表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

そらのそこのくに せかいのおわり 〈 vol,06 / Chapter 04 〉

 現場の様子を一言で表すならば、『混沌』と呼ぶよりほかにない。

 当初は少年グループ『ロッキンホース』と『黒い人間』との戦いだった。路地に怒声が響き渡っても、集団での殴り合いが始まっても、ダウンタウンの住人はさほど気に留めない。窓からチラリと様子をうかがった後は、どうせどこかのファミリーが新型呪文の実験をしているのだろうと、誰もが傍観を決め込んでいたのだ。

 だが、次第にそうではないと分かってきた。

 新型呪文の実験台として、不要になった鉄砲玉や、はじめから切り捨てるつもりで抱えていた少年グループを使うことはある。しかしそんな場合でも、命まで奪うことはめったにない。ファミリーの内部情報を知りすぎたリーダー格とその周辺の二~三人が運河に浮かぶ程度で、その他十数名の『何も知らない少年たち』は、そのまま構成員として吸収されていくものなのだ。

「ひっ! た、助け……助けてくれ! 助けてくれよ! なあ! おい!」

 袋小路に追い詰められた少年が、手にしていた棒切れを投げ捨てて命を乞う。その声も、姿も、近隣住民らは見て、聞いていた。物陰から、わずかに開いたカーテンの隙間から、息を殺してじっと成り行きを見守る。

 この状態でどんな話を持ちかけるか。それによって裏で糸を引いているのが何者か、はっきりすると思っていたのだが――。

「え、ちょ、おい……何を……ひっ!」

 無造作に近づき、少年に覆い被さるように顔を寄せ、ごそごそと何かをしている。

 何をしているのかよく見ようと目を凝らして、誰もが我が目を疑った。




 彼らが見たのは、黒い人間に食い殺される少年の姿だった。




 皆、大慌てで仲間に連絡する。この付近にマフィアと繋がりを持っていない人間などいない。情報はあっという間にダウンタウン中に拡散した。


〈人食いモンスターがいる。あれはヤバい、早くボスを逃がせ。〉

〈騎士団が踏み込んでくるのは時間の問題だ。例のモノは燃やしちまえ。〉

〈今日の商談は中止しろ! ブツを隠せ!〉

〈店の女どもを物置部屋に閉じ込めておけ。未成年だとバレたらマズい。〉

〈どこのウィザードの仕業か特定しろ。あの殺傷力は使える。〉


 まともな注意喚起情報はひとつも出ないあたりが、さすがはダウンタウンである。

 これらの情報に加え、いつの間にか誰かが流した噂まで大量に飛び交い、今やどのファミリーも臨戦態勢。一触即発の緊張状態に突入している。

 情報部では、あらかじめダウンタウンに潜り込ませていた諜報員から現地情報を収集していた。ピーコックらはオフィスでそれらの話を取りまとめているのだが、その荒唐無稽さと言ったら――。

「ファアアアァァァーッ! なんなの! もうなんなのこれ! いったいどこが黒幕だって⁉ マジでわけわかんないんですけど⁉」

 ナイルがメモを撒き散らし、奇声を上げる。

 宙を舞うメモ用紙には、実に多彩な憶測、妄想、想像、予知や予言の類が躍っていた。


〈パパ・グリムスの仕業。百年前の『大抗争』を再現して、絶対王者になる算段だ〉

〈ドン・エランドの仕込みで、これはまだまだ下準備みたいなものなんだとよ。ダウンタウンの情勢を不安定にして、それから何かデカいことをやらかす計画らしい〉

〈マダムのところの若頭が仕切っているらしい。詳細は不明だが、かなりヤバいウィザードを味方につけたとかって話だ〉

〈グレンデル・グラスファイアが、妹をナンパした男をぶち殺すためだけに召喚獣を二百匹も呼んだって噂だぜ。今のところ、それが一番有力な説だ〉

〈東部のクーロン・パンとか言うマフィアが中央進出のためのデモンストレーションとしてやっている。違う、クーポン券じゃない! クリームパンでもないぞ! クーロン・パンだ!〉

〈ダウンタウンの母とかいう占い師が、犯行声明? みたいなことを言ってるぞ? 私の呪いだとか、占いの結果を疑うものは罰を受けるとかなんとか……〉

〈ハッピーソサエティとかいう、自己啓発だか宗教だか分からん団体のトップが、女王陛下の守護霊のコメントを勝手に発表しているんだが? ダウンタウンの悪を一掃する計画があるとか、どうとか……〉


 最後の二つは論外として、それ以外はどれも同じくらい可能性がある。それぞれの組織に潜入させている諜報員らも、以前から『それらしい報告』をいくつも寄こしているのだ。

 ピーコック、シアン、ナイル、コバルトの四人は頭を抱えてしまった。

 黒幕が全く分からない。早く沈静化せねば騒ぎは大きくなるばかりなのに、こんな状態では一歩も動けない。情報部の別のチームも、中央治安維持部隊も、誰もがこの『胃の痛い待機状態』を強いられている。

 抗争発生から、既に一時間以上が経過。いざ動けと命令されるころには、もう状況は取り返しがつかないほど悪化しているに違いない。

「……最初の報告以来、誰からも続報がないってことはアレだよな?」

 全員、無言で頷く。シアンの言いたいことは分かる。

 すべての情報が作為的に流されたガセネタだったか、一時間たった今なお、裏取りも出来ないほど混乱した状態が続いているか。現在の状況から推察する限り、どちらかと言えば後者の可能性が高い。

