そらのそこのくに せかいのおわり 〈 vol,06 / Chapter 02 〉
本部に残り、一人静かに、諸々の書類を仕上げていく。今日は視界の隅でエアギターを熱演する同僚も、窓辺で男子児童向け漫画雑誌を読みふける狼男も、空気椅子で事務作業をこなす筋肉質な先輩たちもいない。
非常に順調で、単調な作業。あまりに仕事がはかどりすぎて、予定していた分が二時間で終了してしまった。
時計の針は二時五十分を指す。秒針の動きは、のろまな芋虫のようだった。
「……おやつの時間にもなっていませんね……」
マルコは机上を片付け、席を立った。せっかくだから、この時間を利用して過去の活動記録を閲覧しようと考えたのだ。
特務部隊オフィスの下、本部庁舎四階。ここはフロア全域が事件記録の保管倉庫となっている。ここに来れば、王国の犯罪史のすべてが分かる。なぜなら過去五十年分、国内で発生した全事件記録が保存されているからだ。
入口のロックを解除して、マルコは『おや?』と眉を跳ね上げた。扉横のデータパネルに、『特務部隊員レイン・クロフォード入室中』と表示されたのだ。
(レインさん、今日は王立高校に技術指導に出ていたはずでは……?)
騎士団員養成科の生徒たちに、現役特務部隊員が戦闘訓練を行う。年に何度か行われていることだが、あいにくマルコには経験がない。マルコは大卒からのキャリア入団組。『地獄の特訓』と呼ばれる強化訓練の様子は見たことも聞いたこともないのだ。成績優秀者が特務部隊員と対戦して鼻っ柱をへし折られる、ある種の見世物のようなものと聞いているが――。
(……触手を使う種族なんて、対処法を知らなければ一方的にやられるだけですからね……?)
あっという間に決着がついてしまったのだろうか。マルコは深く考えず、室内に足を踏み入れた。
「レインさーん? どちらにいらっしゃるのでしょうかー?」
声を掛けながら、通路を一つずつ覗き込んでゆく。だが、どこにも姿がない。
「……おかしいですね? 通路はこれですべてだと……」
どこかの棚の陰ですれ違ってしまったのだろうか。しかし、他に誰もいない保管庫内。これだけ声を上げ続けていて、レインに聞こえていないはずがない。
「……表示の間違い……?」
入口から一番遠い、通路の突き当り。その場所から入口の扉を振り返り、マルコは気付く。
もう一部屋ある。
ここから入口までの距離は、五階の階段から廊下の突き当り、隊長室前までの距離とぴったり同じ。つまり、隊長室と同程度の奥行きの部屋がもう一つあるということになる。ならば自分のすぐ後ろの『ただの壁』は、どこかが隠し扉になっているはずで――。
「なるほど。だから、ロックの解除後に表示が……」
マルコは胸を躍らせた。ロドニーから聞かされてはいたが、ここにもあったとは。
騎士団本部敷地内には、特務部隊員しか入室できない『秘密の部屋』がいくつも存在する。そしてその部屋には、『歴代特務部隊に関する何か』が保管されているのだという。
宝探しに興じる少年のように、マルコは壁を探っていく。
「どこかにIDカードのスロットルが……いや、生体スキャンかな? 必ず、なにかがあるはずで……」
わくわくする気持ちを抑えきれず、ついついニヤけてしまう。けれども、いくら探せども、それらしい装置も、開きそうな場所も発見できない。
「……壁ではないとすると……」
床は防音用に絨毯が敷かれていて、どこにも隠し通路などなさそうだ。それでは天井はというと、こちらは逆に、どこもかしこも開けられそうな構造をしている。
資料を適切な温度で保管するため、天井裏には空調設備の配管が張りめくらされている。それを覆う保護材が簡易的に取り付けられているだけなので、プラスドライバー一本で、天井のどの部分も簡単に取り外せてしまうのだ。
「……いや、違いますね。どこも取り外した形跡がないし……」
レインならば脚立なしでも天井裏に入れるだろうが、どうもそういう雰囲気ではない。とすると、入口は別にある。
「……もしかして……?」
マルコはブルーベルタウンの屋敷を思い出した。今は自分名義になっているあの屋敷、見た目より壁が薄くて、その内側は使用人たちが移動する隠し通路になっている。あの屋敷と同じ構造だとしたら、扉はこの壁には無い。もっと手前に扉があり、そこから長い通路がのびているはずだ。
マルコは保管庫の入り口まで戻った。
入口横の表示パネルには、廊下側のパネルと同じく『特務部隊員レイン・クロフォード入室中』と表示されている。
「……この大きさは……」
表示パネルは、廊下側は公文書サイズの大きなもの。しかし今見ている内側は、自分が持っているカードキーとほぼ同じサイズ。これは非接触型カードキーの読み取り装置とよく似た大きさだった。入口のロックはカードをスロットルに差し込むタイプだったが、隠し扉にまで同じ方式を採用する道理はない。
マルコはまさかと思いつつも、カードキーをパネル部分にかざしてみた。
「……えっ⁉」
予想外のことが起こった。
隠し扉のロックが開くわけでも、扉を隠匿していた幻術が解除されるわけでもない。
亜空間転送魔法が発動した。
ヒュンともシュンともつかぬ、空気の擦れるような音。亜空間ダイブ特有の奇妙な浮遊感。ごく短い暗転の直後、マルコはまったく別の場所に立っていた。
「……ここは……?」
草原である。
青い空、白い雲、緑の草。
それ以外何もない、終わりの見えない大空間。ここが魔法によって創り出された『現実には存在しない場所』であることは分かったが、なぜ、こんな空間が設定されているのか。
「……事件記録の保管には、適さないような気が……?」
一歩踏み出し、システムに気付く。
景色は荒廃した町の立体映像に変わり、ボロを纏った人々が、瓦礫の中から使えそうなものを拾い集めている。
マルコの目の前には、『建国元年九月一日』という文字が浮かび上がっていた。
