第八話『再会』
よく分からない人ではあった。優しくも冷たくもあり、厳しくもあって哀しげでもあった。だが、そういった部分に妙に惹かれた。初めて大人を感じた男性だからという事もあったかもしれない。とにかく間違いなくフェアリーにとってトーマは初恋の人だったのだ。それを残酷な形で奪われた。幼い頃に両親が、そして今また大事な人が目の前で殺されてしまった彼女は、誘拐犯のアジトで目を覚ました時、ショックから完全に放心状態になっていた。その場で誘拐されたナンシー・ミラーとも再会したのだが、彼女の目にも心にも何も届いていないようだった。
「フェアリー・ローズ?……一体何があったの?」
ナンシーは、フェアリーをこの場に連れてきた男に聞いた。
「なあに。ネズミが一匹死んだのを見て動揺しているだけだ」
「ネズミ?……!まさか何でも屋さんを殺したの!?」
「もう少し手こずるかと思っていたから交渉して仲間にする予定だったのだがな。こちらの出したネタに目が眩んで隙だらけになったので殺ったということだ」
ネタに目が眩んで?あの人はそんな人じゃない。他人を全く信用せず、その分用心深いあの人が、明らかに打算から交渉を持ちかけようとしている人間の話に惑わされて隙を作ってしまうなんてありえない。きっとあの人を動揺させる何かが話の中にあったに違いない……半ば以上放心しながらフェアリーはそう思っていた。
「まあ、そういうわけで助けは期待しない方がいい。ここは諦めて、お嬢さんの誕生日まで最後の親子の日々を過ごすことだな」
「最後のね。私はともかく、フェアリー・ローズは殺すつもりで狙っていたんじゃないでしょう?」
「クライアントは二人とも殺す気はないようだ。誕生日がくれば、お嬢さんの身柄は我々がもらい受け、あなたは解放する。死に別れでなくとも今後一緒に生活をする事がないのだから、別れに違いはあるまい」
「…………どうして私の誕生日なの?どうせ解放するつもりなら今すぐしたっていいでしょ。『ママ』を解放してよ」
「!………………フェアリー……ローズ?」
娘の口から『おば様』ではなく『ママ』という言葉を聞いたのは一体何年ぶりだろう。頼りにしていたボディーガードを目前で殺され、絶望しながら連れてこられた様子なのに、娘は自分を気遣ったのだ。
ナンシー・ミラーのあまりの驚きようを少々意外に思いつつ、男はフェアリーの方に向き直った。
「ここまで育ててもらった礼に、誕生日のイベントを見て頂こうというクライアントの意向だ。外に出ていない分多少運動不足になっているだろうが、これまでも食事は充分に出しているし、ご覧の通りミセス・ナンシーは元気だ。何も殺すと言っているわけではないのだから、そんなに心配する事はない」
「トーマさんを殺した人達の言う事なんて信用できない」
「信用しようと出来まいと、当日までここに二人で過ごしてもらう。その事に変わりはない」
それだけ言うと男は部屋から出て行った。扉が閉められると、外からピッピッピッという機械音が聞こえてきた。監禁用に特殊な鍵を使っているのであろう事が、その音で分かる。どのみち逃げ出す気などないのにと、虚ろな瞳で扉の方を見やりつつフェアリーは思った。
そのまま部屋に残された義理の親子は、しばらく何も話さなかった。が、十分ほど経った頃ナンシーの方から口を開いた。
「フェアリー・ローズ。あれほど私達に反抗していたあなたが、どういう心境の変化があったの?」
これはもちろん『ママを解放して』発言を指して言っているのである。いくら放心状態とはいっても、その程度の事を理解する思考力は残っていたらしく、少し時間を置いてからフェアリーはこう答えた。
「……トーマさんが言ったの。私を見ていると大事に育てられた事が分かるって。だから……」
「トーマ・イガラシが、そんな事を?」
その答えの内容にも、何よりフェアリーが答えを返したこと自体にもナンシーは驚かされた。
トーマ・イガラシは金の為ならどんな外道な仕事でも引き受け、顔色一つ変えずに人も殺せる極悪非道な人物だと、彼を知る者は誰もが言う。噂でしか彼を知らないナンシーも、何も考えずにそうなのだろうと思っていた。家出をして勝手に押しかけてきたフェアリーを家に置いたのも、ミラー家の人間の面倒を見れば高額の謝礼が支払われると考えたためだと。たとえそうでもフェアリーを守ってくれるならそれでいいと思い、彼に仕事を依頼したのだ。しかし気付くべきだった。すっかり人間不信になっていたフェアリーが、何故彼のもとを訪れてすぐ家出をし、行き先に彼の家を選んだのか。フェアリーは彼の中に安心感か温かさか、とにかく何かを感じたからこそそうしたのだ。