 そろそろ、四人のうち誰かが現地入りする必要があるのではと考え始めたときである。ピーコックの通信機に着信があった。

「お!」

「来たな!」

「待ってました!」

「誰だ⁉」

 ピーコックは諜報員からの報告と思い、即座に通信に出るのだが――。

「あ! ピーコックさん! たびたびすみません! あの、もしかして今、ダウンタウンでなにかマフィアの抗争とか発生してたりしますか⁉ なんかすっごい人で! 今マルコさんの防御結界で凌いでるんですけど、全方位、完全に囲まれちゃいました! これって、全員お休みいただいて大丈夫な人たちでしょうか⁉」

 通信機から聞こえるレインの声に、四人は、自分の毛根が二十ばかり死滅する瞬間を感じ取った。

「女王陛下の守護霊からお告げがあったとか言ってる人もいるんですけど、王宮から何かそういう発表あったんですか⁉ てゆーか守護霊って何です⁉ ハッピーソサエティって何の団体なんですか⁉」

 よりにもよって、一番ありえない可能性の『裏付け』をしてしまった。なんて間の悪い王子様だと舌打ちしながら、シアンが通信機をひったくる。

「おい海産物! 場所はどこだ⁉」

「ひゃあああ~っ! シ、シシシ、シアンさん! まだご一緒にいらっしゃったんですかぁ~⁉」

「いたら悪いか? いいから場所を言え。王子に傷一つでもつけられたら、女王陛下は本当にダウンタウン殲滅をご命令になる。今から治安維持部隊を向かわせて……」

「あ、結構です! 自分たちでなんとかできますから!」

「なに? おい、何を寝ぼけたことを言っている? 貴様、陸上ではほとんど役に立たないだろう?」

「諸事情でパワーアップしたので、なんとかなります! 私がお聞きしたいのは、ダウンタウンの人々を眠らせても構わないかということです!」

「……何をする気だ?」

「まずはこの人たちを眠らせます。それから、『闇堕ち』の救済に向かいます」

「闇堕ち?」

「はい! 真っ黒で、誰かれ構わず襲い掛かったり、噛みついちゃったりする人たちのことです! 私たちなら、あの人たちを元に戻せるかもしれないんです!」

「貴様は、アレを知っているのか……?」

「知ってますけど……あー、もう! いいからさっさと答えてくださいよ! こっちは包囲されてるって言ってるでしょう⁉ この人たち、眠らせていいんですよね⁉ そろそろ抑えきれなくなってきたんで、やっちゃいますからね! 失礼します!」

「あ! おい!」

 プツッと切れる通信。だが、そのころにはナイルの偵察ゴーレムが現場上空に到着していた。

 抗争発生と同時に、ナイルはダウンタウンのいたるところに偵察ゴーレムを飛ばしていた。戦闘用ゴーレムより制御が簡単な小型ゴーレムである。『手品師』とまで称された呪符使いのナイルにとっては、偵察ゴーレムの複数機同時操作など朝飯前だ。