「……映像資料室……なのでしょうか……?」
もう一歩踏み出すと、表示は『九月二日』に。街の様子は変わらないが、人々は拾い集めた布や廃材で簡単な小屋を作り、身を寄せ合っている。
さらに進むと、表示は『九月三日』、人々は列を作り、軍から食料を受け取っていた。
出現地点はゼロ。一歩踏み出したところが一日目で、一歩進むごとに日付が変わってゆく。八月三十一日の革命戦争終結。その翌日、建国一日目からの王国の歴史を、視覚的に、実物サイズで閲覧できるシステムのようだ。
「これは……非常に興味深いシステムですね!」
マルコは頬を紅潮させ、弾むような足取りで先へ、先へと進んでゆく。
終戦直後の悲惨な有り様から、町は徐々に復興し、次第に賑わいを見せていった。壊れた建物は撤去され、住居や公民館、娯楽施設などが次々と建造される。人々の装いも華やかになっていき、三年が経つころには、革命戦争以前のみすぼらしい奴隷の姿はどこにも見当たらなかった。
文化的な暮らしを手に入れた人々は、どんどん街を発展させてゆく。
「あ! 中央図書館! 二十二年開館と言っても、工事そのものは建国三年目に始まっていたのですね……あ、こちらは王立歌劇場ですね! すごい! 建て直し前の旧歌劇場が見られるなんて! ああ! でも、このシステムでは……」
旧王立歌劇場はマルコが子供のころ、老朽化を理由に取り壊されてしまった建物である。そこは王国最大のエメラルドのシャンデリアや伝説の大女優エリザベータの立像など、国宝級の美術工芸品で華やかに装飾されていたのだという。今や博物館でしか目にできないそれらの品々を、実際に、その場に設置された状態で見てみたかったのだが――。
「……やはり、一歩進むと次の日になってしまいますね……」
歌劇場に近付こうとすると、翌日に撮影された、まったく別の場所の映像に切り替わってしまう。どこでも自由に見学できる、便利な仮想空間ではないようだ。
「まあ、きっと、きちんと調べればどこかの機関で映像資料は持っているでしょうけれど……」
ここまで鮮明な立体映像を、実物サイズで堪能できるシステムはそうはない。映りの悪い2D画像しか無いのだろうなぁと、気を落としながら歩みを進める。
「……あれ?」
建国四年目。これまではセントラル市内の映像ばかりだったものが、突然屋内映像に切り替わった。
はじめて見る景色ではあるが、ここがどこかは分かる。
旧騎士団本部庁舎、正面ホールである。
建国の英雄、十二剣士がずらりと並び、一人ずつ、英霊らへの鎮魂の言葉と平和の誓いを述べてゆく。日付は『建国四年八月三十一日』。これは終戦の日のセレモニーだ。
「……凄い……こんな映像が残っていたなんて……」
このセレモニーに一般騎士団員は参加していない。終戦後、十二剣士は騎士団各方面軍の軍団長に就任した。これはその十二剣士らと副官、従卒など、限られた人々のみが参列した特別な式典のようなのだが――。
「……十三人いる……?」
現在の近衛隊に当たる『護廷軍』の軍団長は騎士団長アンドレアス・ハインケル。
治安維持部隊の前身、『平定軍』の各方面軍団長はセルバンテス、ミレイ、コーネリアス、ジャックモンドの四名。
国境警備部隊の前身、『国戦軍』の軍団長はホイッスラー、ハドソン、ロセッティ、ロダンの四名。
残る三名のダイゼル、サザーランド、ゾーマは竜族の残党狩りを受け持つ遊撃部隊、『討伐軍』の軍団長を務めていた。
一人一人確認していくと、確かに歴史の教科書で見た顔ばかりだ。しかし、教科書に掲載されている肖像画は若干の美化及び痩身化が行われているようだ。実際の映像ではそれほどイケメンでも、引き締まった体つきでもない。戦後、急激に豊かな食生活となったせいだろうか。ハインケルとセルバンテスは見事な『おやじ体型』と化し、ウエストベルトは腹肉の下に追いやられていた。
「……し、知りたくなかった……」
英雄の実像にショックを受けながらも、マルコは最後の一人、存在するはずのない『十三人目』の顔を見る。
銀髪、青紫色の瞳、雪のように白い肌、丸くて先端部分が黒い耳、縞模様の長い尻尾。種族的な特徴は虎族かユキヒョウ族のようである。だが、それにしては細い。虎もユキヒョウも、男性は皆、大柄で筋肉質なはずだ。この人物のように背も低く、男らしくない顔立ちの成人男性には遭遇したことがない。
「……少年兵? いや、しかし、彼も軍団長の制服を着用しているし……? なぜ、こんな少年が十二剣士と肩を並べて……?」
十二剣士全員が口上を述べ終わると、それまで下座にいたその少年が、騎士団長の隣に移動した。
そしてなんと、騎士団長アンドレアス・ハインケルが一歩下がり、彼に上座を譲ったのだ。
「えっ⁉ いったい、何が……」
少年はカツンと踵を打ち鳴らし、胸を張って宣言した。
「英霊らに哀悼の意を。この先百年、千年の世に安寧秩序を。我、特務部隊長ユダ・ジュラスは誓う。たとえ何億の命を奪いつくそうと、我が国、女王陛下の臣民らを害するいかなる勢力の台頭も許さぬと。血で血を濯ぎ、屍で道を踏み固めん。我ら、十三剣士の名に懸けて!」
全員が一斉に剣を抜き、天に掲げて声をそろえる。
「十三剣士の名に懸けて!」
その様子を、マルコはただ茫然と眺める。
「……十三……剣士……? 特務部隊長……?」
初代から三代目までの特務部隊長は、一切の記録が残されていない。記録文書を保管していた倉庫が火災に見舞われ、何もかもが焼失してしまったためだ。
少なくともマルコは、これまでそう聞かされてきた。しかし、だとしたらこの映像記録は何だというのか。
マルコはさらに歩みを進める。
翌日、翌々日の記録は王宮の内部だった。それもここは女王の私室、後宮部分。近衛隊長ですら足を踏み入れられない、男子禁制の区画であり――。
「……そうか。この映像の視点、妙に低いと思ったら……」