「トーマさんは最後まで私の心配をしてくれてた。周りに振り回されるな、自分の中の真実を信じろって……でも、そんなのもう意味ないよ!トーマさんはもういないのに…………真実がどうとかなんて、そんな事どうでもいい!」
そう言ってフェアリーは泣き崩れた。その姿を見てナンシーは理解した。フェアリーがトーマに恋していた事を。そしてトーマがフェアリーにどう接し、彼女に何を伝えたかったのかを。
「意味がない?どうでもいい?何をバカな事を言ってるの」
ナンシーの言葉とその口調の厳しさに驚き、フェアリーは思わず顔を上げた。そこに見えた『ママ』の顔は、口調に劣らず今まで一度も見た事がないほどに厳しいものだった。そのナンシーの態度は、今のフェアリーには冷たいものにしか見えず、湧き上がった反発心のまま叫んでいた。
「バカな事ですって?噂でしかトーマさんを知らないあなたに何が分かるの!?トーマさんは私と真正面から向き合ってくれて、世間知らずだった私に色んな事を教えてくれた人よ!そんな大事な人が私を守ろうとして殺されてしまったのよ?なのに……」
「分かるわよ」
「ウソ!」
「嘘じゃないわ。今のあなたを見ていればね。何でも屋さんがあなたにどれだけ大切な事を教えてくれたか、それくらい分かるわよ。あなたはいつの頃からか、泣いたり笑ったりしなくなったわ。私達に見せてくれたのは激しい怒りと拒絶だけ。そのあなたが今、私の目の前で泣いている。長い間誰にも出来なかった事を、この短期間でやってくださった。それだけでもトーマ・イガラシという方の人柄が分かるわ」
「どういう事?」
「頑なになった人間の心を動かすほど言葉に重みのある人なんて、そうはいないわ。特に若い人ではね。でも声を聞いた限りでは、何でも屋さんは若い人だったのでしょう?」
「多分……年は知らないけど、見た目では二十代だと思う」
「そう。そんな若いのに……。きっと、とても量りきれないほどの苦難を乗り越えてきた方だったのでしょうね。でなければ他人を教え諭すなんて出来るはずないもの」
「そうよ。今まで会った誰よりも立派な人だった。言葉や態度は冷たくしていても誰も見捨てなかった。依頼に関係ない、お金にならない人助けまでして。みんな冷たくて自分の事しか考えないクセに、そんなトーマさんを悪く言う資格なんて誰にもないわ」
「あなたもよ、フェアリー・ローズ。仕事だったからかもしれないけど、その人が命をかけてあなたを守り、伝えようとした事を無意味だと言うの?どうでもいいと何もかも投げ出してしまうの?」
「トーマさんが私に伝えようとした事?」
「ええ。恐らく何でも屋さんはね、あなたの誕生日に何が起こるのか分かっていたのよ。あなたを利用するために、悪意を笑顔で隠した人間が現れて何か言って惑わそうとしても、自分の意思を強く持って立ち向かえと、何が本当で何が嘘なのかは自分で見極めて決めろと、そう言いたかったのよ」
「……私には分からないわ」
「じゃあ考えなさい。誕生日まで時間はあるわ。何でも屋さんに出会ってから今までの事を辛くても思い出してみなさい。きっとあなたが冷たかったと言った言葉や態度の中にも、色々な想いが込められていたはずよ。それが見えればトーマ・イガラシという人の事、彼が残した言葉の意味が分かると思うわ」
言いながらナンシー自身もトーマの事を考えた。金の為なら何でもする極悪非道な一面と、何の得にもならない人助けをする一面は共存し得るのだろうか?彼の中にも何か複雑なものが秘められていたのかもしれない。二十代という若さで命を危険にさらさなければならない、よろず請負業という職業を選び、世間からは外道呼ばわりされ、恐らく心を許せる人間もいなかったのだろう。
(あの子は彼を好きだったようだけど、対等になれる存在なんかじゃなかったんじゃないかしら。言動を見て大事に育てられたと分かると言ってみたり、死んだはずの実の両親が現れた時の気持ちの持ちようを示した言葉を、わざわざフェアリー・ローズの為に死ぬ間際に残してみたり。まるで老人のよう。一体どんな人生を送れば若くしてそんなセリフを言えるようになるの)
