2.選択
夜明けが近づくに連れ、鳥の鳴き声が聞こえ始める。
あまり足音をたてないようにしているものの、草を踏む音が耳に届いた。順に見回っているが、今のところ、異常はない。
強いて言うならば、先程の団長抱き枕事件ぐらいだ。彼が何の気まぐれを起こし、どの時点でそうなったのかはわからないが、お陰で寝苦しくて、よく眠れた気がしない。
(まさか、トォーリィのふかふかな毛並みに誘われて、ふらふらと……?)
考えながら歩いていると、途中でアルヴァートに出会った。自分とは逆周りで周囲を確認していたのだろう。ちょうど中間地点で出会う。
「難しい顔をしているが、何かあったのか?」
「いえ、特に何も……」
立ち止まって答えるリリーナに、それなら良いが、とアルヴァートは答えたが、相変わらず何か考え事をしている様子に、しばらく黙って視線を向けた。
リリーナ本人は気付いていないようだが、表情がくるくると変わって愛らしい。
アルヴァートはくすりと笑った。
「何について考えているのかは解らんが、相変わらず表情に出ているな」
言われて、リリーナは驚き、慌てた。
見上げれば、こちらを見つめている視線とぶつかった。ずっと観察されていたのか。
リリーナの頬に熱が上がる。
「ここまで異常はありません。戻ります」
恥ずかしくて赤らむ顔を見られたくなくて、リリーナはその場を離れた。
***
朝食をとった後、朝の挨拶をすませ、予定通り、出発することになった。
姫君を乗せた馬車を守るように、前方を騎士団長が、左右を2人の副官が、後方を副団長のリリーナが囲み、馬を走らせた。
しばらく順調に街道を下っていたが、リリーナの肩で器用に眠っていたトォーリィの耳が、不意に立ち上がった。何か異常を感じたのだろう。
リリーナは合図の笛を吹いた。
先頭を走っていた騎士団長の馬が止まり、一行の馬車が停止した。トォーリィが鷹の姿となり、大空に飛び立った。
「小休止する」
アルヴァートが馬から降り、他の団員に声をかけた。そのまま姫君の馬車に近づき、扉を叩く。
「姫君、お疲れではありませんか」
「ええ、大丈夫です」
馬から降りたリリーナは手綱を持ったまま、2人の元へ歩いた。
「リリーナ、姫君を頼む」
「かしこまりました」
待っていたアルヴァートに手綱を渡し、リリーナは馬車に近寄ると声をかけた。
「姫君、お疲れ様です。お茶をお持ちしました」
侍女が用意してくれた紅茶をのせたトレイを受け取り、リリーナは姫君に差し出した。
「何か……あったのですか?」
姫君は両手でカップを持つと、一口飲み、不安そうに呟いた。
「いいえ。到着までもう少しかかります。この先、このようにお休みできる場所がございません。ご安心ください。何が起ころうと、貴女のことは私どもがお守りします」
(これは騎士団長の台詞でしょう)
自分で言っておいて、リリーナは何だか目眩を感じた。
「ありがとうございます」
姫君は小さく礼を言うと微笑んだ。
リリーナには、ここがゲームの世界であるという記憶がある。騎士団長アルヴァート・デインは、ヒロインである皇女殿下と結ばれる運命を持つ一人だ。
それなのに、どうも、何かがおかしい。
先日、皇帝陛下より女騎士であることから、姫君付きの任務を拝命した。
職務とはいえ、これでは姫君と騎士団長の接点がなくなってしまうのではないか、というのが悩みだ。
何よりも、自分はゲーム中に名前すら出てこなかった。
せめて推しキャラであった騎士団長が幸せになる姿を近くで見たいと思い、女性ながら異例の騎士養成学校に入学を果たし、卒業後は第1騎士団に配属、彼の配下として副団長になるところまで頑張った。
ただ、それだけだ。それなのに、どうしてヒロインの姫君と深く関わっているのだろう。
「リリーナ」
アルヴァートに呼ばれたため、リリーナは姫君に会釈すると馬車から離れた。アルヴァートの声に姫君の頬がポッと赤く染まったところは見逃さない。
安心した。姫君はちゃんと騎士団長に恋をしている。
「顔がゆるんでいるぞ」
硬い口調でアルヴァートに睨まれたが、気にしないことにした。
アルヴァートの周辺には、他の副官も集合していた。
「状況は?」
アルヴァートが短く尋ねると、上空を旋回していたトォーリィが降りてきた。なぜかリリーナの肩にとまらず、アルヴァートの肩にとまると、その頭をつついた。
(トォーリィ……!?)
「解った。よろしく頼む」
リリーナは慌てたが、アルヴァートはトォーリィの喉を撫でると、飛び立つ姿を見送った。
「西の林に不埒な賊が4人確認出来るらしい。その先も先日の雨で地盤が緩んでいる。少し遠回りだが、一度ブレイン領に入り、ヴァレア方面からローレン大公領に入る」
アルヴァートは様子を見守っていた者たちに向き直ると、トォーリィから伝わった視覚ヴィジョンを伝えた。
「すぐに出発する」
騎士団長の指示にそれぞれが持ち場へと戻った。
姫君を乗せた馬車は当初の予定を変更し、別の街道へと逸れた。
(まるで、選択肢の分岐点のようだわ)
リリーナは、このまま進めば起こったであろう展開を期待していただけに、少し残念な気持ちになった。それでも、誰も怖い思いをしなくて済んだのだ。
(トォーリィが戻ってきたら、ちゃんとお礼を言おう)
先導するように上空を飛んでいるトォーリィの姿を眺めつつ、アルヴァートの頭をつついていた姿を思い出して、リリーナは笑った。