あの少年、ユダ・ジュラスの肩の高さである。偵察用ゴーレムを肩に乗せたまま移動しているのだろう。歩行時に生じる縦揺れは補正されているが、女官に声を掛けられ振り向いた瞬間、映像の隅にキラリと光る銀髪が映りこむ。
「……特務部隊長が後宮に出入りできるのは、初代からのルールだったのですね……」
なるほどと納得する半面、疑問にも思う。
なぜ、騎士団長でなく特務部隊長なのか。
なぜ、彼を含めた『十三剣士』として語り継がれなかったのか。
なぜ、こんな映像記録を残したのか。
物語のページを一つずつ読み進めていくように、マルコは一歩、また一歩と、ユダの見つめた戦後の歴史を追体験する。
見れば見るほど、この映像の撮影目的がはっきりしてくる。
なんということもない人々の日常。王侯貴族からスラムのストリートチルドレンまで、歴史の教科書には掲載されない『ありふれた日々』を記録することが、彼に課せられた任務だったのだろう。
「しかし……それが任務だとしたら、なぜ彼が上座で、あんな……」
血で血を濯ぎ、屍で道を踏み固めん。
穏やかでない。これ以上ないほど、好戦的な宣言である。
彼に課せられた任務はこんなものではなかったはずだ。マルコはどんな小さな手がかりも見逃すまいと、隅から隅まで目を凝らす。
すると、あるところで決定的な記録を見つけてしまった。
「……これは……?」
見覚えのある門柱と、まだ錆びも塗り直しもない目新しい門扉。
騎士団本部裏門横――現在では鈴蘭花壇が設置されている、あの場所だった。
ユダの見つめる先には、うずたかく積まれた死体の山。大人も子供も、男も女も、ペットも家畜も――何一つ分けられることなく、すべてがごちゃ混ぜの状態で積み上げられている。まるで小さな集落をひとつ、丸ごと殲滅したような有り様だが――。
「闇が……死体から、闇が湧き出ている……?」
玄武や白虎、堕天使らの体を覆っていた黒い霧。あれとそっくり同じものが、死体の心臓から噴出しているように見える。
ユダの両脇に控えるのは、ネロ・ハドソンとオーギュスト・ミレイ。彼らはスッと進み出て、同時に姿を変える。
純白の狼と、光の剣を携えた白髪の軍神。
それは間違いなく、オオカミナオシとタケミカヅチの二柱であった。
彼らは闇を噴出する死体に歩み寄り、その牙と剣で、死体を攻撃しはじめる。
今のマルコならわかる。これはあの闇を『浄化するために食らっている』状態だ。
「……神でも天使でもなく……人が『堕ちた』のか……?」
食らってから何をどうしたのか、どうなったのか。肝心なところが知りたかったが、映像記録はそこまでだった。やれやれと首を振り、仕方なく、次の日へと進む。
何事も起こらぬまま、また、日常の記録映像が続いていく。だが、あの死体の山を見たあとならば分かる。
ユダは『絶望』を探している。
復興した町で、一見すると幸せそうに暮らしている人々。しかし、誰もが心の底から幸せかというと、そんなことはない。戦争で家族や友人、恋人、同じ村の仲間たちを失った人々は大勢いる。この時代、国民のほぼすべてが心に闇を抱え、その闇に呑まれまいと必死に立ち向かっていたのだ。
同じ境遇の者同士、助け合い、支え合って生きてゆく。それはとても素晴らしいことなのだが――。
「……支えられずとも、自力で立ち上がれる者はいる。そして、そんな人たちは……」
記録映像の中、とある青年が颯爽と馬車に乗り込んでゆく。戦後いち早く暮らしを立て直し、時代のニーズをつかんで財を成した者だ。立派な衣服に身を包み、従業員らしき労働者を何人も引き連れている。
そんな青年を羨ましげに眺めているのは、終戦直後とさほど変わらない身なりの人々。心の傷、体の傷を癒すことに精いっぱいで、『より豊かな暮らし』を手に入れるチャンスに乗り遅れてしまった人々だ。
終戦から五年。確かに人間は『竜族の奴隷』という身分制度からは解放された。しかしこの頃にはもう、後の時代に『貴族』や『上級市民』、『市民』、『下層労働者』と呼ばれる身分制度の原型は出来上がっていたのだ。
「たった五年で、ここまで格差が……」
奴隷として単純労働のみを行っていた人々は、自分で考えることができない。仕事とは誰かが与えてくれるもので、それさえこなせば食糧が得られると思っていたからだ。だが、そんな時代は終わった。自分で考え、事業を起こし、時流を読んで軌道に乗せてゆけなければ、この先一生『豊かな暮らし』を手に入れることは出来ない。
そのことに気付き、見様見真似で行動を起こす者もいた。けれども気付かぬ者は、己の無知や無能さを自覚することも出来ず、『成功者とは卑怯な手を使った連中のことだ』と妬むばかりで――。
「そうして、闇が? しかし『貧富の差』ならば、いつの時代にも存在するはずなのに……?」
マルコに熟考の時間は与えられない。映像はどんどん先に進んでいく。
ユダは表通りを離れ、ダウンタウンの薄汚れた路地に足を踏み入れた。そこには、『自ら職を探す』という基本的なことすらできない者たちが大勢いた。竜族がいなくなったのにどうして生きるのが辛いままなのかと、ゴミを漁りながら嘆くことしかできない。
彼らはユダの姿を見つけ、怒声を上げながら詰め寄ってきた。数人が同時に叫んでいるためよく聞き取れないが、『なぜ軍は配給をやめたのか、どこに行けば食べ物と着る物がもらえるのか』といった趣旨の発言をしているらしい。
ユダの両側からサッと進み出た隊員らが、喚き散らすホームレスらを食い止める。そして声を荒げる男たちを無視して、ユダは路地の奥にいる女性たちに呼びかける。
