4・前世と今世の
遅くなってすみません!
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ダンスの授業のお時間です、とマリーサが起こしてくれていつものドレスより少し華美なものに着替える。薬草茶のおかげか、胃はすっきりしていた。用意された少しヒールのある靴を履いて、練習に使っている部屋へと向かう。
(はぁ。少し休んでお腹が苦しいのが収まったけど、食べた後の運動って、お腹痛くなるのよね)
憂鬱を心の中で押し込めて、入り口の扉を見つめる。
マリーサが扉を開くと、部屋の真ん中に男性が一人、その隣に私と同じ身長の少年が一人、奥のピアノに一人、いた。
「先生、お待たせいたしました」
部屋に一歩入り、カーテシーで頭を下げる。
「いいえ、大丈夫ですよ。さて、始めましょうか」
先生に促されて頭を上げ、近くまで歩み寄る。マリーサは扉の傍で控えている。
先生の目の前に立つと、少しお年を召した顔が柔らかく微笑む。
「今日は少し難易度を上げましょう。まずは基本のステップから」
少年が差し出した手にそっと手を添える。少し冷たい手が、一瞬ピクリと震えた。
ピアノが鳴り、少年のリードで足を動かす。
「どうかした?」
軽く密着しているから、小声で聞くと、少年は視線を合わせて困ったように眉を下げた。
「いや、僕の手、冷たかったかなって」
「大丈夫よ。今はもう冷たくないし。私さっきまで横になっていたから、気を引き締めるのに丁度いいわ」
「体調悪かったの?」
私の言葉に、少年は目を開く。
「いいえ、テーブルマナーの時間で、やり直しがあって……」
恥ずかしくなって俯くと、少年は覗き込むようにして目を合わせ、笑みを浮かべた。
「お腹いっぱいだったんだ」
「そう」
目を合わせて二人一緒に微笑む。
「二人とも、おしゃべりはいいけど背筋が曲がっている。動きも小さい。集中して」
大きな声ではないが、有無を言わさぬ叱責で二人とも慌てて背筋を意識し、視線を上げる。そしてまた目を合わせ、微笑みあった。
それから何曲か練習して、ダンスの授業は終了した。
「ありがとうございました」
玄関まで見送り、部屋に戻って、マリーサに手伝って貰い動きやすいワンピースと、ヒールのない靴に履き替えた。
「夕食まで時間がありますが、どうなさいますか?」
マリーサの言葉に悩み、まだ少しお腹がいっぱいだったので中庭に行くことにした。
「中庭で散歩してくるわ」
「かしこまりました」
ドレスをメイドに渡し、マリーサと共に中庭へ向かった。
中庭は、色とりどりの花が咲いていた。日に焼けないように、マリーサが日傘を差し掛けてくれた。
「綺麗ね」
思わず呟いたら、マリーサが微笑んだ。
「庭師が喜びますわ」
「お礼を言っておいてくれる?」
「はい」
二人、ニコニコしながら庭の花を眺めて歩く。ふと、香った甘い匂いに誘われていくと、薄ピンク色の花の前に着いた。
「これ……」
「良い匂いですね。優しい香り」
密集した花たちは風に揺れて、それでも美しく咲き誇っていた。それは、前世で見た桜にも似ていた。
郷愁に、でも別の何かに、泣きそうになった。
「お嬢様?」
私の異変に気づいたマリーサが、気遣わし気に声を掛ける。
「何でも無いの。ただ、無性に懐かしくて。どうしてかしら」
眉を下げた私の笑みに、マリーサは心配そうに眉を下げた。
「大丈夫。少し肌寒くなってきたわ。部屋に戻りましょう」
「はい」
ニコリと笑うと、マリーサはホッとしたものの、それでも心配そうに私を見つめていた。
部屋に戻って、夕食の準備ができたら呼んで欲しいと伝え、スピルナ先生に渡された魔力、属性についての教本を読む。
しばらくすると、夕食の準備ができたと執事のジャンが呼びに来た。
食堂へ向かうと、両親とお兄様はもう席に着いていた。お兄様に帰宅された挨拶をして、横の席に座る。お父様は王宮の仕事が忙しいとなかなか帰ってこられないときもあるので、お母様とお兄様と私の三人のときもある。
「お父様、お母様、お兄様、お待たせしてすみません」
「いや、大丈夫だよ。ティアート夫人に厳しく教えを受けたそうだね」
お父様は優しく微笑んで、だけど少し悲しそうに眉を下げる。
「ディアナが辛いなら、講師を変えてもいいんだよ?」
その言葉に、ゆっくり首を横に振る。
「いいえ、お父様。私が至らないのです。ティアート夫人はとても優しい方ですわ。ただ、指導の時に力が入ってしまわれるだけです」
「だけど……」
「そうですわ。あなた、甘やかすだけが教育ではありません。時には厳しくするのも必要なのです」
お父様の言葉を遮って、お母様が言い放つ。それにお父様は言葉もなく眉を下げる。
「ですが、体罰は別です。彼女がそんなことをするとは思いませんが、ディアナ、他の方からもそんなことをされたらすぐに言うのですよ。そんな人は金輪際、仕事ができないようにして差し上げますわ」
黒い笑顔で、お母様が閉じた扇子を握る手に力を入れる。お母様、扇子が、ミシミシ悲鳴を上げています。落ち着いて下さい。
「ディアナを虐める奴は、私が許さない……」
お父様も、背後に黒いモノを背負うのは止めて下さい。というか、使用人のみんなも頷いていないで、止めて、この人達を。
マリーサに救いの眼差しを向けると、キリリとした顔で頷かれた。
(いや、『旦那様方への報告は任せろ』じゃないわよ。止めてよ!)
