そらのそこのくに せかいのおわり 〈 vol,06 / Chapter 05 〉
その日の出来事は、後にこう語られることとなる。
「マルコ王子は、封印されていたブルードラゴンを討伐したんだ! 俺は確かに見たんだぜ! 王子の剣が、竜の頭に突き立てられるところを!」
離れた場所から見ていた市民には、確かにそう見えていたのかもしれない。けれども、実際は違う。
マルコの呼びかけに、サラはオフィスの水槽を飛び出した。
目にもとまらぬ速さで宙を飛び、十数秒後には現場に到着。そしてマルコの指示に従い、大量の水を出現させる。
それと同時に、マルコは自分たちがいる路地に防御結界を張った。結界の内側には自分も、レインも、ピーコックもミカハヤヒも、戦闘中の闇堕ちもいる。誰もが結界の中に閉じ込められた状態で、そこに水を注ぎ込んだのだ。
レインとピーコックはすぐに気付いた。マルコがやろうとしているのは、ジルチが暴動を鎮圧したときの、あの『魔法の水槽』だ。
神が出現させる水の量は、消防ホースの比ではない。路地はあっという間に水深十メートルの巨大水槽と化し、陸生種族はまったく活動できない状況が生み出される。ここで自由に動けるのは水棲種族のレインと、呼吸を必要としない神々である。
この敵は『マガツヒ』とは異なり、呼吸をせねば活動できない。『死体を使ったゴーレム兵』は死んだ状態でも動いていたが、あれは闇堕ち前からそういう魔法をかけられていたからだ。今『核』になっているのは、ごく普通の生きた人間。核が死んだらそれまでで、消滅こそしないだろうが、動きは著しく制限される。それは闇堕ち自身にも分かっていることである。
闇堕ちは核となった人間の生存本能に従い、必死にもがく。水面上に顔を出していなければ息ができないのだが――。
「逃がしませんよ!」
巨大なウツボに変じたレインが、闇堕ちの襟首を咥えて水面に叩きつける。何度も水面に叩きつけ、核となっている人間を殺さない程度に弱らせる。
レイン自身には闇を浄化する能力がない。あまり長時間接触していると意識が闇に呑まれてしまう。頃合いを見て、レインは闇堕ちを放して水に潜った。
代わりに攻撃に当たるのはサラ、ミカハヤヒ、ルキナである。
青い竜に変じたサラは、闇堕ちの体を尾で跳ね上げた。
まるでボールのように放り投げられた闇落ち。その体に向かってミカハヤヒが雷を落とす。
雷に撃たれて落下した先には、ルキナの蛍が待ち構えている。機動力の低い蛍でも、落下点で光を放つこの戦法ならば最大の効果を発揮できる。
黄金色の光に包まれて、闇堕ちの体を覆う黒い霧は半分ほどの濃さにまで薄まった。
ここであと一押しすれば――誰もがそう思ったとき『闇堕ち』は突然その気配を消した。
そこにいるのはただの人間。下水道局の腕章をつけた、作業着姿の中年男性に戻っている。
「消えたわ⁉」
「誰かに乗り換えたんだ! 誰だ⁉」
神々が真っ先に見たのはピーコックだった。だが彼はきょとんとした顔で自分を指差し、それから顔の前で手を振っている。言葉にするなら「え? 俺? 違う違う!」とでも言いたげな顔である。
すると、水を伝ってサラの悲鳴が聞こえた。
〈助けて! レインがおかしい!〉
大きくうねる水。それと同時に見えたのは、竜の首に食らいつく巨大ウツボの姿である。
「サラ! 大丈夫ですか⁉」
マルコの問いに、サラは水を振動させて答える。
〈少し痛いけど、大丈夫! 竜の鱗って見た目より硬いんだよ! それより、目が回る!〉
ウツボの攻撃法は鰐とよく似ている。鰐は獲物に食らいつき、全身を使ってぐるぐると回転する。噛みつかれた箇所はズタズタに引き裂かれ、振り回された獲物はあちこちに体をぶつけて致命傷を負うのだ。デスロールと呼ばれるその攻撃に加え、ウツボはまるで蛇のような技も持つ。獲物に巻き付き、ぐいぐい締め付けて体の自由を奪う。
サラは水中でぐるぐる、ブンブン振り回されて、すっかり目を回していた。
激しい水のうねりの中、ピーコックとマルコはアパート三階の手すり部分を掴み、流されないよう必死に耐えている。サラを助けに行きたくとも、こちらは百八十センチ少々の標準的な人間サイズ。十メートルを超える巨獣同士の攻防に割って入ることは出来ない。
「なあ、王子様? あれ、今はレインのほうに乗り換えてるってことですか⁉」
「はい! 闇堕ちは、都合が悪くなると近くにいる別の人間に逃げ込むようですから!」
「チッ……よりにもよって、一番巨大な奴に……」
「ピーコックさん、今からこの『水槽』を解除します。水がなくなれば、レインさんは自由に動けなくなります。その隙に……」
詳しい説明は要らない。マルコの手にはレインから預かった剣がある。ルキナの光で黄金色に輝く刃を見て、ピーコックはマルコの作戦を理解した。
「チャンスは一回限りですからね。決めてくださいよ」
「はい」
二人のそばにいるミカハヤヒとルキナ、玄武も、それぞれに頷き、呼吸を整える。
(サラ! 聞こえますか? 今から水槽を解除します。水がなくなったらピーコックさんが突入しますから……)
(わ、分かったけど……クラクラするよぉ~……)
(頑張ってください!)