自分も中流家庭から大富豪の家に嫁ぎ、様々な嫌がらせに遭ったり金銭絡みのどす黒い人間関係も散々見てきた。それなりに人生経験は積んでいるつもりだが、彼の人生は想像がつかない。刹那的に生きていたのか、何か目的があってそれを支えに生きてきたのか。しかし彼の人生は終わってしまった。せめてフェアリーが彼の残したものを理解し、実行できればと思う。でなければ他の誰も彼の死を意味あるものに出来ないのだから。
「へえ。銃弾を五発受けて即死しなかったの。タフな奴ね。そう考えると仲間に出来なかったのは惜しいわねえ。是非とも実験に使ってみたかったもんだわ」
監禁部屋を退出した黒服の男は、今度はクライアントに向かって頭を下げていた。
「申し訳ございません。なにぶん人間離れした奴だったそうで。事実、前の駐車場の時と今回とで私の部下の内二十一名を失い、十名は危篤状態、十六名は重傷で、全員が軽くて全治二ヶ月以上の怪我を負っております。無事だったのはお嬢さんを連れ帰った一名だけという事になります。その一名も奴が隙を見せなければ無事ではいられなかったでしょう」
「そう聞くと余計に惜しいわね。ま、危険な奴には違いないし、死んでしまったものはしょうがないわ。とにかく“可愛い愛娘”は手に入ったんだし、そっちに期待するとしましょうか」
「それですが、本当に成功するんでしょうか?どういった事になるのか私にはにわかに想像がつかないのですが」
「どうなるかは私も知らないわ。でも遺伝子に言い聞かせているのよ。そっちの方は間違いないでしょう。あんたは万一に備えて強力な麻酔銃でも用意しておいてくれればいいわ」
「……分かりました」
嫌な女だ。黒服の男は心の中で思っていた。しかし彼女のバックにいる人物の事を考えると、味方についておいた方が今後何かと有利になるという計算があるのだ。権力と財力を持ち合わせている宇宙都市きっての名門。彼らのお抱えでいる限り生活に困る事はないし、多少の犯罪は握り潰してもらえる。こんなおいしい立場を、たかが嫌な女一人の面倒をみる事で保障されるのだから楽なものである。
「それはそうと今回殉職した者の家族に対する補償ですが」
「分かっているわ。二十人や三十人程度の補償くらいミラー氏にとっちゃはした金だからね。それにフェアリーの件が成功すれば、すぐに取り戻せる額よ。問題はない………………ん?」
クライアントである女と黒服の男は、ふと窓の外で何かが光った事に気がついた。それに前後して木がザワザワと音を立てたので、男は用心しながら窓を開け、光が見えた方向に向けて発砲した。が、その時には既に何の気配も無くなっていた。逃げた様子も弾が当たった様子もなかったのだが……。
「やったの?」
「いいえ。弾が当たったのなら木から落ちる時に音がするはずです。と申しますか、今のは人ではなかったのではないでしょうか」
「何でそう思うの?」
「あの赤い光、人工物ではなく何か生き物の目の光のように思えます。それに窓を開けた際、頭上に大きな鳥のような影が見えましたし」
「夜に活動する鳥?フクロウ?そんなもの宇宙都市にはいないはずでしょ。大方、誰かが仕掛けたカメラでもあったのよ。夜が明けたら確認しておいてちょうだい」
「はい」
返事をしながら、男は再び窓の外をチラッと見た。そこには何者の気配もなかったが、不気味に赤く輝く巨大な月が目に入った。宇宙都市の空は地球上のそれを模して作られているので太陽も月も見えるのだが、いずれも本物ではない(空に当たる部分がスクリーンのようになっていて、そこに空の映像が投影されている)。都市自体が人工物なので、大気の状態でそう見えるなどという事はありえない。では一体あれは何なのだろうか。
(気味が悪いな。大昔に作られたホラー映画に出てきそうな月だ)
地上を離れ、科学技術の結晶である宇宙都市に住んでいる人間にとって、オカルト的な事はあまりにも現実味がなく、バカバカしい事としか映らない。であるからホラー映画を観ても恐ろしいと感じた事などないのだが、得体の知れない赤い光に大きな影、確かにあったはずなのに忽然と消えた気配、それに巨大に見える赤い月といったミステリー要素に、なんとなく背筋が寒くなるような思いを、男は味わった。