 ナイルは現場の映像を手元のゴーレムで受信し、オフィスの壁に投影する。

 鮮明に映し出される現場の様子に、四人は絶句した。

「……は?」

「なんだ? これは……」

「この蝶は……」

「レインの口から……?」

 情報部の面々は知らない。

 レインの内にはインカの神、コニラヤがいる。コニラヤの蝶はロドニーやグレナシンのような、他の神の器をも眠らせてしまう。

 青く美しい蝶が、レインの口から数十、数百、数千と吐き出される。それらはマルコとレインを取り囲むマフィアの構成員らにまとわりつぎ、次々と体の制御権を奪っていった。

 ある者は意識を失い、またある者はぼんやりと立ち尽くし――あっという間に百人以上が無力化する。

「あの、道端に寝ていると危険だと思うので、起きている皆さんで、意識のない方々を表通りまで運んでいただけますか?」

 マルコが言うと、ぼんやりとした目の人々が、倒れた人間を担いでゾロゾロと移動していく。

「レインさんと一緒なら、私たち二人でも暴動鎮圧が出来ますね……」

「コニラヤさんの能力、結構使えますからね!」

 レインの脳内でクラゲのようなものが「もっとほめて!」と騒いでいるが、レインはそれを華麗にスルーし、ミカハヤヒに問う。

「オオカミさんはどこにいるんですか?」

「この路地の奥だ。ついてきて」

「はい!」

「ええ!」

 ミカに案内されるがまま、ダウンタウンの奥へ、奥へと足を進める二人。しかしゴーレムからの映像を見ている四人には、神の姿は視認できていない。

「王子様たち、何と話してるんだろうね?」

「何もいない場所に向かって話しているように見えるね……姿を消す魔法を使って、誰かもう一人一緒にいるのかな?」

「ナイルのゴーレムで撮影できないほどの幻術だと? ピーコックと同じか、それ以上の使い手ということか?」

 シアンのこの言葉に、ピーコックは勢いよく立ち上がった。

「俺、今ちょっとメラっときちゃった。現場行っていい? そんなに上位の術者、見破れる可能性があるのって、俺だけじゃない?」

 情報部エース、幻術使いのピーコック。彼の能力に匹敵する者が中央にいるとしたら、その正体を掴んでやりたいと思うのは当然のことである。

「ま、どのみち王子様と海産物を野放しには出来ない。先に行っててくれ。俺たちは一応、セルリアンのGOサインを待つ」

「はいよー。けど、シアンの出番なくなっても文句言うなよー?」

「むしろ大歓迎だ。面倒臭い」

「はあ~? それが最強戦力のセリフぅ~?」

「強くても弱くても面倒なモンは面倒なんだ」

「はいはいそーですか。じゃ、行ってきまーす」

 ゆるく言い捨て、ピーコックはふっと姿を消す。彼は装備を整える様子を誰にも見せない。幻術以外に何を武器としているのかは、ここにいる仲間たちですら知らないのだ。

 おそらくは部屋を出て行ったのだろうなと判断し、三人は引き続き、偵察ゴーレムからの映像を注視する。




 マルコとレインはある路地に入ったところで、問題の『黒い人間』と遭遇していた。

 それは少年に覆い被さり、夢中で食らいついている。背後から接近する二人には気付いていない。

「マルコさん、私がやります。マルコさんはあの人を……」

「はい……まだ、息があればよいのですが……」

「ルキナさん、力を貸してください」

 レインが言うと、生と祝福の女神ルキナが姿を現す。

「私の光を貴方の剣に宿します」

 ルキナはふっと息を吹くように、金色の光の粒を飛ばした。蛍のような柔らかな光はレインの剣に止まり、その刃を黄金色に輝かせる。

「ありがとうございます……では!」

 黄金色の剣を構え、レインはそれに突っ込んでゆく。

 屈んだ姿勢の敵を背後から、下にいる人を傷つけないように攻撃する。それには下方から上方へと振り上げる変則的な攻撃モーションを取らざるを得なかった。こんな不自然な動作では一撃で決めることは出来ない。それを分かったうえでの攻撃だったが――。

(空振り⁉)

 黒い霧に覆われたこの人物は、あの『隔絶された世界』で遭遇した堕天使と同じだった。霧の内側の『本体』は、見た目以上に細い。

「はあっ!」

 素早く刃を返し、剣を真横に振り抜く。

 今度はきっちり本体を捕らえた。『闇堕ち』は右方向に薙ぎ払われる。

 少年の体から離れた瞬間、すかさずマルコが《緊縛》を使う。魔法の鎖で地面に縫いつけられた『闇堕ち』は、いくらもがけど身動きが取れない。

「止めを!」

「はい! この! このぉっ!」

 レインは『闇堕ち』を、光の剣で何度も、何度も突き刺す。その闇は突くごとにルキナの光で浄化されていくのだが――。

「う……うわ……」

 徐々に見えてきた本体は、カラカラに干からびたミイラであった。ところどころ肉が失われ、部分的に白骨化している。

「あああ~っ! 私こういうホラーっぽいの苦手なんですぅ~っ!」

「レインさん! 頑張ってください! アンデッドとのバトルは冒険小説の定番イベントですよ!」

「イケメン騎士が助けに来てくれるティーンズノベルのほうが好みですぅ~!」

「貴方が騎士ですよね⁉」

 非常に珍しい王子のツッコミも、必死のレインには届いていない。どうにかこうにか闇を浄化し、『闇堕ち』を『ただの死体』に戻すことができた。

「うう……なんですかこれ、なんでこの人、人間なのに闇堕ちなんて……」

 たった一体仕留めただけで、レインはフルマラソンを完走したような顔をしている。

 マルコは少年の状態を確かめるが、残念ながら、既にこと切れていた。

 ボロボロに食い荒らされた少年の体。しかし、食らいついていたのはすっかり干からびたミイラなのである。舌も喉も、生前のように動かすことは出来ない。いくら肉を噛みちぎったところで、それを呑み込むことは出来ないのだ。

 なぜ、生きた人間に襲い掛かったのか。

 なぜ、『食べよう』としていたのか。

 マルコが見たあの映像。そこから想像できる可能性は、あまりにも哀しい。

(……食べ物を得ることと、外敵を排除すること……おそらく彼らの中には、主人が命じたその指示が断片的に残されている。心も、魂も、もうここにはないのに……)

 竜族によって作られた、死体を使ったゴーレム兵。己の人生があまりにも惨めであると気付いたとき、彼らには、やり直すだけのチャンスが無かった。奴隷という立場がどのようなものか、生きているころに気付けていれば、あるいは――。

(彼らも『人間』として、尊厳を持って生きられたのかもしれないな……)