(う、う~ん……がんばるぅ~……)
マルコは改めてピーコックを見る。
頷いて見せるピーコック。
マルコは防御結界を解除した。
一気に流出する水。押し流されないようにアパートの手すりを強く掴み、タイミングを計る。
巨大ウツボの体が地面に叩きつけられ、軽くバウンドしたその瞬間。ピーコックは右手を蛇に変形させ、レインに向かって飛び降りた。
ウツボはサラを抑え込むことに必死で、ピーコックの動きに気付いていない。そのがら空きの背中に、蛇の毒牙を叩き込む。
「バンデットヴァイパー! この闇を呑み尽くせ!」
ごくりと喉を鳴らすような、不思議な音。同時に薄くなるレインの闇。
ウツボの締め付けがふっと緩んだ瞬間、今度はサラが嚙みついた。そして大きく身震いし、ピーコックを振り落として宙に飛びあがる。
「サラ⁉」
レインはシーデビル。魂さえ無事ならば、体は何度でも再生可能である。マルコは飛び降りて、その心臓に光の剣を突き立てようとしていたのだが――。
「掴まれ! 追うぞ!」
ミカハヤヒはマルコの体を引っ掴み、サラを追って天へと駆け上る。しかし彼が持つのは蝙蝠に似た皮膜状の翼。ワシやカラスの翼と違い、大きな獲物を持った状態で飛べるものではない。どれだけ強く羽ばたいたところで、成人男性を抱えて竜の飛翔に追いつくことなど不可能である。
「く……早くしないと、また闇が……っ!」
「サラ……どうして急に……」
「あの男を守るためだ! あれ以上闇を吸ったら、あの男の体は耐えられなかっただろう! それに、そこまで闇に呑まれかけた奴が近くにいたら、今度はあの男のほうに乗り換えるかもしれない! サラはそれに気付いたんだ!」
「だから、誰もいない空の上に?」
「ああ、間違いない! けど……クソ! こっちには追いかける手段がないんだぞ! 加減して飛んでくれよ!」
「ミカ! この風に乗れ!」
「え⁉」
「うわあぁっ⁉」
突風に押し上げられ、ミカハヤヒとマルコは急加速した。
チラリと一瞬だけ見えた地上の光景に、二人はその風の正体を知る。
玄武とオオカミがいた。傷付いたオオカミを、玄武が治療したらしい。
「ありがとう二人とも! マルコ! 決めろよ!」
「はい!」
急上昇し、サラを追い越しながらマルコを放り投げる。
自分の体が上昇から下降に転じる、ほんの一瞬の静止。その瞬間に、マルコはサラを待ち構えるように剣を構えた。
サラはブンと首を振り、巨大ウツボの胸を上に向ける。
落下を始めたマルコの剣が、その胸に深々と突き刺さり――。
衝撃が奔った。
ドンという音と、炸裂する黄金色の光。太陽の光の下でありながら、なお鮮やかに輝く光の粒。それはまるで、超巨大な打ち上げ花火のようだった。
音と光に驚いて空を見上げた中央市民は、そのとき、こんな光景を目撃した。
白髪、立派な双角、黒い翼の男。
男に腕を掴まれているのは、軍服に身を包んだマルコ王子。
王子の手には、花火のような光と同じ黄金色の剣。
男と王子の視線の先には、光に溶けるように消えていく、巨大な何か。光を反射する青い鱗のそれは、十二剣士伝説に登場するドラゴンの姿にそっくりで――。
サラに咥えられていたレインはその場で正気を取り戻し、トビウオに変身した。グライダーのようにゆっくり旋回しながら滑空し、地上に降りてゆく。
サラは小さな魚の姿に戻り、マルコの服の襟元にスポンと潜り込んだ。
現場で何が起こっていたのか、市民らは知らない。そこにいる白髪の男がサイト・ベイカーではないことは、近くで見ればわかっただろう。だが、遠目では顔立ちのわずかな違いなど分からない。マルコ王子と一緒にいるのだから、あれは特務部隊長に違いない。誰もがそう思い、欠片も疑問に思わなかった。
斯くしてここに、王国の新たな『伝説』が誕生してしまった。
〈マルコ王子はダウンタウンに現れた竜族を、御自らの手で討伐された。
王子は建国の英雄と肩を並べる、現代のドラゴンハンターであらせられる。
ハッピーソサエティの代表が聞いた女王陛下の守護霊のお告げは、どうやらこの竜退治のことだったようだ。
しかし、守護霊のお告げには続きがある。
なんと今度は、王子が『さらなる脅威』に立ち向かうというのだ。
それが何かは分からない。
