嫉妬 ときどき 好き のちに 別れ
「だーっ! 何も思い浮かばない! 神は既に見放した! 私を!!」
「まだ何もできてないの? 担当さん明日までにネームお願いしますって言ってたでしょ」
「そんなこと言ったって仕方ないじゃん! 何も出てこないんだから。真理も早くアイディアを私におくれ!」
婦人向けのコミック雑誌で毎月8ページの連載を持っていた私こと美咲は、1ヶ月前に半年続いた連載作品が不人気のため打ち切りになった。
担当編集からは新しい作品のネーム(漫画の設計図のようなもの)を持ってきてくれと言われていて、その締め切りは明日に迫っていた。いや、日付で言うと今日の14時。只今の時刻は夜中の2時。なので残り12時間でアイディアを出してネームを完成させなければいけないのですがこれが全くと言っていいほどアイディアが降りてこない。漫画家生命最大の危機なのである。
「だいたいさー、1ヶ月もあれば普通は描けるんじゃないの? その時点で才能無いんじゃない?」
「そんなこと言わずに真理もなんかアイディア出してよ。なんの為にウチに来てもらったと思ってるのよ」
私のベッドから片足をはみ出させてだらしなく寝転ぶ真理。彼女とは高校からの付き合いでもうかれこれ5年目になる。
真理はウチに来てからスマホゲームばかりやってて今のところなんの役にも立ってない。
今日は友人の結婚式だった。
2次会が終わり、酔っ払いながら帰ろうとしている真理を羽交い絞めにして無理矢理私の家へ引きずり込んだ。もちろん漫画のアイディア出しを手伝ってもらうためだ。
家に連れ込むとドレスが皺になるのも気にせずベッドに寝転がったのでとりあえず私の服に着替えさせてあげた。真理は私達の間では一番ズボラだけど付き合いが良い。
「じゃあ自分の事とか描けばいいじゃん。流行ってるでしょ。コミックエッセイ」
「前それやったら担当さんに、あなたの人生は大して面白くないからボツって言われた」
「まぁたしかに美咲の人生は平々凡々すぎてつまらないね。普通に受験して普通に学校行って普通に恋愛して普通にフラれて……」
「フラれてない! 夕子がどうしてもって好きって言うから譲ったの! アレに!!!」
夜中なのについ大声を出してしまった。
夕子は今日の結婚式の主役。高校生の頃からの私達の親友。
結婚相手は私達のクラスメイトの男子だった。
夕子は明るくて素直でクラスの中の太陽的な存在だった。
いつも笑顔でクラスメイトからは頼み事をよくされて、嫌でもハッキリと断れない典型的な八方美人タイプ。それに対して私達は教室でクラスメイトの陰口をメシにご飯を食べて盛り上がる日陰者。相容れぬ存在。まさに水と油。水素水と悪玉菌みたいな関係だと思っていた。
いつだったか、真理と私でとある男子の噂や陰口を言って盛り上がっているところを夕子に聞かれてしまい、まずいなー軽蔑されたなーなんて思ってたらこれがまた夕子も意外とイケる口でして。悪口に乗っかってくれるじゃありませんか。
その時から急速に私達三人の仲は深まり高校を卒業してから今もずっと付き合いは続いている。
ただそのときの陰口のターゲットが私に恋の相談をもちかけてきまして、それを私が夕子に伝えて、そしていつの間にか今日の夕子の相手、つまり夕子の新郎になるとは全く持って事実は小説よりリアルアンドクレイジーである。
「え、美咲が新郎に振られたんじゃないの? そう夕子に聞いたけど」
「はー!?んなわけないじゃん。なに言ってんだあのクソ女! わたしは相談に乗っただけ!! だいたい夕子のどこがそんなに良いわけ ?確かに外見は可愛いけど性格は私らより黒いじゃん」
「”私ら”っていうのはちょっと気になるけど、まぁ確かに悪口言ったら夕子の方がキツイし面白いよね」
あーだめだ。このパターンは陰口大会に発展する。
そう思いながらも口は止まるどころか更に勢いを増して回るようになっていった。
「だいたいなんでいっつも夕子ばっかりモテるわけ?スタイルも顔も私の方が断然良いでしょ!」
「男はスタイルより可愛さ重視なんだよ。知らんけど。夕子胸大きいし。可愛さアピールはしてるよね」
「わかる! なんか、物落としたときにこう、見えんの? 見えないの? みたいな胸アピールしてよいしょっとか言いながらしゃがむの見て、あーコイツ、ヤベーきてんなーって思った」
「たしかにそんなことしてたかも」
「あと夏祭りの時に一人だけばっちり可愛い浴衣着てきて周りの男子共の視線集めて悦に入ってたりね。浴衣着て来るんなら言えっての」
「あったねーそんなことも」
「学校祭の演劇でヒロインを投票で決めるってなった時も私と一票差で勝ってめっちゃ喜んでたしね。たかだか学校祭の癖に」
「ちなみに私も夕子に入れたよ。可愛かったよね夕子のジュリエット」
「修学旅行の時なんてさ、シカ見たり団子食ったりする度にいちいち『かわいー』とか『すっごくおいしー』とか、めざましのレポーターかよ!」
「美咲は団子の串を指の合間に入れて鉤爪とか言って写真とってたね」
