とりとめのない夏の会話
「おい起きろって。さっきの授業聞いて…」
「眠いからまたあとで聞く~。」
「おい寝るな。人の話を聞かないふりで遮るのは良くないぞ。」
「だって、お母さんみたいなこと言うじゃん?」
「誰がお母さんだ。俺はお前のお母さんじゃない。」
「当たり前じゃん、キミは男で私は女、立場逆じゃない?」
「それもそ…いやそうじゃない。授業中に馬鹿っぽい顔で寝やがって。」
「うわ、無防備な女子の寝顔ガン見とか…」
「せめて顔伏せて寝てくれ。一番後ろで気にされない席とはいえ隣で寝息立てられたら気が散る。」
「健全な高校生だねえ、うぶだねえ若いねえ。」
「うるさい。お前も俺と同じ年だろうが。」
「ところでさあ、さっきの授業で清少納言が春は曙ってやつやったじゃない。」
「ん?授業は聞いてたのか。枕草子な、それがなんだ?」
「うーん、もし、さあ。」
「もし、なんだ?」
「いや、もしもの話なんだけどね。」
「もったいぶらないでさっさと言えよ。聞いてやるから。」
「生物の時間に進化論っていうのあったじゃない。」
「…ダーウィンのか?環境に適応できた奴が生き残ってるってやつだな。それとこれは関係なくないか?それがなんだ?」
「いや、もしさ、ゴキ…」
「待てそれ以上言うんじゃ…」
「ゴキブリ?」
「その名前を出すな!それ以上はいけない!」
「ああ、キミはゴキブリ死ぬほど嫌いだったっけ。そのゴキブリが」
「待てって!」
「人の話を遮るのはいけないんでしょ?」
「……そうだが、人の嫌がることはしちゃいけません。」
「じゃあ物体Gと言い換えよう。」
「…言い方に違和感と不快感はあるがまあいいだろう。」
「物体Gが闇の中で目が効かなくて、台所で餌を探すのに光が必要だとしてさ。キミも闇の中で目が見えなかったら光が欲しいよね。」
「それはそうだ、人間は暗い中じゃ何も見えないんだからな。」
「物体Gも夜目が効かなかったら、さ。」
「夜に台所へ出るのはやめるんじゃないか?昼行性になるだろう。」
「いやさ、ゴ…物体Gがもし体色を隠しやすい夜の間に活動できることを望んで進化論通り夜目以外の手段で適応して進化したら、尻が光るようになるんじゃないかって。ホタルの例があるし。」
「夏の雅な風物詩と不快の代名詞を同列に並べるな。
夜目が効かないのに尻を光らせる意味が解らない。」
「いや、集団なら尻でも結構明るくなるんじゃないかな。それで進化して光るようになっていたら、清少納言も『夏は夜、月の頃はさらなり、闇もなお物体Gの多く這いずり回る。またただ一つ二つなどほのかにうち光りて這うもをかし』って詠んだんじゃないかなって。」
「今ほどテメエの話を真面目に聞いて損をしたと思ったことはねえ!」
「物体Gもあんな暗闇でひっそりかさかさせずにホタルみたいに光ればここまで嫌われることもなかったのにって話だよ。」
「いいや駄目だね!台所でいくつも発光体が見えてたまるか!」
「それはそれできれいじゃないかい?蛍みたいで。」
「あれは自然の中で見るから美しく見えるだけで、人間の生活領域の中で見えたらただのホラーだ!」
「果たしてそうだろうか?」
「そうだ!夏場に喉が渇いて台所へ行ったら、闇の中ですらヤツが存在することが解ってしまうんだぞ!?」
「いるんだなって覚悟ができていいじゃない。」
「ならん!考えただけで怖い!」
「明り付けたら這ってたのほうが怖くない?」
「やめろ。」
「突然現れるよりいるってわかってた方が対処できるんじゃない?」
「…それはそうだ。…が、無理だ。」
「なんで?」
「夜中の台所に存在することが確定しているからだ。
物理の授業でシュレディンガーの猫の話を前にあっただろう?」
「箱の蓋を開けるまで猫が生きている状態と死んでいる状態の二つの状態が同時に存在するね。それでヤツが消えるとでも?」
