第四話『フェアリーの謎』
いかにもといった風体の、黒いスーツに黒いサングラス姿の男たちに囲まれ、これまたいかにもといった黒塗りの高級車に押し込められそうになった時、他にひと気のなかった駐車場に靴音が響いた。男達は舌打ちしながら靴音の主に向かって銃を構えた。すると……
「おいおい。一般市民でも目撃者は邪魔だから殺すっていうのか?ま、俺は一般市民じゃないけどな」
聞き覚えのある声に、フェアリーは驚いてそちらを見た。薄暗い駐車場に浮かび上がる銀髪とトパーズの瞳。
「貴様は……8番街の何でも屋か!」
「正解。俺の依頼主を返してもらいに来た」
「バカか!死ね!」
リーダー格の男の合図と共に、黒スーツの男達は一斉にトーマに向かって銃を乱射した。
「いやあーっっっ!トーマさん!」
フェアリーは思わず目を閉じて耳を塞いだが、自分の周りで人がバタバタと倒れる気配がして恐る恐る目を開けた。そこには信じられない光景が展開されていた。
銃を握った男達の手がそれぞれあらぬ方向に曲がり、みな倒れ込んで苦しんでいる。トーマは顔や腕に傷を負いながらも銃弾の合間を縫って突進し、武器を持たずに素手で男達を次々と倒していたのだ。その動きはしなやかで、まるで野生の獣のように見える。
フェアリーを捕まえているリーダー格の男以外の者を全て片付けてしまうと、トーマはゆっくりとそちらを向いた。闇に光るトパーズの瞳は猫科の猛獣を思わせる輝きを放ち、獲物を見すえている。銃弾をものともせず猛然と向かってくる勇猛さ、十数人の殺人者を素手で倒す豪腕、東洋人風の名前に似合わない白皙の顔に流れる血を手で拭い、その血をペロッと舐める動作、そのいずれもが男を怯えさせるに充分であった。まともにやりあっても勝てないと判断した男は、今度こそフェアリーを車に押し込み慌ててエンジンをかけた。車を急発進させた男は、重傷を負っているものの死んでいる者は誰一人としていなかった仲間を撥ね、トーマに向けてハンドルを切った。
「ふふふ……ははははは!『化け物』が!今度こそ死ねっっっ!」
ほとんど錯乱状態の男の視界から、ふっとトーマの姿が消えた。と同時に車の上部から激しい衝撃が伝わってきた。どうやら上に飛び乗ったらしい。
「くそっ!あいつは本物の猫か!?」
言いながらなんとか振り落とそうと蛇行運転したが、そうしている間に後部座席の窓を割られ、トーマが中に入ってきた。
……一瞬だった。驚いて振り返った男の目の前でフェアリーを抱えたトーマがドアを蹴破り、迷うことなく飛び降りる。それを見て今度こそ轢き殺してやろうと、車をUターンさせようとした男だったが、前を向いた時には既に壁が目前に迫っており、言葉の体を為していない悲鳴をあげて、百八十キロのスピードのまま壁に激突した。
「ふう。おい、大丈夫か?」
猛スピードで走っていた車から飛び降りておきながら、かすり傷程度のケガしか負わずにいるトーマが、自分の腕の中にいるフェアリーに声をかけた。どうやら彼女も少し擦りむいてはいるようだが、トーマがしっかりと抱きかかえていたため無事だったようだ。しかしショックからか震えたまま顔も上げない。無理もない。状況は違えど命に関わる事態に遭遇して、幼い頃の恐怖が甦ったのだろう。そうトーマは思った。
「お嬢ちゃん。急いでチェック・アウトして俺の家に戻ろう。いいな?」
トーマの問いかけにフェアリーは黙って頷いた。それから大急ぎで部屋に戻り、荷物をまとめてフロントに行った。あれだけの騒ぎがあったのに従業員は何事もなかったかのようにニコニコと応対している。車が駐車場の壁に激突して気付かないはずはない。恐らくあの連中に前もって騒ぎを黙認するよう買収されていたのだろう。表沙汰にならないならトーマにはその方が都合が良い。だからあえて知らないふりをしてチェック・アウトを済ませた。その間トーマはフェアリーを励ますように、ずっと肩に手を置いていた。