 物言わぬ亡骸に祈りをささげ、立ち上がる。

「さあ、行きましょう。まだあと十八体残っているそうですから」

「ホントにそんなにいるんですかぁ~?」

 疑問を投げかけられたミカハヤヒは、コクコクと頷く。

「間違いない。情報部で見た映像では、黒い人間は全部で十九人いた」

「えぇ~、こんなのがあと十八体も……」

 すっかり疲れ果てた顔のレインが、マルコのあとに続いて歩き始めたときである。

 狭い路地の片隅に、幽霊のように、静かにそれが立っていた。

「へっ⁉」

 反射的に飛び退き、それから気付く。


 既に囲まれている。


「マルコさん!」

「わ……っ⁉」

 完全に死角からの体当たり。マルコは壁面に叩きつけられ、そのまま押さえ込まれた。

 先ほどの少年がそうであったように、闇堕ちは止めを刺すこともなく、生きたまま肉を食いちぎろうと歯を剥きだしているが――。

「マルコに何するのさ!」

 マルコの内側にいた玄武が、キュポンという妙な音を立てて顕現した。

 玄武が濃緑色の光を放ち、闇堕ちを弾き飛ばす。しかし玄武は闇の属性を持つ神である。闇堕ちを退けることは出来ても、浄化することは出来ない。

「マルコ立って! とりあえず防壁!」

「はい!」

 言われたとおり、マルコは物理防壁を展開する。だが――。

「うわっ⁉」

「なんで⁉」

 闇堕ちは防壁を透過した。

 いや、正確には『闇』の部分だけが防壁の内側に入り込んできたのだ。

 本体は防壁に引っ掛かって、外側に倒れている。干からびた死体は倒れた姿勢のままピクリとも動かない。

「分離するなんて聞いてないよ! 来るな! 来るな! この、えい! えーい!」

 玄武は『闇』を何度も撥ね退けるが、形を持たない霧状の闇はまったくダメージを受けていない。レインのほうも、コニラヤの蝶とルキナの蛍で必死に接近を阻んでいる。

「それなら……魔弾装填、《サンスクリプター》!」

 霊体を攻撃するこの魔弾ならば、実体を持たない『闇』にも攻撃が通るのではないか。マルコはそのつもりで魔導式短銃を起動させた。

 効果は想像以上だった。

「あれ?」

 ミカハヤヒが『実体化』した。それと同時に、気体のようだった闇はコールタールに似た粘り気のある液体に変化する。

 宙には浮いていられず、ベチョリと地面に落ちた闇。ミカハヤヒはそれを見て、大喜びで進み出る。

「やった! これなら僕も戦える! 貸して!」

「あっ⁉」

 ミカハヤヒはマルコの腰の剣をスイッと引き抜くと、軽やかな足取りで闇へと近づき――。

「我は大和の軍神ミカハヤヒ! 闇よ! 天の光に撃たれて潰えよ!」

 ベイカーの雷光とそっくりな、鮮やかな紫電の光。それがマルコの剣に集まり、光の刃が出来上がる。

(これは……やはりあの映像と同じ……)

 ブルーマンと呼ばれた特務部隊員は、麒麟の雷光を剣に宿して戦っていた。先ほどルキナも行っていたが、光を武器に宿す術は、いずこの神にも標準的に備わっている能力のようだ。

「せいっ!」

 ミカハヤヒが剣を振り下ろすと、雷と黒い液体が接触し、激しくスパークした。

 目も明けていられないような眩い閃光。それが収束したときには、黒い液体は跡形もなく蒸発し、地面には超高温で焼かれた白っぽい焦げ跡が残されている。

「うわー、すごいねっ! ミカちゃん強ーい!」

「や、そんな、それほどでも……」

 玄武に褒められ、ミカハヤヒは赤面しながら俯いてしまう。タケミカヅチと習合されて大人しくなったわけではなく、彼は元から『シャイで照れ屋な神』であるらしい。

 ミカは四体を同時に蒸発させた。その間、レインもルキナの光の剣で三体の闇を仕留めている。最初の一体と合わせて、これで九体目。残り十体は、まだこのダウンタウンのどこかをうろついているはずだ。

「ミカハヤヒさん、オオカミさんは、もっと奥ですか?」

「うん。オオカミは一番の大物を追いかけているんだ」

「大物……今日は、ロドニーさんもベイカー隊長もいないのに……」

 ロドニーはオオカミナオシの『本体』である。彼がいなければオオカミナオシは全力を出せない。しかしロドニーが闇を食らえば食らうほど、闇は腹の中で凝縮され、邪神『マガツヒ』の原材料となっていくのだ。

 ロドニーがここにいないことは、マルコにとって幸か不幸か。しかし、そのロドニーを止められるベイカーもいないのでは、闇堕ちに対抗する手段は――。

(……あれ? いや、待て? おかしいな……? 神とその器は、そう何人もいるわけではなくて……でも、闇堕ちしそうな奴隷は世界中に大勢いたはずで……?)

 なぜ今ここに。

 なぜ、今更ここに。

 終戦から五百五十年以上も経って、今、どうして闇堕ちした奴隷たちが現れたのか。

 マルコの中で、何かが引っ掛かっている。


 タイミングが良すぎる。


 半分闇に堕ちかけていた玄武は、神的存在であるデカラビアと同時に現れた。

 青龍がサラとして生まれ変わったときには、同格の神、白虎が堕ちた。

 コニラヤやヤム・カァシュが現れ、仲間たちと、すべての神々の運命を繋ぎ合わせたときは――。

(あの、堕天使だらけの世界に飛ばされて……?)

 マルコは思った。


 光と闇は必ず一対、それもほぼ同じ大きさで現れるのではないか、と。


(だとすれば……この場にある光は、ルキナさんとミカハヤヒさんと……私?)

