1.夜明
何か苦しくて、寝返りを打ちたくても動けない。
そもそも硬い。
(硬い……?)
グランディア皇国第1騎士団副団長リリーナ・カルバインはゆっくりと目を開けた。
野営の時は、いつもトォーリィの背にもたれ、ふかふかな毛に包まれて眠る。温かいし、右手に剣を持たずとも安心して眠れる場所だ。
硬いはずがないのだが、もしや、寝相が悪くて地面に滑り落ちてしまっただろうか。それとも拘束される不測の事態に陥ってしまったか。
ぼんやりと目に映るのは、白銀の鎧。そして肩の青い紋章。見慣れた第1騎士団の紋章に、リリーナの意識が徐々にはっきりと覚醒していく。大きく目を開けると、息をのんだ。
(これは一体……なぜ、こんなことに……!?)
身動きが取れないのは、左腕でがっちり抱き込まれているからだ。両手で押して抜け出そうにも、さすが騎士団長、びくともしない。それどころか、さらに腕の力が強まってしまった。
リリーナが目覚めたことに気付いたトォーリィが頭を上げ、嬉しそうに喉を鳴らした。
(トォーリィ、これはどういう状況なのかしら?)
トォーリィは何も答えない。ふわりと尾を上げると、掛け布団のように2人を包み込んだ。
(待って、待って。そうじゃないでしょ)
どうして第1騎士団長が、部下を抱き枕にしているのだ。姫君ならまだしも、シチュエーションがおかしい。
今回の任務は、南部にあるローレン大公領で行われる祭事に向かう姫君の護衛だ。このあと、姫君は不埒な賊に襲われ、怖い思いをすることとなってしまうが、そこを騎士団長が護り抜き、2人の間に愛が芽生える。そして、その美しい場面を、私は副団長という特等席で見守り、推しキャラのロマンスに萌える予定なのだ。
リリーナは焦った。状況を確認するため耳を澄ます。
どうやら、まだ夜明け前のようだ。人が動く気配がない。朝の支度をする姫君の侍女もまだ就寝中なのが幸いした。
「団長……」
リリーナは意を決して、小さく声をかけた。
「……なんだ?」
ひと呼吸おいて、返答があった。耳元近くで聞こえる低めのかすれた声にドキリとしたが、左腕の拘束が少し弱まったことに気付き、ホッとした。何とか動けそうだ。
「もうすぐ夜明けです。周辺の見廻りを行いたいと思います」
「そうか」
リリーナは両腕をついて上体を起こそうとした。
しかし、背に回された左腕の拘束が解かれることはなく、逆に引き寄せられた。
姫君であれば抱き止められ、間近で騎士団長に見つめられる甘いシーンであろうが、相手が違う。女とはいえ、騎士であるリリーナにそんな隙は生じない。
リリーナは両腕をついたまま、彼を見下ろした。
「団長……相手が違います」
「何のことだ……?」
深い藍色の瞳が、不服そうにリリーナを見上げた。
第1騎士団長、アルヴァート・デイン。
皇国北部の国境線を防衛するノーザン・イレグニス辺境伯領の子息であり、氷雪系の魔術を得意とする。
彼の銀髪と藍色の瞳は一族が持つ色であり、精悍な顔立ちは、見慣れているとはいえ、近すぎるとあまり心臓によろしくない。
「お尋ねしたいことはいろいろありますが、今は離してくださいませんか?」
しばらく沈黙が続く。
リリーナがにこりと微笑むと、視線を横に逸らされた。面白くない時、困った時に目を逸らすのは、彼の癖だ。それがわかるほど、リリーナは彼の配下として長く側にいる。
「行ってまいります」
「ああ、頼む」
リリーナは、剣を腰に刺し、プラチナブロンドの髪を1つに纏めると、バレッタで留めた。
「おはよう、トォーリィ。さあ、行きましょう」
体を震わせてから立ち上がり、大きく伸びをするトォーリィに声をかけると、狼の姿がボフンと解けて、リスの姿に戻った。片膝をついて手を差し出せば、トォーリィはリリーナの肩にのぼり、頬にすり寄る。
「今日も元気いっぱいね」
向けられたリリーナの微笑みに、トォーリィは嬉しそうに鳴いた。
トォーリィは騎士団養成学校の時代から、ずっと側にいてくれる大切な存在だ。今日も愛くるしくて、顔がほころぶ。
リリーナはひとまず、姫君がお休みになっている馬車の方から見回ろうと、足を運んだ。