『君』との過去
人生とは、出会いの連続だ。という言葉がある。
人生が出会いの連続であるならば、それは同時に別れの連続だ、と考える人もいる。
じゃあ何故、こう考える人は少ないのだろうか。
――人生は、誰と出会って誰と別れるかの取捨選択で出来ている、と。
あれは、中学生になって間もない頃、まだ一人称が『俺』じゃなくて『僕』だった頃の話だ。
当時の僕たちは、ただ家が隣にある赤の他人みたいな関係で、同じサッカー部に入ってはいたけど、今ほど仲が良かったわけではなかった。
そんな僕たちが仲良くなった、というか出会ったのは――僕が部活の先輩から嫌がらせを受けていた時だった。
確か、3年の先輩が大会で結果を出せなくて、その八つ当たりの矛先が僕に向いたのが最初の理由だったと思う。
当時から地味で根暗だった僕が、そんな理不尽の標的にされるのは当然だった。
ある日の部活終わりにグラウンドの倉庫裏に呼び出された僕は、突然殴りかけられて、理不尽な暴言とともに、下校時間である7時までの20分間くらいに渡って、ずっと殴られ続けてしまった。
とりあえずは謝っておけば良かったのに、当時の『僕』も妙な正義感を持っていたせいで無駄に反抗してしまったものだから、
その一回に留まらず、それ以来何度も呼び出されてはその度に殴られまくった。
『慣れ』というものは怖いもので、いつまでも同じように殴る蹴るだけじゃ満足できなくなっていた先輩は、だんだんその嫌がらせを部活中にも行ってくるまでになっていた。
パスの相手に僕を指定しては、変なところに蹴っ飛ばした挙句に取れないお前が悪いなどと周囲の面前で暴言を吐き捨ててきたり、
ミニゲームでは必要以上にマンマークをしてきたり、ボールを持った瞬間に思いっきりエルボーをかましてきたり、それはもう散々なものだった。
体育会系の部活というものは、どうしても年功序列が当たり前の世界だ。
善とか悪とか、そんなちっぽけなモノの前に、上下関係というものが立ちはだかる。
上がたとえ悪いことをしていたとしても、下の人たちにとっては、それはある種の正義にしかならないのだ。
それをみんな分かっているから、当時の僕に手を差し伸べる奴なんていなかったし、むしろ、反抗し続ける僕を阿呆だと嘲笑する輩だっていた。
なんで?なんで僕は正しいはずなのに味方がいてくれないんだ?
そんな絶望の輪が作られつつあった中に、一石を投じたのが祥吾だった。
そう。
彼は一石を投じてくれただけであって、決して、俺を直接的に救ってくれたわけではなかった。
嫌がらせが始まってから3週間ほどがたったある日、僕は部活終わりにまたしても倉庫裏に呼び出された、というか半ば引きずられるように先輩に連れ込まれた。
それをとがめる者は、いつものように誰もいない。
はずだった。
ただ、その日いつもと違ったのは、その場所に祥吾が居たことだった。
え?なんで祥吾くんが?
当時の祥吾は1年生の中のホープという扱いで、3年生にとっては最後となる夏の大会でも、3年生や2年生に混じってのベンチ入りが確実視されている程の有望株だった。
そんな実力者がここにいる、なんて、普通ではありえなかった。
「チッ、なんでお前がここにいるんだ?」
僕を引っ張ったままで、先輩がその苛立ちを隠そうとせずに祥吾に問いかける。
「なんで、って、そんなの一つしかないに決まってるじゃないですか。」
身長は先輩の方が高いはずなのに、まるで見下すような軽蔑の視線を向けて祥吾くんは続ける。
「見苦しいんですよ。先輩。
雑魚をいじめることでしかストレス発散法がないだなんて、やってて恥ずかしくないんですか?」
「……うるせえ!俺の勝手だろうが!!」
突如として正論を投げかけられた先輩は、その動揺を隠すように口調を更に荒くする。
「そんな事やってるから、3年生の輪の中からも浮いてるじゃないですか。
『アイツはちょっと関わらない方がいいな……』みたいなこと、他の先輩からも良く聞きますよ。」
「うるせえっつってんだろ!お前に俺の何が分かる!」
「そんなみっともない思考、分かりたくもないですよ」
怒りを抑えきれない先輩の言葉に、祥吾くんは一切耳を貸すことなく冷酷な言葉を叩き込んでいく。
「てっめええええ!!!ふざけんなああああ!!」
僕を掴んでいた手を強引にほどき、先輩が祥吾へ殴りかかる。
その反動で、僕は思わずバランスを崩して1回転しながら草むらに放り込まれてしまった。
ファサ、という落ち葉の音とともに聞こえてきたのは、悲鳴を上げる先輩の声だった。
「いっででででで!」
倒れたままで地面から見上げた時には、元の位置から2.3歩移動した祥吾くんが先輩の右腕を掴んで関節を決めていた。
「あがぁ!」
そして、祥吾くんの腕が動いた瞬間、先輩は情けない声を上げたかと思うと、その身体が急に脱力したように見えた。
気絶しているようにも見えるが、遠すぎるこの距離では良く見えない。
一体、何が起こっているんだろう?