「母親たちよ、聞け! 十歳以下の子供には幼年学校への入学が推奨されている。その子らには安全な住まい、日に三度の食事、基礎教育が施される。費用はすべて国費によって賄われる。タダ飯が食えて、将来仕事に就けるだけの読み書きが出来るようになるのだぞ? 悪いことなど何もないだろう? だから早く手続きをしろ! 入学が一日遅れれば、その分、他の子供との差は広がるばかりだ! 全寮制ではあるが、毎日二時間の面会時間が設けられている! 嘘だと思うなら今から施設の見学に来い! 我々は、なにも子供を取り上げようとしているわけではないのだ! これは子供たちがこれからの数十年、『人として生きていく』ためには、絶対に必要なことだ!」
だが、母親たちは出てこない。話を聞こうとする者も数人はいるのだが、男たちがそれを阻んでしまう。
彼らは何も考えられないのだ。子供に教育を施すことも、そのために他所に預けるということも、何一つ意味が理解できていない。自分の目の前からいなくなることは、すなわち『持ち物を取り上げられること』と同じ。子供たちの将来を考えることはおろか、そもそも子供を『人間』とも認識できていない。自分の『持ち物』が一つ減るのが嫌だから、絶対に子供を手放さない。だから当然、その子を産んだ母親が一人で工場に働きに行くこともない。
夫は金を得る手段を知らず、妻と子は夫の目の届かぬ場所に出て行けず。このままでは、彼らは生きていくだけの金も住処も得られない。子供は読み書きを学ぶことも出来ず、将来的に、何の仕事にも就けないだろう。一生涯、ずっとこの路地裏でゴミ箱を漁る生活を続けることになる。
「父親たちよ、自分の子供が金を稼げるようになることの、なにが不満なのだ? 食べ物も衣服も、もう誰かから与えられることは無いのだぞ! 自分で金を稼いで、その金で買うのだ! 奴隷時代にも、買い物くらいしたことはあるだろう⁉」
現代社会ではあまりにも当たり前すぎる、金銭と物品の交換。だが、男たちはきょとんとした顔をしている。何を言われているのかまるで分からない、という顔だ。
ユダは舌打ちした。
映像を見ているマルコも、絶望的な表情で首を横に振る。
ここにいる人々は、そんな当たり前のことすら経験していないのだ。彼らは先祖代々、竜族に家族単位で『飼育』されてきた。食べ物は飼い主に与えられるものであり、『自分で購入する』という概念それ自体がない。
彼らは彼らの常識に従って、ここで大人しく『餌』と『命令』が降ってくるのを待っていた。それなのに軍は何もくれないどころか、子供を連れて行こうとする。だから抵抗する――マルコには、そんな『事情』がハッキリ理解できた。理解できていないのは彼ら自身だけだ。
そんな常識は、もうどこにも通用しない。
そのシステムは、五年も前に失われてしまったのだから。
「……これが、奴隷というものか……」
マルコはふっと息を吐き、元奴隷たちを観察する。
従順に働くよう、余計な知識は与えられない。教えられるのは『餌がもらえる方法』だけ。飼い主が決めたルールに従って『良い子』にしていれば、他の奴隷たちより多く、より美味い餌がもらえる。すると彼らは口うるさく命令せずとも、自ら進んで働くようになる。生産性は上がり、奴隷同士で勝手に『選民』し、よく働く者同士でつがいになって子供を作り、次の世代にも『たくさん餌がもらえる方法』を教えてくれる。外の世界を知らない奴隷たちは自分を『優秀な人間だ』と思い込み、与えられた仕事に誇りまで持つような有り様だ。
そう、彼らは旧世界では『とても優秀な奴隷』だったのだ。だからこそ、五年経った今も飼い主に教えられたルールに従順に従っている。それは現代では、人間が犬に下す命令とそっくり同じ。
よしと言われるまで、その場を動いてはならない。
いくら待っても何の命令も降ってこないことに、五年経っても気付けない。こんな人々には、何をどう説明したところで通じるはずがない。
ユダはこの日の説得を諦めたのだろう。もう一度舌打ちの音が聞こえた直後、映像は終了する。
翌日も、翌々日も、ユダは別の路地裏で、別のホームレスを説得していた。
最初に見たあの路地裏が特にひどい場所であったようだ。他の路地にいたのはほんの数人ずつで、身を寄せ合っていたのが少人数だからこそ、『自分たちは時代から取り残されている』という事実に気付くことができた。職業訓練が受けられる場所、子供たちを預けられる教育機関、怪我や病気の者を収容してくれる医療機関について話をすると、彼らは素直に指示に従った。一人ずつ馬車に乗り込み、自分の名前や来歴などを答えていく。それらを記すユダの手元も、その書類に別の書類を添付して封筒に入れていく部下たちの様子も、すべてが映像に収められている。
初代特務部隊の任務は、『自力で立ち上がる』ことができない元奴隷たちへの就労斡旋。それは間違いない。しかしだとしたら、はじめに見た路地のような『奴隷部落』が形成されている場所はどうしたのか。数十人単位で身を寄せ合い、自分たちは何も間違っていないと信じ切っているのだが――。
マルコの疑問への解答は、さらに数日後の記録映像で示された。
「……そん……な……」
最初のあの路地だった。
子供を手放すまいと必死に抱きしめている母親。その腕から子供を奪い取ろうとしている特務部隊員。だが、その子供はもう――。
「死んで……いるのか……?」
路地裏でゴミを漁る暮らしで、十分な食糧を手に入れられるわけがない。それも、ここに身を寄せ合っている人数は三十人を超えている。大人の分の食糧も確保できていなかったはずだ。
物言わぬ死体は、昨日今日息を引き取ったと言うわけでもなさそうだった。すっかり水分が抜け、干物のようになっている。
その子供から、黒い霧が湧き出ていた。子供に直に触れている母親の目は、既に正気を失っているようだ。
「ブルーマン! 伏せろ!」
ユダの声に、隊員は子供から手を放して身を屈める。
その瞬間飛来したのは大きな石の塊だった。人間の腕力では持ち上げることすら難しい大きさのそれが、空を切って飛んできたのだ。
ユダが振り向いた先にいたのは、やせ細った男である。
