第七話『実験』
翌朝、朝食を作ろうとキッチンへ向かったトーマは、そこでフェアリーと顔を合わせた。同居を始めて一ヶ月弱、フェアリーが先に起きて朝食を作っているのを見るのは初めてだった。
「あ、おはようございます。トーマさん」
「おはよう。珍しく早起きだな。どうしたんだ?」
「昨日、変な態度とって迷惑かけちゃったから。本当にごめんなさい」
「別に。お嬢ちゃんが突然ご機嫌ナナメになるのは、もう慣れたからな」
そうからかいつつ、どうやら許してくれたらしいトーマを見てフェアリーはホッとした。そして更なる喜びは食事中に待っていた。
「なあ、お嬢ちゃん。今日は仕事休みにするから、どっか遊びに行こうか」
「え!?いいんですか?」
「いいも何も俺が誘ってんだから。つーか、まあ半分は仕事だし」
「?」
「お嬢ちゃんには悪いが、要するに情報収集の為なんだ。例の黒服連中や、ずっと後をつけまわしている連中をとっ捕まえて吐かせようかと思って」
「どういう事ですか?」
「ナンシーさんを誘拐した連中だけどな、何を考えてんのかあれから全く連絡してこないんだ。目的とか色々知りたい事は山ほどある。が、今のところはせいぜいナンシーさんを誘拐したのが、お嬢ちゃんをさらおうとしたのと同じ黒服連中だって事くらいしか分かっていない。だからこの際わざと隙を作って連中を引っ張り出そうってわけだ」
トーマが何の理由もなしに仕事を休みにして自分をデートに誘うはずがない。冷静に考えれば分かる事だったのだが、一瞬少し期待してしまった。だからガッカリしていないと言えばウソになる。が、それでもトーマと出会って一ヶ月、初めて一緒に遊びに行けるのだ。嬉しくないはずがなかった。
「分かりました。囮作戦、実行しましょう」
「ホント悪いな。また怖い思いするかもしれないけど、絶対に守るからな」
「大丈夫です。前にも守ってもらったし信用してますから」
この時トーマは、フェアリーの自分を見る目が昨日までと少し違っているのに気付いた。が、すぐに自意識過剰かと思い直した。自分は、出会った若い女性に次から次へと好意を寄せられるような人間ではない。フェアリーにしてみれば今頼れるのはトーマだけなので、その心情がこういった態度を呼んでいるのだろうと。
「よし。じゃ、さっさと食って出かけようか。どこに行きたい?」
「私、スポーツパークに行きたい!」
「スポーツパーク?そりゃまた意外な場所を。もっと普通のテーマパークとか、映画とか言うと思ってた」
「ダメですか?」
「いや。俺もテーマパークよりそっちの方がいい。体を動かすのは好きだしな」
スポーツパークとは、野球やテニスなどといった、ちょっとした場所や設備があれば出来るスポーツとは違い、少々特殊な装置や設備が必要なものや、通常では免許が必要な乗り物の簡易版を体験できる施設である。それは例えばリニアモーターカーのように磁気浮上するスケボーで、そのスケボー用に作られたコースを走るもの(フロートボードという)だとか、F1もどきのエアカー、レーザーガンで化け物を倒す(実際に殺傷力のあるものではない)ホラーハウスのようなものなどがある。要するに二十世紀終わりごろから二十一世紀の始め頃のゲームセンターのゲームを、実際に体感できる場所といった感じだ。どれも本格的に楽しむにはそれなりの運動能力が要求されるが、失敗を楽しみながらキャーキャー騒ぐにも丁度良い場所なので人気のスポットだ。しかしデートの場所としては少々(かなり)ムードに欠けるのは否めない。そういった理由でトーマは『意外な場所』と言ったのだ。