少し近づこうとして今の態勢がうつ伏せになっていることに気づき、慌てて立ち上がって僕は祥吾くんの元へ駆け寄る。
先輩は、本当に気を失ったみたいで、近くに生えている樹の幹にもたれかかるようにして倒れていた。
いきなり訪れた理想的な状況に、僕の思考もイマイチついてこない。
「あの、ええっと、ありがとう……。」
時間と共に、今の現状が、折れかけた心にしみわたっていく。
さっきまでの恐怖は、もう存在しない。
細々とした声とは対照的に、僕の心は人生で最も躍っていた。
これだよ!僕はずっと、こんなヒーローを待ち望んでいたんだ!
さっきまでの殴られた痛みなんかもう既に消えていた。
突如現れた希望に、僕の消えたような瞳が色を取り戻していく。
「何舞い上がってんだ?お前もだよ。」
――はずだった。
その侮蔑の視線と、声変わりする前とは思えない程低く尖った声が、今度は僕に向けられた。
え?
「え?な、なにを言ってるの?」
「は?お前、自分の見苦しさにまだ分かってねえのか?」
さっきまで先輩に向けられていたはずの冷酷な視線が、今度は僕を射貫く。
そんなバカな。
僕が、見苦しい?
「ゴメン、よく分かんないんだけど……。」
「……。クズだな、お前」
突然言われた僕への罵倒に、本能的に反応してしまう。
「ちょ、ちょっと待ってよ!僕のどこがクズだって言うんだ!?
先輩の理不尽ないじめに、立派に抗った僕のどこがクズなんだ!?」
必死に自分を擁護する。というかこれは当然の意見のはずだ。
何がおかしいのか、僕には見当もつかなかったんだけど……。
その言葉に、祥吾の頭はカチンと来てしまったらしい。
「抗った?
は?
お前は何をとぼけたことを言ってんだ?」
彼は、まるで僕に失望したかのように、低い口調のままで、質問を質問で返してきた。
僕の質問のどこに、おかしい要素があったというのだろうか。
――そんなぬるい思考を、彼は粉々に打ち砕いてきた。
「殴られても殴り返さない。
のくせして部活の先輩にも、顧問の先生にも相談せずに一人ぼっちで強がっている。
なのに、自分は助けてもらって当然だ、なんて当たり前のように勘違いしている。
どうせ、いじめられても我慢している俺カッケーとか思ってたんだろうけど……。
これのどこに、立派な要素があるんだ?