だが、この王国の未来は王子の手に委ねられている。
それだけは間違いない!〉
残念なことに、マルコの活躍は映画の宣伝文句のような、妙な形で市民に伝わってしまったのだ。もちろん、真実をそのまま公表するわけにはいかなかった。だから最終的には、何かを幾分か誤魔化した形で発表することになっただろうが――。
「俺たちが留守にしている間に、マルコはいったい何を、どれだけダイナミックにやらかしてしまったんだ……?」
地球から戻ったベイカーとロドニーを待ち受けていたのは、中央市内に吹き荒れる『ドラゴンハンターブーム』であった。
金曜の午後から月曜の午前中までの、三泊四日の地球旅行。たったそれだけの間に、セントラル市内のありとあらゆるものが様変わりしていた。
掲示板のポスターはどれもこれも出版社が急ごしらえした歴史書の広告に挿げ代わり、土産物屋ではマルコの写真を使った絵葉書が大量に売り出され、食料品店ではクエンティン子爵領の農産品を前面に押し出した『マルコ王子フェアー』なる謎の特売が組まれ、美容室ではマルコの髪形に似せるためのエクステンションや髪留めが大人気で――とにかく、どこもかしこもお祭り騒ぎ真っただ中だった。
帰国するなり情報部に呼び出されたベイカーとロドニーは、ピーコックから事のあらましを説明され、絶句した。
「……え? 俺も、現場にいたことになっているのか?」
「ああ。この際、お前が地球にいてくれてラッキーだったよ。他所で目撃されていない分、誤魔化しが利くもんな。ってことで、インタビューとか受けるときはその場にいた前提で、それっぽく受け答えしろよ? いいな?」
「いや、あの……まあ、それはいいとして、結局その『闇堕ち』とは、いったい何が原因で発生したものなのだ? 五百年以上も出てこなかったものが、どうしていきなり……」
「はい、これ」
「うん?」
眼前に突き付けられた一枚の紙。その文面を目で追って、ベイカーは眉を顰める。
「……地下交通網整備に伴う下水道設備の更新計画? 聞いたことがないな……?」
「そりゃそうだ。まだ一般発表されてないからな。あの辺一帯、工事の下準備として下水道工事やりまくってんだってさ」
「地下交通網とは……鉄道か?」
「いや、普通の馬車道だって」
「馬車道⁉ 馬車道を地下に⁉ なぜそんな計画が⁉」
「はいはい、聞かれると思ってちゃんと調べてあるよ~? 事業者はもちろん国土開発省。当初の計画では地上に片道三車線の幹線道路を通す計画だったけど、用地買収のために地権者名簿を取り寄せた段階で計画が頓挫。ダウンタウンのあたりって、どこもみんなマフィア構成員の親類名義の土地なんだよね。どこを買っても、マフィアの活動資金にされるワケ。それに地上に幹線道路が通ったら、周辺に土地持ってるマフィアの一人勝ち状態だし? 新しい道路は必要だけど、マフィアの懐には一銭も入れたくない。だから地上に道路を作るのは諦めて、ダウンタウンを潜り抜ける形で、地下に道路を作ることにした。そのために、一般発表される前に工事の下準備を終わらせておく必要があったんだってさ~」
「なるほど。それで、地中に埋められていた何かを掘り起こしてしまったのだな?」
「そういうこと。で、その工事に当たった下水道局の人間は、革命戦争時代の遺構のような場所を掘ったと証言している。ダウンタウンの少年グループは奴隷の死体を使ったゴーレム兵に襲われて四人死亡しているし、一般市民は数百人が同時に、光の剣を持った王子様と、光に消えていく大きな竜を見ている。こりゃあもう下手に情報操作するより、王子を英雄として仕立て上げていったほうが都合がいいじゃない? まあ、そういう方向で王宮側とも話がついてるから。よろしくな」
軽い口調で言われて、二人は大げさに溜息を吐いた。
誰が想像するだろう。地球で三泊四日のラーメン食い倒れツアーを満喫している間に、『ドラゴンハンターと愉快な仲間たち』になっているだなんて。それもベイカーは現場で一緒に戦ったことにされ、ロドニーは獣の姿で工事作業員らの人命救助を行っていたことになっている。いっそのこと姿を消したままでいてくれればよかったのに、オオカミとミカハヤヒは、みんなにしっかり目撃されていた。
