そらのそこのくに せかいのおわり 〈 vol,06 / Chapter 06 〉
七月十七日、木曜日。
この日の特務部隊オフィスは、ちょっとした地獄の様相を呈していた。
「おいヘボ王子! こっちのはもう読み終わったんだよな⁉ 焼却処分するぞ!」
「駄目です! ざっと目を通しただけで、まだ送り主のお名前も控えておりません!」
「そういうのは検閲係でデータ化して保存してるから大丈夫なんだよ!」
「いいえ! 市民の皆さんが一文字一文字、心を込めて書いてくださったお手紙です! 読み終わったものも、すべて持ち帰って保存します!」
「だったらさっさと搬出しろ! この後も二十箱以上持ち込まれる予定なんだぞ!」
「えっ⁉ 二十箱⁉」
「午前中に検閲が終わる分だけでそれだ! 午後には追加で同じくらい来るぞ!」
「それは……困りましたね。通路が塞がってしまいます……」
「だから! 読んだ分はさっさと搬出しろ! 俺たちの仕事にも支障をきたす! お前がお立ち台なんか用意したせいで、ヤツがいつも以上に目障りなんだ!」
トニーがギャンギャン吠えながら指差すのは、積み上げた段ボール箱の上でエアギターを演奏するチョコの姿である。
いつの間に並べ替えたのか、段ボール箱をステージ風に積み上げ、その上で妄想ライブの真っ最中だ。横ノリから前後に大きく頭を振る動作に変わったので、ウォール・オブ・デス直前の間奏に差し掛かっているらしい。
「あ、あの、チョコさん? その段ボール箱、見た目よりもろいので、上に乗るのは危険ではないかと……」
一応声を掛けてみるが、無駄だった。今日もチョコはヘッドホンを装着し、ノリノリでマイワールドに心酔している。
マルコは諦めてトニーに向きなおる。
「トニーさん。段ボール箱は搬出いたしますが、私にはチョコさんを止めることは出来ませんよ?」
「安心しろ。こっちは俺がぶん殴る」
「いえ、暴力はいけませんよ! どうして貴方はいつもそうやって腕力にものを言わせようと……」
「俺を説教する前にこの箱をなんとかしろ! お前宛てに届いたモノなんだから、お前の私物だよな⁉ オフィスに私物を持ち込むな!」
「検閲係から送られてきたのですから、仕方がないではありませんか! それを言ったらトニーさんのあれは何なのです⁉ 犬用昼寝マットを三枚も持ち込んで! あの面積だけで、他の隊員のデスク三台分はあります! ご自分のデスクと合わせて四人分の空間を占有していることになりますが⁉」
「今はお前のほうが邪魔だ!」
「日常的にはトニーさんのほうが場所を取っています!」
「昼寝マットは二秒で撤去できるからいいんだ!」
「そういう問題ではないでしょう⁉ だいたい、人から注意されなければ何を置いても良いというわけではありません! 公共の場を利用するにあたってはそれぞれがマナーと気配りを持って……」
「その言葉、そっくりお返しする! 俺が注意するまで、何も気にせず手紙を読みふけっていたくせに!」
「その点は非を認めます! 御忠告いただきどうもありがとうございました! ですけれども! 私の非を指摘なさるのであれば、貴方もご自分の非を素直にお認めになるべきではありませんか⁉」
「ああそうだな! 悪かった! 俺が悪かったとも! だから、ほら! どけてやったぞ! 言った通りだろう? 撤去所要時間は二秒だ! 俺はもう片付けたぞ! 今度はお前の番だ! 二秒でどけてみろ! できっこないよな⁉ こんな重たい段ボール箱を……」
「やってみせますとも!」
マルコは《緊縛》の鎖を出現させ、すべての段ボール箱を持ち上げた。これは鎖一本につき、体重百キロ程度の人間一人を拘束できる魔法である。手紙がぎっしり詰まっていても、箱の重さはせいぜい二十キロ。それを三十数個持ち上げて見せるくらい、マルコには朝飯前なのだ。
「ほら、いかがです? 二秒で撤去できましたよ?」
「その場で持ち上げているだけだろう⁉ そんなものは片づけたことには……」
「その言葉はそのままお返しいたします! 貴方だって、昼寝マットを手に持ったままではありませんか!」