 闇属性の玄武、コニラヤは除外するとしても、生と祝福の女神、大和の軍神、創造主から役割を与えられた人間が揃っている。かつて闇堕ちした人間たちの『残留思念』のようなものとでは、総量が釣り合わない。

 どこかにもっと『大物』が隠れていてもおかしくない。そしてそれが、オオカミナオシの追っているものだとしたら――。

「うわっ⁉」

「ミカハヤヒさん⁉」

 マルコらを案内するように先を走っていたミカハヤヒが、突然身を屈めた。彼が何を避けたのかは、その瞬間には分からなかった。

 双方の動作があまりに速すぎて、マルコの目では動きが追えない。実体化した軍神、それも暗器の扱いに長けたミカハヤヒと互角の反射速度。ナイフのような小型武器を使用しているように思うのだが、時折武器の形状が変化しているように見える。

(なんだ? 残像? いや、それにしては……)

 背中がゾワゾワする。

 それは、ひどく禍々しいものであるように思うのだが――。

「へえ? 思ったよりやるじゃん?」

 ふと動きを停めたその人物は、情報部のピーコックだった。

 ミカハヤヒはすべての攻撃を防ぎ切ったが、全身に妙な斑点が浮かんでいた。硬貨ほどの大きさのポツポツとした黒い染みは、どう見ても『闇堕ち』のそれと同じもので――。

「くそっ! この穢れは……ルキナ殿! お頼み申す!」

 ミカハヤヒの要請に応え、ルキナが黄金色の蛍を飛ばした。蛍は黒い斑点に取り付き、ミカの体から穢れを取り除いていく。

「あれ? なに? どっかにもう一人隠れてんの?」

 キョロキョロするピーコックに、マルコが慌てて説明する。

「ピーコックさん! この方は味方です! 敵ではありません!」

「アハハ、分かってますってー。ちょっとした力試し。このくらい、挨拶みたいなもんですよ♪」

「挨拶……って……」

「いや、すみませんね。この人、ベイカーの御親戚か何かでしょう? 見た目そっくりなんで、ついついベイカーと同じくらい使えるつもりで仕掛けちゃいましたよー」

 あっけらかんと言うピーコックだが、ミカハヤヒは険しい顔でピーコックの手元を凝視している。

「君のその武器。ナイフじゃないな?」

「あは? 何言ってるんですぅ? どう見てもナイフじゃないですかー」

「黒一色のナイフだとでも言う気かい? 違うだろう? その刃、君の体から直接出ているね? 君、体の中で何を飼っているんだい?」

 ピーコックは表情を消し、目を細めて尋ねる。

「寄生型武器、見たことあるんだ?」

「いいや。ただ、僕はそういうものを認識できる『目』を持っているんだ。君の体はそれに蝕まれている。悪いことは言わない。早くそれを切り離したほうがいい。でないと命にかかわる」

「知ってるよ? 知っているけど、俺はこいつを手放さない。これがあるから、これまで勝ち残って来られたわけだしね」

「勝ち負けなんかより、命のほうが大切だろう?」

「うわー、平和なセリフ。勝たなきゃ生きてられない場所にいたことある? 一度でも負けたらそれまでなの。勝利イコール余命延長。だからこれが、俺の延命長寿法なわけ」

「……何か事情があるにしても、それは危険すぎる。このままそれを持ち続けたら、君はそのうち『闇』に食われて……」

「発狂して暴走して死ぬんでしょ? だから知ってるってば。その発狂した前任者を始末して、俺がこれを譲り受けたんだから」

「前任者?」

「あ、喋りすぎちゃったかな? まあいいや。あとはご想像にお任せしまーす。ねえ、君たちって今、あの変な黒人間と戦ってるんだよね? あれ、何? 情報部のほうでも何も掴めなくて、ぶっちゃけ本気で困ってるんだよねー? ちょっと教えてもらえたりしない?」

 ミカハヤヒはマルコのほうを見る。彼は元々、人と話すのが得意なほうではない。説明は任せた、ということのようだ。

「ピーコックさん、詳細については後日改めてご説明いたします。あれを簡単に言い表しますと、アンデッド、もしくは暴走ゴーレムです」

「アンデッドか暴走ゴーレム? あ、つまりあれ、死体になんか魔法掛けてるんだ?」

「はい、おそらくは。そしてあれは、人間を襲うように命令されているようです」

「あー、だからああいう挙動に……で? 倒し方は?」

「光の剣で攻撃することが最も有効ですが、炎や雷など、光を放つ魔法でも攻撃できます」

「ふぅん? 光の剣ねえ? こっちのベイカーもどきとレインが持ってる剣、特務の通常装備品だよね? その刃の部分、何の魔法掛けたの? 見たことがない効果だけど?」

 視線を向けられたレインは急にあたふたし、上ずった声で答える。

「あ、あの、きちんとお話するととても長くなってしまうのですが、これは通常の魔法では出せない効果で、えっと……」

「それじゃ、その説明は今度ゆっくり聞かせてもらえる? 二人きりの時に、じっくりと……」

「は、はいっ!」

 人懐こい笑顔のネコ科イケメンは、夢見がちな海棲種族の扱いをよく心得ているようだ。マルコはピーコックの誑し込みテクニックに感心しつつも、表面上は淡々と尋ねる。

「貴方の任務は我々への加勢ですか? 監視ですか?」

「両方かな?」

「では、加勢のほうは諦めていただけませんか? あれは我々だけで倒します」

「へえ? 自信満々ですね、王子様?」

「いえ、これは自信などではありません。貴方にはあれを倒すことができない。表面上は無力化できたとしても、浄化できなければ、あれは何度でも甦ります。だから、手を引いてください」

「何度でも甦るアンデッド? そんな面白そうなもの、一度も対戦せずに引き下がれるわけないじゃないですかー。加勢にならないとしても、ちょっと遊ばせてもらいますよ♪」

「遊ばせて……ですって⁉ ピーコックさん! あれは、映画や小説の雑魚モンスターとは違うのですよ⁉ 元は人です! 彼らにも人としての尊厳がある! 面白半分でそのような発言をすることは……」

