表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
SWORD  作者: mya
4/11

第三話『誘拐』

 トーマの仕事に付き合う事になったフェアリーは、一見して不安と分かる表情でついていった。

 最初に行ったのは有名大学の研究室で、《取り扱い注意!》と書かれた怪しい包みを助教授に渡し、即金で大金を受け取っていた。その際「まいどー」と言ったもので、フェアリーは心の中で(毎度なの?)と呆れた。やっぱりこの人は無法者なんだわと不信感いっぱいに次の仕事場へ向かうと、今度はミラー家ほどではないが裕福そうな一般家庭で、その家の気が強そうな女性に何かのROMを手渡した。どうやらデータの中身は写真で、それを確認した女性はパートナーがいれば飛んで逃げ出しそうな形相になり、男のように低~い声で「ありがとう。ご苦労様」と言い、小切手を差し出した。恐らく浮気調査でもしたのだろう。自分はやはりとんでもない人物に仕事を依頼したのではないかと少し後悔しつつ、一度家に戻った。その時すでに昼前だったが、フェアリーは昼食を作ろうという気にはなれなかった。トーマはそんな彼女に構わずキッチンに立ったが、鍋を火にかけてすぐ電話が鳴り、火を消して電話を取った。

「『G.S→トーマ』だ。……!分かった。すぐにそちらへ向かう」

 トーマはソファーに置いていたジャケットを急いで着た。その様子を、またどうせロクでもない仕事が舞い込んだんだろうと見ていたフェアリーも仕方なく立ち上がったが、トーマは首を横に振った。

「昼時だし、お嬢ちゃんは家でメシを食っていればいい。しっかり鍵をかけて誰か来ても絶対に戸を開けるなよ」

「何それ?そんなこと言われたら、怖くて一人で留守番なんて出来ないじゃない。私も一緒に行きます」

「好きにしろ。ただし昼メシは抜きになるぞ」

 そうして大急ぎで車を出した。

 世間で言われている通り、金のためならどんな汚い仕事も受ける人なんだなと、フェアリーは少なからずガッカリしていた。そんな仕事をしているから迂闊に鍵を開けられないほど、家にいても危険が付きまとうんだ。でも家に帰って養父母の顔を見るのはもっと嫌だし頼る友人もいない。ビジネスに徹する人間の方が、まだ信用できるというものだ、などと思ったりもしていた。そう、よもやフェアリー自身が狙われている可能性があるとは、想像もしていなかったのだ。そしてトーマがフェアリーの身を案じて鍵を開けるなと言ったとも。

 車を走らせて一時間、ようやく目的地に着いたらしい。そこにあるマンションの一室へと向かうと、その前に人だかりが出来ている。トーマは無言のまま人だかりの間に割って入りドアの前に立った。

「あんたら何やってんだ!さっさと離れろ!お嬢ちゃんはそこで待ってろ。絶対に中に入ってくるなよ!」

 そう一喝してトーマは部屋の中に入っていった。外に残されたフェアリーは所在なさげに立っていたが、周囲の人々の会話が耳に入ってきて、そのとんでもない内容に唖然とした。

『ここのおばあさん、もうダメだろうねえ』

『あの人も若いのに、よくこんな危険なこと引き受けるわね。ヘタすりゃ一緒にあの世行きなのに』

『これでダメだったら、どこに処理を頼めばいいのかしら』

『死体ごと部屋を焼却するしかないんじゃない?』

『迷惑な話だわ!絶対に保険金から賠償金を請求してやる!』

(なんなの、この人達?なんだか分からないけど、おばあさんが死んでるかもしれなくてトーマさんも危険なのに、そんな仕事を頼んでおいて何も心配していない。それどころか自分の事ばっかり。これだから人間って!)

