010 ☆犯行
時間は少し戻って、朝――。
リゾートホテルを拠点とする九頭竜や他の生徒は酷い有様だった。
多くの生徒がホテルのロビーで休息を取っている。
ガラスの破片が散乱し、至る所に血痕が見られるその場所で。
夜、ゴブリンの群れが執拗に攻めてきた。
数は数百体から1000体ほど。
一度の戦闘自体はそれほど疲れない。
海斗には遠く及ばないにしても、落ち着いて戦えば余裕だった。
負傷者は多いが、死者の数は数える程度。
しかし、度重なる戦闘によって誰もが疲弊しきっていた。
四肢は筋肉痛でまともに動かず、寝不足と疲労による頭痛が酷い。
日が昇ってから魔物は攻めてこなくなった。
それでも眠ることなどできなかった。
いつまた攻めてくるか分からないから。
(まずいな……)
リーダーの九頭竜は、客室で頭を抱えていた。
夜通しの戦いによって全体の士気が地の底まで落ちたからだ。
「どうせ電気が使えなくなるなら強行しておくべきだったな」
昨夜、魔物が襲ってくる少し前のこと。
暗くして声を殺していれば魔物は気づかないと知った。
そこで九頭竜は皆を集めて提案した。
ホテルやゴルフ場の電気を全て消して暗くしよう、と。
しかし結果は反対多数による否決。
情報が間違っていたらおしまいだ、との声が強かった。
所詮はネットに転がる顔も知らない人間の情報だ。
九頭竜も「間違いない」と断言することはできなかった。
その結果が終わりの見えない魔物との連戦だ。
多数派の意見に耳を傾けたのは失敗だった。
下の人間は勝手なものだ。
消灯に反対していた者の多くが、朝になってこう言った。
「電気を消しておけばよかったのに」
また、新世界高校の生徒の多くはこうも言った。
「大堂がリーダーならこんなことにはならなかった」
今、ホテルの生徒たちは不安定な状態だ。
いつ仲間割れを起こしてもおかしくない。
(どうにかしないと)
九頭竜はトイレに入った。
洋式便座に腰を下ろし、クソを気張りながら考える。
昨夜まで温かかった便座が今は冷たい。
電力の供給が止まってヒート機能が停止していた。
大好きなお尻の洗浄機能も使えない。
(優先すべきは信頼度を高めて地盤を盤石にすることだが……)
その為に出来る最善の方法は結果で示すというもの。
強烈なリーダーシップを発揮して、この窮地を切り抜ける。
そうすれば誰もが認めるだろう。
頼れるリーダーである、と。
だが、今の九頭竜にそれは不可能だ。
海斗や大堂のような高い戦闘力はないし、起死回生の作戦を閃く程の知恵も持ち合わせてはいない。
それは九頭竜自身が最も分かっている。
故に彼は別の手を考えた。
「カゲ、ヤス、ケン、オビ、ちょっと来てくれ」
クソを終えて部屋を出た九頭竜は、四人の男子を召集した。
大堂が気に入っていた幹部たち、言うなれば四天王である。
四天王の後ろ盾を得る――それが九頭竜の計画だ。
彼らに支持してもらえれば、シンセの男子はひとまず従うだろう。
「ハゲちゃうカゲや! え? ハゲ言うてない? こりゃ失礼!」
一人漫才を繰り広げるカゲこと影下。
彼は強豪ボクシング部の中でも特に強い男だ。
大堂が最も信頼している剛の者。
「夜の戦いにあんま参加せぇへんかったことを怒ってんのか? だとしたらごめんやで。ほら、大堂に殴られてやばかってん。それに俺、戦闘っちゅうタイプちゃうやん?」
そう言って腫れた頬を手で押さえているのは安岡。
皆の前で大堂に殴られたロン毛だ。
「好き放題にすんなって話なら聞かへんで。自分より弱い奴に従う気ぃないねん、ごめんやけど」
不機嫌な顔で九頭竜を見下ろす巨漢のケン。
下の名が健三なのでケンと呼ばれている。
誰も苗字を知らない。