だがその程度のことは、まだまだ些細な問題だ。なにより困るのは、これまで『神』や『闇堕ち』のことを、情報部にひた隠しにしてきたという事実で――。
「んで? サイト? ロドニー? 情報部の頼れる先輩に何も相談してくれなかったのは、なぁんでぇかなぁ~? ん~?」
超至近距離まで顔を近づけられても、ベイカーとロドニーは逃げられない。この部屋に入室してソファーに腰掛けた時点で、バンデットヴァイパーの毒で首から下を麻痺状態にされている。
「あ、あの、ピーコック? 大まかな話は、マルコから聞いているんだよな? 俺たちの口から改めて話すようなことは何も……」
「素直に話さないとああなるけど?」
ピーコックがパチンと指を弾くと、幻術が解除された。その瞬間、これまでただのオフィスか会議室のように見えていた小部屋が、実は拷問器具で溢れた『尋問室』であったと判明する。
そしてその部屋の隅、一目で『拷問椅子』と分かる器具に全裸で拘束されていたのは――。
「副隊長⁉」
「え⁉ 生きてますよね⁉ 気絶してるだけですよね⁉」
白目をむいて口から泡を吹いている。ピクリとも動かないため、見た目だけでは生死が分からない。
「あは♪ そりゃあもちろん、殺しちゃいないけど? 異界のカミサマとかそんな面白そうな話、独り占めは良くないんじゃないかなぁ~? 俺、そういうのすっごく興味あるんだけどなぁ~? ねえねえ、何で教えてくれなかったのぉ~?」
ピーコックはソファーに膝をつき、ベイカーの太腿の上に腰を下ろす。これが男女であれば、恋人たちが微笑ましく抱き合っているようにも見えただろうが――。
「ピーコック、近い! 近すぎる! 俺にはそっちの趣味は無いから!」
「へえ? そうなの? ま、そっちのほうが開発のし甲斐もあるんだけど……」
言いながら、ピーコックは右手を蛇に変化させた。蛇はベイカーの首筋を撫でるようにはい回り、耳たぶをチロチロと舐め上げる。
「や、やめてくれ! 話す! 知ってることならなんでも話すから!」
「本当に? 嘘ついたら前立腺麻痺させて、一生フニャフニャにするからね?」
「それだけはヤメテ! 本当に! ベイカー男爵家存続の危機だから! てゆーか、あの、に、握らないで! イ……イタ……ひっ……ぎゃあああぁぁぁ~っ!」
握り潰す勢いで股間を掴まれていても、ベイカーは指一本動かせない。ピーコックが使っているのは『闇』を凝縮した毒。神ですら行動を制限されるほどの毒素に、人間如きがかなうはずもなかった。
ベイカーの悲鳴を聞きながら、ロドニーは歯の根を震わせる。
次は自分だ。
これは情報を聞き出す尋問でも、情報共有を怠ったことに対する懲罰でもない。
純然たる、ピーコックの趣味である。
(オオカミ……助けろよ、おい……)
(我の役目は不具合の修正と削除。其方の体に何らかの不具合が生じたならば、そのときはいくらでも修正し、原状復帰してやろう)
(マジかよ……)
潰れた後で治してもらえても、ちっとも嬉しくない。できることならば、潰される前に助けてもらいたいものである。
だがそんな願いもむなしく、オオカミはロドニーの体を抜け出し、何処かへと歩き去ってしまう。
オオカミナオシは世界で唯一、信仰心を必要としない神なのだ。ロドニーの好感度を上げる必要はないため、玄武やコニラヤのようなフレンドリーな付き合い方は出来ない。
ロドニーは蒼白な面持ちで、自分の順番を待った。
その日の夜のことである。本部庁舎の最上階、七階・団長室にて、とある会議が開かれた。会議と言っても、参加者はたったの四人。それも、通常の会議では絶対に揃わない顔ぶれとなっていた。
まずはこの部屋の主、騎士団長クリストファー・ホーネットが口を開く。
「異界の神とやらは、何を企んでいる?」
ホーネットの視線の先にいるのは、立派な口髭を蓄えた白衣の男。団員からは『軍医』の愛称で親しまれている、グリフィス医務長である。
彼は少しも畏まった様子を見せず、ホーネットの真向かいで、くつろいだ姿勢で答えた。
「企むというよりは、生計を立てるのに必死、と言ったところなんですがね。この報告書にもありますように、神ってやつは信仰が薄れれば力を失います。力を失えば、土地も、そこに住まう人間も、別の神に取られちまう。そうして居場所を無くすと、創造主によってこちらに送り込まれます。着の身着のまま、いきなり外国に連れ出されるようなもんですからなあ? そりゃあもう、誰だって慌てますわな。まずは住むところを見つけなけりゃあ、ってぇことになるんですわ」