その後フェアリーは食事はキチンと取り夜は眠っているものの、養母とも全く口を利かず、ただ何もない日々を送っていた。その様子はナンシーの目には、ひたすらトーマの事を想い、絶望から捨て鉢になっているように映る。
実際にフェアリーはそういう状態だった。養母から言われた通りトーマとの日々を、彼の言葉の一つ一つを思い出していたのだが、それでトーマという人間が見えてくるわけではなく、ただ彼を失った悲しみと自分のせいだという思いが湧きあがってくるだけだった。
(私がトーマさんにあんな事を言わなかったら、隙なんか作らなくて済んだのに。ううん、それよりもっと前、私が家出してあの人の家に行かなかったら、私たちの事にこんなに深く巻き込まれたりしなかったのに。私のせいだ。トーマさんが死んだのは私のせいなんだ)
ずっとこんな事を考えているもので、自殺しようとまではしなくても、誕生日に何かが起きて殺されてもいいという気持ちではいた。養母にしても、もうこれ以上言う事は残されていないので、そんなフェアリーを黙って見ているしか出来なかった。
―そうしてフェアリーは心の整理が出来ないまま、誕生日を迎えた―
その日、ここへ連れて来られてから初めて部屋を出された二人は、豪華な調度品に彩られた大広間に通された。豪華とは言っても、宇宙都市きっての大富豪ミラー家の人間である二人にとっては別に珍しくもなんともない、別荘程度の感覚のものではあったが。
「フェアリー!」
大広間で待つこと五分。二人の前に現れた一組の中年の男女は、フェアリーの顔を見るなり駆け寄ってきて、わけが分からない様子の彼女の体を抱きしめた。
「こんなに大きくなったのね。すっかり娘らしくなって。もっとよく顔を見せて。……ああ。この日をどんなに待ったことか」
「……誰?」
「ほら、カタリナ。気持ちは分かるが、事情も話さないままではフェアリーが戸惑うだけじゃないか」
「え、ええ。そうよね。ごめんなさい。十五年ぶりだもの。分かるはずないわよね」
十五年ぶり?十五年前……それは本当の両親が殺された年だ。この人達は何が言いたいのだろう?妙に芝居がかっていてなんだか嫌な感じだ。ぼんやりとフェアリーは考えていた。そんな彼女の耳に次に飛び込んできた言葉は、今の彼女にとって更にバカバカしく、にわかに信じ難いものだった。
「フェアリー。私達をよく見て。覚えてない?あなたの本当のママとパパよ」
「何言ってるの?パパとママは殺されたのよ。私、見たもの」
「そう。実際に死にかけたわ。でもね、あなたが連れ去られた後、私達は近所の人の通報で駆けつけた救急隊に助けられたの。もう少し遅ければダメだったそうよ」
「連れ去られた?どういう事?」
『本当の両親』の話はこうだった。
病院に担ぎ込まれた二人は生死の境をさまよって、二ヶ月ほど意識不明だった。だから意識を取り戻して、助けられたのが自分達二人だけだったと知った時は、フェアリーは殺されてしまったものだと思った。だが一ヶ月半ほど前に偶然フェアリーを見かけて死んだはずの娘の面影を見出し、まさかと思って探偵に調べさせたところ、本人だと判明したうえ今はミラー家にいると知った。
「呆然としたよ。そしてよく分かった。私達を殺そうとしたのは最初からお前を誘拐するのが目的だったのだと。そう。私たちを殺そうとしてお前をさらったのは、そこにいるナンシー・ミラーなんだ!」
衝撃の事実に、フェアリーがもっと過剰な反応を示すと思っていた。しかし両親の期待を裏切って、娘は虚ろな目を養母の方に向けただけだった。そしてようやく口を開いたかと思うと、更に反応の薄い言葉が出てきた。
「本当?ママ」
そう訊ねられたナンシーは、真っ直ぐにフェアリーを見返した。
「私が何を言ってもあなたが混乱するだけでしょう。でも、これだけは言っておくわ。そこのブラウン夫妻が憎かった事、あなたが欲しくて連れ帰った事は事実よ。あなたが私達の娘になって幸せだった。私も主人もね。だから……ううん。これ以上は何も言わないわ。あなたは自分の中の真実を見つけなければならないんでしょう?」
その言葉を聞いて、初めてフェアリーの表情が大きく動いた。トーマの残した言葉。それはこの事を指していたのだろうか?自分の真実を見つけて、それでどうしろと言いたかったのか。考えなければならない。あれからもずっと考えていたが、トーマが何を言いたかったのか分からなかった。しかし今なら分かるかもしれない。彼の残した言葉の中に扉の鍵は隠されていたはず。今の両親に引き取られてから現在に至るまでのこと……自分の真実を見つけるための要素の数々。
