エピローグ
家に着いたSWORDはカレンの部屋には直行せず、フェアリーと一緒に居間にいた。すでに彼の姿は『トーマ』に戻り、体から剣が生えた形跡など一つも見当たらない。もちろん撃たれた痕もキレイになくなっている。まるであのスポーツパーク以降の出来事など何もなかったかのように。
ずっと黙って立っている彼にフェアリーが恐る恐る声をかけたのは、家に着いてから実に三十分ほど経ってからだった。
「トーマさん……私、ここにいていいんですか?」
「…………ああ」
「後悔してませんか?」
「している。これからもずっと、し続けるかもしれない」
立って窓の外を向いたまま、トーマはキッパリと言った。自分を殺そうとした時の彼の苦悩を見ているだけに、フェアリーは何も言えなくなってしまった。
「……ごめんなさい」
「お嬢ちゃんが謝ることじゃない。俺が自分で決めた事だからな」
重い声だった。その声を聞くだけでトーマの悔いが伝わるほどに。しかし彼は一度ハアーッと大きく息を吐き出すと苦笑いを浮かべ、フェアリーに近づいて頭にポンと手を置いた。
「あのな、俺はなにもお嬢ちゃんの事を悪く思っているんじゃない。前に言ったが、他の誰かと一緒に食事すると美味いって事を、本当に久し振りに思い出した。お嬢ちゃんのご機嫌に振り回されるのも、娘がいるとこんな感じなのかもしれないって、そう思った」
「娘……ですか?」
「年の差は親子どころじゃないけどな。俺が生まれたのは二十一世紀初頭だから」
「二十一世紀初頭!?」
トーマがSWORDであった以上、見た目通りの年齢でない事は承知していた。十五年前と変わらぬ姿なのだから。しかし一世紀半も生きているとは、さすがに想像も出来なかった。目の前にこうして若い姿でいる以上、実感が湧かないのは当然である。それくらい承知の上のトーマは、驚いてそれ以上言葉も出ないフェアリーに構わず話を続けた。
「丁度ヒトゲノムの解析が終わった頃だった。日本の大財閥の総帥が研究者をかき集めて依頼した。不老不死と若返りを可能にしろ、実験に必要な人間は夜の街を徘徊する若者をさらってきて使えばいい、どうせそんな奴らは他人に迷惑をかけても役に立つ事はないのだから、せめて自分の役に立ててやろうじゃないかと」
「そんな……それでトーマさんやカレンさんもさらわれたんですか?」
「ああ。けど皆が皆、夜遊びをしていたわけじゃない。俺は夜勤の親父に弁当を届けに行った帰りだった。カレンは入院している祖母の見舞いに行った帰りだったそうだ。そうやって集められた百人以上の人間は、わけが分からないまま研究所に連れて行かれて、十人ずつ日替わりで実験道具にされた。どうやら最初は人間をモルモット扱いしている事に多少の罪悪感はあったらしく、『研究』といった感じだったんだが、そのうち生身の、生きている人間を使ってどんな実験も出来るという事に快感を覚えてきたらしくてな。亀の遺伝子と融合させれば一万年生きられるんじゃないかとか言い出した。それがエスカレートしていって、ついには伝説のモンスターを作ろうって話になった」
「伝説のモンスターって……」
「ドラキュラとか狼男とか、映画であったハエ男とかな。その辺になったら、もう完全に興味本位のお遊びだったよ。何をしてもいいんだっていう意識がそんな事をさせたのかもしれない。実験の犠牲になって死んだ仲間の死に様は、とても口では表現できないものだった。だけど俺やカレンを含めた十数人は体の中に色々な実験の成功例を抱えたまま生き延びて、正真正銘の化け物になった」
「でも遺伝子操作で体から剣が生えるなんて事、できるものなんですか?」
「俺は専門家じゃないから分からないな。ただ俺は、人間兵器を作る実験をされていた。臓器なんかはかなり人の手が入っている。その辺が関係しているのかもしれない」
えっ?と、フェアリーは青ざめてトーマを見た。人の手が入っているという事は、臓器を取り出して何か機能を変える実験を施してから体に戻したのだろうか?そう考えて吐き気をもよおした。言葉で実験や研究と聞いてもピンとこなかったものが、ここへ来て実感できたのである。しかしトーマの話はまだ続いた。
複合的なものか、本来の目的は達成していた。生き残った者はみんな細胞が次々と作りかえられて、健康な体を保つのに不要なものを即座に排除する組織が出来上がっていた。老けない、病気にかからない、恐らくは不死でもあるだろう事を確認した研究者達は、狂喜してトーマ達を解剖し、更に研究を重ねようとした。細胞をそのまま移植して不老不死になれるという保障などなかったから。そう、研究者たちは忘れていた。トーマ達に怪物を作るための実験をも施していたという事を。
