4.不安
リリーナは階段を昇り、姫君のお部屋として用意されている客間へ向かった。
何だか面白くないのは、自分だけが任務中だからだろうか。
子供じみていると、自分でも思う。
でも、モヤモヤとした気分が晴れない。
リリーナは姫君の客間の扉の前で足をとめると、気を引き締めて、扉を叩いた。
入室の許可が出て、扉が開かれる。
「リリーナさん」
今にも泣きそうな姫君がリリーナを迎えた。
「姫君、どうされましたか」
「私、とても不安なのです。何一つ、うまくできません」
「そんなことはございません。大公殿下へのご挨拶はご立派でございました」
「そうでしょうか」
姫君は小さく震える。
「大公殿下より晩餐に招かれております。失礼な思いをさせそうで、怖くてとてもご一緒できません」
「私がお側に控えております。ご安心ください」
リリーナは姫君を見つめ、微笑んだ。
いろいろ思うところはあるが、職務のため空腹には耐えよう。
「さあ、涙を拭いてください。お支度を」
リリーナは侍女に目で合図を送る。
姫君を預け、姫君の支度ができるまで、部屋の周囲を見回ることにした。
自分に与えられた部屋に入れば、食事が用意されており、リリーナはホッとした。今のうちにと、急いで食事をとる。
その後、バルコニーに出ると、第1騎士団が滞在している西棟の明かりが見えた。揺らめく窓の明かりに、また不満が募る。
(ここから見えるんだ……)
皆、今頃、楽しくやっているのだろうか。不意にアルヴァートのささやきを思い出す。
(私は抱き枕じゃないのよ。失礼しちゃうわ)
無性に腹が立った。これは八つ当たりかもしれない。
リリーナが姫君の部屋に戻ると、支度を終えた姫君が椅子に腰掛け、案内を待っていた。
姫君の部屋に大公殿下の執事が迎えに訪れる。
リリーナが姫君に続いて部屋を出ると、警護のため、扉の両側に団員が2人立っていた。
「カルバイン副団長、お疲れさまです」
「お疲れさま。よろしくね」
敬礼を返し、リリーナは微笑む。
(団長もひどいよね、今夜ぐらい休ませてあげればいいのに)
実は熱烈志願者による争奪戦であることをリリーナは知らない。団長の殺気と冷気を感じることなく、リリーナの瞳に写り、声をかけてもらえ、微笑みをいただける任務なのだ。ぶっちゃけ姫君よりも副団長のお側に居たい。
(さて……姫君のこの自信のなさはどうしたものか……)
ヒロインはこんなに不安を抱えている姫君だったろうか。姫君らしくはないけれど、もう少し元気な前向きな性格だったと思う。
(私にできることでお助けしなければ)
リリーナは姫君の様子を伺う。
(団長との接点が少なくなりつつあるのは私の存在よね)
姫君付きの任務は本来、団長だったと思う。
(何とか接点を作るには……お忍びデート?)
好感度を上げるにはこれしかない。
(姫君を私の手で可愛く着飾って魅力値を上げれば、団長もドキドキしちゃうわ!)
装飾品加工スキルは伝説の職人レベルの腕前を持つリリーナだ。材料さえあればどんなものでも作れる。
(どんなデザインにしようかしら)
前を歩く姫君を見つめながら、リリーナはデザインを考え始めた。
***
晩餐は静かに進んでいく。運ばれる料理を見ながら、リリーナは目立たないようにサポートした。
「明日は前夜祭として夜会を開く。姫君にも是非、出席願いたい」
「……はい」
「我が民も街も、姫君の来訪に喜び、華やいでおります。明日の昼間には音楽祭も開かれますぞ」
「……はい」
リリーナはハラハラする。姫君の話術は中学生レベルだ。いや、小学生か。
大公殿下は退屈している。
「僭越ながら、大公殿下。発言をお許しいただけますか」
リリーナは騎士の礼をとり、ローレン大公殿下に頭を下げた。
「許そう」
「ありがたきお言葉。私は第1騎士団アルヴァート・デイン配下、リリーナ・カルバインと申します。今回、皇帝陛下より姫君付きの任務を拝命し、同行いたしました。先程のお話、大変興味深く伺いました。僭越ながら、明日、姫君の城下街の視察の許可を願い出ます」
「ふむ、我が民と街は私の誇りだ。許そう。騒動にならぬよう配慮せよ」
「かしこまりました」
「この時期、我が城より西にある庭園の花が見事だ。そこも是非ご覧いただきたい」
「仰せのとおりに。音楽祭についてお伺いしてもよろしいでしょうか」
「ふむ、今回、友好都市デルフィーノより紹介があり、何やら聞く者の意識を飛ばす音を奏でる楽隊を招いておる」
「聞く者の意識を飛ばす音とは興味深い。女神が現れ、聞く者を天界へと誘う神の調べでしょうか」
ローレン大公殿下は愉快そうに笑った。
「それなら良いがの。わしは轟音響く大地の怒りと雷雨の激音とみておる。楽しみじゃ」
とんでもない音楽祭だ。
「姫君をお連れする時は注意しなさい」
「かしこまりました」
ローレン大公殿下は上機嫌だ。
リリーナはホッとした。明日の姫君の外出許可も得たし、この場の雰囲気も何とか持ち直した。大公殿下が軍人肌で騎士団好きなのが幸いした。この晩餐が終わったら、明日の予定変更を騎士団へ伝えるため西棟へ向かおう。
晩餐を終えた姫君をお部屋にお連れすると、部屋からトォーリィが尾を振って現れた。姫君にはトォーリィの姿は視えていないのか素通りする。
「姫君、明日はうんとおしゃれしましょう」
リリーナはしょんぼりしている姫君に声をかける。椅子に腰掛けると侍女たちが支度を始めた。
「毎日ドレス姿はお疲れでしょう。明日は城下を視察します。お忍びなので、ふんわりワンピースです」
リリーナはにこやかに微笑む。
「姫君、この祭りは娘たちが一度は憧れるお祭りなんですよ」
「憧れ……?」
「ええ、想いを寄せる殿方から花飾りをもらい、その手で髪に飾っていただくと、その恋は成就すると言われておりますわ」
「まあ」
姫君の頬が染まる。侍女たちも暖かく見守っている。
「姫君、私は明日のご予定の変更を騎士団に伝えるため退出します。扉には警護の者が控えておりますゆえ、何かあればお申し付けください」
「わかりました」
トォーリィには、自分が戻るまでのお留守番を頼む。
リリーナは姫君の扉を閉めると、警護の者に声をかけた。
「団長へ明日の姫君の予定変更を伝えたいのですが、頼めますか」
よく考えたら自分がいくことはないのだ。
「団長には持ち場を決して離れぬよう、命じられております」
(ええー)
「わかりました。私が戻るまで姫君の護衛を頼みます」
リリーナは諦めて再び西棟へ向かうことにした。