家に戻ってからもフェアリーは口を開かず、相変わらず俯いて震えている。仕方ないなと、トーマはフェアリーを元の客室に連れて行き、「今日はもう寝ろ」と言って部屋を出ようとした。が、彼女は後ろから抱きついてトーマを引き止めた。
「やだ!一人にしないで!」
「俺が嫌いで飛び出したんじゃなかったのか?」
フェアリーはブンブンと首を横に振った。手はトーマの服を強く握ったまま。
「分かった。ここにいるから。だけどその前に擦りむいた所を消毒しないとな。薬をとってくるから少しだけ待ってろ」
そう言われてようやくフェアリーは手を離した。
トーマが薬を取りに行ってる間、つい先刻の出来事を思い返していた。誰も自分の事など気にかけてくれない、そう思って飛び出したのだ。依頼者が消えたということでフェアリーの依頼はなかったものとして、トーマはこのまま自分の事など忘れてしまうだろうと。だから黒スーツの男達に捕まった時、自分はこのままどこかに連れて行かれて殺されるのだと覚悟した。なのにトーマは助けにきてくれた。傷だらけになりながら体を張って守ってくれた。養母からボディーガードを頼まれていたからこそかもしれないが、それでも良かった。彼が命を救ってくれた事に変わりはないから。
やがて戻ってきたトーマはフェアリーの傷の手当てを始めた。その時に傷だらけのトーマの手や顔を見て、彼が直撃はなかったにせよ銃弾を浴びていた事を思い出した。
「私のケガなんて大した事ないから。それよりもトーマさんの方こそ大丈夫なの?」
「ああ。俺も大した事ない」
「でも銃弾が当たったんでしょ?」
「かすっただけだ。仕事柄こういうのは慣れているし、何より俺は異常に治りが早いから明日には消えてる。だから心配しなくていい。それより悪かったな」
「悪かったって何が?」
「俺が冷たくしたから出て行ったんだろ。もう少し言い方を選んでいれば、あんな危ない目に遭わせなくて済んだのにな」
「トーマさんのせいじゃない!私こそごめんなさい。危険だって教えてもらっていたのに勝手に飛び出したりして。そのせいでトーマさん、こんなにケガして……」
「じゃあお互い様ということで、言いっこなしにしよう」
治療を終えたトーマは、薬箱と一緒に持ってきていた『美味しいことで有名なパン屋のパン』を差し出した。
「明日の朝食にする予定だったが夜食になったな。ほら、食えよ」
「トーマさんってば、どんな時にも食事は忘れないんですね」
「他の何はなくても大体生きていけるが、食い物は絶対に必要だからな。人間に限らず生き物ってのはそんなもんだ」
「なんだか本当に人間じゃないみたいな言い方しますね。戦ってる時も、まるで黒豹か何かみたいに見えたし」
「なんで『黒』豹って限定するんだ?」
「だって服が黒の上下」
「ああ。夜にヤバめの仕事する時は、どうしても黒ずくめになるからな」
「どうして?」
「保護色。大昔に日本にいたっていう忍びと同じだ」
「『ニホン』って地球にある国の名前よね。『シノビ』って何?」
「知らないか。忍者とも呼ばれていて……」
「あ、ニンジャなら知ってる!映画で見たことあるわ。大昔の映画。でも黒い服じゃなかったよ」
「それは日本で作られた映画じゃなかったんだろうな。外国では勘違いされていたみたいだからな」
「よく知ってるね」
「俺の名前『トーマ・イガラシ』ってのは、由来になっている国の呼び方では五十嵐刀磨といって、元々日本人の血を継いでるんだ。なんでもじいさんがサムライ好きだったらしくて、漢字で刀を磨くなんて字を当てはめて名前をつけたとか」
「サムライって言葉も映画で聞いた事ある。そっか。トーマさんはニホンの血筋の人なのか」