「ふむ……国外追放された元国王、といった感じかな?」
「ええ、そういう解釈でも、あながち間違ってはおりませんな」
「ならば、住むところとは?」
「神によってまちまちです。土地に憑いたり、人に憑いたり、物に憑いたり」
「お前の中にいる『神』は、人に憑いたのだな?」
「はい。それもただくっついているだけではなくて、どうも私は、生まれる前から『器』として改造されていたらしいんですな。おかげで他の人間より目と耳が利く。医者になってから一度も誤診せずにやってこれたのは、ゼウスさんの、この力のおかげです。そういう点で、私は彼を信じています。そして彼は私という『器』ごしに、患者たちから感謝の言葉を贈られている。私からの『信頼』と、患者からの『感謝』。今の彼の生計を支える『収入』は、それですべてですよ」
「……つまり、人助けをすればするほど神の力は高まっていく、と?」
「ええ、その通りです。まるでおとぎ話のようなシステムでしょう? 正しく作用している限りは、誰もが幸せになれる」
「だが、常に正常に作動するシステムなどこの世に存在しないのでは?」
「はい。親切のつもりでしたことが裏目に出たり、守護対象の人間をちょいとしたミスで死なせちまったり。そういう事がきっかけで挫折したり、絶望したり、ひねくれちまったり……そんな連中が、ここに書かれた『闇堕ちした神』です」
「挫折か……。そうすると、この資料で『光による浄化』と書かれている項目は、不良少年の更生プログラムのようなものか?」
「はは。まあ、確かにそうかもしれませんな。少年というほど、どの神も若くはありませんが」
「ふ~む……」
ホーネットはピーコックが作成した報告書を確認しながら、指先で顎鬚を弄ぶ。
「……放っておけば周囲に感染し、人を凶行に走らせる。そばにいるだけでも心と体が蝕まれる。浄化しようとすると抵抗するため、戦闘は避けられない……か。質の悪いヤクザか、ある種の精神疾患のような……」
「どちらかというか、その両方を足して割らなかった感じですよ。なあ、ピーコさんよ?」
話を振られたピーコックは、ひょいと肩をすくめて見せる。
「俺が見たのはあの現場のだけなんで、他はよく知らないんですけどね。特務の連中からの聞き取りでは、精神攻撃が主体の奴とかもいるみたいです」
「そんな面倒な『敵』が、国内の数百か所に封じられているというのか?」
「マルコ王子とレインの予想では、中央市内だけでもあと十五か所はありそうです」
「十五か所……」
ホーネットは、文字通り頭を抱えてしまった。
のけぞるように背もたれに体を預け、ため息交じりにぼやく。
「参ったな……これが『引き継がれなかった歴史』の正体か……」
ピーコックも、おなじくため息交じりの声を発する。
「事実上のクーデターでしたもんね。あのときは」
「ああ……目の前の不正を糺すことにばかり集中していて……歴代騎士団長だけに引き継がれる『十二剣士の裏話』とやらが、まさかこんな内容だったとは……」
グリフィスは苦笑しながら尋ねる。
「団長は、どのような内容とお思いでしたかな?」
「うん? いや、まあ、なんと言うか……」
ホーネットは歯切れ悪く言葉を濁したあと、一つ咳払いして答えた。
「ネロ・ハドソンの女性関係とか、ロダンのゲイ疑惑とか、ハインケルがテッペンハゲだったとか……その手のくだらないアレかと……」
グリフィスは爆笑した。確かに歴史上の偉人にはそういった噂がついて回る。中には十二剣士のうち数人が女性だったのではないかという研究書まで出回る始末だが、すべては五百年も昔のこと。真相は誰にも確かめられないため、『言った者勝ち』のような空気が出来上がっている。
しかし、現実はそれほど甘くなかったようだ。
「よりにもよって、なぜ俺が団長を務めているこの時代に……」
「まあまあ、団長さんよ。この際ラッキーだと思ったらどうだい? 今『闇堕ち』を始末しちまえば、この先数十年、数百年は安泰なんだからよ」
