾われて育ったから・・・・・・」
自分でもよく分からない心の内を振り払うように、クロはそう言って抱えた膝に顔を埋めた。
そんなクロの想いや考えを知ってか知らずか、ハクはしばらく不満げな顔で腕組みをし「うーん」と考え込んでいたが、開き直ったように一転して笑顔を見せた。
「まあ、私が正式に入隊したのは最近だしね。仕方無い。確かに序列が乱れちゃうし。オッケー、コードネームで良いわ。私はハク。真っ白なハク。そんでもって、貴方はクロ、真っ黒のクロ。丁度良い兄妹ね」
「う・・・うん」
真っ白なハク、真っ黒のクロ。そんな関係が別の兄姉達とは違う深く特別な物に感じられた。
「でも、私は貴方を守る。貴方の剣は私が――」
そこから、彼女が何を言ったのかは覚えていない。
いや、思い出の中で生まれた妄想なのかも知れない。夢の中でそう思考しながら、クロは静かに目蓋を開いた。
~※~
「皆を起こせ!」
「何たることだ!」
「広間だ。家の者は皆、大広間へとの仰せだ!」
ドタバタと人が行き交う足音と怒号のような男達の声。そのけたたましさに目が覚める。
日が差さない奥座敷とは言え、早朝と呼ぶにはまだ少し早い。一緒にいる犬も猫も丸まって寝入っている。
「何かあったのかな?」
何とは無しに呟くと、廊下側のふすまが勢いよく開いた。
「クロ殿!」
息を切らせ、駆け込んできたのは恰幅の良い髭面の侍だ。
「三郎・・・殿?」
珍しい来客にクロは思わず瞬きをした。
「どうかしたんですか? こんな朝早く」
「都から飛ばされた早馬から使者と文が届いた。上洛された親方様がお倒れ申した!」
「親方・・・さま? それって、桜江様の父上では」
「然り。現在屋敷は上へ下への一大事。クロ殿は万状部屋にて待機せよとの、ご家老からの仰せでござる」
「その、桜江様は?」
「今は吹雪殿がそばについて居られる。間もなく屋敷の者達を集め――」
「クロも連れて行きます」
唐突に三郎の言葉を遮った少女の声に、二人は思わず振り向いた。
「桜江様・・・大丈夫・・・ですか?」
そこには、桜江が眉間にシワを寄せながらも静かに佇み、そばには吹雪が無言で控えていた。
「大丈夫も何も無いでしょう、今は皆の動揺を沈めなければ。クロ、新しい着流し(着物と帯の服装)はありますね。それで構いません。刀を帯びて私と大広間へ来なさい。絶対に私のそばから離れぬように」
「桜江・・・姫・・・さま?」
そっと手を添えられ、クロは息を飲んだ。
(震えている?)
自分の前では笑顔を絶やさなかった少女からそれが消えていた。青ざめた貌を現しつつも、何とか領主の姫君の威厳を保とうとする彼女の健気な姿勢。その心情は、手の震えから直接クロ自身へと伝わってくる。
「俺・・・行っても、良いんですか? だって・・・俺、間だし・・・・・・」
何と応えて良いのか解らず、しどろもどろになりながらも、視線で吹雪に助け船を求めた。
「お前は万状なのだろう? 姫様のお心の支えになるのがお前の勤めだ。それとも、犬でも連れて行けと? とにかく今は着いて来い」
「あの、ちょっと良いですか?」
「何ですか?」
急かす桜江に対し、少々の罪悪感を覚えながらクロは一言だけ答えた
「すぐ着替えるので、出ていって貰えますか」
瞬間、桜江の顔が一転して真っ赤になり「ろ、廊下で待っています結え早くしてください」と、三郎と吹雪の裾を引きながら部屋をあとにした。
~※~
大広間には、屋敷の家臣、小間使いまで殆どが招集されていた。
家老の辰巳を始め、屋敷外から重鎮と呼ばれる藩士、武家の者達も揃っている。
吹雪と辰巳を左右に、そして少し離れた場所に三郎とクロを控えさせ、桜江がずらりと並んだ臣下達に向かい静かに座した。
「アレが姫様が召し抱えた間か」
「この一大事だと言うのに、何故姫様のおそばに間が」
「姫様は何を考えておられる」
「見ろ、うっすらと顔に刀傷があるぞ。やはり裏戦国に身を投じていたのか?」
見知らぬ人の小声がクロの耳を突く。ちらつく視線も痛い。逃げ出したくなる気持ちがクロを覆うが、毅然と皆を見据える桜江を眺めていると、ここにいなければと心に踏ん張りをきかせる。
「皆様、早朝からお集まり頂き感謝いたします」
桜江の一言に一同が深々と頭を下げるが、桜江はそのまま続けた。
「お倒れになられた父は現在、都の寺にて医師の元、療養されていると聞きます」
「お命に別状は?」
誰かが声を上げた。