 そんな風に怒っているフェアリーの存在を思い出した周囲の人々は、妙に作った優しい声で話し掛けてきた。

「あなた、あの人の恋人?よく引き止めなかったわね。平気なの?」

「別に恋人じゃありません」

「そりゃ勝手にこんな仕事受けるんだから、そう言いたくなって当然よねえ。でも彼は、最後の別れになるかもしれないから、あなたを連れてきたんじゃない」

「一体どんな仕事なんですか?」

「聞いてないの?毒を吐く大きなトカゲの処理よ。隣の人が地球から取り寄せた珍種らしいんだけどね。本当は取引きが禁止されてる研究用の生物なのよ。それにエサをやる時に飼い主がやられちゃってね。そのまま逃げ出してこの部屋に入ったってわけよ」

「やられたって……」

「口から猛毒を飛ばして獲物を痺れさせて、動けなくなったところを襲うらしいのよ。隣の飼い主はひどい状態で発見されたらしいわ。ほとんど骨しか残ってなかったって。動きが速い上に体が硬くて銃弾も撥ね返すっていうから、警察やレスキュー隊も手が出せなくてね」

「あなた達は……そんな危険な事をどうして人に頼むんですか!」

「だってねえ、焼却する事になったらこの近辺数部屋はしばらく使いものにならなくなるでしょ。そうなったら困るもの。あなたには悪いけど、あのトーマって人はお金さえ払えば何でもするって話だし、私達みんなでお金を出しあえば家を買い直すより安上がりだと思ってね」

 あまりの事にフェアリーは言葉も出なかった。人の命を何だと思っているんだろう?お金のためだからといって死んでしまっては何にもならないではないか。トーマは何故こんな仕事を受けてまで、お金が必要なのだろう?分からない。あの人が何を考えているのか。


 その頃、部屋の中ではトーマがトカゲと対峙していた。老婆は部屋の隅で倒れていたが外傷は見あたらない。とはいえ部屋の中はトカゲの吐き出した毒が気化したものが充満している為、直接毒をかけられたわけでないにせよ、神経をやられているだろう事は間違いない。今は息があるとしても、早く処置をしなければ危ないのは明白である。

「生け捕りする余裕はないか」

 トーマの身長ほどもあるトカゲは、毒の射程距離内に獲物を入れようとジリジリと近づいている。そんな情も憐れみもない生き物にトーマが哀しげな視線を向けた瞬間、トカゲは毒を発射した。しかしトーマは素早く毒を避け、あっという間に距離をつめて、その口を押さえつけた。

「悪いのは興味本位でお前をこんな体にした人間だ。だけど……ごめんな」

 やりきれない表情でトーマはトカゲの口を開けさせ、液体の入った瓶のフタを開けて放り込んだ。すると、すさまじい咆哮を残してトカゲの体は瞬く間に融けていった。自分に向かって祈るように手を合わせている人間の姿が、その目に映る間もなかっただろう。

 トカゲの『処理』が済み、次にトーマは老婆を部屋から運び出そうと急いで駆け寄り、その痩せた体を抱え上げた。年齢のせいもあるだろうが、それにしても軽すぎる。そう思って見下ろすと、痩せ過ぎて泳いでいる状態になっている服の隙間から、アザのようなものがチラッと見えた。よくよく見ると足や腕にも無数のアザがある。トカゲに襲われた時についたものではないだろう。なぜなら格闘の結果倒れたのなら、食われずに済んでいるわけがないからだ。

 忌々しげにチッと舌打ちをしたトーマは、一言こう呟いた。

「まったく。人間ってやつは」

 

 トーマが部屋に入ってから十分ほど経った頃、ふと扉が開いた。みんな思わず逃げようとしたが、一人だけ身動きもしなかったフェアリーが「トーマさん」と呟いたのを聞いて足を止めた。見るとトーマはケガひとつなく、取り残されていたらしい老婆を抱えて立っていた。

「あ、あら。無事で何よりだったわ。で、トカゲはどうなったの?」

 トーマは無言で無責任な野次馬たちを睨み、そのまま車に走った。フェアリーが後を追ってみると、車のシートを倒して老婆を寝かせ、例のケースから殺菌液と書かれたボトルを取り出して手を洗い、手袋をして注射器に薬をセットしているトーマがいた。

「ねえ、おばあさん、大丈夫?」

 トーマはこれにも答えず注射をした。すると目に見えて老婆の顔色が良くなっていった。

「ふう。間に合ったみたいだな」

「間に合ったっていう事は、おばあさんは無事なのね?」

「ああ。トカゲの吐き出した毒が部屋に充満していたから、それにやられてただけで、直接噛まれたりはしていないからな。時間だけが問題だった」

「部屋に毒が充満してた?それでトーマさんは大丈夫なんですか?」

「ああ」

 トーマは優しげにふっと笑った。初めて見るそんな顔にフェアリーはドキッとした。

「な、なんですか?」

「いや。さっきまであまり口もききたくなさそうだったのに、心配してくれんだな。サンキュ」

「そ、それは……だって」

「それに、ばあさんの心配をしたのもお嬢ちゃんだけだ。家族ですら家の心配しかしてなかったのにな」

「え?トーマさん外の話が聞こえてたんですか」

「声がデカかったからな」

「それにしても耳いいですよね」

「まあね」

 そんな話をしてるうちに、先刻の野次馬たちがやってきた。そのうちの一人はみんなの肩を借りてようやく立っている状態である。どうやら部屋に充満していた毒にやられたらしい。