宇宙都市生まれのフェアリーは、地球上の国の分類を学校で習った程度の知識でしか知らない。『ニホン』という国の文化は宇宙都市でもそれなりに定着しているものもあって、日本食や日本庭園風の庭などは特に好まれている。故にそういった国があると知っているが、それだけに過ぎない。しかしトーマのルーツである国と聞き興味が湧いた。時間のある時にでも色々調べてみようなどと思いつつ、パンをちぎって一口食べる。
(あ、本当に美味しい)
思えばお腹が空いてルームサービスを頼んだのだった。それから連れ去られそうになって、トーマが助けに来てくれて……。
トカゲの時もそうだが、依頼だからといってあそこまで命がけでする必要があるのだろうか?トーマは個人でこの仕事をしており、情報屋を利用している以外は助手も置かず全て一人でこなしている。ならば契約時点で『命にかかわると判断した場合は依頼破棄とする』とでも明記しておけばいいではないかと思う。何しろ一人である以上命を落とせばどの道依頼は完遂出来ないのだから。お陰でフェアリーは助かったとはいえ、やはり異常だ。
「……トーマさんは、どうしてこの仕事を始めたんですか?」
「何だ、いきなり?」
「今日見ただけですけど危険だし休む時間もないし、命がいくつあっても足りない仕事に見えたから。二百以上の資格を持っているなら、他に仕事なんていくらでもあるんじゃないですか?」
「残念ながら大金を稼ぐにはこれ以上の仕事はないんだよな」
「うそ。トーマさん、そんなにお金の亡者には見えないもん。生活だって贅沢してる様子ないし。本当はお金が理由じゃないんでしょ?」
「悪いが金が理由だよ。と言えば、また怒って出て行くか?」
フェアリーはまた黙って首を横に振った。それほどまでに金が必要な理由が何かあるのだろうと、偏見なしに見られる今なんとなく分かるからだ。ただ金が好き、贅沢がしたいなどという理由では、わざわざこんなリスクの高い仕事を選ぶとは思えない。死んでしまっては元も子もないのだから。ではどんな理由で……とは聞けなかった。さすがにそこまで立ち入った事を聞くのはどうかと思ったのだ。
次の言葉が出てこず、すっかり黙ってしまったフェアリーに、トーマの方から声をかけた。
「もう質問は終わりか?」
「え?」
「何か俺の事が知りたいんだろ?出て行く前にそう言ってた」
「あ、あれは、その……ごめんなさい。女の子が居候してきてるのにトーマさんがあまりにも無関心みたいだったから、なんか魅力ないって言われてるみたいで悔しくて」
恥ずかしそうに言うフェアリーを一瞬真顔で見たトーマは、その後声をたてて笑った。
「なんだ、そうだったのか。てっきり誘われてるんだと思ったのに」
「私、男の人の気持ちなんて分からないんです。だから、あれが誘ってる事になるなんてトーマさんに言われるまで思いもしなかった」
「それでよく今まで無事だったな」
「ずっと女子校で家の人以外の男の人と関わったのは数えるほどだから」
「男の怖さを知らないって事か。それで一人暮らしの男の家に平気で来られたわけだ。最初が俺の所で良かったな。そういう機会もなかなかないだろうが、これからは簡単に男の家に行ったりしない方がいいと思うぜ」
「トーマさんは、女の子にとって危険な男の人じゃないんですか?」
「まあね。でも本気で誘ってきたら遠慮なくいただくだろうな」
フェアリーは真っ赤になって俯いた。今までトーマが全く意識していない様子だったので、フェアリーも彼が大人の男性だという事をあまり意識していなかったのだ。が、いざ目の前でこんなセリフを言われると実感せずにはいられない。しかも家の中には二人しかいなくて、ベッドもすぐそこにあるのだ。
「……おい、お嬢ちゃん。もしかして変な想像してないか?」
「えっっっ!あの……」
図星を指されて咄嗟に言葉が出ず、ますます赤くなってしまったフェアリーを見て、トーマは再び声をたてて笑った。