「こんなものは向かいの物置部屋に放り込めばそれでおしまいだ!」
「でしたら私も同じことです!」
「やるか!」
「望むところです!」
段ボール箱が動かされた拍子に転げ落ちていたチョコには、この言い合いが何なのかは分からない。ただ、勘のいい彼は咄嗟にヘッドホンを外し、こう言っていた。
「レディイイイィィィ~……ファイッ!」
双方、一応は場をわきまえている。魔法は一切使用せず、周囲に被害を出さないように立ち位置も変えず。ただ、その場で激しく殴り合う。
空間が限定された状態での殴り合いは、さながらシャーク・ケージ・マッチのようだった。
室内にいる他の隊員、ロドニー、キール、ハンクは、放り出された段ボール箱の直撃を避けるようにミーティングルームに逃げ込んだ。
オフィスの一番奥、ガラス張りの小部屋で、三人は身を寄せ合って小声で話す。
「おい犬っころ。マルコとトニー、なんであんなに殺気立ってるんだ?」
キールはロドニーを小脇に抱え込み、当たり前のように狼耳をいじり回している。完全にペットの犬扱いだが、ロドニーは気持ち良さそうに目を細め、抵抗する素振りはない。
「あー、ほら、朝礼で言ってたろ? 強化手術受けるから、ゴヤが一週間くらい休むって話。トニーが狂暴化してんの、アレのせいだぜ」
「ゴヤの強化で、なんでトニーが荒れるんだ?」
「よく分かんねーけど……たぶん、焦ってんじゃねえかな? 同期でなんにもくっついてないノーマル状態なの、あいつだけじゃん? あいつ、プライド高いから」
「あー、なるほど。確かにこのところ、全体のパワーバランスも変わってきたしな……」
「キール、そこ違う。耳の後ろ」
「ここか?」
「あ、それそれ。もうちょっと強く掻いて……」
飼い主と犬の和やかなスキンシップを横目に、ハンクは冷静に戦闘能力を分析する。
「もしかすると、マルコのほうが伸びしろがあるのかもな?」
「ハンクもそう思うか?」
「ああ。トニーは高校時代からみっちり仕込まれた対人戦闘のエキスパートだ。対するマルコは、うちに来るまでは基礎訓練しか受けたことがない大卒キャリア組。なのに……」
「競り負けてないんだよな」
「今は互角だが、半年後は分からないぞ? この前あいつの部屋覗いたら、効果的なトレーニング法とか、栄養学とか、体づくりに必要そうな専門書が山積みで……」
「まずは論理から、か。マルコらしいな」
「最短ルートを最短時間で走破出来るのが、『頭のいい奴』の強みだからな。人の話を聞かないトニーには分の悪いレースだ」
「まあ、そもそも奴らが、何の目的でその『レース』に参戦してるのかが分からないんだがなぁ……」
「ああ……そこだよな……」
そう、彼らにこれといった目的は無い。『神』や『闇堕ち』の話題とは全く関係なく、彼らは『こいつにだけは負けたくない』という闘争本能によって能力に磨きをかけているのだ。いったいどこの少年漫画の登場人物だと、先輩二人は生温い目で見守っている状態である。
「ところで、犬っころ? トニーのほうは分かったが、王子様が荒れてる原因は?」
「レインだよ、レイン」
「ああ、そういえば、あいつも今日はこっちにいないんだよな。情報部の特別講習受けてるんだろ?」
「それが原因だぜ? レインは情報部入りが内定した状態だって教えたら、ずっとあんな感じでさ」
「でもその話、入隊当初からあった話だよな? なんでいまさら?」
「ほら、これまで特に話題にもならなかったじゃん? だからマルコ、今朝までそれ知らなかったんだよ。早ければ来年度にも異動って聞かされて、結構ショック受けてたみたいで……」
「そうか……まあ、せっかく仲良くなったヤツがいなくなるのはさみしいけどな……」
「なんつーかさー、もー、あいつらメッチャ少年漫画だよな。何歳児だっつーの!」
「小四か小五くらいかな?」
「実際は二十三歳児と二十四歳児のくせにな!」
「引っ越しの日に二人の友情の詰まった何かを交換してたらどうしようか……」
「夕日に向かって走り去る馬車を追いかけたりしたらどうしよう。っつーかやる気がするぜ、あの二人なら……」