「ちょっとあなた!トカゲを退治したから出てきたんじゃなかったの?この人がそう思って部屋に入ったら、動けなくなっちゃったのよ」

「トカゲは殺した。ばあさんも、そのおばさんも、トカゲの吐き出した毒が気化したのにやられただけだ」

「そうと分かってるなら出てきてすぐ説明するべきでしょ?もっと被害者が出たらどうするつもりだったの?」

「知るか。俺が依頼されたのはトカゲの処理と、ばあさんの遺体の運び出しだけだ。ま、ばあさんは生きてるから、そっちの仕事は果たしたとは言えないがな」

「無責任じゃない!そんな事じゃお金は払えないわね。あと早くこの人を病院に連れて行きなさい!でなきゃ警察に突き出すわよ!」

 そうよそうよ!と大騒ぎする集団にフェアリーが何か言おうとしたが、その前にトーマの怒声がとんだ。

「うるせーっっっ!」

 あまりの迫力に、さすがの野次馬たちも一瞬でシーンとした。ゆっくりと立ち上がったトーマは、毒にやられた女性の前に行き、横で支えてた中年女性を押しのけると胸ぐらを掴んだ。

「ひっ!」

「すぐ部屋に入ったって事は、あんたがこのばあさんの身内だな?姑かなんだか知らないが、見捨てて逃げ出した上に死んだと決めてかかって心配もなしか。ちっ!胸クソ悪い!なんでこんなヤツらのために実験道具として作られた憐れなトカゲを殺さなきゃならないんだ!近来稀に見る最低の仕事だぜ!」

 吐き捨てるように言って女性を放すと老婆を処置した時と同じ作業を繰り返し、女性に解毒剤を注射した。とにもかくにも助けるところに、フェアリーはトーマの良心を見た。が、助けられた方は感謝もせず、こんな乱暴をして、警察に訴えてやる!などと言っている。

「おい、おばさんよ。警察に訴えたいなら訴えてもいいぜ。仕事料を払わなかったって事で、罪になるのはあんたの方なんだからな」

「私は善良な一市民よ!あんたみたいな無法者と私、どっちの言う事を警察がきくと思ってるの」

「そう思うなら電話しろよ、ほら」

 煽るように言われた女性は本当に警察に電話した。そしてトーマがトカゲの毒の危険性を教えなかったために毒にやられたとか、弱っている自分の胸ぐらを掴んで乱暴しようとしたなどと、勝手な事を訴えた。現場にいた人間からすればかなり内容を端折っていると分かるが、何しろトーマは女性の言う通りならず者として知られている人物である。警察も女性の言う事を信じるかもしれないとフェアリーが心配して見ていると、女性がなにやら動揺し始めた。

「そ、それはそうですが、でも……え?そんなバカな!は、はい……はい。分かりました」

「どうしたの?なんて言われたの」

「……お金払うわ。いくら?」

「トカゲの処理とばあさんの治療費、それにあんたの治療費あわせて三十万ドル(現在の日本円にして一千万円ほど)」

「なんですって?冗談じゃないわ!ちょっと、警察になんて言われたか知らないけど、そんなお金払うことないわよ」

「部外者は黙ってな。ほら請求書だ。さっきあんたらが言ってたみたいに、そもそもの原因を作ったのは違法にトカゲを入手した隣人だし、それを売った地球の業者だ。隣人の保険金と業者の方を合わせて二十万取り立てるから、あんたの払いは十万だ。他の近隣の連中、あんたらはその内千ドルずつ負担しな。払わなきゃどうなるかは、そっちのおばさんに聞くんだな。じゃ、ばあさんはここから一番近くの病院に連れて行くから」

「ち、ちょっと、トカゲの死体は……」

「今ごろ蒸発してるさ。可哀想だが、心ない奴に物として処理されるよりは気分的にマシだ。ああ、部屋の毒は空気清浄機をフル回転させて三日もすれば消える。その時に、せいぜい防毒マスクを忘れないことだな」