「あ、あの!夕食にしませんか?お腹が空いてしまいました」
実はまだ食事が運ばれていない。私の言葉に、お父様もお母様も正気に戻った。
「そうね。お願いするわ」
お母様がメイドに視線を向ける。それから夕食は穏やかに終わった。
夕食後、入浴も済ませ後は寝るだけになった時、ノックの音がした。
「はい」
返事をすると、ドア越しにお兄様の声が聞こえる。
「僕だけど、今少しいいかな?」
マリーサは入浴後に下がらせていたので、部屋には私一人だった。寝間着の上にガウンを羽織りドアを少し開けると、お兄様が申し訳なさそうに立っていた。
「どうぞ」
お兄様をソファに促し、対面のソファに座る。
「どうしたのですか?こんな時間に」
壁に掛かっている時計に視線を向ける。この世界の時計は前世と同じだけど、文字盤の数字はローマ数字だし秒針は付いていない。それに所謂アンティーク調だ。材質は木材だった。
「ごめんね、夕食時の会話がどうしても気になって」
「ティアート夫人のことですか?お父様たちにも言いましたが……」
「ああ、違うんだ、ティアート夫人のことは信頼している。彼女がディナに体罰をすることはないとね。僕が知りたいのは、そのほかの教師だよ。本当にディナに何かをしてくる人はいないんだね?」
お兄様の声が、少し低くなる。ぞわりと背筋が寒くなった。
「いませんわ。みなさま真摯に教えて下さいます。それにマリーサも同室していますし」
そう答えると、お兄様は肩に入っていた力を抜いた。
「そうか。それなら安心だ。だけど、今後も何かあったら必ず僕に言うんだよ。なるべく早く帰ってくるから」
「はい」
お兄様の言葉に笑顔で頷いた。
「それじゃあ部屋に戻るね。おやすみ、僕のディア」
「おやすみなさい、お兄様」
部屋を出る時に、温かいお兄様の手で頭を撫でられて、前世でお兄ちゃんっ子だった私は、嬉しくて足元がほわほわ浮くような気持ちで布団に潜り込んだ。
穏やかな気持ちが、すぐに眠りを運んできて、意識は夢へと旅立った。
☆ ☆ ☆
それが夢だと理解したのは、前世の『私』を私が見下ろしていたから。
『私』は、所謂高校デビューした一人だ。黒髪を茶髪にして、ピアスを開けて、制服を改造した。
だけど趣味は変えられなくて、漫画、アニメ、ライトノベルが大好きで、だけど他の人には知られたくないから、隠れオタクだった。
姿形を変えても、昔からの友達はいつも仲良くて、趣味も同じだったのでよく遊んでいた。そして、家族も。
父と母は仲が良く、二歳離れた兄も幾度か喧嘩はしたけど、仲はいい。
そして、『私』の初恋の人。
おしゃべりではないが、優しく笑みを向けてくれるのは家族だけ。動物にも好かれて、兄も動物が好きだ。
落ち込んでいると、さりげなく傍にいてくれて、それがとても温かかった。
突然の『私』の死で、悲しませてしまっただろう。だけど、いつの日か前を向いていってほしい。忘れて欲しいわけではないけど、あの優しい笑みを、また浮かべてくれると嬉しいと思っている。
伝えれなかった想いは、ずっと胸の中に。あの笑みと共に。
『ずっとずっと、あいしていました』
☆ ☆ ☆
「……?」
暖かい光に、ゆっくりと瞼を上げると、丁度マリーサがカーテンを開いているところだった。
「お嬢様、おはようございます。何か悲しい夢でも視ましたか?」
心配そうなマリーサの声に、ゆっくりと身体を起こすと、雫が布団に数滴落ちた。どこからだろう、と不思議に思って天井を見上げると、頬に濡れた感触がした。
「私、泣いてる?」
「ああ、擦っては駄目です。少しお待ちください」
目を袖で擦ろうとすると、マリーサに慌てて止められる。マリーサは洗顔用に準備した桶にタオルを浸し、キツく絞ってから持ってきた。
「これを目に当ててください。湯を替えて参りますので、そのまましばしお待ちください」
すぐ戻ると言って、マリーサは桶を持って部屋を出て行った。
暖かいタオルを目の上に置き、またベッドに寝転ぶ。何か夢を見たような気がするが、何も覚えていない。