「フェアリー!今の話を聞いたでしょ。ナンシー・ミラーは自分の罪を認めたわ。さあ、私たちの元へ戻っていらっしゃい」
ナンシーが自分のやった事をフェアリーに正直に話したのには内心驚かされたが、いらない手間が省けこれは好都合だと、ブラウン夫妻はほくそ笑んだ。その表情は微妙だったかもしれないが、フェアリーは彼らの背後に悪魔の影を見た。
「一つ聞いていい?」
「なあに?何でも聞きなさい。あなたは私達の大事な娘なんだから」
「なんだか軽薄なの。重くない。あなた達の言葉は物語の脚本を読んでいるみたいで現実味がない。それに、さっきからの話を聞いていたら、私を見かけたのは一ヶ月半前だけど、犯人が誰かは最初から分かっていたみたい。それならこの十五年の間に、いくらでも私がミラー家にいると知る機会くらいあったでしょ」
「そ、それは、ほら、相手はミラー財閥なんだよ?私たち平民にはどうしようもないって諦めていたんだよ。だけどフェアリーを見つけて、危険だろうが何だろうがお前を取り戻す為なら何だってしようと思ったんだよ」
「そうよ。あなたが生きていると分かっていたら、もっと早くに動いていたわ」
「じゃあ、それはいいとして、私を連れて来るためにあんなに乱暴な方法を取ったのはどうして?駐車場の時もスポーツパークの時も、下手をすると私も死んでいたかもしれないのよ。トーマさんが守ってくれなければ」
「怖かったのよ。十五年前の始末屋……確かSWORDだったかしら?あいつとトーマ・イガラシって似てるじゃない。だから殺さなきゃ、こちらが危ないと思ったから」
カタリナの話を無表情で聞いていたナンシーが、ここで初めて驚いたような表情を浮かべ、フェアリーの方を見た。
「SWORDって、フェアリー・ローズがいつも話していた命の恩人よね。その人と何でも屋さんは似ていたの?だからあなたは彼の所へ行ったのね」
「SWORDが命の恩人ですって?あの男は殺し屋の仲間でしょ。私達の死体処理役として雇われていたんじゃない。フェアリーが助かったのは、あの男が仕事料を独り占めするために他の仲間を殺した結果ってところよ。きっと」
「……どうして知っているの?SWORDさんが死体処理の為に雇われていた事、SWORDさんがあの人殺し達を殺した事」
「え?だ、だって、本人が言ってたのよ。俺が死体を片付けるって。あと私達を殺そうとした犯人が死んだっていうのは病院で聞いたのよ。その死体の中にSWORDらしきものはなかったそうだから、それできっと仲間割れしたんだって……」
よくそんな口からでまかせが次々と出てくるなと、『フェアリーの実の父親』は感心して妻を見た。咄嗟の嘘の割には辻褄が合っている。頼りの何でも屋に死なれて、すっかり腑抜け状態になっていると聞いていたフェアリーが予想外に鋭いのには驚かされたが、この調子なら何とかなるだろうと胸を撫でおろした矢先の事である。フェアリーの様子が一変した。先刻までは色々と問い詰めてきてもどこか投げやりな雰囲気だったが、今は明らかに怒りの表情を浮かべ、心なしか髪の毛まで逆立たせて、『実の両親』を睨みつけた。
「私がここへ連れて来られてから今日まで姿を見せなかった事とか、まだまだおかしいと思う事はいくらでもある。でも、何にどんな理由つけられたって信じられない。あなた達はトーマさんを殺した!本当の両親だとか十五年前の事情がどうとか、そんな事はもうどうだっていいのよ!許せない……あの人を殺したあなた達を!今回の事に巻き込んで死なせてしまった私自身も!」
「ち、ちょっとフェアリー。落ち着きなさい。私達だってトーマ・イガラシと話し合おうとしたわ。だけど彼は応じてくれなかったのよ。それで仕方なく……」
「何を言っても無駄だって言ったでしょ?あなた達は何があろうと許さない。私が生きている限り」
「ちっ!」
身に危険を感じたカタリナは咄嗟に隠し持っていた銃を取り出したが、フェアリーの動きは予想外に速く、瞬く間に奪い取られてしまった。
「フェ……フェアリー。実の母親に銃を向けるなんて……!」
「先に銃を向けようとしたのは誰?こんな状況で実の母親も子もないでしょ」
