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藍色のrequiem  作者: 水無月やぎ
1. 白百合色のdawn
3/34

1-2

あれは、僕が10歳の時だったはずだ。誕生日を一緒に祝ってくれた時だったのは覚えている。

僕が小学校にすっかり慣れて、ちょっとずつ社会のことも分かってきたその年の1月に、僕は雛さんに尋ねた。


「僕のお父さんって、誰?」と。


その前までも、頭の片隅で気になってはいた。

母親が多忙で子どもを育てられない中、父親はどうしているのか?友達は「お正月にね、パパの方のおじいちゃん・おばあちゃんに会ってきた!」と言うけれど、なぜ僕は雛さんの母親にしか会えないのか?なぜ”帰省”ができないのか?僕の父親はどこにいるのか?そもそも生きているのか、この世にいないのか?

眠れない日なんか、こんなことをぐるぐると考えていた。朝になるとケロッと忘れていたのだけれど。

でも幸いにして、僕の小学校の同級生は、僕が両親と共に暮らしていないことを馬鹿にするような連中ではなかった。そのせいもあって、その年になるまで父親のことはあまり深刻に考えてこなかったのかもしれない。

けれどさすがに気になってきて、雛さんに尋ねてみた。祖母ではなく、雛さんに。

雛さんは一瞬驚いた顔をしたけれど、そのことについて僕が今まで尋ねて来なかったことが逆に不思議だったと言った。

雛さんの顔に、僅かな憂いが見えた気がした。…やっぱり、彼女の完璧と言えそうな人生にも、多少の悔いはあるようだった。


「響也のお父さんはね、拓也、って人なんだよ。でもね、響也が生まれる直前に私達は別れたんだ」


聞いちゃいけないことを聞いてしまった気がして黙りこくる僕に、雛さんはいいのよ、と笑った。


「ハッピーな別れ方だったから。私も彼も、仕事第一にしたくて。今もたまにご飯食べに行ったりしてるよ?円満な離婚ってやつよ」


当時の僕に「エンマンなリコン」というのはよく分からなかったけれど、雛さんも”拓也さん"も、仕事に対する信念を曲げなかったんだろう、と思った。

でも雛さんは、なるべく別れたくなかったんだろうな、とも思った。


「僕は…お父さんと会っちゃ、いけないの…?」


「会ってもいいけど…アメリカに行かないと、会えないわよ?」


僕は諦めた。生まれて10年も経って自分から会いにいくのもどうかと思ったし、悔いは残しつつも、僕が好きな雛さんと一時期連れ添った人なのだ。僕はきっと、いい人を父に持ったのだろう、とだけ思うようにした。そして僕のこのアジア系の顔立ちは、父親譲りのものだと確信したのだった。




雛さんとの思い出の中でも、特に印象に残っている出来事がある。

それは僕が11歳の6月に雛さんに会った時だった。32回目に会った時だ。

雛さんは、1冊の本を僕に手渡した。


「何、これ…?」


「拓也と私からのプレゼント。この前また彼と会ったのよ。英語だけど、響也なら十分読めるはずよ」


手渡されたのは少し厚めの、でも子ども向けの本だった。絵本の延長線のようなもので、文字も大きめだし、さし絵も大きい。そんな本だった。

そして当時の僕は、可愛げがなかった。プレゼントは嬉しいけど、素直に喜べない。本音を言えばゲームが欲しい。そんな年頃だった。


「…いいよ、別に」


雛さんは案の定、少し傷ついたような顔をした。


「そっかぁ。拓也は響也に会ったことないもんなぁ。響也の好みが分からないのよね。…まぁ、私もそうなんだけど」


そう言われてしまうと、子ども心になんか申し訳ない気がして来た。

雛さんは、黙って僕の手から本を離した。もっと申し訳なくなって来た。

ただ雛さんは、でもね、と続けた。


「でもね、響也。この本私読んでみたんだけど、すごくいいお話だったよ。大人が読んでも、そう感じた。私は、この本に勇気付けられたの。…ウソだと思うなら、読んでみなよ。まっ、無理に読まなくてもいいんだけどね。でも一応置いて行くから、気が向いたら」


そう言われて僕は、何故か悔しくなった。ほぼ完璧な"天才科学者"としての人生を歩んで来た、雛さんの心に響いた本。

それは、どういう本なんだろう。


僕は結局雛さんが帰るまで、ありがとう、も言えなかった。「人から物を頂いたら、感謝の言葉くらい言いなさい」と祖母に注意されてしまった。

彼女が帰国してから、すぐにその本を読んだ。


…僕はたちまち、その本の虜になった。




この本との出会いが、本当の意味での、雛さんと僕の交流の始まりだったのだと思う。

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