「俺の苗字分かる? お月様の“月”に月見バーガーの“見”に里帰りの“里”やで。これで月見里って読むの意味不明やんな?」
最後は柔道部のオビ。
黒帯だからという安直な理由で決まった愛称だ。
苗字の「月見里」が難読なのも関係している。
(大堂の幹部はやっぱり癖が強いな。だからこそいい。こいつらの支持を得られれば安泰だ)
九頭竜は大きく息を吐き、それから言った。
「この世界で出来る最高のことは何か分かるか?」
「なんやトンチか?」
ロン毛のヤスが眉間に皺を寄せる。
巨漢のケンは「しょうもな」とますます不機嫌そうに。
そんな中、ボクシング部のカゲはまともに答えた。
「そりゃ宝くじで億万長者になることやろ!」
「それは前の世界での話だ」
「前の世界ってなんや?」
「魔物の登場と高校生以外が消えたことで世界は変わったんだ。例えば今、1億円分の札束があったとしてどうなる? それで何か買えるか? 魔物は死ぬか? どうにもならないだろ?」
「まぁせやな……」
「金に価値などない。もうゴミなんだよ、金なんて」
「せやったら最高のことってなんや?」
九頭竜はニヤリと笑った。
「女だ」
「女ぁ?」
「そう。女を支配すること。これに勝る喜びはない。イイ女を好き放題にすることより魅力的なことがあったら言ってみろ」
「……ないなぁ」
カゲが他の三人に「お前らは?」と尋ねる。
ヤス、ケン、オビも首を振った。
「だから俺は、お前たちに密命を与えることにした。挨拶の印、賄賂……そんな風に受け取ってくれてもいい?」
「どういうこっちゃ? お前の女を抱かせてくれるんか?」
「残念だが俺に女はいない。それに仲間の女を犯すなんてことも禁止だ。そんなことをすれば女子が逃げてしまう」
「せやったら――」
「いるだろ? 仲間以外の女が」
四人はハッとした。
「夏野のとこにおる女のことやな?」
「そうだ。アイツについていった春宮琴乃は八校でも一番人気の女だ」
「たしか山梨巨乳と囲碁美人も夏野についていくって抜けたやんな?」
ヤスが尋ねる。
山梨巨乳は由梨のことで、囲碁美人は佳奈のことだ。
カゲが「せやで」と頷いた。
「ほな夏野のところにはエエ女が三人もおるんかいな」
「あいつえぐすぎやろ」
勝手に盛り上がる四天王。
九頭竜は指をパチンとならして静かにさせた。
「そんなイイ女を好きにさせてやる、と言っているんだ」
「せやかて女を犯そうもんなら逮捕されるやん」
いつの間にかケンの顔から不機嫌の色が消えていた。
「逮捕なんかされねぇよ。だってこの世界に警察はいないからな」
「あっ、そっかぁ……!」
「仲間の女に手を出さないのも法律のためじゃない。女が離れたら困るからに過ぎない」
「なるほどなぁ。こんな世界でもええことあるもんやなぁ」
ノリノリのケン。
口の端から涎が垂れていた。
「せやかてきついやろ、それ」
冷静に言うのはヤスだ。
「夏野は大堂が自分より強いと認めた唯一の男やで。そんな奴を俺らだけで倒すなんて無理無理の無理っちゃんや」
「倒す必要はない」
「ほなどうすんねん」
「女だけ拉致ればいいんだよ」
「「「「――!」」」」
「誰かが夏野の気を惹き付けて、残りがその隙に女を拉致る。夏野が何か言おうものなら脅せばいいんだ。女がどうなっても知らないぞってな」
「それめっちゃええやん! そういう悪者みたいなん興奮するわ!」
そう言って鼻息をふがふがさせるのはケンだ。
「やるやん九頭竜。俺らよりよっぽどえぐいで。センスあるわ」
ヤスも笑みを浮かべる。
「羽交い締めなら俺に任せとき」
割と寡黙なオビもノリノリだ。
「俺はあんま乗り気ちゃうなぁ」
カゲだけは消極的だった。
「どうしてだ?」