 と、マルコが話している途中、その言葉を遮るようにコニラヤの蝶が出現した。大量の蝶が衝撃波の直撃を受け、フッと消滅する。マルコも咄嗟に《銀の鎧》を発動させ、全力で駆け出した。闇堕ちに対し、マルコにできることは相手を押し戻す程度。ならば囮役を引き受けたほうが、レインとルキナの負担を減らせるとの判断である。

 案の定、闇堕ちはマルコに襲い掛かってきた。

「ええーっ⁉ なんでマルコに殺到するのさ⁉」

 胸元に抱き上げられた玄武が驚いているが、理由は簡単だ。コニラヤの器であるレインと、闇属性の武器を寄生させているピーコック。この二人は闇の気配が濃く、闇堕ちした者たちに敵とは認識されづらい。先ほどまではマルコも闇属性の神を体内に宿していたが、今、玄武は体の外に顕現している。現在のマルコには、彼自身が放つ『人間としての気配』しかないのだ。

「私が囮になります! レインさん! ミカハヤヒさん!」

「はい!」

「承知!」

 マルコを追いかけているということは、側面や背後への警戒は薄れているということ。光の剣での攻撃は簡単に当たり、八体の闇堕ちは次々に浄化されていく。

 しかし一体だけ、マルコではなく、手近にいたピーコックに襲い掛かってきた。

「おっと! へえ? 俺と遊びたいんだ?」

 ピーコックは闇堕ちの突進を躱しながら、そのわき腹にナイフを突き込む。だが――。

「んっ?」

 レインの最初の攻撃と同じである。体にまとわりつく黒い霧で、実際よりずっと太く見えている。ピーコックの攻撃は本体まで届かず、脇腹部分の『闇』をわずかに吸収するにとどまる。

「チッ。リーチが足りないか……」

 ピーコックは体勢を整え、再び突進してきた闇堕ちに足払いをかける。

 足と足が接触した箇所。その部分の『闇』がベロリと剥がれてピーコックの足に巻き付き、そのまま体内に吸収された。

 転倒した闇堕ちに向けて、ピーコックはナイフを構える。

「呑み込め、バンデットヴァイパー!」

 その命令に、寄生型武器は忠実に従った。

 ピーコックの右手がグニャリと曲がり、肘から先が黒い蛇に変化したかと思うと――。




 足元の闇落ちから、すべての『闇』を剥ぎ取って飲み下した。




 その光景に、その場の誰もが戦慄する。

 近づくだけで心が重くなり、体の具合まで悪くなる。それが『闇堕ち』という存在である。マガツヒと戦えるベイカーでさえ、黒い霧に直接触れることは極力避けている。それくらい恐ろしく、抗いがたい脅威であるはずなのに――。

「闇を食らっただと⁉ 君は、何ということを……!」

「そんなことをしたら、貴方の体は……!」

「ピ、ピピ、ピーコックさぁ~んっ⁉ 大丈夫なんですかぁ~⁉」

 しかし、ピーコックはケロリとした顔をしている。

「え? 何が? このくらい、いつものことだけど?」

「いつもの……?」

 ピーコックの右腕は、何事も無かったかのように蛇から人の手に戻っている。その手が放つ独特な気配に、マルコは、ピーコックの幻術の正体を理解した。


 彼の幻術は、幻覚系魔法呪文と『闇堕ちの毒』の複合技である。


 ロドニーの体内では蓄積されて『マガツヒ』に変ずる、あの毒。彼は自らの意思で『闇』を取り込み、濃縮したものを『麻痺毒』として利用している。

 顔に落書きされている間ピーコックの動きを知覚できなかったのは、幻術に加え、『毒』によって麻痺状態に陥っていたからなのだ。

(だからあのとき、瞳が乾いて……)

 幻術で五感を誤魔化されている状態であれば、瞬きはいつも通りにしていたはず。しかし麻痺毒では神経の伝達がブロックされ、筋肉が硬直。意識も一時的に遮断される。マルコはあのとき数秒間、目を開けて立ったまま『気を失っていた』ことになる。

「……貴方がお使いのそれは、その名の通りの盗賊蛇、ということですね……」

 他者から奪った力で毒を生成し、それを使って人を麻痺させ、その隙にまた何かを奪う。延々と『奪い続けるだけ』のこの蛇は、最終的には、宿主であるピーコックの命さえも奪うのだろう。それを知ったうえで寄生させている、この男の覚悟と度胸。情報部のエースと呼ばれる男がただ者でないことは、十分すぎるほど理解できた。

「お? こいつ、本当にすぐに甦るんだ?」

 際限なく湧き出る闇。それを再び纏い、立ち上がる闇堕ちだが――。

「ピーコックさん! あとはレインさんに任せてください! 先ほども言いましたが、貴方にそれを浄化することは出来ません!」

「本当に? 本体粉々にすればなんとかなるんじゃない?」

「や……やめてください!」

 死者の体を必要以上に傷つけるなど、冒涜以外のなにものでもない。しかしマルコには、ピーコックの攻撃を止めることは出来なかった。

 自分の意識が途切れたことすら自覚できない。

 何の違和感もなく連続性のある感覚と記憶。その中で一つだけ、一瞬で消滅してしまったものがある。


 闇堕ちがいない。


 いつ、どのタイミングで、どんな攻撃をしたのか。

 切り刻まれた断片を靴底で踏みつぶしながら、ピーコックは首を傾げる。

「あれ? まだなんか黒いの出てる? やっぱ、刻むだけじゃ足りないんだ?」

 いつの間に手にしていたのか、ピーコックの右手には銀色のライターが。

 それを見て、マルコは自分の胸ポケットに手をやる。

 ない。

 特務部隊の基本装備品として、必ず身に着けているはずの物なのに――。

「はい、焼却処分♪」

 ポンと放るライター。カラカラに干からびた死体は簡単に引火し、見る間に炎に包まれ、あっけなく燃え尽きた。

 あとに残るのは焼け焦げた地面のみ。闇の気配は、もうどこにもない。

「あは♪ な~んだ、やっぱ俺でも倒せるじゃな~い♪ あ、王子様? ライターの分はうちに請求書まわしといてくださいね? その辺ちゃんとしとかないと、うちのボスに怒られちゃうから♪」