「このままでは殺されて俺達の体を、命をおもちゃにした連中を不老不死にする為の材料にされる。そうなる前に研究所脱出を決行しようと決めた。前にも話したように生き残った十人で研究所脱出を図って、その時に年長の二人が犠牲になった。それから二十年程かな。残りの八人一緒に暮らしたのは。でも研究所の連中で生き延びたヤツは諦めていなかった。残っていたデータから不死身になった俺達を殺す手段を模索して、二十年がかりでついにそれを見つけやがったんだ。その頃俺達は人里離れた場所で暮らしていた。そこへヤツらがやって来てみんな殺された。俺とカレンの目の前で。俺が『SWORD』になったのはその時が最初だった。怒りに任せて追っ手のヤツらを皆殺しにした」
「あの……カレンさんが眠る事になったのはどうしてですか?」
「子供が出来たからだ」
「え?!」
「そんなに驚くことかよ?俺とカレンは皆がいなくなってからも二十年以上一緒にいたんだ。お嬢ちゃんだって子供じゃないんだから、それくらい分かるだろ?」
考えてみれば当然かもしれなかった。二人は夫婦なのである。しかも二十年以上一緒にいたというのであれば、子供の一人や二人いてもおかしくはない。しかし、それなら尚更……
「そうよ。せっかく赤ちゃんが出来たのに、どうして眠らなきゃならなかったの?トーマさんもカレンさんも嬉しくなかったの?」
「嬉しいの嬉しくないのと、そんな単純な話じゃないんだ。そもそも俺達の間に子供が出来るはずはなかった」
「どうして?」
「例えば犬と猫が性交したとする。その間に子供は出来るか?」
「どういう事ですか?」
「俺達の遺伝子はまともな人間のそれとは違う。動物の遺伝子と組み合わせたり、更にそれを別のものに変質させたりしたものを体に取り入れられている。俺とカレンは実質違う生き物だ。そのはずだった。だから研究所のヤツらも好き放題しやがった。子供が出来ないからと。俺達に対しても『その檻の中でやりたい放題だぞ』と言ってきて……後は想像に任せる」
トーマは目を閉じて、百何十年経っても消えない悔しさと憎悪に震えた。
前に聞いた。研究所にさらわれた時トーマは十四歳だったという。恐らく全員がそれくらいの年だったのだろう。分別のある大人ではない。突然さらわれ、なにやら怪しい研究所に連れて行かれて、荒れた者も自暴自棄になった者も多かっただろう。そんな狼の群れに、研究所の所員は子羊を放り込んだのだ。どうなったかはよほど鈍感な者でない限り想像がつくというものである。
「生命の神秘か神のイタズラか。とにかくカレンの腹に子供がいる事が分かった。体の中を弄られまくって、わけの分からない生き物になった俺達から普通の子供が生まれてくるとは思えない。それに研究所の脅威も消えたとは言い切れなかった中で子供を守っていけるのか……考えれば考えるほど不安の種ばかりだった。そんな中でカレンは一人で考えて決めたんだ。こんな俺達でも安心して生きられる世の中になるまで眠り続ける事をな」
眠るための装置はあった。コールドスリープ装置を応用して作られた物で、やはり蘇生手術を施さない限り目を覚ます事はない。この装置は中の物質は劣化せず、入れた時の状態を維持し続けるという特性がある。例の研究所の実験が成功した場合、被験者の体を解剖して使えそうなものはそこに保存するという目的で、特別に作られたものだった。何故トーマの手元にそんな物があったのか。実は死んだ仲間の毛髪や皮膚などを保存する為に、爆破した研究所跡からまだ修理して使えそうな物を持ち帰っていたのだ。いつかクローンででも仲間を蘇らせる為に。
「だがいつの世も人間は変わらない。俺達が安心して生きられる世の中なんて、このままでは来ることはない。だから俺は作らなければならないんだ。俺達だけの世界を。人間社会と繋がりを持たなくて済む世界を」
「トーマさん一人でそんなに背負い込んで辛くないんですか?」
「みんなは俺にカレンを幸せにしてくれと言って死んでいった。でもあいつは眠りにつく事になった。俺は何も出来ないまま、誰との約束も守れずにいる。それが何より辛い。前にカレンの事を話した時に言ったよな。結婚した日に眠りについたって。カレンの俺に対する気持ちは知っていたし、俺もカレンを愛していたのに、あの日まで結婚しようって決心がつかなかった。仲間を犠牲にして自分だけが幸せになろうとしているようで怖かったんだ。だけどあいつの、何十年、何百年続くか分からない眠りにつく前の最後の願いが、ちゃんと結婚式をして俺の正式な嫁さんになるって事だった。俺は自分が幸せになるのを恐れて、カレンの幸せを考えていなかった。そんな自分のバカさ加減に気付いた時にはもう何もかも遅くて……。だからこの後悔を消し去れるなら、俺は何だってやれる。しなけりゃ俺は自分を許せないんだ」