「ああ、そうだな。今ならそれができる『戦力』も揃っているし……なにより、《バンデットヴァイパー》の正体も判明したことだしな」
全員に視線を向けられたピーコックは、わざとらしくおどけて見せる。
「別に俺は、こいつに不満を感じたことはないんですけどね? こいつのおかげでいろいろ面白い体験も出来てますし。ね~? ヘビ子ちゃ~ん?」
ピーコックが操作しているのか、寄生型武器が自分で動いているのか。右手の蛇は「ウンウン」と頷いて、ピーコックの頬にキスしてみせた。
ダウンタウンでの戦闘の翌日、ピーコックはマルコとレイン、ミカハヤヒらの協力を得て『気象観測標準点』を掘り返した。
そこから出てきたのは石の棺に納められた古い死体と、埋葬された本人からの手紙。手紙には果敢にも闇堕ちに立ち向かった人々の戦いの記録と、その過程で生み出された『生ける武器』のことが記されていた。
ホーネットはその報告書をパラパラとめくり、末尾に添付された手紙の写しに目をやる。
〈未来の人々へ。
私は第四代特務部隊・副隊長のシルベスター・クルーガーです。
まず、あなた方に謝らなければなりません。私たちは、あなた方に大変な置き土産を残すことになりました。
それは『闇堕ち』と呼ばれる、とても恐ろしい怪物たちです。
我々が、なぜ竜族に反旗を翻さなければならなかったのか。なぜ、一頭の竜も残さず殺し尽くさねばならなかったのか。おそらく後世に、正しい記録は伝えられていないことでしょう。ですから私は、ここに真実を記します。
これから記すすべての出来事への証明として、闇に呑まれた我が身と、一振りの短剣を添えて――〉
手紙の現物は、ここから便箋三十枚以上にわたって詳細な戦闘記録が続く。それは十二剣士らが老齢のため戦線を離脱したのち、クルーガー一人で『闇狩り』を続けた過酷な戦いの記録だった。
裏表にぎっしりと文字が書かれた、非常に長い手紙。だが、資料に添付されているのはそのうちの一枚のみ。
闇と戦うためだけに受けた、人体改造手術の詳細である。
もともとクルーガーには何の能力も無かった。神の加護もなく、できることと言えば幽霊姿を見ることくらい。ほんの少し霊感があるだけの無力な人間。そんな人物が闇堕ちに接近して正気を保ち続けるためには、非常に高度な防御魔法が必要だった。しかし、彼にはそれを長時間維持するだけの魔力がない。そこで発想を入れ替えて開発したもの。それが寄生型武器、バンデットヴァイパーだったのだ。
撥ね返すのではなく、受け入れる。
闇に呑まれず、闇を呑む。
呑み込んだ闇を己の力として使い、闇を以って闇を制す。
つまるところ、ピーコックの戦い方は『正攻法』だったのだ。闇を吸い取り、無力化した瞬間に切り刻み、復活する前に火をつけて焼き払う。クルーガーの戦闘記録にも、まさにその通りの手法が記されていた。
その身に神を宿さぬ『凡人』の勇気と努力、意地、根性、気合、覚悟や決意――もはや執念とでも呼ぶべき『負けん気』の結晶。これは一度体に取り込んだら絶対に分離できない、呪いのような武器だった。宿主が死亡すれば黒曜石のような美しい短剣に姿を変え、怪しい輝きで次なる宿主をおびき寄せ――。
「そうしてうっかり素手で触ってしまったのが、お前の十八代前の所有者だな?」
ホーネットは資料に目を落としながら、溜息交じりにその文面を読み上げる。
「彼は任務で草一本生えない謎の墓の調査を行い、バンデットヴァイパーを入手。書類上では病死とされている。その時代から『特別選考枠』制度が始まり、選ばれた者は数年後、必ず死亡している……か。いつの間にか、本来の目的が忘れられてしまったのだろうな……」
ホーネットの言葉に、資料を作成したピーコックも、やれやれと首を振った。
戦闘能力では合格基準に満たなくとも、専門的な知識や特殊技能を有する者を選出し、部隊に配属する。そしてその隊員にバンデットヴァイパーを引き継がせれば、寄生型武器によって不足していた戦闘能力も補われるということだ。
しかしこれは、いつかは必ず発狂し、死に至る危険な武器。いつのころからか対象者は『生贄』と呼ばれ、何らかの事情で次代の『特別選考枠』に引き継がれなくなり、代わりに『生贄リンチ』という悪習が根付いてしまった。