 へらへらと笑うピーコック。その様子に、マルコの怒りは頂点に達した。ピーコックに詰め寄り、胸座をつかむ。

「貴方は、人の命を何だと思っているのです⁉ レインさんの剣なら、あんなに切り刻む必要は無かったのに!」

 ピーコックはマルコの目をまっすぐ見据え、冷たい声で言い放つ。

「少ない手数で『浄化』とやらをしたところで、最終的には焼却処分されるわけでしょう? 現場で焼き払っても同じことですよ」

「確かに衛生上、遺体を焼却する必要はあったかもしれません。ですが、なぜ貴方はあの遺体を踏みにじったのです⁉ あんなことをする必要は……」

「言ったでしょう? 粉々にすれば、って。粉々にしたんですよ、踏みつぶして」

「ですから! そんな必要は無かった! 刻んだ時点で、それだけでは倒せないと分かっていたのでしょう⁉ なぜ貴方は人の尊厳を傷つけるような真似を!」

「尊厳? ああ、貴族階級の人間しか所有できない、あれですよね? 大丈夫ですよ、俺にもあのアンデッドにも、その辺のモノははじめから存在しませんから。貴方のように高貴な方々とは、命の値打ちそのものが違いますから」

「存在しない? 値打ちが違う? 何を言っているのですか! 人間として生を受けた以上、誰しも己の尊厳というものが存在します! 命の価値は対等ですよ!」

「いやいや、王子はご存知ないようだ。我々の命と貴方の命とでは、重さが違う。我々一般庶民の存在価値なんて、その辺の使い捨てゴーレムと大差ありませんよ。安くて替えの利く、お手軽な消耗品です」

「そんなことはありません! わが国では法の下、全国民の生命は平等であると…」

「建前上は、ですよ! 現実を直視されたらいかがです? もしも平等であるなら、この街の存在をどう説明なさるおつもりですか? その日の食事にも事欠く日雇い労働者ばかりが暮らしています! この暮らしぶりで、どこが平等ですか!」

「貧富の差と命の価値とは別の問題です! 命に値段は付けられない!」

「上から見ればそうでしょうね! ですけど、貧乏人はその違いを理解できるだけの教育を受けられないんですよ! 違いが分からなきゃ、命の価値も金の価値も似たようなもんです。何の疑問も持たず、簡単にイコールで結んじまう。本人が『自分は安い』と思い込んでるんじゃあ、誰にも救いようがない! ここいら一帯、そんな人間ばっかりだ! 王子の仰る『平等』なんざ、誰にも通じやしないんですよ!」

「……貴方も、御自分を安く見積もられているのですね?」

「事実、これ以上ないくらい安い命ですからね。人生叩き売りされた激安庶民ですよ、俺は」

 ピーコックの目を見て、マルコは思った。

 彼から漂う闇の気配は、寄生型武器のせいではない。この男は既に闇に呑まれている。とっくの昔に闇に呑まれて、その深淵に沈んでいるというのに――。




 この男は、絶望すらも飼い馴らしている。




 ピーコックから手を放し、マルコは淡々とした口調で言う。

「……分かりました。そんなに安さをアピールされたら、私はこう言うしかありませんね。貴方はいくらで買えますか?」

 この発言に、ピーコックは面白そうに目を細める。

「へえ? 金で忠誠を買おうってヤツですか? いかにも王族らしいや」

「いいえ。私は貴方に、忠誠を誓っていただきたいとは思いません。私が買いたいのは、貴方がその武器の闇に呑まれ、暴走した後の人生です。貴方はいつか、必ず暴走します。おそらくは、それで死ぬ事になるでしょう。ですから私は、貴方の亡骸を弔う権利を買わせていただきます。誰にも、使い捨ての消耗品なんて言わせません。貴方をひとりの人間として、丁重に弔わせていただきます。もう一度お聞きします。貴方はいくらで買えますか?」