「それは分かりませぬ。ただ、今は父の・・・親方様のお帰りを待ち、皆は各々の責務をこなし、普段通りに過ごして頂けたらと存じます」
「早急に領や藩の大事・・・と言う訳では無いのですな?」
「今は私が判ることを皆にその都度自分の口でお伝えすることが、義務だと承知しております」
凜とした姿勢で姫君が答えた。
「しかし、親方様に万一のことがあれば・・・・・・」
誰もが思っても口にしなかった一言に、桜江の表情が一瞬強張る。「あ」と彼女が口にした刹那。
「くどい!」
強い口調で反応したのは、そばに仕えていた辰巳だった。
「姫様は判らぬ事を判らぬと申したようなものでは無いか! 万が一、そんなことは皆が危惧しておるわ。だが、ここでワシらがジタバタしたところで親方様のお体が良く成られる訳ではあるまい!」
「辰巳殿。確かに親方様の身を我らも案じております・・・ですが、しかし」
その場の誰もが桜江へと視線を移す。
この少女に領国、お家の存亡がかかっていると思えば、誰もが身の振り方を考えさせられても仕方が無い。しかも、次期頭首は得体の知れない間を屋敷に入れるような姫だ。
(政敵を作るにはまだ幼い)先の吹雪とのやり取りがクロの脳裏を掠める。
「ええい。しかしも案山子も無いわ! 次の一報が届くまで解散じゃ解散! 姫様は伝えるべき事を伝われた。今後の事なぞ考えていられるものか。こちらからも親方様の病状について逐一報告するよう文を出しておいたわ。皆の者、ご苦労であった。今こそ姫様を支え、臣下としての忠義と力量が問われる時と思えい!」
捲し立てるよう家老が唐突に解散を命じると、その場の臣下達がざわめき出した。
「クロ! 姫様をお連れしろ。ただし、一歩でもお部屋に足を踏み入れたのならば、ワシが直々手討ちにしてくれるわ! よーく覚えておけい! 間風情が腹を切れるなどと思うな!」
辰巳は、桜江の手を引きながらも大広間にいる者達に目を光らせる。
「爺や・・・・・・」
桜江の唇の動きを見て、そう聞こえた気がした。
「あとは爺と吹雪にお任せ下され」
顔を上げた辰巳が目配せをしたように見える。(頼む)と、クロは家老の意志を汲み取り、桜江を支えながら大広間の外へ促した。
逃げるようにも思えたが、今の桜江がこれ以上あの場の空気に触れることは耐えられないことは、近くにいた辰巳も感づいていたのだろう。
実際、広間から出た瞬間、桜江はクロにもたれ掛かり顔は血の気無く蒼白に染まっていた。
「ダメですね・・・私は・・・・・・」
何とか笑顔を取り繕うとする桜江に、クロは何か出来ないかと脳を回転させる。だが、気の利いたセリフなど思い浮かべられる事も無く、無言のまま部屋へと誘った。
(本当に、ダメなのは俺の方だ)
~※~
桜江を自室へ送り、万状部屋へ戻ったクロは、膝に手を置き己の不甲斐なさに頭を抱えていた。
「自分には何も出来ないのか。桜江様をお慰めするのが万状では無いのか?」
部屋を行き交う犬猫に問う。歯を食いしばり無力感に苛まれる。
無力感。自己否定をしながら生きてきた五年間、すっかり馴れていたように思えていたが、いつ以来だろうか、そんな自分に怒りを覚えたのは。
桜江を自室まで送り届け、その別れ際の言葉が何度も頭の中で繰り返される。
『本当に綺麗なイモさまですね。貴方にとってイモ様は身近な拠り所なのでしょうね』
そう言って、彼女は初めて会った時のように首から下げた妹だったモノに手を添えた。
「ハク・・・教えてくれ。俺はどうしたら・・・・・・あ」
頭を抱えたクロだったが、その答えを出したのは裾を引っ張る二頭の犬だった。
「そっか。取りあえず散歩だな」
今は各々の仕事を続ける。桜江が言った言葉を思い出す。自分に出来ることをやる。万状の自分にとって、犬の散歩は立派な仕事では無いのだろうか。
いつでも、桜江が安らぎと癒やしを求められる空間を用意する。
それが今の自分に課せられた『任務』であるのならばそれに従おう。
クロは、懐の巾着袋から一錠の薬を取りだし口に含んだ。
巾着の中の薬は残り後わずかだ。三ヶ月もすれば無くなるだろう。しばらくは半分にして行動を制限すべきか。
「そろそろ・・・何とか何処かで補充しないとなぁ。万状に暇ってあるのかな?」
自分のやるべきことを見つけたは良いが、これは労働なのか無償の奉仕なのか新たな疑問が浮かぶ。
そんな最中でも、犬たちは散歩を催促して下ろし立ての着流しを引っ張り回した。
「わかったから、離してくれよ犬」