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広い通路をどんどんと進む背中に向かって陽菜は
「ちょっ、待ってよっ」
と早足で追い掛けながら声を掛けた。
が、その背中は一向に止まる気配をみせず、
陽菜は思わず
「そんなに怒ることないじゃんっ」
と吐き捨てていた。
すると、ようやくその背中が止まりクルリと振り向き綺麗な顔を見せた。
「別に、怒ってなどいませんが?」
その顔は微笑んではいるが、
「ちょっと、女性に間違えられたぐらいで怒るほど、気は短くないつもりです」
と、やはり陽菜が女と勘違いをしていた事を根に持っているらしくその怒りを感じとった陽菜は
「…ご、ごめんなさい」
としか言えず、俯いた。
「いえいえ、お気になさらず。私の女性のような顔なのが悪いんです」
そう言って再び歩き出した背中を陽菜はまた早足で追い掛けながら
嫌味な奴っ
と心の中で毒づいてやる。
それから歩きながら、彼は自分がクリスと言う名前だと言うことと、先ほどの方がこの地を統治しているアラン様だと説明した。
そして、しばらく歩いた所でクリスは立ち止まり振り返った。
「こちらがヒナ様のお部屋です。どうぞ中へ」
そう言って、ドアを開けてくれたので、陽菜はクリスに礼を言い、部屋の中に足を入れ
「うわぁ」
思わず声をあげた。
部屋はとても広く、ベッドや机、箪笥などは、陽菜が慣れ親しんだ物だった。
…ど、どゆこと?
「家具は使い慣れた物の方がよろしいかと思い、持って参りました」
…どうやって?
まるで古代ローマやギリシャにタイムスリップしたよいな場所に、陽菜の家具は何だかミスマッチで何よりいつの間に運び込まれたのかが気になったが、枕が変わると寝られない陽菜にはとてもありがたかった。
が、こんなに家具を運び込まれていると言うことは…
「私、二度と戻れないってこと…?」
どうやって重たい家具を一瞬で運び出したかなんて疑問は、この際どうでもいい。
自分の目の前で瞬間移動を何度もしてのけた彼のことだ。きっとそれぐらい他愛もないことだろう。
それよりも陽菜は自分がちゃんと“生きて”家に帰れるのか不安になってきた。
「大丈夫ですよ。事を済まして頂ければすぐにでもお送り致します」
クリスの笑顔に陽菜の不安は益々大きくなる。
「それって、終わらなかったら一生帰れないってこと?」
「…まぁ、そう言うことですかね」
クリスは悪びれる様子もなく、言ってのけた。
「え、でも、私が何日も帰らなかったら、みんなが心配すると思うんだけど」
「それは」
クリスは一気に顔から笑みを消すと言葉を続けた。
「心配なさるでしょうね。いきなり消えて戻らないなんて…」
「そんなっ、他人事みたいにっ」
「他人事…、ですからね」
「なっ!」
陽菜はクリスを睨み付けた。
「あなたが、連れてきたんでしょ!」
その言葉にクリスは大きなため息を吐いた。
「確かに、お連れしたのは私どもです」
「だったら、」
ちゃんと責任を…と言いかけた陽菜の言葉をクリスは
「が」
厳しい声で遮った。
「貴女様は、私どもに何も確認などされずに、衝動的についてこられた」
「そ、それは…」
「後先考えずに行動した貴女に非が無いと思われますか?」
そこまで言うと、陽菜は口を閉ざし俯いてしまった。
だって、仕方ないじゃない…。
あの二人を直視なんて出来る訳が無い…。幼馴染と親友の仲睦まじい姿を思い浮かべ、陽菜は目頭を熱くした。
そんな陽菜を見ても狼狽える訳でもなく、ただ
「泣いたも無駄ですよ」
とクリスは静かな声で言った。
「此処では女性の涙は武器にはなりません」
「泣いてなんかっ」
陽菜は慌てて手の甲で目を擦り、涙をごまかした。
「厳しい事を言うようですが、此処に来た以上…ご自分が女性であるという甘えは捨てて下さい」
甘えてなんかいないっ
陽菜はそう言おうと口を開きかけたが、
確かに、自分は女で、
男は自分を守ってくれるものだという気持ちがどごかにあった。
少なくとも、瑞樹は自分を守ってくれていた…。
だから、瑞樹も自分を好いてくれていると思っていたのに…。
大好きな幼馴染と親友に裏切られたと知っても尚、思い浮かぶのは二人の笑顔で…。そして、それがまた、陽菜の瞳から引っ込んだハズの涙を誘い出そうとしていた。
「…また、貴女は」
溜息交じりの声に怒られると一瞬身構えた陽菜だったが、予想に反して頬を暖かい手で包まれ驚いて顔を上げた。
「そう…まだ…16歳でしたね」
そう言ってクリスは陽菜の頬から手をゆっくり離した。
「お手を触れたことをお許し下さい」
どうやら頬に触れたのは涙を拭う為だったらしい。
「…クリスさん」
「どうか、“クリス”と」
クリスはそう言って困ったような笑った後、陽菜の前に跪いた。
「御無礼をお許し下さい。意地悪が過ぎました」
先程からの変わりように多少は驚いた陽菜だったが、きっとどちらも彼の性格なのだろう。
「意地悪…?」
「えぇ…、あなたに分かって頂かないといけませんでしたので…少々きつく言い過ぎました」
え…、全然“少々”じゃないよね?“かなり”キツかったよね?