 不愉快そうに言い捨てて、トーマは老婆を乗せたまま車を発進させた。

 車中でフェアリーは、さっきの警察がどう言ったのだろうとトーマに尋ねてみた。

「とても毒にやられて弱ってる人の声には聞こえない。治してもらったのなら文句を言う筋合いのものではないだろう。それと公的機関ではなく『G.S→トーマ』に依頼した以上、料金に関して文句は言えない。払えないなら元の料金に上乗せして、慰謝料、違約金など足して倍額になる可能性がある。おとなしく言われた料金を支払った方が利口だ、そんなところだろ」

「警察はトーマさんの味方なんですか?」

「いや。今回みたいに自分達が手をつけたくない仕事を回せなくなるから、俺にヘソ曲げられちゃ困るだけだろ。この先の病院に電話するから少し静かにしててくれ」

 そう言って電話をかけると老婆の状態を報告し、ベッドの空き状況と、その病院が経営している老人ホームの定員に余裕があるか聞いた。会話から察するに、どうやら受け入れ態勢はOKらしい。今からすぐ向かうから頼むと言い、トーマは電話を切った。

「老人ホームの手続きなんて勝手にしていいの?おばあさんの意見も聞かないで」

「聞く必要はない。部屋に助けに入った時に見たんだが体中にアザらしきものがあった。多分、日頃から暴行を受けてたんだろうな。見捨てて逃げたのもわざとだと思うぜ。保険金も手に入るし一石二鳥だってな」

「そんな……」

「暴行を受けてる人は、強制的にホームに入れる事が出来る。ばあさんが家族と一緒にいたいって言っても、みすみす寿命を縮める場所にはいさせられないからな。ケガの状態を見てもらって、あまり酷いようだと病院から警察に連絡が行くだろう」

 今日トーマに付き合って、フェアリーは人間不信に拍車がかかったような気分だった。その不満を思わず口にも出してしまった。

「これだから人間ってイヤなのよ。みんな自分の事しか考えてない」

「そりゃそうだろう。他人の事を考えられるのは基本的に余裕のある奴だけだ。人間である以上いつの時代もそれは変わらないさ。自分がこの世の中心で他人は自分の人生劇場のオプションでしかないと、無意識にそう考えているから、他人の感情など邪魔で必要ないんだよ」

「なんだかトーマさんも人間が嫌いみたい」

「キライね。そんなもんじゃない。憎んでいると言った方が正しいな」

「憎い?」

「ああ。皆殺しにしてやりたいほどにね」

「ならどうしてそのおばあさんを助けたの?依頼には関係ないことでしょ」

「俺が冷たい行動を取ると、それを責めるヤツがいるもんでね。そいつには逆らえないんだ」

「ふ~ん」

 恋人かな?とフェアリーは思った。それなら仕事とはいえ女を家に泊まらせてると知られたらケンカになるんじゃないかな?そう考えて、ふと複雑な思いに駆られている事に気付いた。トーマには同じはぐれ者として親近感のようなものを覚えていたのかもしれない。が、恋人がいるのなら案外普通の人だったのかと残念に思ったのだ。


 老婆を病院へ送った後も簡単な仕事がいくつか入っていた。小さなトラブル処理から家出猫の捜索まで。その合間に家に帰ると、パソコンに向かってフェアリーからの依頼について調査している。まったく休む間などないほどの忙しさだ。

 その日、ようやく家に腰を落ち着けたのは夜の九時を過ぎてからだった。さすがに遅いという事で車の中からデリバリーサービスに夕食のセットを頼んであったので、家に帰ってすぐ食事にありつけはしたが。