「他の機密情報とごっちゃにされて、うまく次世代に伝わらなかったんでしょうね? ってゆーかこの初代様、そうとう粘着質な性格じゃないですか? もう精神病レベル? 自分が死んだ後も、他人に引き継がせてまで闇堕ちを駆逐する気でいたんですから。どんだけ使命感に燃える馬鹿だったんでしょうね?」
そう言うピーコックの耳や首に、蛇はガブガブと噛みついていた。やはりこの武器は、ピーコックの意思で完全に操作しているわけではないらしい。
「ピーコック、以前から気になっていたのだが、それには独立した意思があるのか?」
「ええ、なんとなくですけど、俺の感覚としてはそう感じています。『前任者』が発狂したのも、たぶんこの武器の意識に体乗っ取られそうになったんだと思いますけど……」
ピーコックの言葉尻をグリフィスが引き継ぐ。
「こちらの毒蛇さんに、現代医学を舐めるなよ、と言ってやりましょうや。この後、ピーコックの脳にチップを五枚ほど埋め込む予定です。内訳は魔法式、科学式、錬金術式、呪詛式、ゼウスさん特注のゴッド式を各一枚ずつ。毒蛇が暴走したとしても、どれか一枚ぐらいは有効打になるでしょうよ。団長さん、許可してもらえますかね?」
ホーネットは苦笑する。
「予定を立ててからそれを言うか」
「駄目ですかね?」
「阿呆。許可するに決まっとろうが」
「ありがとうございます」
「ありがとうございまーす♪」
ぺこりと頭を下げるピーコックとグリフィス。と、ここでこの会議の最後の出席者が口を開いた。
「あの、先生? それ、複製とかできないんスかね? その手紙、バンデットヴァイパーの製造法も書かれてたんスよね?」
団長室の扉を背に、用心棒のように立っていた男。赤いストールがトレードマークの彼は、いつもの口調で軽く提案する。
「現代医学を舐めるなって言うなら、現代魔法学もかなりのもんスよね? バンデットヴァイパーと同じか、それ以上の性能の寄生型武器、今なら作れるんじゃないッスか? 俺、クルーガーと同じ『霊視能力』持ってんスから……ぶっちゃけ、適正ありまくりッスよね? 人体改造、余裕でイケる感じじゃないッスか?」
これにはグリフィスでなく、ピーコックが答える。
「さすがはガッチャン。そう言ってくれると思って、情報部のほうで開発開始しちゃってるんだなぁ~、し・ん・が・た♪」
ニヤニヤ笑う猫の目を見て、こちらもニヤリと笑って見せる。
「やっぱり。なんでこんな時間に俺だけ呼び出されんのかと思ってたんスよ」
「へっへっへ~、ガッチャンのそういう勘の良さ、大好きだよぉ~? 正直今、結構焦ってるんでしょ~? ベイカーのフィーリングだけで入隊しちゃったチョコにまでカミサマ憑いてるのに、お前とトニーだけフリーじゃ~ん? トニーは強いからいいけど、ぶっちゃけお前、心霊事件以外だとマジ空気君になってるし~? さ、パパにおねだりしてみようか~♪」
「団長、俺も寄生型武器入れてもらいたいッス! 許可してください!」
この申し出に、ホーネットは溜息を吐いた。
「お前な。そんなことを真正面から聞かれて、俺が『ハイどうぞ』と言うと思うか? 誰が自分の息子の体にワケの分からん寄生型武器をぶち込むか。お前はどれだけ母さんを心配させれば気が済むんだ? まったく、週末にもろくに顔を見せんで……たまには家に帰って、母さんに顔を見せてやらんか!」
「あっれー? 本部にいるときは家庭の話はするなって言ったの誰でしたっけ、だ・ん・ちょ・う?」
「時と場合によりけりだ!」
「とにかく! 俺、強化手術受けるんで! このまま俺が無能な空気君やってたんじゃ、団長だって困ることになりますよね? コネだけで入隊させたとか言われるわけですし?」
「いや、まあ、それはそうだが……」
「はい決定! 先生、今の発言、OKしたも同然ッスよね?」
「おう、間違いねえ! 今のは許可だ、許可!」
「グリフィス!」
「安心しろい! 俺が請け負う以上は、きっちり安全装置を組み込んでおく! 暴走なんざさせるかよ! そんじゃま、まずはピーコックのオペからだ。失礼するぜ、団長さんよ」
「完成までは三日くらいかかるみたいだから、それまで親子でゆっくり話し合ってくださいね~♪」
さっさと出て行ってしまう二人の姿に、ホーネットは改めて溜息を吐く。