「ああそれだ。闇は正に箱の中だ。ヤツが存在しない状態と存在する状態が同時にあるから、明りを付けるまでヤツは存在しないことにできるだろ?」
「所詮浅知恵、そんなだから真夜中に情けない悲鳴を上げるんだ。」
「…聞いてたのか!?大勢の前で言っていい事と悪いことがあるぞ。」
「きゃあああ出たああ」
「言うんじゃねえ、忘れろ。」
「いやあ面白かったなあ、甲高い声で出たぁぁぁってさ?」
「…忘れてください。」
「いやいや、私の睡眠を妨害した罪は重いよ、つい授業中に寝てしまった。」
「それはすまな…いや、お前いつも寝てるだろうが!」
「チッ、だめか。そんなことよりゴキ、じゃなかった物体Gが発光の特性を持つようになっていたらだけれど。」
「あ?その話は終わりだ終わり!」
「蛍で詠んだから現代の夏の風物詩になったわけで、清少納言がもし発行するゴ…物体Gを見て詠んでいたら、現代では家の中で見るゴキも夏の風物詩で美しいと思える心を持っていたのかもしれないと。」
「それはない。まず大きさが違う。蛍は小指の先程度でかわいげがあるが、名前を読んではいけないヤツは小指大だ。そんなのが一匹でも光って這ってたら恐怖だ。百人中九十九人が即殺虫スプレー振りまくだろうさ。」
「いや、大きさが違うとてその美しさが損なわれることはないはずだ。」
「発光体が台所で這ってるのを見て、ああ夏だなー趣あるわー、なんて思うわけがないだろう?感性退化してんのか?」
「日本人は伝統や権威を大事にするんだ、小さい頃から美しいと刷り込まれていたらそう思うかもしれない。そしてその文化が広がっていたかも」
「それ以上は本当に良くない。やめるんだ。」
「仮定の話じゃないか。」
「仮定だから余計酷いわ!」
「物体Gは目が見えないというのに、天敵のいない夜間に活動するために発光という手段を身に着け克服したんだと思えばドラマが」
「誰もが唾棄するようなドラマは求められてない。」
「生物の強さが解ると思うんだけど。」
「いや、ヤツだけそんな強くなくていい。弱さが足りない。」
「体格で圧倒的に勝る人間ですら見ただけで情けない声上げるほどの存在だからねえ…」
「蒸し返すんじゃねえ。」
「ごめんごめん、情けない姿さらしてたんだもんね、デリカシーが無かったよ、反省してるからそんなことよりゴキブリの話に戻っていいかい?」
「反省してない事はわかった。それ、まだ続くのか?」
「ああ。もしさっき言った通りGが文字通り黒光りするとしてさ。
不快害虫として名高い物体Gが無条件で人間に愛でられるようになったら、それを守るためにクモを根絶しようと人類躍起になるんじゃないかって。」
「蜘蛛、駄目なのか?」
「クモとかいう人の部屋に入って巣を作る畜生を許すな」
「部屋綺麗にしてたら出ないんだけどな?…というかそれが本題か?迂遠すぎる」
「あのクリーチャー目が八つもあって尻から糸を飛ばしてほとんど喰わなくても生きられる、しかも足八本とかもう化け物じゃん。」
「そう聞くと蜘蛛も大概恐ろしげに聞こえるな。
足八本が駄目ならお前の好きなタコもカニも駄目じゃないか?」
「あいつらはおいしいから。」
「…現金だな。」
「母なる海の懐は偉大だったんだよ。海の生き物は大概おいしく食べられるのにあいつらはもう見た目からして食えたもんじゃない。」
「いや、蜘蛛や虫を食おうと考えるなよ、文明人。」
「あ、馬鹿な話してたらもう次の授業始まりそう。寝れてないのに。」
「はあ…いや一時間寝ただろうが。」
「次なんだっけ。」
「数学だ。」
「数学かあ、じゃあ寝ていいか。次は起こさないでね。」
「いやもう起きてろよ、もう予鈴鳴るぞ?」
「あ、寝顔見ちゃだめだからね!お休み……」
「おい、起きろって…寝やがった。また揶揄われただけな気がする。
……そういや明日小テストって伝えたっけ?…まあいいか。」