そうしてデートの場所も決まったところで、フェアリーはいつもの倍以上の速さで食事を済ませ、外出の準備の為に部屋に戻った。女性の準備は時間がかかると世間では言われているので、トーマは一時間はかかるだろうと思っていたのだが、食事の後片付けが終わってトーマも着替えを済ませた頃には、フェアリーも部屋から出てきた。
「早かったな」
「え?だって行く場所が場所だし、着飾ったら変じゃないですか。それとも、もっとちゃんとした格好をした方がいいですか?」
「いや、悪い。偏見に基づく固定観念があったようだ。お嬢ちゃんは正しい」
彼女は特にいつもと違う雰囲気ではなくTシャツにジーンズ姿で、化粧も軽くした程度だった。準備に時間がかからないわけである。実際スポーツパークへ行くのにスカートで行っては動きにくい事この上ないし、肌がきれいなフェアリーは厚化粧をする必要もない。彼女はそう考えたしトーマもそう思うが、それでも一般的な女の子は着飾りたいものなのだろうと思い込んでいたのだった。が、フェアリーは付け足してこう言った。
「あとね、もし本当に黒服の人たちが襲ってきたら、この服装の方が逃げやすいと思ったから。いざって時に私自身が動けないとトーマさんも守りようがないかなって」
「……そうだな。いい子だ」
トーマはふっと笑ってフェアリーの頭を撫でた。やはり子供扱いされているなとは思ったが、優しくされるのは当然嬉しい。先に歩き出したトーマの後に続きながら、撫でられた感触の残る頭に手をやり、自分の想いをかみしめた。
スポーツパークに着いたフェアリーは、まず例のホラーハウスへ行きたいと言った。ここに出てくる化け物はみんな映像で作られたものなので、レーザーガンが命中するとかなり派手に体が吹き飛んだり、緑色の血が噴出したりする。あまりに刺激が強い事もあり、十八歳未満は入館禁止とされているアトラクションである。
「お嬢ちゃん、どうしてもここに入りたいか?」
「私、ガンシューティングゲームが好きで、だから一度これはやってみたかったんです。トーマさんはこういうの苦手なんですか?」
「苦手と言うか気分が悪いな。映像相手のゲームだと言っても銃は持ちたくない。」
「そう言えば、あの時も銃を持っている相手に素手でかかっていきましたよね。武器は持たない主義なんですか?」
「ナイフは持っている。何かと役に立つからな。だけど銃は違う。あれは生き物を殺す為だけに作られた道具だ……って、銃は使わなくても人を殺している俺が言っても説得力がないな」
「そんな事ありません。トーマさんだって本当は人を殺したくなんてないんですよね」
「いや。それに関しては全く抵抗はない。どうやらお嬢ちゃんは俺の事を良い風に評価してくれているみたいだが、そんなご大層なもんじゃない。最初の頃、臓器売買をしてるんじゃないかと疑って俺を怖がっていただろ?そっちの印象の方が正しいんだよ」
フェアリーは反論できなかった。納得したのではなく、トーマの瞳の色がそれを妨げたのだ。思い出してみればトカゲ処理の時や黒服の男達と戦っていた時、それに過去の話をしてくれた時もそうだった。トーマのトパーズの瞳が何かのはずみに赤みがかって、まるで血が滲んでいるように見えた。その瞳はどんな表情よりも深い哀しみ、怒り、憎しみを強く感じさせる。だから何も言えなくなる。
すっかり沈んでしまった様子のフェアリーを見てトーマは苦笑し、次いで彼女の手を引いてホラーハウスの中に入ろうとした。
「ト、トーマさん?」
「悪い。今日は俺が誘って遊びに来たんだよな。お姫様のご要望に応えないと」
「いえ、いいです!一緒に来たんですから一緒に楽しめない事はしたくありません。別の場所に行きましょう!エアカー・サーキットとか」
「そっか。気遣ってくれてサンキュ」