「疲れたか?」

「少し。でも私はついて行ってただけだし大丈夫です。それよりトーマさんの方こそ、ずっとこんなに忙しくて大丈夫なんですか?」

「別に。この生活に慣れてしまっているからな。忙しい方が楽なくらいだ」

「忙しく働いて、何か忘れたい事があるとか」

「そんなもんはない。忙しいって事はそれだけ稼げるって事だから、それだけだ」

「どうして、そんなにお金に執着するの?」

「金は多いに越したことないだろ。ちゃんと働いてその報酬をもらってんだから別にいいじゃないか」

「そうですね。仕事の内容はともかく、こんなに働いてますもんね」

「お嬢ちゃんも俺に仕事依頼してんだぞ」

「私のはまともだもの」

「墓に入ってるはずの両親の遺体探しと、俺と似た容姿でSWORDという名前だってこと以外に手がかりのないヤツの捜索が、まともな依頼かね」

「今日のどの依頼よりもマシよ」

「トカゲ処理のおばさんも同じ事を言うだろうな。危険生物の処理をお願いする方が、そんなワケ分かんない依頼よりはマシよ、ってな」

 トーマにしてみれば、どんな依頼であろうと仕事は仕事なのだ。受けた以上はひどかろうが何だろうが関係ない。トカゲ処理の時のように愚痴る事はあっても、だからといって仕事で手を抜いたりはしない。それがプロというものだ。が、まだ二十歳にも満たないフェアリーには仕事に感情を持ち込まないということが理解できない。納得できないが言い返すことも出来ないのが不満らしく、怒ったような顔をしている。

 と、そこで電話の音が鳴り響いた。何食わぬ顔でダイニングルームを出て行ったトーマには見向きもせず、フェアリーは一人で食事を続けた。

(やっぱりトーマさんも他の汚い人間と一緒よ。私が信じられるのはSWORDさんしかいない。あの人さえ見つかれば、もう二度とトーマさんなんかに関わるもんか!)

 自分から転がり込んできておいて、こんな勝手な事を思っていた。が、ふと食事に目を落として、フェアリーの失敗料理を嫌な顔ひとつせずに食べてくれたこと、明け方から仕事に出かけて疲れているだろうに食後のコーヒーを入れてくれたこと、老婆の身を案じたフェアリーを優しい目で見てくれたこと、そしてミステリー小説のような自分の話を信じて依頼を受けてくれた事を続けて思い出した。

(考えてみればトカゲ処理のとき近来稀に見る最低の仕事だって言ってたっけ。冷たい行動を取ると責めるヤツがいるって言ってたけど、あの時は本当に怒ってたよね。身内を見捨てるような人の為に、なんで実験道具として作られた憐れなトカゲを殺さなきゃなんないんだって。そうやって怒りながらもおばさんの治療はしてあげてたし、さっきは疲れたかって私の事を気にかけてくれた。なのに突っかかったりして……)

 朝の臓器売買の話に不信感を抱いてしまったせいで、必要以上に神経質になってしまっていたのかもしれない。スペシャルライセンスなる物を持っていて、一応合法的に仕事をしているのだから、責められる筋合いのものではないのだろう。嫌な態度をとってしまった。反省して、謝るためにトーマの所へ行こうとした際、巨大な観葉植物の陰に隠れて非常に見えにくい場所に部屋の扉があることに気付いた。

(こんな所に部屋があったんだ。でも、なんでこんな隠すみたいに)

 謎の部屋に興味は湧いたが、電話をしているトーマの話し声が耳に入って、そちらの方に関心が移った。『お嬢ちゃん』という言葉が聞こえたからだ。誰と話してるんだろうと聞き耳を立てると、すぐに相手が判明するセリフが聞かれた。

「お嬢ちゃんの護衛ね。どうせ金を払って頼むなら俺じゃなくて専門家がいくらでもいるだろ。特に母親なら、悪い噂の絶えない俺なんかに頼むのは不安じゃないのか。……なるほど。ま、詳しい話は明日聞かせてもらう」

 そうしてトーマは電話を切った。なぜか思わず隠れたフェアリーは、電話の内容の意味が分からず混乱していた。フェアリーがここに来ていると養母が知っているのは、やはりまた誰かに後をつけさせたからだろう。が、連れ戻そうとするどころかトーマに護衛の依頼をするとはどういう事だろう?なぜ護衛が必要なのだろうか?誰かに恨まれたり狙われたりする覚えはないのだが。

 混乱していたフェアリーは、目の前にトーマが立っているのにもなかなか気付かなかった。だから当然「そこで何やってんだ」というトーマの声を聞いて、飛び上がって驚いた。

「きゃっ!び、びっくりしたあ!」

「びっくりしたって事は、何か悪さでもしてたのか?」

「違うわ。考え事をしてるところに突然声をかけられたから」

「考え事ってのは、さっきの電話の内容か」

 あっさり図星を指されたので、フェアリーは思わず素直に頷いてしまった。そうしてしまった以上しらばっくれても無意味である。となれば聞きたい事を聞く方がこの際は得策というものだろう。