「やめ……ろ……俺の…子供……だ、ぞ……」
途切れ途切れの、かすれた声。ぎこちなく動く体には、まるで植物の根のように黒い筋が浮かび上がっている。
マルコは気付いた。
この男も、もう死んでいる。
ユダは剣を抜くと、男に向かって駆け出した。
「力を貸せ、燭陰!」
「えっ⁉ 燭陰⁉」
驚くマルコは、確かにそれを見た。
ユダの剣がオーロラ色に輝き、浄化の光を放ちながら男の胸に突き刺さる。
男の体に浮かび上がっていた闇色の根は光に浄化され、男はどさりと倒れた。その体は、つい数秒前まで動いていたのが不思議なほどだった。もう何年も前に死んで、ミイラ化していたような――そんな、カラカラに干からびた死体だったのだ。
「ブルーマン! ここはもう無理だ! 全員闇に呑まれている! やるぞ!」
「はい!」
ブルーマンと呼ばれた隊員も剣を抜き、はっきりとした声でこう言った。
「麒麟よ、我が刃に雷光を」
先ほどの燭陰同様、こちらも剣が光を纏い、母子の胸を貫いてゆく。
この母親も男と同じだった。干からびた死体となって、ぱたりと地に伏す。
「油断するな! 来るぞ!」
ユダがそう言ったときには、ブルーマンには数人の人間が飛び掛かっていた。しかし、ユダは助けに入れない。ユダのほうにも五人の人間が――いや、五体の『死体』が飛び掛かってきていたからだ。
突如として『戦場』と化した路地裏の光景。その映像記録を眺めながら、マルコは呆然と呟く。
「……全員……死んでいたのか……?」
数日前の記録では、確かに皆、生きた人間のように見えた。どこで食べ物をもらえばいいのかと詰め寄る様を、はっきりと覚えている。
「……死体が、食べ物を? いや、だとしたら、まさか本人たちは『生きているつもり』で……?」
あのときユダが言ったこと。
『人として生きていく』ためには必要なこと。
あの言葉で、彼ら自身が気付いてしまったのではないだろうか。なぜ、自分たちはまだ生きているのかと。軍の配給が終わってから四年以上、十分な食事も摂っていないのにと。
あっという間に三体を斬り伏せたブルーマンは、ユダのもとに駆け寄って言う。
「隊長! ここは私が!」
「ああ、すまない!」
ユダは小柄な体格と狭い路地裏の環境を生かし、壁面を蹴って跳び上がった。そのままトントンと左右の壁を交互に蹴り、いともたやすく死体の群れを跳び越えてゆく。ネコ科種族ならではの身体能力である。
彼が目指すのは、ホームレスらが頑なに侵入を拒んだあの物陰。男らは女子供を必死に隠していたが、その彼ら自身、既に死体だったのだ。彼らが『自分は生きている』と錯覚していたのはなぜか。その原因となるものが、必ずそこにあるはずで――。
「……え?」
マルコの思考は停止した。
子供がいる。
丸々と太った子供がそこにいて、その周りを、何人もの女の死体が守っていた。
「貴様が原因かあああぁぁぁーっ!」
ユダの振るうオーロラの剣は、何のためらいもなく女たちを切り刻んでいく。ボトボトと落ちる断片はすっかり乾いて変色し、まるで朽ちかけた木片のようだった。
そんな光景をぽかんと眺めながら、子供は一歩も動かない。四つか、五つか。ようやく物心ついたかどうかという年頃のその子は、何が起こっているか、本当に理解できていない顔をしている。
知らない人が、怖い顔で剣を持っている。分かっているのは、ただそれだけの事実。その子供は目を大きく見開いて、ガクガクと震えている。
すべての死体を浄化し終えたユダは、子供の真正面に立って問う。
「名は?」
子供は答えられない。
恐怖からではない。この歳からして、生まれたのは戦中か、終戦直後か。他の人間たちの死体の状況を見る限り、この子供以外、皆、この子が生まれたころに死亡している。
つまり、この子供は自分の名前を知らない可能性が高い。
「……呪われた子供め……」
吐き捨てるように呟き、無造作に首を刎ねる。
だが、死なない。
子供の体は、落ちた自分の首を拾って逃げ出そうとする。
「燭陰!」
ユダが呼ぶと、子供を取り囲むようにオーロラが出現した。光の結界に子供を閉じ込め、その包囲を徐々に狭めていくが――。
「ヤメテ! オネガイ! ヤメテ! コロサナイデ!」
斬られた首が命を乞う。これほどシュールな光景があっただろうか。
ユダは舌打ちし、その子供に告げる。
「恨むなら、貴様の親を怨むがいい。我らの同胞は貴様と同じく命を乞うたが、皆殺された!」
ユダが指を鳴らすと、オーロラの光は一気に子供を締め付けた。幻想的な光でその身を焼き、塵も残さず蒸発させる。
マルコは、焼け死んでいく子供の最期の姿を見た。
光の中で悶えていたのは、一頭の、小さなドラゴンだった。
この日の映像はここで終了する。景色は元の草原に戻り、紛い物の青空の下、マルコは一人立ち尽くしていた。
理解した。
歴史の授業でも習ったことがある。革命戦争の折、すべての人間が反旗を翻したわけではないと。人間ではなく、竜族側についた者たちもいたのだと。
これまでマルコは、その理由を『家族を人質に取られていたから』だと思っていた。教科書にも、歴史書にも、それが正解だと書かれている。実際、そういったケースが大多数を占めていたのだろう。妻と子を人質に取られれば、男たちは竜族側の兵士として戦地に赴かねばならない。
しかし、彼らは違う。
忠実な奴隷である彼らは、自分で考えることができない。美味しい餌をくれるご主人様と、そのご主人様を殺そうとする人間たち。彼らがどちらを『正義』と思うか、火を見るよりも明らかだ。
だから彼らは、最後まで『ご主人様』をかばった。そのご主人様から『この子を守れ』と命令され、竜族の子を託されていたら――。
「命を賭して、その子を守る……いや、違うな。おそらく、彼らは……」
あの子供の親、自分の飼い主である竜族に殺され、何らかの方法で『ゴーレム兵』に仕立て上げられていたのだろう。自分が既に死んでいることにも気づかず、せっせと食料を集め、それをあの子供に持ち帰り――。