「必死に追いかけてる最中に転ぶのはテッパンだな」
「それ見てレインがハンカチ投げるんだろ? で、泥まみれのハンカチ拾って、マルコがマジ泣きして……」
「絶対に外せないシーンだな」
「マジすげえ感動の超大作だぜ」
「ああ、全ネーディルランド国民が涙するに違いない」
そのシーンを想像して涙ぐむ飼い主と犬に、ハンクが冷静に突っ込む。
「特務部隊宿舎から情報部庁舎までのどこにそんな道があるって?」
くるりと振り向く飼い主と犬は、まったく同じ表情で唇を尖らす。
「ノリ悪いなぁ~」
「マジ胸アツ展開じゃねえかぁ~」
「お前らその変顔やめろ。なんかムカつく」
「え~何が~?」
「全然普通の顔だっつ~の~」
「お~ま~え~らぁ~……」
いつも通りのドツキ合いを始める三人。
ガラスの向こうのオフィスでは、チョコのヘッドホンのプラグが外れ、いかにも戦闘BGMといった雰囲気のメタルロックが大音量で流れている。そんな中で殴り合うマルコとトニーは、不思議と楽しそうに見えた。
ひとしきりドツキ合った三人も、彼らの顔を見て苦笑する。
「ま、これでいいのかもしれねえぜ? マルコは貴族のお坊ちゃんだから、本気で感情さらけ出して喧嘩できる相手、いなかったんだろうし……」
「トニーのほうも、子供のころからずっと『最強』扱いだったと聞いている。遊び仲間はいても、『対等なライバル』はいなかったんだろうな」
「二人とも、いい友達が出来て良かったよな」
「……なあ、おい、ハンク? それ、本人たちには絶対に言うなよ?」
「言ったら俺たちまで殺されそうな気がするぜ……」
「ああ、うん。大丈夫だ。それは俺も分かってるから……」
ハンクは知っている。マルコとトニーを『友達』と言ってはいけないように、キールとロドニーを『飼い主と犬』と言ってはいけないのだ。
全く自覚のない二組の『仲良しコンビ』を眺め、ハンクは内心首を傾げていた。
(……どうしてうちは、最高に仲のいい連中ほど本人が否定するんだろう……?)
素直になれないチビッコたちを見守る近所のお兄さん。自分のポジションが少年漫画の脇役キャラのように思えて、『それもいいか』と考えるハンクだった。
特務部隊オフィスが少年漫画めいた雰囲気に包まれているころ、同じ敷地内の旧騎士団本部では、非常に剣呑な空気が立ち込めていた。
エントランスホールに黒い軍服の男が立っている。特務部隊の制服と全く同じデザインで、色だけが違う制服。それはこの男が情報部の所属であることを示している。
その男と対峙するのは、上から下まで近代的な装備品で固めた七人の男たち。伝統的な装飾が施された特務、情報部の制服と比較すると、こちらはあくまでも実用一点張り。機能性だけを重視した装束であることが分かる。
七人のうち、最も背の高い男が進み出る。
「情報部エース直々のお出ましとは恐れ入る。それで? 何の用だ?」
この言葉に、情報部員はひょいと肩をすくめる。
「おお怖い。さすがはアル=マハ隊長。俺がここに来るのも、全部お見通しだったようですね?」
「前置きはいい。ピーコック、貴様はどちらに付く?」
「どちら? いやいや、アル=マハ隊長? 俺にそれを問う前に、貴方の目的をはっきりさせていただきましょうか? 『闇堕ち』や『マガツヒ』を浄化するだけが目的なら、神々が派閥を作る必要はありませんよね? どうもベイカーには逃げられたご様子ですが、貴方は、何のために他の神を仲間に引き込もうとしているのです?」
「決まっている。失ったものを取り戻すためだ。他には何の企みも無い」
「それは、世界の覇権? まさか本当に、『世界征服』なんて小学生みたいな野望を?」
「貴様には分かるまい。世界の頂点に君臨した神が、物乞いのごとく人に媚びねばならぬ屈辱は……」
この言葉で確信する。今、この体にアル=マハの意識はない。肉体の制御権はアル=マハの内に宿る神、ヘファイストスに強奪されている。ピーコックにとってアル=マハは、元々同じ部隊にいた仲間である。その仲間の体を勝手に使われている現状に、納得などできようはずもない。