「あの……明日、おば様来るんですか?」

「ああ。直接話したい事があるらしい」

「私の護衛がどうとかいう件ですか」

「それだけならさっきの電話だけで用は済むだろう。わざわざ来るってんだから他に何かあるんだろうな」

「きっと家に連れ戻す気なんだわ。私、何て言われたって帰るつもりありませんから」

「心配しなくても帰らせるつもりはない」

「……え?」

 フェアリーは一瞬赤くなったが、すぐに自分でもバカな事を考えたと思った。そんな意味のわけがないじゃないかと。実際トーマは続けてこう言った。

「あれからの調査で少し引っかかるところを見つけたんだ。それをナンシーさんに話したら心当たりがあると言ってた。お嬢ちゃんの身に危険が及ぶ可能性のある事だから、家にいるよりこちらにいる方が安全だろうともな。それで護衛を依頼されたってわけだ」

「それ、どういう事ですか?ミラー家の養女だからお金目当てで誘拐されるとか、そういう事ですか?」

「それはいくらでもあり得るだろうけどな。今回はそんな事じゃない」

「じゃあ……」

「詳しい事はもう少し調査を進めてハッキリすれば話す。ま、ある程度は明日分かるだろ」

 一瞬とはいえ勘違いしてしまった事がバカらしく思えるほど、あっさりとトーマは背中を向けた。昨日はあれほど一人暮らしの男と強調していたくせに、フェアリーの事を若い女性だと意識している様子がまるでない。それはそれで面白くない。もちろん襲われたいわけではないが、あまり無関心でいられると女としての魅力がないと言われているような気がするからだ。で、思わずフェアリーはトーマを呼び止めた。

「トーマさん!」

「ん?何だよ。まだ何か聞きたい事があんのか?お嬢ちゃんの依頼について新しい情報が入っていないか早く調べたいんだけどな」

「えっと、あの……そうじゃなくて、ほら、仕事の話ばかりしてるから、もっと普通の話がしたいなと思って」

「は?」

「だって会ったばかりでトーマさんの事よく知らないし、話せば少しは分かるかなって」

「どうせ仕事が終われば関わる事もなくなるんだぜ。知ってどうすんだよ」

「今は一緒に住んでるんですよ。情が移る可能性だってあるじゃないですか」

 フェアリーは半ばムキになって訴えた。それを見たトーマは一瞬の間を置いて笑い出した。

「な、何がおかしいんですか?」

「いや、まさかね、こんなお嬢ちゃんに誘われるとは思ってなかったもんで」

「私、子供じゃありません!それに誘ってなんか……」

 真っ赤になって否定しようとするフェアリーの腕を掴み、トーマは彼女の体を壁に押し付けた。

「きゃっ!」

「そういうのを誘ってるって言うんだよ。いいか?お嬢ちゃんは確かに人間不信になるだけの経験をしたかもしれない。だけどな、会ったばかりの俺に頼ってきたりSWORDを見つけたいと思うのは、一人ではいたくない、誰か自分を分かってくれる人がいて欲しいと思う気持ちの現れだろ。それを素直に認められない内はガキなんだよ。そんなお嬢ちゃんがわざとらしくスキなんか見せるな」

「会ったばかりなのに知ったようなこと言わないで下さい!トーマさんに私の何が分かるんですか」

「SWORDが化け物かもしれないって話を俺が笑わずに聞いたら、すごく嬉しそうに笑っただろ。あれがさっきの俺の言葉が正しい事を証明してるんだよ。確かにお嬢ちゃんの事は何も知らないが、そういう事が分かる程度には俺は世間を知っている」

 言い捨ててトーマは部屋に戻っていった。反省して謝ろうとしていたのに、どうしてまた突っかかってしまったのだろう?最初は信用できそうな人だと思ったのに、なんだか予想していた感じとは違う。追い出そうとしないでいてくれるが受け入れてもくれそうにない。やはり、ここにも自分の居場所はないんだ。そう思ったフェアリーは客室に置いてあった荷物を取りに行った。

(とりあえずどこかホテルにでも泊まるしかないかな。でも、その先はどうするの?知らない所へ行って仕事を見つけて一人で暮らす……そんなこと私に出来るの?)