「ははは!心配すんな。さっきのは冗談だから」
「冗談ですか。女の子に興味はないんですか?」
「今は金を稼ぐ事しか興味がないもんでね。女にちょっかい出す余裕はないな。というわけだから余計な心配しないでもう寝ろ」
そう言うとトーマは立ち上がった。今夜は一人になるのが心細い。だから先刻もトーマを引き止めたのだが、そこまで甘えてはいけないのだろうか?また誘っていると言われるのだろうか?そんな事を考えていたフェアリーの頭をトーマが軽くたたいた。
「パジャマに着替えるだろ。それとも着替えの間もここにいていいのか?」
「え?本当にいてくれるんですか?」
「さっき約束したしな。よほど緊急の仕事が入らない限りは朝までこの部屋にいてやるよ。着替えてる間に仕事用のパソコン取ってくるから」
「……はい。ありがとうございます」
フェアリーは嬉しそうに笑った。昨日、仕事を依頼しに来た時に見せたのと同じ笑顔である。こんな表情をすると、どことなく『あいつ』に似て見える……一瞬そう思ったが一切表情には出さず、心の中でそれを打ち消した。むやみに結び付けて考えても虚しくなるだけだし、下手をすると一時の気の迷いで、この少女で寂しさを埋めようとしてしまうかもしれない。そんな事はしたくなかった。
トーマがパソコンを持ってフェアリーのいる部屋に戻ると、彼女は着替えもせずにソファーで寝入っていた。疲れて当然である。トーマの仕事に付き合って一日中あちこち走り回ったのだし、誘拐されかかったりもしたのだから。
フェアリーの体に布団を掛けてやり、トーマは仕事を始めた。パソコンでの情報チェックである。情報源は様々で、情報屋からのタレコミや、家出人(動物)探しの場合は一般の目撃情報などもあるが、主にはトーマが『グループ』と呼んでいるメインコンピューターを利用している。が、ここにいると約束してしまったので、仕方なく性能の劣るノートパソコンを利用する事になったわけだ。
昨夜フェアリーに言った「少し引っかかるところ」の調査を始め二時間ほど経った頃、それとは別の気になる情報を見つけた。
《ミラー財閥総帥の孫が誘拐されたが、総帥の命令でその事実は伏せられ、生まれたばかりの赤ん坊は見殺しにされた》
これはほぼ二十年前の裏情報である。総帥には三人の息子がいるが、その内誰の子供が誘拐されたのかは分からない。フェアリーの養父である三男の所だけは子供がいないので、もしかすると誘拐されたのは三男の子供で、その子の代わりとして同年のフェアリーを引き取って育てる事にしたのか……。
(安易すぎるな。ま、現実ってヤツは意外と安易だったり、小説より奇なりって場合のどちらかだけどな)
小説より奇なりという現実をトーマは自分で何度も経験している。そしてフェアリーも、二十歳にも満たない身でありながら現在とんでもない現実にさらされようとしているのは確かなようだ。
翌日トーマの所にその電話がかかってきたのは、フェアリーの養母と会う約束の時間であった。電話をかけてきたのは当人ではなく中年の男である。ちなみにこの時間(午前十時頃)、昨日の疲れからかフェアリーはまだ眠っていた。
『8番街のトーマ・イガラシだな』
「そうだが。どうやら依頼じゃなさそうだな。俺に何の用だ?」
『フェアリー・ローズ・ミラーの母親は預かった。返して欲しくばそのお嬢さんを我々に引き渡せ』
「脅す相手を間違ってんじゃないのか?そういう電話はミラー家の方にするべきだろ」
『お前は依頼されてお嬢さんのボディーガードをしているんだろう?依頼主が消えたら、お前の好きな金が入ってこないぞ。いいのか?』
「バカか。お嬢ちゃんを引き渡したら、護衛の依頼を果たせなかった事になって結局は金が入ってこないだろうが」