俺には、人から助けてもらうのをただ待っているだけのクズにしか見えないんだが」
「っっ!?」
まるで刀で切られた武士のように、言葉にならないうめき声が無意識に漏れ出す。
容赦ない言葉の銃弾が、俺の心臓を的確に射貫いていく。
否定の言葉すら許さない圧倒的な絶望感が、俺を蝕んで奈落の底へ叩き落していく。
俺を助けに来たはずのヒーローなど、そこには存在しなくて。
そこにいたのは、二人を残酷に叩き落す、悪魔の使者だった。
「え、あ、ぁ……。」
何にも体に傷は受けていないはずなのに、目の前がぐにゃりと歪み、自分の身体から平衡感覚が失われていく。
「顧問の先生は呼んどいたから、多分そろそろ来ると思うぞ。
せいぜい助けてもらいな」
僕に一切目を合わせようとしないまま、祥吾くんはその場を去って帰ってしまった。
丁度そのタイミングで入れ替わるように顧問の先生がやってきて、僕と先輩は職員室でその後沢山の先生に囲まれながら全てを話した。
喋っている間、僕はずっと泣いていた。
それは、先輩への恨みと、自分への恨みと、祥吾への恨みが入り交じった複雑な涙で。
当時の僕には、そんな涙を止める術なんかまるで知らなかった。
それでも、僕は。
祥吾の言葉を意地でも認めたくなくて。
祥吾に必死で追いつこうと精一杯抗った結果、祥吾と一緒に練習する機会も増えて。
そんな中で祥吾の本当の性格を知って、彼を見直したり、彼に失望したりしながら。
そして、酷く傷つけられた苦い過去もいつしか記憶の海の中で薄れて、気づけば一番の親友にまでなっていたのだ。
彼は、よくこの事を自分の黒歴史として語ってくるけれど、俺にとっては一切そんなことはないと思う。
あの時の彼が、仮に大人ぶった態度をとっていたマセたガキだったとしても。
そのマセガキは、間違いなく、俺の人生を変えてくれたうちの一人なのだから。
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「今思えば、信じられねえ出来事だよな。
あの時の俺、ビックリし過ぎてマジで感情が吹き飛んだんだぜ?」
返事はない。それでも俺は続ける。
「前にさ、言ったよな。自分のことを他人が理解するには限界があるって。
だから俺は、お前なら出来る!!だから頑張れ!!なんて無責任なことは言わない。」
だから、これは俺の勝手な希望だ。
「男と女の狭間で悩む苦しみとか、昔の自分が消える恐怖なんかは俺にはわかんないけど。
それでも、あえて言わせてくれ。」
もう一度深呼吸をして、荒ぶり出した感情を必死にせき止める。
「もう一回、自分で立ち上がってみろ!!
どんなに俺がその恐怖を支えたとしても、どんなにお前の母親がお前が元の状態に戻るのを祈ったとしても。
それでも、最後はお前が向き合わないとダメだろうが!」
ドアの向こうで、少し物音がした気がする。
「なあ、逃げないでくれよ!
今まで過ごしてきた「祥吾」も、春休みから一か月間過ごしてきた仮初めの「祥子」だって、どっちも本物だってこと、お前だってわかってるんだろ!?
だったらさぁ。
だったらそれでいいじゃねえか!!」
自分でも気づかないうちに涙ぐんだ声を、必死にドアの向こうへ送る。
お前がボケて、俺が突っ込んで。
あのどうでもいいような時間が俺はたまらなく好きだから。
もう一度、あんなやり取りをしたいから。
「だから、頼むよ祥吾。
もう一回、立ち上がってくれよ。
他の誰でもない、自分のために!!!」
精一杯の感情をこめて、ドアの向こうに俺の声を叩きつける。
俺の声は、果たしてどれくらい祥吾に届いたのだろう。
叫び疲れて、ふと我に返る。
いつの間にか床に落ちていたノートを拾おうとして、想像以上に自分の身体が疲れていたことに気づき、思わず座り込んでしまう。
俺に出来ることは全てやった……はずだ。
あとは、この声が祥吾に響いてくれたことを祈るばかりだ。
頼むよ、戻ってきてくれよ……。
弱くなった心を隠すこともせず、両手を合わせて必死に祈る。
やがて、その祈りが通じたのか、ドアに近づく足音と、内カギを外す音が聞こえてきた。
脱力しきった俺の前に、俺の待ちわびた人がその姿を現す。
「……。入れ。」
必要最低限の言葉だけ小さく告げて、部屋の中に引っ込んでしまう。
その言葉に従うように、ゆっくりと俺は祥吾の部屋に入った。
カーテンを貫いて差し込む光は日没を前にだんだんと弱くなり、薄暗くなりつつある室内は祥吾の今の感情を代わりに吐露してくれているように感じた。
そして、俺が支えようと、覚悟を決めた人のその最初の声音は。
「お前……あんまり調子に乗るなよ?」
――あの時よりもハッキリと、俺への怒りが詰まっているかのように、冷たく、鋭いものだった。
危なかった……。予定にはギリセーフですね。
次で今回のエピソードは終わるかな?
終わるといいなあ……。と思います。
次回の更新は6/13を予定しています!!
【『ジャンル別日間1桁に載ったら友人に晒すって決めちゃったので評価&ブクマはしたりしなかったりしてください!!!!
感想はいつでも待ってます!!!』←テンプレにしました。
本当に感想はお待ちしております。よろしくお願いいたします。】←ここまでテンプレです。
それでは、今回も、ありがとうございました!!