「屈辱……ねえ? 他人の体ぶん盗ってるくせに、随分とまあ偉そうに。アンタに好き勝手されてるアークのほうが、よっぽど屈辱的だと思うけどなぁ? カミサマって、人間を加護するためにいるんじゃなかったっけ? アンタにとってアークってどの程度の存在なわけ?」
「……うるさい。黙れ……」
「あ~ららぁ~? 何その三流悪役台詞。カミサマのお言葉とも思えませんけどぉ~?」
「黙れ! もうよい! 貴様の力は、いずれ我らの妨げとなろう! 我に付き従わぬと言うのなら、貴様はここで殺すまで!」
アル=マハの言葉に反応するように、他の六人が少しずつ立ち位置を変えていく。
ピーコックは彼らの目を見て、フーッと息を吐いた。
「ベイカーから聞いたんだけどさぁ? 『黒幕』って、何のこと?」
アル=マハたちは反応しない。包囲は徐々に狭められていく。
「まあ聞けって。実は俺、王子様やレインともじっくり話し合って、『やっぱりおかしい』って結論に至ったんだよね? タイミング良すぎるよな? 玄武も、青龍も、他の神も、どうして今、このタイミングで現れるんだ? 『神の器』として改造されるのは、胎児のころだっていうじゃないか。まったく別の地域で生まれた『神の器』や、神を宿せるほどに相性の良い連中が、なぜ今、同じ場所に集合してるんだ? お前ら、その理由が分かるか?」
ピーコックは一人一人の顔を順に見回していく。
全員、神に体の制御権を奪われているらしい。顔つきも、雰囲気も、本来の彼らと大きく異なっていた。
だが、そんな彼らの目にかすかな逡巡が見えた。
ここにいる神々には分からないのだろう。
なぜ集められたのか。
なぜ今なのか。
人間にまで『役割』を与えたというのに、なぜ創造主は、自分たちには何の言葉も授けてくれないのか。
一体これから、何が始まるというのか。
ピーコックは、彼らが答えを欲しているのだと感じた。
ゼウスを宿したグリフィスは異界送りについて、『着の身着のまま外国に連れ出されたようなもの』と表現していた。そこで自分と同じ立場の者を見つければ、自然と身を寄せ合い、群れていくこともあるだろう。
しかし、だとすると妙なのだ。
さっさと自分の守護対象を定めて、心穏やかに過ごすデカラビアという存在がいた。
自分の能力を活かして、シーデビルという新たな『信徒』を生み出す神もいた。
卵を産んで、ここで新たな神族を形成しようと試みる神もいた。
彼らは創造主を恨むことはせず、己の境遇を受け入れている。過去を捨てて、忘れて、思い出に変えて――それぞれの方法で未来を見据えて動き出しているのだ。群れを作って復権を望む彼らとは、心のありようが根本的に違う。
誰かが運命を操作して、『異なる思想の神々』を引き合わせようとしているのではないか。
これは運命を操作できるフォルトゥーナ、コンコルディア、リベルタスらの一致した意見である。ただ、その目的が善悪どちらによるものか、そこが分からないのだが――。
(こいつらが俺を警戒してるのも、俺が『黒幕』側についてるって可能性を排除しきれないからなんだろうけど……)
ピーコックは神々の出方を探るため、右腕を蛇に変化させた。
バンデットヴァイパーは闇を濃縮した毒蛇である。ミカハヤヒがそうであったように、神やその器も、この毒に当たればダメージを負う。
全員一斉に武器を構え、対決する意思を見せたが――。
「分かった。もういい、こちらの負けだ。だから、天井にいるアレを引っ込めてもらえないか? 物騒でかなわん……」
アル=マハの声に、他六人が一斉に上を見上げた。
そこに広がる光景にひるみ、体を強張らせる。
ホールの天井いっぱいに、青い蝶が止まっていた。
コニラヤの蝶が数千頭、いや、数万頭はいるだろうか。隙間なくびっしりと、天井を覆いつくすほどの数でじっと命令を待っている。
ピーコックは軽く首を傾げて、七人に憑く『神』の特性を分析する。
(アーク以外の六人は、バンデットヴァイパーとコニラヤを必要以上に警戒しているな……。つまり、自分じゃ『闇』を打ち消せない弱い神ということか……?)