「……だが、気付いてしまった。自分たちは既に死んでいて、生きているのは竜の子だけで……」
人が『闇堕ち』した原因。それが今、はっきりと見えた。
自分も、自分の家族も死んでいるのに、なぜこの子供だけが生きているのか。彼らは必死に考えたのだ。生まれてはじめて、自分の意思で考えて――そしてようやく気付いたのだろう。
なんて惨めな人生だ――と。
初代から三代目まで、特務部隊の活動記録が『焼失した』ことになっている理由。それはこういうことだった。
マルコは何度も頭を振る。
悲しいとか、虚しいとか、そんな感想は欠片も湧いてこない。
ただ、重い。
得体の知れない大きなものに押し潰されてしまいそうだった。
ひどく息苦しくて、口を開けて、何度も深呼吸する。
この亜空間の環境設定が『青空』と『緑の草原』で良かった。もしもここが真っ暗な虚空だったら、自分の心はポキリと折れてしまっていただろう。
マルコは一旦ここから出ようと思った。これ以上ここで記録映像を見ていたら、立ち直れなくなりそうだった。
しかし、ここではじめて根本的な問題に気付く。
「……このシステムで、どうやって外に……?」
元の場所に引き返しても、庁舎の四階には戻れない。それは最初の数歩の時点で試している。後ろに下がっても何も起こらなかったからこそ、とにかく前へと進み続けていたのだ。
「え~と……システムを停止してください」
音声認証型の3Dプロジェクターであれば、これで動作を停止するはずだ。しかし、何も起こらない。
「それなら……資料の閲覧は終了しました。元の場所に戻してください」
言い回しによって、システムに認識されない場合もある。マルコはこの後も何通りか、それらしい単語を使って退室を求めてみたのだが――。
「これは……ロドニーさんだったら、『おいマジかよ』と言う局面ですね……?」
ゴヤなら「やべえッス」、ベイカーならば「うむ、困ったな!」であろうか。
しかし、出口がないということはない。落ち着いて考えれば簡単に分かるような設定になっているのだろう。
「う~ん……んん~……?」
文字通りうんうん唸ってみても、これといったアイディアは出てこない。これは諦めて、最後の日付まで全力疾走するしかないのだろうか。
「……ん? 日付?」
ハッとして手元を見れば、映像の邪魔にならないよう、控えめなサイズで年月日の表示が出ている。
空中にプカプカ浮かぶこの表示は、はじめからずっと出続けている。
「……五百五十二年、七月十一日に移動してください」
今日の日付を指定すれば、記録の閲覧は終了するのではないか。そう考えたマルコの読みは当たっていた。
ここに入ったとき同様、亜空間移動特有の独特な浮遊感に包まれ――。
マルコは四階の保管室に戻っていた。
ただ、場所が違う。
「……あれ?」
入口扉の前ではない。保管庫内の、ひどく中途半端な通路の真ん中にいて――。
「……いや、これは……どういうことでしょう? この場所は……? 普通、こういう魔法は元の場所に戻されるものなのに……?」
なにかのミスか不具合かとも思ったが、すぐに思い直す。あれだけの映像投影システムを作っておいて、出口の場所だけ間違えるなんてことがあるだろうか。きっとこれには意味がある。マルコはそう考え、周囲をよく観察してみた。
「……ん?」
自分が立っているこの場所の、すぐ目の前の棚。一見するとごく普通の棚だが、ここの棚板だけ硬い物で擦ったような傷が付いている。それも一か所ではなく、二段目から最上段まで、すべての段に。
触ってみると、砂のようなものが付着していた。
「……まさか……?」
首を動かして真上を見ると、そのまさかだった。
天井パネルが五ミリほどズレている。
この棚板は、天井裏に上る梯子の役割をはたしているらしい。
「なるほど! 奥の部屋へは、ここから入るのですね!」
あの亜空間の中でレインに遭遇しなかったのだから、彼はこの奥にいるに違いない。
マルコは棚板に手を掛けて、自分の体を押し上げる。天井裏に入ってみると、そこには成人男性が立って歩ける大きさの、しっかりとした通路が設けられていた。
一歩足を踏み出すたび、歩行に支障がない程度の薄暗い照明が点灯する。
マルコは冒険家にでもなったような気分で、長い一本道を進んだ。するとその突き当りには、鋼鉄製のらせん階段が設置されていた。
まるで秘密基地のようだと思いながらその階段を下りていくと――。
「あれ⁉ マルコさん、ここ御存知だったんですか⁉」
ずらりと並ぶ書棚の隙間から、足音を聞きつけたレインが顔をのぞかせた。レインの顔は驚いた拍子にハコフグに変化してしまった。愛嬌のある魚顔に苦笑しつつも、ようやく見つけた仲間の姿に胸を撫で下ろす。
「いえ、保管庫の奥行きがおかしいと思って探していたら、偶然発見しました」
「偶然⁉ あんなに分かりづらい場所なのにですか⁉」
「ええ、天井を見上げたら隙間が開いていたもので」
「隙間が……って、天井ですよ? 脚立も無いのに? 王族の方も、穴があったらとりあえず覗いてみたりするものなんですか……?」
「あ、いえ、その……おそらく他の王族の方々は、このようなことはされないのではないかと……」
マルコは思った。
『天井パネルが外されていた』というだけで、迷いなく本棚を上る王子。
そんなもの、客観的に考えて頭がおかしい。
精神科医が聞いたら投薬治療を提案するレベルだ。
自己を顧みた瞬間、若干の自己嫌悪と、これまで意図的に忘れていた精神的な疲労に襲われた。
(マルコ・ファレル! しっかりしろ! このところ超常現象に巻き込まれ過ぎて感覚がおかしくなっているのではないか⁉ 一般常識を忘れるな! アドベンチャー気分に浸りすぎだ! 本当に! 頼むから! しっかりしてくれ、私!)