あーーーー!!!思い返しただけでイライラする。正直、嫉妬の部分も大きいので見苦しい部分もあるけどやっぱり腹が立つ。
夕子と友達になってから一緒に歩いているとよくナンパに引っ掛かる。しかも目的は夕子だけ。その度に私がどんだけその男共を蹴散らしてきた事か……・
「そうだ、夕子の事を漫画のネタにしちゃえば良いんだ」
「どうやって?」
「すごーくブサイクな女の子がイターイぶりっ子をしてクラスメイトに引かれるギャグマンガ。で、突っ込み役に美人で素敵な親友が一人いるの」
「なるほど、不細工が美咲で美人の親友が夕子ね」
「ちがうわボケ!! 逆よ逆。私が美人で夕子がブサイク。そうね、まずはすごく太ってるデザインにして……」
すごく最低な事をしているのは分かっているのだけれど、人は人を蔑んでいる時こそ最高に楽しい気分になれるのだ。私はそうだから。
「そうね……2頭身にしておかっぱで巨乳で、前歯一本以外全部抜けてるなんて斬新よね。ファッションセンスは大阪のおばちゃんみたいな柄物ばかりでぶりっ子で……」
「ねえ、そんなの描いていいの?なんかプライバシーの侵害とか名誉毀損とかになっちゃうんじゃないの?」
「大丈夫よ。バレはしないわ。ぶたっぱなで全身うろこで翼が生えてて爪がものすごく長くて尻尾が蛇で」
「それ人間じゃなくてキマイラじゃん」
確かに人外はダメだ。
ある程度人間に形を戻してからブサイクにした。あとはストーリーを考えれば全然間に合う!!
「主人公がこのブサイクで、本当にブサイクで、甲虫の裏返したお腹よりもブサイク」
「どんな比較対象だよ」
「でも主人公には恋人がいるの。高校で出会った素敵な人。主人公もブサイクで性格は悪いけど根は素敵な人間だから二人は順調に恋人として仲を深めていくの」
ネームを描くペンのノリが今までと段違いで良い。これは間違いなくヒット作の予感がする。
「でも主人公の元にあるオトコが寄ってくるの。イケメンで育ちも良くてお金持ち。主人公の事を本当に愛してるって言う」
「ほうほう」
「主人公は悩む。だって両方とも好きになってしまったんだから。こんな自分を愛してくれる人が同時に二人も現れるなんて思わなかった。まるで寝る前に妄想したシークとビルゲイツとの三角関係が現実になったみたい。」
「だいぶ濃い妄想してたんだね」
「でもブサ子ちゃんは後から現れた方じゃなくて最初の恋人を選ぶの!だって本当に愛していたのは最初の人だから。世間体なんか気にしない。確かに同性婚とか出産の難しさとか周囲の理解とか様々な困難が彼女達を待ち構えているけれど、二人の愛に乗り越えられない壁はない・・・・・・」
真理が完。
とタイミングよく言った。
なんとか勢いだけでネームを描き終えることができた。
書き進めていくうちに私の視界はぐちゃぐちゃに歪み、ネームを描いていたコピー用紙にも涙が染み込んでペンのインクが滲んでしまっていた。
「本当にこうなれば良かったのにねー」
真理が言った。
もうどうしようもない事は分かっている。
夕子の事は心の底から幸せになって欲しいと願っていた。
でも、やっぱり簡単に吹っ切れるものでは無いみたい。
私は夕子の事が好きだった。
私は夕子の子犬のような可愛さで笑顔を振りまいてるくせに私といるときだけ本音を見せてくれる、そんな強いんだか弱いんだか分からない不思議さに魅力を感じていた。
学校で会うたびに気持ちが爆発しそうなのを必死に我慢して平静を装いながら過ごしていたけど夏休み前日の放課後、私は我慢できずに彼女に告白した。
彼女は二つ返事であっさりと私を受け入れてくれた。私は拍子抜けしたけどその時から私たちは付き合いだした。
デートの時は私の服に気合が入りすぎとか、柄にも無くクサイセリフを言わされて挙句笑われたりしたけど、一つ一つの仕草が純粋に素敵で可愛くて二人で一緒にいるときは本当に幸せだった。
手を繋いで握ってくれたときは私の中の永遠に満たされないと思った部分を夕子が埋めてくれたと思ったし、私はこのまま夕子と心まで繋がっていたいと願った。
でも夕子は高校卒業と同時に私と別れた。切り出したのは夕子だ。
別れの原因を聞かされてないけど理由はなんとなく分かっていた。
私は黙って頷いた。
そして夕子は高校卒業から2年経った今日、結婚した。
「分かるけどさー! 別にすぐ結婚しなくてもいいじゃん! あてつけかっての!!」
私はネームが描かれたコピー用紙をぐしゃぐしゃに丸めて真理へ投げつけた。
「まぁしょうがないじゃん。夕子もかなり悩んでたよ」
「何でそんな事わかるのよー」
「だって私のところに相談にきたもん」
は?えっと、聞いてませんがそんなこと。
「当たり前でしょ。言うわけないじゃんフツー」
いや、まぁそうなんですけどね。なんか腑に落ちないというか、私がフラれてから真理は全然慰めてくれなかったじゃん。
「いや、別にいいかなーって」
「このクソ女アアアアアアアアア!!」
ベッドというリングの上で見事に決まったパロスペシャル。
真理選手は苦悶の表情を浮かべてタオルを促している!