「言っちゃなんやけど俺モテるやん。せやからそこまでして女とヤりたいとかないんよなぁ」
「言うてお前に惚れる女ブスばっかやん」
ヤスが即座に返し、ケンとオビがゲラゲラ笑う。
「まぁせやけどさぁ……」
「何ビビってんねん。いけるって。モテモテのカゲ様かてエエ女を味わってみたい思うやろ?」
「まぁなぁ。でも夏野はマジでエグいやん?」
「大丈夫やって! 囮は俺がやったる。大堂に殴られて腫れたこの顔見せりゃええ感じに時間稼げる思うねん。これなら安心やろ?」
「せやな! よっしゃ、俺もやったるで!」
ヤスに乗せられてカゲもその気になった。
「念の為に言っておくが、他の奴には内緒だぞ」
「分かってるって。俺らかてええ女を他の奴らにやろうとは思わへんから安心しぃ。ほなさっそく行ってきてええか?」
一転してノリノリのカゲが尋ねる。
「もちろんだ。ところで、車の運転は出来るのか?」
「それなら問題ないで。俺が運転できる。免許はないねんけどな」
何故か誇らしげのヤス。
「分かった――じゃあ、楽しんでこい!」
九頭竜は笑顔で四人の背中を押した。
「戻ったら詳しく聞かせたるから楽しみにしときなー!」
カゲが背中を向けた状態で手を振る。
「これで反乱は防げたな」
安堵の息を吐き、九頭竜は今後のことを考えた。
◇
「海斗がいないとどれが使える物かよく分からないね」
「それっぽい物はとりあえず運んでおけばいいじゃん。あとで海斗が仕分けしてくれるっしょ!」
「そだねー!」
琴乃、由梨、佳奈の三人は協力して周辺の建物を漁っていた。
手分けして行動するほうが効率的だが、万が一に備えてセットで動く。
それが海斗の指示であり、従わないとシェリーが吠える。
「琴乃、佳奈、お腹空いてない? コンビニでスイーツでも食べようよ」
「スイーツは腐ってるんじゃない?」
「私も佳奈に賛成。腐ってたらやばいよ」
「じゃあスイーツじゃなくてもいいからさ! ポテチでも摘まみながら常温のコーラを引っかけようよ!」
「あはは、由梨ってばおっさんみたい」
「ポテチはどうかと思うけど、何か食べるのは賛成」
「はい佳奈が賛成しましたー! 琴乃もいいでしょ?」
「仕方ないなぁ」
「よーし、コンビニにしゅっぱーつ!」
三人は作業を中断してコンビニに向かう。
「ポテチ、ポテチー♪ って、開かないじゃん!」
「便利な自動ドアが電力切れで厄介なドアに早変わりだね
「クソだなぁ! でも諦めないよ! 手で開けよう!」
由梨と琴乃は両サイドから開けようとする。
二人がドアの隙間に指を入れた時、シェリーの耳がピクピクッと動いた。
「どうしたの? シェリー」
佳奈が尋ねた。
シェリーは鼻をクンクンさせながらその場で回転する。
そして次の瞬間、ホームセンターに向かって吠えだした。
「え、なになに!?」
驚く由梨。
「もしかして……!」
琴乃は慌てて道路に向かい、シェリーの吠える先を見る。
遠くから一台の車が迫っていた。
乗っているのが誰かは分からないが、海斗でないことは確かだ。
「誰か来た!」
琴乃が叫ぶ。
「斉藤さんの家に逃げなくちゃ!」
由梨は持っていた荷物をその場に捨てて走り出す。
他の二人もそれに続いた。
「佳奈、鍵を掛けて!」
「もう掛けた!」
「えっと、こんな時、どこに行けばいいんだろ」
混乱する由梨。
「ワンッ!」
シェリーが吠える。
「私についてきて」と言っていた。
走り出すシェリー。
その姿を見て、三人はシェリーの言いたいことを理解した。
「シェリーについていこう!」
「うん!」
シェリーは階段を駆け上がっていく。
向かった先は三階の寝室だった。
「なんやこの窓、割れへんやんけ!」
家の外から男子の声が聞こえる。
窓ガラスを攻撃しているであろう音が響いていた。