自身を叱咤するだけでは心が収まりきらず、最後には懇願の様相を呈してしまった。しかしマルコの内面の葛藤を知る由もないレインは、何やら勝手に納得している。
「うん、そうですよね……やっぱり気になったら、こじ開けたり触手突っ込んだり引きずり出したりしちゃいますもんね……。ねえ、マルコさん? あの穴って、水深二百七メートルで交尾中のオウムガイモドキウオに遭遇したみたいな気持ちになっちゃいますよね?」
「えっ⁉ あ、はい、そうですね⁉」
「あー、やっぱりー♪ 良かった♪ 私、マルコさんとなら色々分かり合えそうです♪」
よく意味が分からないが、とりあえず流れで返答してしまった。オウムガイモドキウオとは何か。しかもそれが交尾中で、なおかつ水深二百七メートルという微妙な数字に何の意味があるのか。マルコは何一つ理解できていないが、どういうわけか、なんとなく、仲良くなることには成功したらしい。
上機嫌のシーデビルは、さらに独特すぎるトークを繰り出してくる。その不思議な空気感に圧倒されながらも、マルコはどうにか、話題を『秘密の部屋』の方向へ誘導することに成功する。
「ここ以外にも、何か所もあると聞いています。レインさんは、他の部屋に入られたことはありますか?」
レインは大きく頷き、それから小声で言った。
「これ、私しか気付いていないみたいなんで、みんなには内緒にしてくださいね? 実は宿舎の裏の池、底に隠し通路があるんです」
「え? 池の底に、ですか?」
「はい。水棲種族でないと入れないように、細くて長い通路が伸びていて。抜けた先は、十二剣士サザーランドの活動記録が保存されているんですよ」
「ここと同じような、文書の保管庫なのですか?」
「いいえ! あの、驚かないでくださいね? なんとそこ、亜空間転送と立体投影システムを使用した体感型シアターだったんです! いや、もう、びっくりしました! 私、他であんな映像見たことがなくって! 技術的には可能なんでしょうけど、五百年以上前にあんな映像資料を残していたなんて! 水棲種族しか入れないようにされているのがすごく残念です! マルコさんにも、ぜひ見ていただきたいのに!」
マルコは察した。
あの空間のことは、誰にも話してはいけないのだと。
レインの話しぶりからすると、十二剣士サザーランドの活動記録は非常に『明るい内容』であったらしい。
サザーランドは討伐軍の軍団長。彼が請け負っていた仕事は竜族の残党狩り。終戦後、海に逃れた竜族らを追い、南部の島々を軍艦で巡っていた。彼は今なお国民的な人気を誇り、その活躍は映画や小説の題材にされ、何本ものメガヒット作品が誕生している。
どの作品でも必ずクライマックスに使われる、お決まりのシーン。それは絶海の孤島に追い詰めた竜への、全砲門からの一斉砲火である。そのシーンでサザーランドが「撃て」と叫ぶか、「殺せ」と叫ぶか。たったそれだけの違いで、歴史マニアたちは三十分以上の熱い論戦を繰り広げる。
レインがこれだけ楽しそうに語るのだから、そこはぜひとも聞かねばなるまい。
「ええと……サザーランドは、砲撃の際はなんと?」
「それがですね⁉ 驚愕の事実ですよ⁉ なな、なんとぉっ! 『撃て』でも『殺せ』でもなく、『闇を滅せよ』だったんです! これってすごい事実ですよね⁉ どうしてあの映像を一般公開しないんでしょう⁉ 実際の映像を見せれば、歴史マニアの不毛な論戦も一瞬で強制終了するのに!」
分かってしまった。
一般公開なんてできるはずがない。おそらくサザーランドが戦っていた相手も、ユダの『敵』と同じものなのだ。
竜は一頭で逃げ回っていたわけでなく、奴隷たちを連れていたのだろう。しかしギリギリの逃亡生活では、奴隷たちに与えるほどの食糧は手に入らない。だから奴隷を殺し、その死体を『ゴーレム兵』に仕立て上げ――。
「歴史ファンの方々にとっては、真実を突き付けられるよりも、想像や解釈の余地がある今の状態のほうが好ましいのではないでしょうか?」
レインが気付いていないのなら、このままずっと、気付かずにいたほうがいい。そしてその記録も、日の目を見ないほうがいい。
真実は、あまりにも残酷すぎるから。
レインはマルコの言葉を額面通り受け取り、海月のようにふわふわした笑顔で答える。
「あっ! それもそうですね! 論戦するのが趣味みたいな人、いっぱいいますもんね!」
「ええ、その人たちの楽しみを奪ってはいけませんから。あの、宜しければこの部屋のことをお教えいただけますか? もちろん、お仕事のお邪魔でしたらすぐに退室しますし……」
「いえいえ! 全然! 高校生との対戦が早く終わりすぎちゃって、時間つぶしにここにいただけですから! え~っと、この部屋はですね……」
レインの説明によれば、ここに在るのは歴代特務部隊員の個人情報ファイルなのだという。第四代から今現在の自分たちの分まで、一人につき一冊。出身地や家族構成などの基本情報から、毎月行われる健康診断の結果、日々の活動記録まで、ありとあらゆる記録が永久保存されている。