電話の男はしばらく沈黙していた。何を考えてるんだと、トーマにしてみれば疑問を感じずにいられない。ここに脅迫電話をかけて何の意味があるのか。脅せば「俺の身内じゃないから」と、あっさり引き渡すとでも思っていたのか?そんな風に半ば呆れていると、男は新たな提案をしてきた。
『お嬢さんを渡せば、ミラー家の依頼料の倍額払ってやるぞ。どうだ?』
「……へえ。そいつは魅力的な話だな」
『そうだろう。では身柄交換の時間と場所だが……』
「待てよ。俺がいつ受けると言った?そんな取引きに応じる気はない」
『何故だ?お前は金を出せば何でもやると聞いたぞ』
「それだよ。ミラー家の依頼料の倍額出すなどと、あっさり言えるだけの価値がお嬢ちゃんにはあるわけだろ?それなら娘の身柄を確保しておいた方が金になりそうじゃないか」
『価値はあるが、お前などでは活かしきれない価値だ。無駄な抵抗はやめて、おとなしく引き渡した方が利口だぞ』
「あ、今の気に障った。取引き不成立だ。おばさんは煮るなり焼くなり好きにしろよ。じゃあな」
『ま、待て!お嬢さんに代われ!母親の声を聞かせてやる』
「俺に命令するな。一つ教えてやるけどな、あんたが俺より優位に立って取引きできる事はない。あんまり鬱陶しい事を言ってくるなら、面倒だからお嬢ちゃんを殺っちまうかもしれないぜ」
『バカな!そんな事をしてお前に何の得がある!』
「お前と取引きしても何の得もないだろうが。金に釣られてお嬢ちゃんを連れて行ったとして、そこでお前が俺を殺そうとしない保証がどこにある?誰彼かまわず信用するほどお人好しじゃないんでね」
『では、どうすれば取引きに応じる気になるんだ?』
取引き下手なヤツだなとトーマは思った。いちいち上の立場からものを言う。一体何を根拠に自分が立場的に優位だと思っているのだろうか?権力を持っているか、誰をも屈服させるだけのネタを持っている(例えば強力な兵器など)かでもない限り、本来は無関係の相手に対して優位に取引きが進められるはずもない。そんな事も分からずに悪名高い何でも屋相手に取引きしようなどとは、身のほど知らずもいい所である。
(それとも実際に何か他人より優位な立場になれるネタを持っているが、それをバラせないので下手なやり方しか出来ないとかね。ありえる話だ。だとしたら、さぞ言いたくてウズウズしているだろうな。って事はノコノコ出て行ったら勝手に秘密を聞かされたうえ、「秘密を知ったからには死んでもらう」なんて言われてバーンッ!か。バカバカしい)
などと考えながら、どう対応するか思考を巡らせている。無関係で通してもよいのだが、正直に言えばフェアリーに隠された何か、その価値とは何なのかに興味が湧いたのだ。
「一つ聞く。お嬢ちゃんを手に入れてどうするつもりなんだ?あ、もしかしてあんたロリコンか?お嬢ちゃんカワイイ顔してるしな」
『ち、違う!偽物の両親の手から救い出してやりたいだけだ!』
「じゃあ、あんたは本物の親なのか?」
『そうではない!ただ愛情のない人間と一緒にいるのは苦痛だろうと……』
「あんたはお嬢ちゃんに愛情あるという事か。やっぱロリコンじゃないか」
『ふざけるな!お嬢さんは我々にとって大事な!』
「大事な、何だよ?」
『い、いや、とにかく取引きには応じてもらう。また連絡するから、それまでに条件を考えておけ……じゃない、考えておいてくれ』
一応偉そうにしてるのはマズいと気付いたらしい。さすがにそこまでのバカではないかと、トーマは思った。
先ほどの会話で一つ判明した事がある。先方は『我々』と言っていた。つまり向こうは複数だという事だ。まあ昨日フェアリーを誘拐しようとした連中が、電話の相手の仲間だという可能性は充分すぎるほどだし、たとえ違ったとしても大人の女性、それもミラー家の人間を誘拐するのは単独犯では難しいだろうから、複数犯というのは当然だろうが。