トーマの話を聞きながらフェアリーは自分を恥じた。今までさんざん自分の方が不信の根が深いなどと思っていた事を。どちらがより不信感を抱いているかどうかなど、どうでも良い事だったのだ。トーマはたった一人で仲間の命を、妻と子の未来を背負って生きている。人間を憎む気持ちを返事のない妻に語りかける事で抑え、人間を助ける仕事を体を張ってやっている。いつの日か人ではない生き物にされた者たちの楽園を作るために。
毎日何を思って眠っていたのだろう?一人で絶望した日もあったのではないだろうか?憎悪と後悔に身を焼かれ、何十年、もしかしたら百年以上苦しみ続けているのかもしれない。そう考えてフェアリーは泣いた。どれほどの思いでトーマはフェアリーを殺そうとしたのか。あの苦悩の表情の意味が、全てではないにせよ分かった。年を取らない自分はずっと同じ場所には留まれない。そして別の土地へ移り住んでも誰とも親しくなってはいけない。誰かと親しくなっても、その人とはそこに住んでいる間だけの関係でしかないから。知っている人はどんどん年をとり、皆いなくなっていく。大事な人も憎い人も平等に。そして唯一ずっと一緒にいられるトーマに想いを寄せてもいけない。トーマには妻と子供があり、目的があるのだから。二人でいてもずっと一人なのである。トーマのように目的を持たず、まだ人でしかない自分にそんな日々が耐えられるのか。だからトーマは、あくまでもフェアリーのためを思って殺そうとしてくれたのだ。そしてそれを分からせる為に、自分の重い過去を話してくれたのだ。
だがそうと分かっても、フェアリーはトーマと一緒にいたかった。恋愛対象として見てもらえる事はなくても彼を好きな気持ちはどうしようもないし、自分がいる事で少しでも彼の心の負担を軽く出来るようになりたいと思った。この先、生き延びた事を後悔する日が来るかもしれないが、今は……。
黙って泣き続けるフェアリーの頭をトーマは優しく撫でた。父親が娘を労わるように。
「ごめんな。お嬢ちゃんには重過ぎる話だって分かっていたんだけどな」
「いいんです。嬉しいんです。そんな大事な話を私のためにしてくれた事が。ただ一つ、もう一度聞いていいですか?」
「ああ」
「私、トーマさんのそばにいていいんですか?」
「辛いぞ」
「覚悟しています」
「それなら俺はもう何も言わない。……いや。ああ、一つだけ」
「……はい。何ですか?」
緊張した面持ちのフェアリーを見て、トーマは軽く笑った。
「できるだけ早く、美味いコーヒーを入れられるようになってくれ」
そう言って今度は声をたてて笑い、フェアリーは赤面して俯いた。
「カレン、お嬢ちゃんと一緒に暮らす事になったよ。怒らないだろ?お前が救った子なんだからな」
妻が眠るガラスケースに手を当て、いつものようにトーマは彼女に語りかけた。
「俺な、お嬢ちゃんを殺さなくて済むって思ったとき、正直すごくホッとした。あの子に俺達と同じ匂いを感じた時から、娘のように感じていたのかもしれない。向こうは……まあ、なかなか父親とは思えないだろうけどな」
苦笑しながら妻を見ると、彼女はやはり幸せそうに微笑んでいた。しかしその表情が、いつもより更に穏やかに見えるのは勘違いだったろうか?
「なあ、カレン。本当にこれで良かったのか?あの子の実験結果はまだ出ていない。この先どうなるか分からないのに、あの子の想いを受け入れる事が出来ない俺が何か出来るんだろうか?……いや。全部あの子が自分で決めなければならなかったんだよな。自分が何か出来るかなんて思い上がるのはやめよう。ただ見守ろう。そして俺のような過ちを犯しそうになった時には軌道修正しよう。それでいいんだよな?」
カレンは幸せそうな微笑みを浮かべたまま眠っている。当然、返事はない。しかしトーマには彼女ならどう言うかが分かった。
『あなたは自分のする事にいつも責任を持つ人だもの。自分が正しいと思った事をすればいいと思うわ。私も、眠っていてもいつもあなたを見ている。あなたと、あなたが娘のように感じているあの女の子を。いつか目を覚まして会える日まで』
「そうだな。その“いつか”が一日も早く来るように、また明日から頑張るよ。じゃあ今日はもう寝るな。おやすみ、カレン」
そう言ってガラスケース越しにキスをするトーマの耳元で、ピアスが薄く光を放っていた。
明日からは今までとほんの少し違う毎日が始まる。それもいいかとトーマは思う。とりあえずはフェアリーが美味しいコーヒーを入れられるようになるのを楽しみにしよう。……そう。とりあえずは。