(泣くほど悲しかったのかしら?でもすっきりしているような……。よくわからない)
まあ、夢のことだし、と深く考えず、マリーサが戻ってくるまでそのままで待っていた。
マリーサが戻ってきて、朝の支度をしていると、朝食の準備ができたとジャンが呼びに来た。
食堂へ向かい、すでに席についていたお母様とお兄様に朝の挨拶をしていると、お父様が最後に席について、食事が運ばれてきた。
女神様に感謝の言葉を贈り、和やかな食事が始まる。
朝食の後は、お父様とお兄様を見送り、お母様とサロンで軽くお茶をして、午前の勉強がある。それが終わると昼食を一人で食べ(ティアート夫人のマナーの時もある)
午後の勉強を受ける。
夕方、帰宅したお兄様を出迎え、一緒にサロンでお茶を飲む。お父様は仕事が忙しいとなかなか帰宅できないので、そんな時はジャンがその連絡を受ける。
「本日は、旦那様はご帰宅が遅くなるそうなので、先に休んで欲しいと連絡がありました」
「そう。わかったわ、ありがとう」
夕食の席で、ジャンがお母様に伝える。淡々と受けるお母様だが、少し寂しそうに見えた。
お兄様も同じことを思ったのか、目配せをして、その日夕食時の会話は、明るい話題を二人で出し合った。
お母様の表情も心なしか明るくなったのを見て、ホッと肩に入っていた力を抜いた。
あまり表情が変わらないと思っていたお母様は、実はよく見ると喜怒哀楽がわかりやすいことが、この数年で気づいた。
『ディアナ』の記憶を探っても、今の家族についての意識は薄く、本当に今の家族には興味がなかったんだなぁ、と少し寂しくなった。
夕食後、お母様とお兄様と三人で、庭を歩く。
所々に置いてある照明で照らされた花々は、明るい時に見たときより幻想的に見える。
桜に似た花の前を通ると、足が止まった。
「ディナ?」
お兄様に問いかけられて、ハッとして苦笑を向ける。
「ごめんなさい。良い匂いで」
ふわりと暖かいもので包まれて、一瞬のちにお母様に抱きしめられているとわかり、慌てた。
「お、お母様!?」
「幼い頃の記憶でも、やはり覚えているものですね」
「え?」
身体を離したお母様は、視線を私に合わせるようにしゃがみ、花を慈愛の籠もった目で見つめる。
「この花は、あなたのお母様、ロアナが好きだった花なの」
「ロアナ、お、母様……」
「そうよ。あなたを引き取るときに、この株も分けていただいたの。傍にあると安心するだろうからって。あなたのお祖母様が」
震える手を、握りしめる。覚えていないはずが、目頭が熱くなって、視界が歪む。
「ゴーリン家は、次期当主が事故で亡くなったため、前当主はそれを嘆いて隠居、爵位は親戚筋が引き継いだのでしたね」
お兄様の声は淡々と事実を語っていた。
「そうなの。本当はあなたのお祖父様とお祖母様は、あなたを育てたかったのだけれど、現公爵夫人が嫌がったので、手放すしかなかった。それならうちで引き取りますって、旦那様が掛け合ってくれて、あなたは私の娘になったのよ」
「お母様は、それで良かったのですか?」
夫の妹の娘といえ、他人だ。それもまだ幼児で手がかかっただろうに。
私の心配をよそに、お母様は柔らかく微笑んでいた。
「私とあなたのお母様は、学院時代から親友だったのです。彼女が亡くなってしまったのはとても悲しいですが、あなたという忘れ形見を立派に育てると、ロアナの墓前に誓ったのです。ロアナはあなたを愛していました。それに、私も、あなたを愛していますよ」
視界がゆがみ、頬を暖かい涙が滑り降りていく。
「お母様っ!」
涙声で、お母様の首に抱きつくと、お母様は優しく抱き留めてくれた。髪を撫でてる手が、抱きしめてくれる腕が、もう会うこともできない前世の母親を思い出させ、胸が苦しくて涙が止まらない。
だけど腕の暖かさが、安心する。
そして私は、しばらくお母様の腕の中で涙を流し続けた。その光景を、お兄様は温かい目で見守っていた。
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