(つまり、どこぞの組織がお嬢ちゃんの秘密とやらを知って動いているか、少数の人間が後の利益を見込んで大勢の人間を雇ったかってところか。だがお嬢ちゃんの価値は俺では活かしきれないものだと言っていた。金が目的ではないということだ。やはりお嬢ちゃん自身が何らかの益をもたらすものと考えるのが妥当か。しかし引っかかるな。セキュリティの厳しいミラー家からどうやって誘拐した?あんなバカを取引役にする以上、頭の良い集団とは思えないが。まさか内部の人間の手引きか)
さて、どう動くべきかと考えている所へ、ようやく起きたフェアリーがやってきた。
「おはようございます……じゃないか。こんな時間まで寝ちゃってすみません。もう朝食は食べたんですか?」
「お嬢ちゃん。朝食どころじゃないぜ。ナンシーさんが誘拐された。今、脅迫電話があったところだ」
「誘拐?おば様が?」
「ああ。お嬢ちゃんを手に入れるのが目的らしい。ミラー家の依頼料の倍額出すから身柄を交換しろと言ってきた」
「私が目的?どうして?昨日の人達も私を連れ去ろうとした……なぜ私が狙われなきゃならないの」
「そこまでは聞けなかったから俺も理由は分からないな」
冷静なトーマの態度にフェアリーは少なからずショックを受けた。が、考えてみれば当然なのだ。資格免許を二百以上必要とするスペシャルライセンスをわざわざ取得し、合法とはいえ人道に背く仕事や、自らの命を危険に晒す仕事が舞い込んでくる『よろず請負業』という職業を、金が必要だからとの理由で選んだ人物である。依頼主の心情などにいちいち構っていられないのだろう。
「……トーマさん、私を引き渡すんですか」
「そう思うか?」
「だって、お金が必要なんでしょう?他人の私を引き渡すだけで大金が手に入るんだから、こんなに楽な仕事ないじゃありませんか」
「確かに楽な仕事だな。けどな、昔から美味しい話には裏があるって言うだろう。俺はヤツらを信じる気はないし、お嬢ちゃんを差し出すつもりもない」
「でも、そうしたらおば様はどうなるんですか?」
「お嬢ちゃんを渡さなければ殺される可能性は高いだろうな」
フェアリーは動揺した。自分が行かなければ養母が殺されるだろうという事実もだが、それよりも憎んでいるはずの養母の身を案じている自分の心情に戸惑ったのだ。その様子にトーマは気付いた。
「心配か?」
「……気分が悪いだけです。私の身代わりで“他人”が殺されるんですから。なんだか私が見殺しにするみたいに思えるじゃないですか」
「お嬢ちゃんが行ったところでナンシーさんが解放される保証もないぜ」
「じゃあ私が責任を感じる事はないんですね」
「理屈ではそうだな」
そうだ。私のせいじゃない。自分が何かして養母が誘拐されたのではないのだから。恩も愛情も感じていない人のために自分が犠牲になるなどとんでもない。そう思っているはずなのに、この気持ちはなんなのだろう。
「私が何をしたの?本当の両親が殺されて私も狙われて、今度はおば様が……。私のせいなの?私はいちゃいけない人間なの?ねえ教えて、トーマさん!」
「気の毒とは思うけどな、俺には何も言えない。ただ一つだけ教えてやる。自分の運命を握っているのはいつも他人だ。自分の運命を自分で決められる人間なんざ殆どいねえよ」
「トーマさんも?」
「ああ」
それ以上突っ込んで聞いてはいけない雰囲気をトーマは漂わせていた。が、確かに自分で運命を選べたなら、昨日のような仕事を平気でこなせるまでに危険な状況に慣れたりはしないだろう。猛毒を持つ大トカゲや突進してくる車に向かっていけるなど、勇気と言うより無謀としか思えない。誰が自ら好んで、そんな平和とは対極の生活を選ぶものか。
「助けてやるよ」
「え?」
「お嬢ちゃんが依頼してくれればナンシーさんを助けるって言ってんだ。つまり今あの人の運命を握ってるのはお嬢ちゃんってわけだ」