あ、あの時と同じ表情だ……フェアリーの胸がドキンと鳴った。トカゲ処理の時にトーマの身を案じたフェアリーに見せた優しい笑顔。カレンさんの前では、いつもこんな表情なのだろうか?そう思いかけてブンブンと頭を横に振った。そんな事を考えても虚しいだけだと気付いたのだ。さっき自分が言った通り今日は楽しみたい。途中で危険で無粋な邪魔者が現れるとしても、せめてそれまではと。
それから二人は間にティールームでのお茶の時間を交えつつ、閉園時間である夜の八時までパーク内で遊んだ。フェアリーは一見するとスポーツとは無縁の雰囲気だが、意外にも運動神経は良いようで、どのアトラクションでも充分にトーマと一緒に楽しめた。行き先に他のデートスポットではなくスポーツパークを指定するわけである。
「あー、楽しかったあ!こんなに思いっきり体動かしたの久し振り!」
「お嬢ちゃん運動神経いいな。学校で何かスポーツやっていたのか?」
「はい。ジュニアスクールの時から、ずっと陸上をやっていました」
「なるほどね」
「トーマさんは?何部だったんですか?」
「部活なんかやっていなかったよ。成績も普通で、目立たなくて地味だったな」
「うそー!絶対、何かスポーツやっていたって感じなのに。それに、そんなキレイなトパーズ色の瞳と銀髪を持ってるのに、目立たないとは思えないんですけど」
「色々あってね。途中で変わったんだよ。じゃ、そろそろここを出てメシでも食いに行くか」
はぐらかすように言って、トーマは先に歩き出した。フェアリーは少しの間その場に立ち止まっていたが、やがて何か決意したようにキュッと唇をかみ、小走りにトーマの後を追った。
「トーマさん!」
「ん?」
振り返ったトーマの肩に手をかけ、フェアリーは精一杯背伸びして二つの唇を重ねた。たった一瞬の事で避けようもなかったトーマはただ驚いて、真っ赤な顔をして自分を見上げている少女を見た。
「……お嬢ちゃん」
「トーマさんにとって私はまだ『お嬢ちゃん』でしかないのは分かってます。カレンさんをずっと愛している事も、分かってるつもりです。でも私、依頼の件が片付いたらそれでさようならなんてイヤなんです。だから私を助手として側に置いてください」
「お嬢ちゃん、あのな……」
「お給料はいりません。家のこと、掃除、洗濯、料理、何でもします。そりゃ今はヘタですけど一生懸命やりますから」
必死で訴えかけるフェアリーを、トーマは困惑気味の顔で見ていた。が、そのうち深い溜息を吐いて頭を軽く横に振った。
「気持ちはありがたいけどな、俺にとってお嬢ちゃんは単なる依頼人なんだ。これからもそれ以上にはならない」
『おいおい。それはいくらなんでも冷たいんじゃないか?トーマ・イガラシ』
その声は二人が立っている場所の近くにある植え込みから聞こえてきた。見ると、そこに銃を持った黒服の男が少なく見積もっても十人はいた。ガサガサと音を立て植え込みから出てきた男達は、二人を取り囲むように近づいてきた。
トーマは心の中で舌打ちした。今までずっと警戒していたのだが、フェアリーの行動に気を取られ隙を作ってしまった。その辺を見逃すほど敵は素人ではないらしい。しかし今さら悔やんでも仕方がない。トーマはフェアリーの肩を抱いて自分の方へ引き寄せると、ごく小さな声で耳打ちした。
(フロートボードの所まで走れ。俺もすぐ後から行く。いいな)
フェアリーは小さく頷き、それと同時に走り出した。その動きに気を取られて今度は黒服の男達に隙が出来た。当然トーマもそれを見逃すほど素人ではない。瞬時にフェアリーが走り去った方向に立っていた男たちとの距離を詰め、ジャケットの内側に持っていたナイフで、あっという間に三人の首を切った。その間に他の仲間は態勢を立て直しトーマに銃を向けたが、トーマは態勢を低くして首を切った黒服の一人の足を掴むと、ハンマー投げのハンマーのようにブンッと振り回して投げ、体勢を崩した黒服達の首を片っ端から切っていった。そうして最後の一人が倒れた頃、新手が現れてきた。今度はさらに人数が増えている。それを見たトーマは再び倒れている男の足を掴んで追っ手の方へ放り投げ、自分もフロートボードのコースがある場所に向かって走り出した。