 途方に暮れながら、フェアリーは荷物を持って外へ出た。


 一方部屋に戻ったトーマは、さすがに少し冷たかったかなと思い、しばらくしてからフォローを入れようと客室に向かった。が、ノックをしても返事がない。まさかと思ってドアを開けると、フェアリー自身と共に荷物もなくなっているのに気付いた。

「バカ、あいつ!」

 トーマは大急ぎで外に飛び出した。フェアリーの養母が言っていた。フェアリーには本人も知らない秘密があって、その秘密はほぼ一ヵ月後、彼女の二十歳の誕生日に明らかになるという。実際に内容を知っていたのは死んだフェアリーの両親のみで、それ故に消されたらしい。その辺りの事はトーマの調査でも引っかかったのだが、なぜ今頃になってフェアリーが狙われだしたのか、両親の遺体は墓にはないという手紙を出した者の真意は何なのか、それが何者なのかが今のところの調査では分かっていない。しかしフェアリーの養母は何らかの事情に通じているらしく、彼女を守り通して欲しいと言っていた。彼女が捕まりでもしたら、かなり危険な事になる可能性が高いと。話を聞きながら猛烈に嫌な予感がした。秘密が遺産や隠し財宝などという類のものではないと、この仕事をやっている経験から分かったのだ。彼女自身に何か隠されている。それが明らかになると困る連中、利用しようとしている連中などが絡んでいるのだろう。そこまで考えていながら肝心のフェアリーの気持ちを無視していた。彼女は気にかけてもらう事で自分の存在理由を確かめようとしていた。分かっていながら、そこまで面倒を見てやる義理はないと知らない振りを装っていた。他に行く所がないと言って来た以上、そう簡単に出て行きはしないだろうと思っていたのだ。が、彼女の孤独は予想以上に深かったようだ。


 その頃フェアリーは、トーマの家からさほど遠くないホテルに腰を落ち着けていた。勢いで出てきたものの身に危険があると言われた後だったので、ビクビクしながら近場で宿泊できる所を探したわけだ。

(なあんだ。何もないじゃない。何かあるなんて、おば様が私を連れ戻すために嘘をついただけだったのね。そんな脅しに負けるもんですか)

 世間知らずとはいえそれなりに用意周到で、I・Bでの支払いから足がつかないように家出直後にかなりの現金を銀行からI・Bに落としておいたのだ。I・Bはクレジットカードのような使い方も出来るが、カートリッジ式カードに現金のデータを落としておくと、支払いの時にカートリッジで精算すれば現金払いした事と同じになる。後で支払いの請求が行ったり明細が送られたりはしないので、それで足がつく事はないというわけだ。しかもカートリッジはI・B本体と同じく生体情報が組み込まれているので、たとえ盗んだとしても本人以外は使えない。つまり大金を入れておいても安心な財布のようなものだ。

 そうして一年はホテル住まいしても生活していける額を持っていたので、フェアリーはとりあえず今は何も考えない事にした。とにかく今日は疲れた。トーマと一緒にあちこち走り回り、自分勝手な人間たちの依頼と、ろくでもない内容の仕事を見せられたのだから。あんな仕事を毎日毎日お金のためと言ってこなしていくトーマの神経が理解できない。

(人間が憎いと言っていたくせに。お金がかかると誰でも多少の事には目をつむれてしまうのね。意地汚い。そんな人だから、あんなに冷たいのね)

 そんな風に考えていたフェアリーの腹部から、意地汚い音が鳴った。落ち着いたら急激に腹が空いてきたのだ。そこでルームサービスを頼んだ。この時代ルームサービスは機械を通して部屋に直接送られてくるのだが、あいにく機械の故障とやらで、この時に限って部屋まで持ってきてもらう事になった。やがてワゴンを押すガチャガチャという音と、インターホンで「食事をお持ちしました」という声が聞こえてきたので、フェアリーはドアを開けた。と、突然腕を掴まれ廊下に引きずり出されると、悲鳴をあげる間もなく口を塞がれた上に銃を突きつけられた。

「どうかお静かに、お嬢さん。体に穴を開けられたくないならね」

 そうして銃を突きつけられたままフェアリーは地下駐車場まで連れて行かれた。

―どうして?ホテルの従業員もグルだったの?でなきゃ私がルームサービスを頼んだ時に都合よく従業員を装って来る理由が分からない。誰も知っている人がいないホテルだからって安心したのがバカだった―

悔やんでみても、この状況ではもうどうする事も出来なかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