ベイカー、ロドニー、グレナシンからは拷問的手段で事情を聴き出したピーコックだが、マルコとレインにはその必要がない。彼らが妙な野心や邪念を抱いていないことは、諜報員としての経験上まず間違いないと判断できる。そんな彼らから神について、その特性や攻撃・防御の手段を詳細に説明された。
神にもヤム・カァシュのようなまったく戦えない神から、戦うためだけに創られたニケのような神までさまざまな能力がある。中にはカリストのように、心を奪う能力で戦況を一変させる特異な精霊も存在する。しかし、どれだけ強い神であっても、基本的には誰もが『闇』を恐れる。そしてその中でも、特に闇属性を恐れる者たちが――。
「なあ、お前たちってさ、ひょっとしてザラキエルにぶっ潰された神族の生き残り?」
六人の顔つきが変わった。仲間を殺された恨み以上に、そのときの恐怖が焼き付いているのだろう。セイジに憑いた神が、セイジの声を使って決定的な言葉を漏らす。
「……『凍てつく闇』の名を、軽々しく口にするな……」
グレナシンから聞いている。風と闇を使う天使、ザラキエル。ツクヨミはザラキエルの守護する軍から空爆を受け、民を守り切れずに力を失ったという。しかしそれより以前、まだ人間が手持ち武器で戦争をしていた時代。ザラキエルは人間たちと共に戦場に立ち、敵対する神族と直接剣を交えている。
彼の攻撃法は気化冷却による物質の凍結。また、それを解除できる火炎系能力の神々を闇に押し包んで無力化すること。
インカの神族では同じ闇の属性を持つコニラヤだけが落ち延びたというのだから、ザラキエルの攻撃力は他のどの神族の軍神・武神よりも高いと仮定していた。
その仮定が今、彼らの反応によって裏付けられた。
(圧倒的強者がいて、それを共通の仇と認識している連中が群れを作って……そうでもない連中は、各々セカンドライフを満喫してて……と。うん、筋書きは、大体見えてきたかな? ザラキエルに報復したくて仕方がない誰かが糸を引いているんだろうなぁ、これ……)
そうなると、アル=マハに憑いているヘファイストスはただの駒に過ぎない。その能力・属性・性格を何者かに見抜かれ、利用され、この六人の『まとめ役』をやらされているのだろう。もちろん本人は、自分のカリスマ性で仲間が集まってきたとでも思っているのだろうが――。
(分かりやすい構図だな。『黒幕』は自分では戦うつもりがない。いや、戦えないのか? それとも、最後の止めだけは、ってタイプかな? その辺の分析は、もうちょっと材料が欲しいところだよなぁ~?)