その頃、夢中でフロートボードのコースがある方面へと走るフェアリーは激しく後悔していた。
今日は最初からあの黒服の男達をおびき出すために外出すると言われていたのに、久し振りに思いきり体を動かせた解放感と、トーマとデートしているという嬉しさから、いつの間にかそれを忘れてしまっていた。自分のせいだ。トーマは恐らく警戒していたのだろうに、みすみす油断させるような事をしてしまった。だからせめて足手まといにならないよう、トーマの指示に黙って従おう。そう改めて決心したとき、背後から何かが猛スピードで近づいてきた。黒服の男達がバイクか何かで追ってきたのかと思わず振り返ると、そこにはトーマの顔があった。
「よっ!陸上やってただけあって、さすがに早いな」
「トーマさん!無事だったんですね。良かった」
「まだ良かったって言える状況じゃないぜ。追っ手も連れてきたしな」
そう言われて振り返ると、一見しただけでは何人いるか分からない追っ手が銃を片手に、確かについてきていた。撃ってこないのは誘拐予定のフェアリーに誤って当たってしまう事を避ける為だろうか。理由は何であれ、あれだけの数の銃に狙われないで済むのは、とりあえず後ろを気にしないで逃げられる分だけ助かるというものである。
「これからどうするんですか?」
「フロートボードで応戦する。お嬢ちゃんはフロートボードを盾代わりにして、コース脇の植え込みに隠れてろ。万が一にも流れ弾に当たらないように。分かったな?」
「はい!」
言いながらコースに着いた二人は、それぞれにボードを手にし臨戦態勢に入った。閉園後なので係員はもういないし、コース上の磁場発生装置のようなものも切られている。が、フロートボードは側面に付いているスイッチを切り替えれば、コースの磁場を利用しなくても自力で浮き使用可能になる。ただ制御が極めて難しいため、競技プロになれるレベルでなければなかなか乗りこなせない。つまり、それだけトーマはフロートボードを乗りこなす自信があるという事である。
二人に追いついた黒服達は、片足をボードに、もう片足を地面につけて待ち構えているトーマを見て声をあげて笑った。
「はっ!バカな奴だ。そんなもので逃げ切れると思っているのか?」
「バカはそっちじゃねえのか?俺らが立ち止まるまで追いつけなかったくせに、何が逃げ切れると思ったのか、だ。そういうセリフは追っかけっこの途中で言いやがれ。間抜け」
毒舌なのは承知していたが、この状況下でこんなセリフを吐くとは。他人を怒らせて楽しんでいるとしか思えない。呆れる気持ちは多少あったが、その余裕を頼もしく思う気持ちの方が強かった。だからフェアリーはトーマに万が一など有りえないと信じていた。実際、目の前に展開している光景も、それを信じて疑わせないものだったから。
トーマはフロートボードに乗って黒服の男達の間に突っ込み、彼らが仲間に弾が当たるのを警戒して躊躇している間に、ボードを使って周囲の人間を殴り倒した。体勢を立て直す隙を与えずボードで、または肉弾戦を用いてほとんど一撃で男達を次々と倒していく。その動きには全く無駄がなく非常に素早いもので、多対一という有利さを生かす間もなく男達は一人、また一人と地面を寝床にさせられていった。周囲に人影はないとはいえ、パーク内に誰も残っていないわけではない。あまりに大きな音を立ててはその数少ない人間に気付かれ、警察に通報される恐れもある。その懸念が男達の動きを鈍らせている部分も少しはあっただろう。お陰でトーマは大した怪我もなく、自供させる予定の一人を除いて全員を倒す事に成功した。