「明らかに私たちのことを狙ってるよ……」
由梨の顔が青ざめる。
恐怖のあまり目に涙が浮かんでいた。
「お願い、助けて、海斗!」
琴乃は目をギュッと瞑り、海斗が来ることを祈った。
◇
「あかんわこの窓、ただの防犯ガラスちゃうで。防犯じゃなくて防弾ガラスなんちゃうか。ビクともせんわ」
「他のガラスもあかんわ」
カゲとオビは家中のガラスを割ろうとしていた。
しかし結果は失敗。
「ここまで来て何も出来ずにおしまいなんか? こんなチャンス二度とないで。次は絶対対策される」
ケンが悔しそうに歯ぎしりする。
彼の言う通り今回は千載一遇の好機だった。
奇跡的にも海斗がいないからだ。
「せやかてガラスは割れへんし鍵はかかったままや。夏野かてそれが分かってるからどっか行ってるんやろ」
「ホムセンからチェーンソー取ってこよか」
「ケン、お前えらいわ。もっとはよ気づいてたら天才やったな」
「へへ、せやろ」
「よっしゃホムセン行こ。ヤス、車頼むわ」
「いや、その必要はないで。やっと型番が分かったわ」
ヤスが懐から小さなケースを取り出す。
中にはピッキング道具が入っていた。
「このドアなら俺が開けれるわ」
「ほんまか!?」
「空き巣で3回パクられてる男なめたらあかんで」
「頼りなるわほんま、やっぱヤスやで」
ヤスは「せやんなぁ、やっぱ」とドヤ顔でピッキングを始める。
彼の腕前は本当に素晴らしく、ものの数分で解錠に成功した。
「よっしゃ開いた。カゲとオビで中を探してきてくれ。俺とケンは外を押さえとくわ。窓から逃げられる可能性あるからな」
「やっぱヤスは天才やわ。行くで、オビ」
「おう」
カゲとオビは1階からしらみつぶしに探していく。
「たぶん3階やろけど2階も見よか」
「せやな」
1階が終わると2階へ。
カゲの読み通り2階もいなかった。
「オビ、階段を押さえといてくれ。二人を呼んでくる」
「OK」
もはや外を押さえておく必要はない。
カゲはヤスとケンを呼び寄せた。
「山梨巨乳、おるんやろ? 出ておいでぇ」
一つ一つ調べていく。
そして――。
「ほらおった!」
ついに辿り着いた。
琴乃たちの隠れている部屋に。
「流石に全員を連れて帰るのは無理やなぁ」
カゲが舌なめずりをする。
「山梨巨乳にしよや、アイツの乳がいっちゃんでかい」
寡黙なオビがいの一番に主張する。
「いや、夏野の女以外ありえへんやろ。この島で最高の女はアイツや。顔も可愛いし乳もそれなりにある。何より夏野の女やからな」
「俺もヤスに賛成や」とカゲ。
「あとのこと考えてもそれがええやろな」
ケンも同意する。
彼らの狙いが琴乃に決まった。
「こ、来ないで!」
部屋の隅でビクビクする琴乃。
彼女は由梨と佳奈を庇うにように両手を広げていた。
「そんな必死に守らんでもお前だけ来てくれたらそれでええねん。ほら、来てくれへんか?」
これに答えたのはシェリーだった。
「ガルルゥ! ワンッ! ワンッ!」
琴乃の前に立ち、カゲたちを威嚇する。
「カゲ、この犬どうにかせんと無理ちゃうか」とヤス。
「愛犬家やから犬はいじめたないねんけど……」
「ほな俺が始末したるわ。別に犬とかどうでもええし」
ケンが指の骨をゴキゴキ鳴らす。
「ワンッ! ワンッ!」
「シェパードのくせに吠えるだけかい、ほなこっちから行くで」
ケンがシェリーに飛びかかろうとする。
次の瞬間、彼の体は前ではなく横に飛んだ。
何者かの後ろ回し蹴りを頸椎に食らわされたのだ。
一撃で失神した。
「「「なんだ!?」」」
振り返る他の三人。
「やってくれたな、お前ら」
そこには海斗が立っていた。
血走った目をカッと開いて三人を睨んでいる。
海斗は、怒っていた。