ピーコックは右手の蛇を引っ込め、おどけた仕草で両手を広げてみせる。
「ま、そっちにもそっちの事情があるんだろうけどさ。いいかい、カミサマたち。ここは地球じゃない。勝手なことをされちゃ困るんだ。それに、アンタらが使ってる『器』はゴーレムやオートマトンじゃない。感情を持った、れっきとした人間だ。カミサマってのは、信仰心で力を得るんだろう? レインが言ってたぜ? 『器である自分がコニラヤを信じれば、力を最大に引き出すことができる』って。アンタらさぁ、今、『器』に信じてもらえてる? その体、強引に乗っ取ってるだろ? でなけりゃアークが、レノが、エリックとアスターが、ロンとヒューとセイジが……武器を構えたまま、俺の前で『待て』が出来るわけがないんだよ! なあ! そうだよな! このクソ野郎ども!」
ふざけた顔で中指を立てるピーコックを見て、七人全員が、同時に体の制御権を取り戻した。
と、同時にぶっ放される攻撃魔法の数々。
「ヒャーッハッハッハッハ! いっちょ殺し合おうぜ! なあ! ピーコック!」
「俺の部屋にゴキブリの卵仕掛けたのてめえだろ!」
「オナホに瞬間接着剤とかギャグで済むワケねーだろこのボケが!」
「君は他人のプリンを何百個食えば気が済むんだ⁉」
「私の『マイ・プレシャス・ヌードアルバム』に落書きをした罪、万死に値する!」
「僕の恋人に何をした⁉」
「金返せ!」
最初の一名、戦闘狂エリック・メリルラント以外には、それぞれに『ピーコックを殺す動機』が存在する。誰もが初手から、自身の持つ最強技で仕留めに掛かった。
だが制御権が人間に戻った状態で、ピーコックの幻術から逃れる術はなかった。彼らは歴代最強と謳われた使い手たち。激昂していても、攻撃魔法の命中精度が落ちるようなことはない。それを知り尽くしているピーコックは、彼らが攻撃を放つ寸前、幻術を使っていた。
彼らの目には、ピーコックがその場を動いていないように見えていた。けれども実際にはトンと床を蹴り、二メートルほどの高さに跳び上がっている。狙いが正確すぎるがゆえに、身長より少し高めに跳びさえすれば攻撃は回避可能なのである。
そしてピーコックに気を取られている隙に、背後に回ったコニラヤの蝶で――。
「う……?」
「何が……」
「……クソ……」
「あ……」
ドサドサと倒れていくジルチの面々。体の制御権がコニラヤに押さえられた今、彼らに憑いた神々には成すすべもない。
(あれ? 思ったより簡単に制圧出来ちゃった? 本当に寝てる……よな? ってことは、やっぱレインは俺の手元に置いといたほうがいいかな? 使い道あるよなぁ、この能力……)
エリックの頭を足先でつつきながら、ピーコックはさも悲しそうな表情を作った。
「もう、ヤダなぁみんな。なにもかも、ぜぇ~んぶナイルとシアンがやった悪戯なのにぃ~。俺のせいにしないでよぉ~。傷付いちゃうなぁ~?」
もちろん嘘である。が、これまで柱の陰に隠れていたレインは、先輩たちの日々のやり取りを知らない。このいかにも胡散臭い独り言を素直に信じてしまう。
「ピーコックさんを疑うなんてひどいです! 罰として、顔に落書きしてやりましょう!」
「あ、それ最高! やろうやろう! 油性ペンしかないけど!」
七月十七日、木曜日。この日、この瞬間。ジルチ隊員に、常時目出し帽の装着を余儀なくされる『悪夢の一週間』がもたらされた。
盛夏の候、首から上に地獄の暑さを体感しながら過ごした彼らの殺意は、この一件以来ますますご盛栄のことと存じ上げたとか、上げないとか。
いずれにせよ、ピーコックが命を狙われ続けていることには変わりない。神々の勢力争いとは関係なく、この先彼とジルチが手を組む可能性だけは欠片も存在しないのである。
「よーし、お仕事お~わりっ! さ、帰るよレイン」
「はい!」
特務、ジルチ、その他の人や場所に憑く神々。それぞれの立ち位置の把握はできた。あとは彼らの運命に関与している『何者か』の存在を突き止め、その目的を明らかにすること。
自分に課せられた任務の重さを思い、ピーコックは軽く息を吐く。
(あーあ。とんでもないモン拾っちゃったよなぁ……)
今は『右手』に擬態している寄生型武器、バンデットヴァイパー。この武器を入手した時点で、自分もこの『神の闘争』に巻き込まれていたらしい。
(ったくもぉ~、こっちはただのネコ科オジサンだっていうのにぃ~……)
心の中でボヤきつつ、表面上は余裕の笑みで。
毒蛇は海魔を引き連れ、旧本部をあとにした。
その日の夜のことである。急な眠気に襲われたピーコックは、いつもより早く床に就いた。
彼は夢を見た。
そこは神殿のような場所だった。ガラスの柱と、半透明なタイル状の床。壁はなく、終わりの見えない光の世界がどこまでも、どこまでも広がっている。
ピーコックは首を傾げた。
夢とは、本人の記憶や経験をもとに脳が作り上げた空想の世界。どこかで見たもの、聞いたこと以外の情報が登場することはないはずなのだが――。
(こんな場所、知らないよなぁ……?)