陽菜の避難じみた視線にクリスは苦笑いを浮かべた。
「…ヒナ様の御家族や御友人方などにはきちんと対処しておりますので、御安心ください」
対処と言う言葉に引っかかったが、そこは真剣な眼差しを向ける彼を信用することにした陽菜は静かに頷き
「じゃぁ、私は、此処で何をしたらいい?」
と訊いた。
がクリスは
「それが実は…」
と困った表情を浮かべ、かぶりを振った。
「分かりません」
「……へっ?」
陽菜は呆けたようにクリスを見つめる。
「えっと…、何するか分からないのに…」
連れてこられたの?
「申し訳ありません」
クリスは深々と頭を下げる。
「いやいや、謝られても…」
明らかに自分より年上の人間に丁寧に頭を下げられるのはさすがに気が引ける。
「頭、上げてよ」
陽菜は言った。が、連れてこられたのに、家具までも持ってこられたのに、しなければいけないことが分からないという、そのことに憤りを感じない訳ではない。
なので、顔をしかめていたのだろう、頭を上げたクリスが慌てて
「目的がない訳ではありません」
と口を開いた。
「我々がヒナ様をお連れしたのは、この国を…救って頂く。…それが目的です」
「…え?」
陽菜はクリスの言った言葉が信じられず目を見開いた。
―救うって…
「いったい誰が?」
「ヒナ様がです」
「どうやって?」
「それがまだ分からないので、我々も困っているんです」
「あ、そうなんだ」
「御理解頂けたしょうか?」
「全然」
陽菜がニッコリ微笑むとクリスは“あぁ、やっぱり…”と肩を落とした。
「ってか、こんな何も取柄もない普通の女子高生に国なんて救える訳ないよ」
女子高生と言う言葉が通じるのかどうかも分からないが、陽菜は敢えてそこを強調して言った。
「大丈夫です。ジョシコウセイであろうが何であらうが、ヒナ様は我々のメサイア様ですから」
まただ。
陽菜は訝しげにクリスを見た。
「そのメサイア様って何?」
「メサイア様はメサイア様です。それ以外に言いようがございません」
クリスはそういい切ると、「それよりも」と言葉を続けた。
「…どうか、お強くなられて下さい」
「…“強く”?」
「えぇ」
クリスは頷くと再び陽菜の前で跪いた。
「…今日みたいに、殿方や友人に裏切れるような事があっても、その場から逃げ出さないような…そんなことが今後は無いように」
“殿方や友人”その言葉に反応した陽菜は再び俯いてしまう。
思い出しただけで涙が出そうなのに、強くなんてなれる訳ない…。
そんな心の声が聞こえたのかクリスは口を開く。
「それが無理なら、“フリ”だけでもお願いします」
「…フリ?」
「はい。何があっても動じない、そんなフリをして下さい」
陽菜はかぶりを振った。
「…そんな器用なこと、出来る訳ないよ」
「出来る出来ないじゃなくて、して頂きます」
クリスの言い方は反論を許さないといった感じで、陽菜は口を噤んだが、陽菜の眉がそれを拒絶するように間に皺をよせていた。
「…そんな顔をなさらないで」
クリスはそう言うと真っ直ぐ陽菜を見つめた。
「何があっても、私が貴女をフォローします」
クリスの言葉に陽菜は顔を上げたが眉間の皺は残したままだ。
そんな陽菜にクリスは静かに微笑んだ。
「…何があっても、全力であなたを守ります」
「本当に?」
「えぇ、何かあれば私の名前を呼ばれて下さい。文字通り“飛んで”参りますので」
その言葉で陽菜はようやく笑みを浮かべ頷いた。
「分かった。信じる」
そんな陽菜を見たクリスは安堵の表情を見せ立ち上がり一礼した。
「では、おやすみなさいませ」
「おやすみなさい」
陽菜はそう言いながら
“飛んでいけばいいのに”
と心の中で呟きながらクリスの背中を見送った。