 マルコの申し出には、さすがのピーコックも意表を突かれたらしい。

 咄嗟の返しが思いつかなかったようで、ばつが悪そうに目を逸らして舌打ちした。

「ご自由にどうぞ。庶民の死体に値段なんてつきませんよ」

「そうですか。ではその日が来たら、誠心誠意、喪主を務めさせていただきます」

 マルコの意外な押しの強さに、成り行きを見守るしかなかったレインは目を丸くしていた。ミカハヤヒも、小さく拍手している。

 と、ここでマルコの左手に抱かれていた玄武が発言する。

「ねえねえ、マルコ? お葬式の打ち合わせはそのくらいにしとこうよ。なんか、オオカミがピンチっぽい。さっきから気配が弱くなってて……」

「本当ですか? 彼は今…」

 どこにいるのでしょうか、と言おうとしたのだが。

 耳を劈く、甲高い叫び声。立て続けに響く爆発音と、何か大きなものが崩れ落ちる音。

 自分たちがいる場所から、三つか四つ先の路地のようだ。

「マルコさん!」

「はい!」

 レインが青い蝶を出現させた直後、マルコも《魔鏡》を展開させる。それとほぼ同時に黒い衝撃波が飛来した。

「くっ⁉」

「重いっ⁉」

 衝撃波に続いて、それを放った『本体』が現れた。ミカハヤヒとレインが同時に剣を突き出すが、二人は寸前で剣を引っ込め、ギリギリのところで回避する。

 これは、今までの闇堕ちとはまったくの別物だった。




 闇堕ちの『核』となっているのは、生きた人間なのである。




 掴みかかってくるその人物は、どこかの工事作業員のようだった。マルコとレインには分からなかったが、ピーコックは彼の腕章や装備品から所属を割り出す。

「中央市下水道局所属! おそらく四課の保守点検作業員! 主に埋設管の交換工事を行う部署だ!」

「埋設管ということは、地面を掘り返していて……」

「奴らを封じていた何かをぶち壊しちまったんでしょうね! 呑み込め! バンデットヴァイパー!」

 ピーコックは自分に向かって伸ばされた腕から闇を剥ぎ取った。だが、『核』となっているのが生きた人間だからなのか、奴隷の死体よりも闇の噴出が激しい。何度吸い取っても、闇はすぐに元の濃さに戻ってしまう。

 闇堕ちが動き回るたびに、周囲に黒い衝撃波が撒き散らされる。マルコは街への被害を押さえるべく、そちらの対処に専念せざるをえない。

 ミカハヤヒは常にピーコックの反対側に回り込み、闇堕ちを挟撃できる位置を保ち続ける。だが剣を使えば、『核』となっている人間を殺してしまう。今は剣ではなく、攻撃魔法《雷火》と同系の技を使っている。

 レインは陸上での接近戦には向かないため、離れた場所からルキナの蛍を飛ばしているのだが――。

「駄目です! 闇が濃すぎて、この程度の光では……!」

「レイン! 俺が闇を食った箇所だけ狙え! 一瞬だが、本体が見える!」

「あ、は、はいぃ~っ!」

 闇堕ちの動作は速く、攻撃も重い。埋設管の交換作業員というだけあって、元から筋肉質で大柄。そこに黒い霧による身体能力の強化が加わっている。軍神ミカハヤヒと、神にも匹敵する身体能力のピーコック。この二人の挟撃でも、互角の戦いとは言い難かった。

 これは神すら手古摺る相手。つまり海棲種族のレインでは、この戦いにはついて行けない。

 レインがいくら蛍を飛ばしたところで、狙った箇所には当たらない。

 ミカハヤヒの雷も、タケミカヅチほどの攻撃力はない。

 ピーコックの蛇は闇を食らって溜め込むばかりで、浄化する能力はない。

 ナイナイづくめで、体力を無駄に消耗するばかりの状況である。

(まずい! このままでは、ピーコックさんの体が……!)

 マルコの頭に最悪の想像が浮かんだ、そのときだった。

「青年! 無事か⁉」

 背後から聞こえたオオカミナオシの声に、マルコは救われたような気がした。

 これで状況を打開できる。そう思って振り向いたのだが――。

「……そんな……」

 そこにあったのは、瀕死の獣の姿であった。

 片耳は千切れ、眼球は潰れ、全身から血を流し――純白だった毛並みはところどころ、インク瓶でもひっくり返したように真っ黒に変色している。

「オオカミ……さん? そのお姿は……」

「心配無用。我はイエルタメリさえ生きていれば何度でも再生できる。しかし、イエルタメリがいなければ我の力などこの程度だ」

「今まで、あれと戦っておられたのですか?」

「いいや。あれに殺された他の作業員らを『修復』していた。その間一方的に攻撃を受け続けたために、この有り様だ。もう我に力は残っていない。青年、逃げろ。あれは其方らの手に負える物ではない」

「ですが、我々が逃げ出せば、この街の人々が……」

「すべての人間を遍く救うことなど不可能だ。まずは自分が生き延びることを考えよ」

「自分が……」

 マルコは考えた。

 まずは生き延びて、それから自分はどうなるか。殺された街の住人の亡骸に、祈ることしかできないだろう。生き延びることであれを倒す技が身につくというのなら、それもやむを得ない手段かもしれない。しかし、そんな都合の良い現実はあり得ない。『必殺技』など存在せず、後悔と自責の念に苛まれ、いずれ心を病む以外の未来はない。

 ならば、マルコの答えはひとつしかない。

「私は逃げません。あの作業員も、この街の住人も、全員救います!」

「青年、それは不可能だ! 逃げろ! ここで其方が命を落とせば、イエルタメリの心が闇に呑まれてしまう! そうなれば、オオマガツヒが……」

「大丈夫です! 私は、こんなところでは死にませんから! 玄武! 貴方との接続を解除します! サラ! 聞こえますか⁉ 離れていても、貴女には私の声が届くはずです! 力を貸してください! 今の私には、貴女の助けが必要です!」

 サラがいる、騎士団本部のほうを向いて。祈りの言霊を神へと届ける。

 神の力は、己に向けられた信仰心によって強くなる。




 マルコは信じている。

 一片の疑念もなく、ただ純粋に。

 サラは必ず、自分を助けてくれる――と。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