いくら自分達に多対一という油断があったり、派手に暴れられないという不利な条件があったとしても、殺しのプロでもない何でも屋ごとき一人倒すのに失敗するはずがないと思い込んでいた男は、目に映る光景が未だに信じられず、呆然とへたり込んでいる。トーマはその男の胸ぐらをつかんで無理やり立たせた。
「な、何をする?」
「おい。これから俺がする質問に素直に答えやがれ。答えねーと、どうなるかは想像がつくな?」
「どうなるかだと?自分が殺されそうになっていながら相手を殺しもしない甘ちゃんに、何が出来るというんだ」
「そう思うか?前にホテルの地下駐車場で襲ってきた連中は全員が無事だったか?それに向こうで首を切った連中は間違いなくみんな死んでるぜ。フロートボードで殴られた連中も、運が悪い奴は脳挫傷やら首の骨が折れたりやらで死んじまってるだろうなあ。なんなら、あんたが運が良い方か悪い方か試してみるか?」
わざとらしく凶悪な笑顔を作って、トーマは片手に抱えていたフロートボードを振り上げた。それを見た男は小さく「ひっ!」と悲鳴をあげて、両手で頭を覆った。
「いいか。もう一度だけ聞くぞ。俺の質問に答えるな?」
「……わ、分かった。知っている事は答えるから、助けてくれ」
「よし。じゃあ、まず一つ目、ナンシーさんは無事なのか?」
「無事だ。食事はちゃんと出しているし、ナンシー夫人もそれを食べている。取引きの材料なのだから丁重に扱えとの指示が、クライアントから出ているからな」
「で、そのクライアントとは一体誰だ?」
「それは言えない。が、仲間になるなら直接会ってもいいとの事だ」
「仲間だと?殺そうとしておいて何言ってんだ」
「『基本的には邪魔だから殺せ。が、お前達でも手に負えないほど強いなら、我々の目的を話して仲間にしろ』。そういった命令が出ている」
「この期に及んで随分都合のいい話が出てくるじゃないか。そんな話を信用できるほど俺はお人好しじゃねーんだよ」
「本当だ!信じてくれ!その証拠に、お嬢さんの秘密を話す」
「……お嬢ちゃんの秘密?」
「ああ。それに協力してくれるようなら多額の報酬も用意するとクライアントは言っている。どうだ?」
「内容によるな。お嬢ちゃんに聞こえないように、声を落として話せ」
これは別に、内容や条件によっては誘拐犯の仲間になるつもりだから、フェアリーに聞こえないようにしろと言っているわけではない。秘密とやらがフェアリーにとって良い内容とは、とても思えないからだ。知らない方が幸せな事もある。本人を誘拐しようとし、それに失敗したら今度は養母を人質にしてまで身柄を確保しようという、その理由を本人が全く知らないのだ。利権絡みか何か分からないが、ロクな秘密でないことは確かだろう。それをフェアリーに聞かれて動揺してしまったら、これ以降の仕事がやりにくくなる。そうなる事をトーマは避けたかったのだ。
当のフェアリーはトーマが予定通り一人だけを残し、全ての追っ手を倒した事に安堵していた。いくら彼が強いとは言っても、追っ手の数がホテルの地下駐車場の時とは比べものにならないほど多かったので、さすがに不安だったのだ。が、とり越し苦労だった。トーマは映画のヒーローのように、どんなピンチになっても切り抜けられる人なんだと思った。今は残った一人と話してる。恐らく養母の安否や犯人の目的などを、これも予定通り聞いているのだろう。本当にドラマの筋書きのように、ハッピーエンドに向かって一直線に進んでいるようにフェアリーには感じられた。が、これがドラマではない事を、直後にフェアリーは知る事になる。