ネーディルランド国内に存在するどんな神殿や霊廟とも違う。あちこちで得た知識を少しずつ寄せ集めて組み上げたものと考えても、やはり違和感がある。
(……青っぽい天井に、白い床か……。光源は直上で、影は真下……ここ、王子様が言ってた『卵の中』と似てるかもなぁ……?)
どうせ自分の夢の中。ピーコックは、試しにマルコから聞いた『宣言』を真似してみた。
「この世界の所有権は、この俺、ピーコックに帰属するものとする! ……なぁ~んてな?」
やはり何も起こらない。やれやれと肩をすくめたその瞬間、ピーコックは気付いた。
右腕がない。
バンデットヴァイパーに変形する肘のあたりから先が、空気に溶けるように薄れて消えていた。
「あれ? ヘビ子さん? どこ行っちゃったのかなぁ~?」
これはどうせ夢。焦る必要も、慌てる必要もない。ピーコックはふざけた口調でそう言った。
すると、どこからともなく声が聞こえた。
「誰がヘビ子だ? 本当の名を呼べ。私はお前の言霊で具現化するのだから」
ハスキーな女の声である。酒焼けしたアラサーホステスのようだなぁ、などと思いながら周囲を見回すが、誰もいない。
空間そのものが言葉を話しているような、不思議な音。ピーコックはこれを、マルコが話していた『青龍の声』と類似するものと考えた。
「……バンデットヴァイパー?」
フッと、体の右半分に重みを感じた。見れば、いつも通りの『自分の右手』が存在する。だが今度は逆に、左半身に妙な浮遊感を感じる。それはなんだか、自分の体が外側だけしか存在しない風船のようで――。
「……ひょっとして、俺の名前はピーコックです、とか自己紹介しなきゃいけないわけ?」
右手は何も答えない。だが、先ほどの言葉がこの世界の基本ルールだとするならば、『ピーコック』という名前では反応しないのかもしれない。
ピーコックは情報部から与えられたコードネームだ。本来の名前はケイン・バァル。特務部隊に所属していたころは、そちらの名前を名乗っていた。本名を出すと何かと不都合があるため、常にコードネームを使うようになっていたのだが――。
「……この世界の所有権は、ケイン・バァルに帰属するものとする……?」
こんな意味不明な世界を手に入れてどうするのか。そう思いながらも、ピーコックは言霊を発した。
そのときだった。
世界が光で満たされた。
驚くこともなく、ピーコックは冷静に状況を確認する。
この光は攻撃や呪詛の類ではない。そういった気配は一切感じないし、物理的には熱や眩しさを感じていない。何らかの方法で、脳に直接『これは光である』と認識させているのだろう。
自分自身の体の状態はというと、先ほどまでと違い、左半身にも確かな重量感、存在感を覚える。いつも通り、左右で異なる生き物の気配。これはピーコック自身が認識している『自分の体』の感覚で間違いない。
さて、これでマルコから聞いた通りの『救え』という創造主のコメントがあれば、この空間は単なる夢、ピーコック本人の『記憶の寄せ集めの世界』だと証明できるのだが――。
「バンデットヴァイパー、今ここに、其方を神と認めよう。守り、戦い、奪え。それが其方の『役割』だ」
「はっ! 謹んで拝命いたします!」
「ケイン・バァルよ。この者を心通わぬ器物から神へと進化させたものは、其方のうちに眠る『愛』だ。其方に与える『役割』は……」
「ちょっと待て! その前に確認させてもらいたい! 貴方が創造主か?」