「ということは、私のファイルも?」
「はい、ありますよ」
レインに案内されて、その棚の前に移動する。すると本当に、自分の名前が書かれたファイルが収められているではないか。
手に取って中身を確認すると、公式記録以外に、非常に個人的な『休暇の過ごし方』や『駅前の本屋で購入した小説のタイトル』まで記載されている。
「……あの、これらの情報は、いったいどこでどのように調べられているのでしょうか……?」
「あ、それ、ホントにすごいですよね! どこで見られてたのか分からないことばっかり書かれてて! ロドニー先輩が言うには、情報部の人たちがこっそり調べてるみたいですよ?」
「情報部……ですか……?」
真っ先に思い浮かぶのは、つい数時間前に遭遇したあの男の顔である。真後ろに立たれても何の気配も感じなかった。彼が手帳を取り出す瞬間も、それを仕舞う瞬間も、自分の顔に落書きされているその数十秒間さえも、彼の行動を何ひとつ認識できなかったのだ。彼に尾行されていたら、休日の過ごし方も購入した品物も、なにもかも筒抜けになってしまうだろう。
「怖い人たちばっかりだからあんまり近づくな、って言われてるんですけどね。私、ピーコックさんにはよくお世話になってるから、あんまり怖い人って感じしなくって。あ、ピーコックさん、御存知ですか? ちょっと不思議な人なんですけど……」
「ええ、今日はじめてお会いしました。ご友人ですか?」
「友人と言うか……私、うっかり日に当たりすぎて顔が溶けちゃったときとか、よく助けてもらってるんです。どこからともなくさっと現れて、日傘を指し掛けながらほっぺたに保冷剤をピタッて……ああっ! 駄目です! 思い出すとニヤけちゃいます! ピーコックさんイケメンすぎ! どうしていつも、あんなドンピシャなタイミングでお会いできるのでしょうね⁉ これってものすご~く、運命を感じませんかっ⁉」
「あ、はい。運命ですね。とっても運命です、間違いありません」
マルコの声から一切の抑揚が失われたことについて、ときめきモードに突入したレインが疑問に思うことはない。
未だその生態が解明されていない謎の海棲種族、シーデビル。情報部はシーデビルを監視対象に置いているようだ。
「あの、レインさん? その情報部の皆さんも、元は特務部隊に所属されていたのですよね?」
「はい! あ、でも、ピーコックさんの記録は閲覧できませんよ? 閲覧できるのは『ケイン・バアル』として特務部隊に入隊した、というところまでです。情報部に異動した後は、特務部隊時代の資料は別の場所に移されるみたいで……」
「そうなのですか? そういえばレインさんは、どなたの記録を探していらしたのでしょう? 随分と古い記録を参照されていたようですが……」
はじめにレインが顔をのぞかせた棚。あの棚の側面に記載された文字は『4』。あれが第四代特務部隊長の時代の資料だとすれば――。
「あ、実はですね、今日対戦した学生の中に『シルベスター・クルーガー』って名前の子がいたんです。やたら強くて、その子だけは一分以上頑張ってたんですけどね? 触手でギュウギュウ締め付けてるあいだ、そういえばすご~く昔の副隊長に、そういう名前の人がいたなぁ~って、ぼんやり思い出しまして~」
「は、はぁ……ぼんやり、ですか……」
必死に戦っていた学生が気の毒になる発言であるが、これが現役隊員と学生の実力差だ。マルコのような大卒キャリア組以外が特務部隊入りするには、化け物のように強い現役隊員と互角以上の勝負をして見せねばならない。このくらい強くないと、改造ゴーレムや違法飼育のキメラビーストとは戦えないからだ。
マイペースなレインは嬉しそうに話す。
「調べてみたらびっくりですよ~。クルーガー副隊長、初代隊長の時代から四代目まで、ずっと副隊長のポジションを動いていないんです。隊長が変わったら、普通は団の別の部署に異動になるのに。なんかちょっと、グレナシン副隊長と似てますよね。あの人も先々代からずっと副隊長のままだから……」
レインの言葉に、マルコは弾かれたように駆け出していた。
クルーガーという男。マルコはその男の顔を知っている。
馬車の中で、ユダの書いた書類を封筒に入れていた隊員だ。ユダは彼に書類を渡すとき、「クルーガー、これも頼む」と言っていた。あの人物があのままずっと副隊長であり続けて、ユダやブルーマンらの『闇狩り』の記録をどこかに隠したのだとしたら、自分が見たあの映像を編集したのは――。
「あの、マルコさん⁉ どうしたんですか⁉」
「クルーガー副隊長は、私たちにとんでもない仕事を残しているかもしれません!」
「え? 仕事⁉」
「はい! それもおそらくは、とても嫌な仕事をです!」
「嫌な仕事って……えぇ~、なんだろう~? よく分からないけど、私も手伝います~」
レインはわけもわからぬまま、マルコのあとについて行った。