「まったく……よりにもよって、なぜ俺が団長をやっている時代にこんなことが……」
団長の息子ことガルボナード・ゴヤは、スイッと椅子の裏に回り、ホーネットの肩を揉む。
「はいそれ二回目。父さん? 同じこと何度もボヤいちゃうのって、年取った証拠らしいよ? あ~あ~、こんなに凝っちゃって……」
「誰のせいだ?」
「ピーコさんじゃないかな?」
「そういうところ、本当にピーコックに似てきおったな」
「そりゃあ小学生のころから、特殊工作員としての英才教育受けてきた身の上ですし?」
「俺は算数と国語の勉強を見てくれと頼んだのに……」
「算数は弾速・風速・空気抵抗の計算法。国語のほうは暗号解読術だったかな?」
「特務部隊員に子守りをさせた俺が間違っていた」
「いやいや、大成功でしょ。おかげで俺、最年少で特務入りできたワケだし?」
「だから、そこが大失敗だというのだ。特務入りなんかしたら、現役の間は結婚もできんではないか。母さんはな、お前の前では決して言わんが、俺と二人きりのときには『孫の顔は見られないのかしら』と、それはそれは悲しそうに……」
「父さん、それ言ったら多分、他の隊にいても結婚できないから。出会いとか、全然ないし……」
「あ~……うむ。確かにないな……」
親子の間に、微妙な沈黙が漂った。
あまりにも女っ気が無くて同性カップルが量産されてしまったことから『部隊内恋愛禁止』というルールができたのは、何も特務部隊に限った話ではないのだ。
「いや、その、まあ、なんだ。お前が覚悟を決めているというなら、父さんは、お前の意思を尊重したい。しかし、半端な対抗意識だけで俺も俺もと手を挙げたなら、今なら間に合う。やめておけ。そういう理由で強化手術を受けて、それでも一番になれずに性格がねじ曲がった奴らがいたからな……」
「それって、俺、昔一度遊んだことがあるお兄さんたちだよね?」
「ああ……あいつらはあいつらなりに、努力もしていたんだろうがな……」
「大丈夫だよ、父さん。俺は別に、一番になりたいわけじゃないから。ただ、みんなと同じ舞台に立って、同じ景色を見たいだけ。それには、今の俺の力じゃ足りないから。そこをちょっと補ってもらいたいんだよ」
「しかし……それでもいつかは、彼らと同じ場所に立っていられなくなる日が来る。酷なことを言うが、お前は彼らとは違う。ベイカーやトニーは生まれついての天才だ。神の力があろうとなかろうと、彼らはいずれ、何か大きなことを成し遂げられるだろう。やつらにはそれだけの器がある。だが、お前は『凡人』なんだ。今は努力で埋めている差が、何をしても埋められなくなるときが来る。お前は……それでも、自分を保っていられるか?」
ゴヤは何も言わなかった。
自分の力量なんて、もうとっくに気付いている。父の冷静な分析に反発することも、自分の可能性を信じることも、十代のうちに一通りやりつくした。
自分は彼らとは違う。
天才ではないし、秀才でもない。
血反吐を吐くほどの努力を積み上げて、それでようやく『素の状態』の天才と同じ場所にいる。彼らが何か一つでも努力を始めたら、その瞬間に置いて行かれる。遠ざかっていく背中すら、あっという間に見えなくなってしまうのだろう。
しかし、それでも決めたのだ。
振り落とされてたまるかよ、と。
穏やかな笑みを浮かべ、ゴヤは父親に告げる。
「俺、手術受けるから。本当に大丈夫だからさ、心配しないでってば。あんまり考え過ぎるとハゲるよ、父さん?」
背後に立つ息子に、ホーネットは恐々と尋ねた。
「その……やはり、薄いか……?」
「いや、まだ大丈夫じゃない? そんなに気になるほどじゃないし……」
「本当に?」
「だから大丈夫だってば! そうやって考え過ぎるから気になるんだよ⁉ 普通は他人の頭のてっぺんなんて、そんなに気にしないモンなんだからさあ!」
「そ、そうか? それなら良いのだが……」
自分の頭に手をやって、指先でチョンチョンと頭頂部を探る。
そんな父親を呆れた顔で励ます息子。
一見して微笑ましい親子は、口には出さなくとも分かっていた。二人は今、同じ不安と、同じ決意を抱いている。
幸せな時間は、そう長くは続かない。だからこそ、意地でも守り抜かねばならないのだ――と。