冷たく言い放ったフェアリーは、引き金にかける指に力を入れようとした。が、その時、トーマの言葉が脳裏に甦った。
『だけど銃は違う。あれは生き物を殺す為だけに作られた道具だ』
「……トーマ……さん!」
トーマの残した言葉がフェアリーをためらわせた一番の理由であった事は確かだ。しかし心のどこかで相手が『本当の母親かもしれない』と思っていたからでもあっただろう。とにかくフェアリーはカタリナを撃てなかった。その結果、再び銃はカタリナの手に渡ってしまった。そして……
「フェアリー・ローズ!」
「え!?」
実の母親であるはずの女が娘に放った弾丸は、フェアリーではなく彼女を育てた養母の背中に突き刺さった。そう。ナンシーがフェアリーを庇ったのである。
「どうして?どうして私なんか庇ったの!本当の親子じゃないのに!」
「あなたは私達の娘よ……十五年も一緒だったじゃない……それだけで……充分」
「……マ……マ…………」
撃たれてなお、ナンシーは全身でフェアリーを庇うように覆い被さっていた。血の繋がりが何なのだろう。ここまでしてくれるこの人をただの中傷から疑い、ここ何年も憎み、悪態をついてきた。血の繋がりがない、それだけの理由で自分に向けられる愛情を信じられなかった。バカだった。そのせいで取り返しのつかない事になってしまった。トーマと同じように。
「ごめんなさい……ごめんなさい、ママ!」
「……いい子ね、フェアリー・ローズ……私はずっと……あなたを愛していたわよ」
「ふんっ!反吐が出るわ。安っぽい親子愛ドラマはいい加減やめてくれない?」
フェアリーを手なずけるのが無理とみたカタリナは、本性を隠すのをやめたらしい。指を鳴らして合図すると、部屋の中で隠れていた数人の黒服の男がマシンガンを持って現れた。その中にはトーマを殺した男や、例のリーダーらしき男もいる。
「あんたが素直に私の話を聞いて、予定通りそこのナンシー・ミラーに突っかかってくれれば、殺したりしないつもりだったんだけどね」
「おい、カタリナ。話が違うじゃないか。フェアリーを殺してしまったら全ての計画がパアになるんだぞ」
「うるさいわね!あんたはいつも通り黙って私のやる事を見てりゃいいのよ!」
たしなめる夫を怒鳴りつけておいてから、嫌な笑みを浮かべてカタリナはフェアリーを見た。
「この娘を殺した後に解剖すればいいのよ。次の実験には役に立つでしょう?」
「なるほど。よく分からんが細胞の移植なんかに使えるかもしれんな」
「解剖?実験って……私が一体何なの?」
「あんたはね、ある人の依頼で産まれてすぐ私らがさらって、強化人間を作るための遺伝子操作の手術……いや、実験を施されたのよ。私らは技術者じゃないから詳しい内容は分からないけど、運動機能とか代謝機能とかがいじられているらしいよ。大昔のホラーの、狼男みたいに変化するとかいう話も聞いたわね。だからこうしてあんたみたいな小娘一人殺すのに、これだけのマシンガンなんか用意しなくちゃなんなかったってワケ。さ、これで納得した?なら、そろそろ母娘一緒に死んでもらおうかしら」
フェアリーはいくつもの銃口にさらされながら混乱していた。自分が実験動物だった?それに産まれてすぐさらわれたという事は、殺された(と思っていた)両親は本当の両親ではなかったのか?何から何まで分からない事だらけだ。そして、それについて知る機会も奪われようとしている。自分の死体は正に実験動物さながら研究対象となり、また次の犠牲者に細胞を移植するつもりだという。
……激しい怒りが込み上げてきた。トーマの言った通りだ。自分の運命を握っているのはいつも他人。その他人は、自分が運命を握っている人間が何も知らずに暮らしているのを見て笑い、事実を知ってのたうち苦しむのを見て喜ぶ。そんな奴らの思い通りになんてなりたくない。こんな奴らの手にかかって死んでなんてやるもんか……そう思ったとき、体の中が何かザワザワとするような感じがした。
(何これ?まさか、さっきこの女が言っていたように何かに変化するの?)
それでもいいとフェアリーは思った。目の前の、この人の皮を被った悪魔を殺せるなら。そうして自然の成りゆきに身を任せようとしたが、ふと頭上から優しい風を感じて、それと同時に全てを包み込むような温かい声が聞こえた。
『大丈夫よ……“あの人”が来るわ』