黒服の男は、トーマの指示通り声を落として話し始めた。
「実は我々も詳しい事は聞かされていないのだが、お嬢さんの体は生まれてすぐ何かの実験に使われたらしい。何でもその実験は体の負担が大きいので、ほぼ成長しきった状態になる二十歳に結果が出るよう調整されたと聞いている」
「……実験だと?」
「ああ。聞いた所によると二十数年前、大昔の何かの研究データが、地球のミラー家の別荘建設予定地から見つかったらしい。そのデータが人体実験の記録で、不老不死や、どんな災害や環境汚染などにも耐えられる体を作る研究だったという事だ。それを元にお嬢さんの体を、いわゆる強化人間にする実験を行った。毒やケガに対する耐性や治癒力、反射神経などの強化をする上で、何かの動物の遺伝子を融合させたり老化した細胞を即座に作り直す組織を作ったとかで、その結果を見て成功であれば量産して裏ルートで金持ち相手の商売に出来るとクライアントは考えて……」
話の途中で、黒服の男はトーマの様子がおかしい事に気付いた。先刻まで憎らしいほど全く隙のなかったこの男が、なにやら顔面蒼白になり動揺している。それなりに場数を踏んでいる黒服の男は、相手の隙を見て見逃す事はなかった。
―動揺したトーマが我を取り戻したのは、腹部の辺りに灼熱感をおぼえてからだった。まだフロートボードの陰に隠れて様子を見守っていたフェアリーも、どういった事態が生じたか……目の前の光景が信じられず、悲鳴をあげる事も出来なかった。
「……や…………べぇ…………」
「………………トーマ…………さん?」
黒服の男は続けて四発、トーマの体に銃弾を打ち込んだ。口から血を吹き出し後方に倒れたトーマを見て、ようやくフェアリーは何が起こったかを理解し、彼のもとに駆け寄ってその体を抱き起こした。
「いやあぁぁぁぁぁ!トーマさん!しっかりして!ねえ!」
「……お嬢ちゃん……わりぃ…………イヤな場面……思い出させちまうな……」
イヤな場面とはフェアリーが幼い頃目撃した、両親が惨殺された場面の事である。それをすぐに理解したフェアリーは首を横に振った。
「そんな事どうでもいいよ!それよりどうしよう……どうしたら……」
「……わりぃけど……どうしようもねえ……よ……」
銃弾を五発体に受けても即死しないどころか、まだこんなに話せるのかと黒服の男はゾッとした。そうして止めをさす為のカートリッジを用意しているほんの短い間に、トーマはフェアリーに言った。
「お嬢ちゃん……最後に信じられるのは……自分だけだ……周りに……振り回されるな………………自分の中の真実を……信じ………………」
言い切らないうちにトーマの体の力が抜け、トパーズ色の瞳が瞼に閉ざされて見えなくなった。トーマの白皙の肌と銀髪に、血の色の赤が妙に映えている。まるでモノトーンの世界にそこだけ色があるように。
「…………やだ…………やだよ………………ねえ、トーマさん………………」
半ば放心状態でトーマの頬をさすりつつ泣いているフェアリーの腕を引いて無理やり立たせ、黒服の男はトーマの頭部に向かってもう一発銃弾を放った。
「化け物め。これくらいしておかないと安心できん」
「ひ……酷い。どうしてそこまでする必要があるの!?もう充分じゃない!これ以上トーマさんに傷を付けないで!」
「酷い?こうでもしないと自分の身が危ないのでね。それよりお嬢さんにはしばらく大人しくしていてもらいましょう」
そう言って黒服の男はフェアリーに即効性の催眠スプレーを吹きかけた。
「…………トーマ……さ…………」
涙と、催眠スプレーによる急激な眠気で、フェアリーの視界にあるはずのトーマの姿が霞んで消えていった。そのさなか最後に見たトーマの顔は、どこか笑っているように見えた。