「私、あの人を助けたいなんて思っていません」
「冷静に考えてみろ。ナンシーさんを助けるという事は、お嬢ちゃんを狙う連中を始末する事に繋がる。が、あの人を見捨てても狙われ続ける状況は変わらないんだぜ。ここは意地を張らずに俺に任せてみた方がいいんじゃないか」
「でもおば様を助けに行くっていう事は、昨日みたいにまたトーマさんが危険な目に遭って、最悪の場合は死んじゃうかもしれないじゃないですか!」
「言っただろ。危険には慣れている」
「嫌なの!安易に依頼してトーマさんに何かあったら、それは私の責任になるもの!私のせいでこれ以上人が死んだら……」
「……俺は死なない。死ねないんだ」
「死ねない?どういう事ですか?」
「いや。とにかく俺の事は心配無用だ。それに恐らく今回の連中と、『両親は墓の中にはいない』という手紙を出してきた人物は繋がりがあると思っている。元々のお嬢ちゃんの依頼とも関係があるって事だ」
「…………少し考えさせてください」
「ああ、そうしろよ。とりあえずまた連絡するって言ってたからな。それまでは連中もナンシーさんに手出ししないだろう」
その後トーマはその話に触れず、フェアリーを伴って仕事をこなしていった。フェアリーを連れて行くという前提があるので彼女に負担がかからないよう、どうやらトーマは依頼を受ける数を減らし、なおかつ内容も選ぶようにしたらしい。そうと分かってフェアリーは謝ったが、トーマは「その分はお嬢ちゃんのボディーガード料に上乗せして請求するから」などと冗談に紛らせてくれた。
内容を選ぶと言っても健全な仕事に限定するという意味ではない。そもそも悪名高い何でも屋の所に持ってくる仕事など、表沙汰に出来ない事が殆どなのである。なので悪行の手伝い以外で高額の仕事料が入る仕事に絞って依頼を受けたわけだ。その中にはカジノでディーラーを務めるというものもあって、金と暇を持て余した豊満な女性がトーマに興味を示し、分かり易くアプローチをするといった場面にフェアリーは遭遇する事になる。女子校ばかりで異性と関わった経験など数えるほどしかなく、お嬢様として育てられてきた彼女からすれば、それでも充分に刺激が強かった。見ないように目を逸らそうとしたが、どうしても気になってトーマの方を見ると、異常なほど凹凸のハッキリした、まるで作ったような体形の女性が彼にしなだれかかっていた。しかしトーマは動じる様子もなくカードをシャッフルしている。金を稼ぐ事しか興味はないと言っていたのは本当だったらしいとフェアリーはホッとしたが、もしかしたら不感症なのかもしれないとも少し思った。あんな豊満美人に迫られても本当に何も感じていないのだろうかと。
(そっか。人間が憎いって言ってたよね。でも全然そんな風に見えないのに。そりゃ表面上は少し冷たい所もあるけど、言葉ほどに他人を突き放さないもの。ううん。それどころか誰も見捨てていない。昨日の黒スーツの人達はともかく、依頼されていない人助けまでして。おば様も助けてくれるって自分から言い出したんだから)
トーマは不器用なのかもしれないと思った。今のような仕事をしているお陰で人間の汚い部分に触れてしまい人間不信になったが、心の奥深くでは善良な人も多くいると思っている。だから見捨てる事が出来ないのではないだろうか。そして、それを認めたくないので人間が憎いなどと言っているのでは。
(私は違う。トーマさんみたいになれない。仕事の依頼をしてくる人達とかおば様を誘拐した人達、昨日私を誘拐しようとした人達、それにパパとママを殺した人達を見ながら、それでも人を信じるなんて出来ないよ)
フェアリーは自分がひどく人間が小さいように思えた。だが仕方がないじゃないかとも思っていた。自分は目の前で両親を殺されたのだ。トーマよりも不信感の根は深いのだからと。