ここが『夢の世界』でない可能性が出た。そうなれば、即座に情報収集を開始するのが情報部員というものである。
ピーコックの質問に、姿なき何者かは、柔らかな声で答える。
「いかにも。我は万物を産み、役割を与える者である」
「今、バンデットヴァイパーが『神』だとか言ったな? どういうことだ? これは、単なる寄生型武器だったはずだろう? 進化とはどういう意味だ?」
「そのままの意味だ。永く、大切に使われ続けた器物には、時として心が宿る。しかし、人の命は短い。一生をかけても、器物を神に育て上げることはかなわない」
「……一人が一生をかけてもダメってことは……前任者たちの分も累積でカウントされてるのか?」
「他の器物はその通り。しかし、バンデットヴァイパーは違う」
「どういうことだ?」
「その答えはバンデットヴァイパー本人から聞くといい。ケイン・バァル。其方にも、バンデットヴァイパーと同じ『役割』を与える。守り、戦い、奪え。それが其方の『役割』だ」
「あ、おい、待てよ! 創造主! 逃げるな! 説明責任も果たさないなんて、カミサマ業界のコンプライアンスはどうなってるんだ⁉ おい! おーいっ!」
ピーコックの叫びもむなしく、光はより一層眩く輝き、すべての物を真っ白にかき消していく。
そして次の瞬間、ピーコックは自分の部屋の、ベッドの上にいた。
ほんの一瞬、視界の隅に青い蝶が映った。コニラヤの蝶ではない。コニラヤの蝶より薄い水色の蝶は、ついこの間中央市内を大混乱に陥れた、あの蝶である。
蝶は役目を終えたかのように、光の粒になって消えていった。
「……俺は、『卵』の中に引き込まれていたのか……?」
独り言のつもりだった。けれどもその疑問に、あの声が答える。
「鈍い男だ。他にどんな可能性がある?」
「⁉」
自分の右手から、体内に直接声が伝わってきた。
「……バンデットヴァイパー?」
「なんだ?」
「本当に神に進化したのか? どうやって?」
「どうやって、だと? はっ! 貴様、自分が毎日何をしているかも覚えていないのか?」
「毎日……?」
「貴様が私を使って行っている自慰行為を、主さまは最・大・限! 好意的に解釈してくださったようだ。毒牙のある私に、己の最も無防備なところを咥えさせているわけだからな? 貴様、よくも私をオナホ代わりに使ってくれたな……」
ピーコックの顔から、いつもの余裕の笑みが消えた。
日頃のイケメンぶりが見る影もなく崩れ去っている。
「……申し訳なさ過ぎて死にたい……」
「このクソ野郎が。楽に死なせてやるものか。貴様の肉体と魂を徹底的に蝕み、奪いつくすまで、一秒でも長く生かして苦しめてやろう!」
「な……なんてこった。創造主に課された試練が重すぎる……」
ただの『器物』だと思っていたものが、まさかカミサマに進化してしまうだなんて。しかもそれが、日々自分への怒りを溜め込んでいたなんて。
何より、利き手の協力が得られなくなった今後は、行き場のない性的欲求をどう処理してゆけばよいものか。
「あー……人生が一瞬で灰色になった気がする……」
「安心しろ。今まで通り咥えてやるさ。ちょっと牙が当たるかもしれないがな?」
「いえ、その、結構です。……お気遣いありがとうございます……」
なぜ自分の右手に敬語を使わねばならないのか。
まったくもって、とんでもないものを拾ってしまった。
ピーコックは絶望的な気分で、改めてベッドに潜り込む。
この日、この時、ピーコックは生まれてはじめて己の所業を悔いたという――。