「いたたたたたた! ストップストップ! 夕子だってあんたの事好きに決まってんじゃん。でもやっぱり事情があるんだよ。親とか世間体とかさ。あそこの家あほみたいに厳しいじゃん。分かれよバカ美咲。万年ヘボ漫画家!」
たしかに夕子の家はちょっとした伝統のある家で、伝統があるからこそこういう問題には厳しく閉鎖的なのは良く聞く話だ。
「まぁ。美咲だったら分かってくれると思ったんじゃない?恋愛は全部が当人達の良い方向に進む事なんて無いんだよ。それを分かってるから美咲は夕子と別れても仲良く出来たんでしょ?」
私は俯いたままだった。やり直せるチャンスがあるかもしれないと期待してなかった訳ではない。一度抱いた恋愛感情を全て無くす事は不可能だった。けれども殆ど無理というのも頭の中では理解していたし、それでも夕子とは友達でありたいと、自分の心を誤魔化して何とか今までやってきた。
「じゃあ夕子は今まで私の気持ちを知っておきながら甘えていたってこと? それってなんかずるくない?」
「そりゃあずるいよ。夕子はそういうやつだもん。嫌いになった?」
「好きとか嫌いとかそういう問題じゃなくて、こう人間的にずるいっていうか……」
「じゃあ離れればいいじゃん。ラインもツイッターも全部ブロック!」
「それは露骨で嫌だし極論過ぎる」
「結局はどうも出来ないんだよ。美咲も我慢しているけど夕子も我慢しているの。こんなことされても夕子の事嫌いになれないんでしょ?」
私は黙ってうなずいた。
全くもってその通りでございます。
真理は私のパロスペシャルから解放されて、冷蔵庫から勝手にお茶を取り出して飲みだした。
「こういうのは時間が解決してくれるよ。あと30年もしたら私も美咲もおばあちゃんだから。夕子なんておっぱいめっちゃ垂れてるよきっと」
「時間が解決なんて、信じられない。なんでわかるの?」
「経験談」
真理はこっちを向いてニヤリと笑った。
私の知らないところで親友の真理もまた恋愛で悩んでいた事に気づくことができず、罪悪感のようなものを感じた。
「ゴメン真理。なんも気づかなくて」
「別にいいよ。どうしようも出来ないって言ったでしょ?」
そして、何となくだけど真理の言った事が少し信じられてきた。どれだけ時間がかかるか分からないけど、長い年月が経過すればこのどうしようもない気持ちも晴れて決して無駄ではなかったと思える日が来ると信じてみよう。
「ありがとう真理。とりあえず真理の言ったとおり時間が解決してくれる事を祈って頑張るよ。
「まぁ、漫画のネームは時間で解決しないけどね。寧ろ時間がヤバイ」
真理が指差した壁掛け時計は12時を差していた。
ええええええええええ!!! 私達どんだけ青春パンクみたいな事してたの!!!!!???? ヤバイヤバイヤバイ
「どうしようどうしよう。さっき描いたヤツなんて到底使えないし! アイディア~アイディア~」
私はトンチ小坊主のように頭の側面を指で円を書くように撫でた。
全然ダメだ。新衛門さんが担当編集に首スパーンされている映像しか浮かばない。
「んー……このデザインじゃ恋愛漫画は描けないな。いっそ動物が恋愛の愚痴を言いまくるギャグ漫画とか」
「それだ!! ありがとう真理!! 大好き!!」
真理の頬に感謝のキッスをお見舞いすると眠たいのか布団に潜ってしまった。でもそっちの方が丁度良い。ネームに集中できる。
何とか短時間でネームを書き上げたが待ち合わせ時間ギリギリだ。軽く顔を整えて布団を頭まですっぽり被ってる真理に「晩御飯ウチで食べてるでしょ。晩御飯はハンバーグで良い?」と聞くと「おろしそ!(大根おろしとしそ)」と大きな返事が聞こえてきた。なんだ、起きてんじゃん。
これなら新規連載獲得できそう。期待を棟に抱いて私は家を後にした。
心の中はやっぱり少しモヤついてる。でも時間が解決してくれる事を期待して私はネームを片手に家を飛び出した。