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そらのそこのくに せかいのおわり 〈 vol,06 / Chapter 01 〉

挿絵(By みてみん)




 抜けるような青空に、数羽の小鳥が舞い遊ぶ。逆光で羽毛の色までは見えないが、大きさや形状から、おそらくは燕の類である。草地の上、地面から二メートルほどの高さで、くるくると小刻みに方向転換している。きっと羽虫を捕らえているのだろう。

 騎士団本部庁舎一階、大食堂。昼食を摂り終えたマルコは、窓から見えた何気ない景色に心奪われていた。

 ここ数週間、多忙を極めていた。それも一般常識で考え得るあらゆるケースを逸脱した、イレギュラー対応の連続である。『異界の神々』の出現、住宅地の大規模浸水被害、悪魔と邪神の超常バトル、創造主からのお告げ――。

(私、よく正気を保ってるなぁ……)

 そんなことを考えてしまうのも、もうこれで何度目か。

 なんてことない日常の片隅に、自分の人生とは直接関係しない、小さな生き物たちが息づいている。たったそれだけのことに、妙に深く感じ入ってしまう。

「お? 何見てんだ? 鳥か?」

 そう言いながら同じテーブルに着くのは特務部隊の仲間、ロドニー・ハドソンである。

 彼の手にはLサイズタンブラーとフライドチキン。トレーにも載せず、両手で一つずつ持ってきた。騎士団本部は貴族階級の職員も多いため、他の支部と違ってセルフサービスではない。きちんとウェイトレスがオーダーを取りに来てくれるのだが――。

「あれ? それだけですか? パンやサラダは……?」

「ん? ああ、このあと『特別任務』だからさ。あんまり腹が膨れてると問題あるんだよ」

「特別任務?」

「そ、特別任務。だから今日は軽めにカフェランチ」

「はあ……軽めに……」

 手にしているフライドチキンは国内最大品種ギガントブロイラーの骨付きモモ肉、丸ごと一本。どう見ても三十センチ以上はあるが、人狼族の基準ではこれでも『軽め』に分類されるらしい。マルコの微妙な表情に気付くことなく、狼男はおいしそうに鶏肉を頬張る。

 食堂を喫茶利用する場合、駅前のコーヒーショップ同様、カウンターでコーヒーとスナック類を購入して自分で席まで運ぶことになる。しかし、ロドニーは伯爵家の次期後継者。市民階級の職員と違い、本当はこれもウェイトレスに運んでもらえる。それなのにロドニーが『貴族特権』を使おうとしないのは、食堂スタッフを気遣ってのことだ。正午からの一時間は多くの部署で同時に昼休憩に入ってしまう。大忙しの食堂スタッフに必要以上に負担をかけてまで『俺様は貴族だぞ』と主張することにどんな意味があるのかと、よく特務の仲間たちに話している。

 そんな『ちっとも貴族らしくない貴族』はリスかハムスターのように頬を膨らませ、窓の外を見て「んっ!」と声を上げた。

 何事かと思ったマルコはロドニーの視線を追い、思わず大声を出してしまった。

「あ、す、すみません、何でもありません……」

 あわてて周りのテーブルの職員らに謝り、もう一度窓の外に視線を戻す。

「ロドニーさん、あれ……ヒハヤヒさんですよね……?」

「お、おう……あ、ミカハヤヒもいる……」

「何をなさっているのでしょう……?」

 特務部隊長サイト・ベイカーに憑いているはずの二柱の神は、草地で何かを探している。ゴソゴソと茂みを掻き分け、野ネズミの巣穴を覗き込み、飛んでいる鳥を引っ掴んで何かを尋ね――誰が見ても困り果てた様子で、その場にしゃがみこんでしまった。

「何か、無くされたのでしょうか……?」

「つーかあの二柱って、隊長から離れても活動できたんだ……?」

「そういえば、普通に顕現なさっておられますね……」

「この真上って、うちのオフィスだよな? 窓からなんか落としたのかな……?」

「……嫌な予感がします……」

「おう……ものすごく嫌な予感しかしねえ……」

 ロドニーはあっという間にフライドチキンを平らげ、コーヒーを一気飲みして席を立つ。

「ちょっと見てこようぜ」

「そうですね」

 二人は食堂を出て、本部庁舎横のハーブガーデンに移動した。




 途方に暮れた様子の神々は、小声で何事かを話し合っている。ロドニーたちが近づいていることにも気付いていない。

「なあ、何してんだ?」

「なにかお困りでしたら、私たちもお手伝いさせていただきますが?」

 二人が声を掛けると、二柱の神は『驚き、しゃがんだまま跳ぶ』という難しいリアクションを見せた。よほど真剣に話をしていたらしい。そして次の瞬間には、ヒハヤヒはふっと消えてしまった。

「えっ⁉ き、消え……」

「ナニ⁉ なんか俺たち悪いことした⁉」

 うろたえる二人に、ミカハヤヒが弁解する。

「や、あの、違くて……ヒハヤはあんまり、人と話すの好きじゃないから……話しかけられるの、慣れてないし……」

 そう言うミカハヤヒも、いかにも不慣れな様子で手をピコピコ動かし続けている。ベイカーから聞くところによると、ミカ、ヒハヤの二柱はタケミカヅチの顕現する姿の一つとして、かなり古い時代に『神話を整理』されてしまったらしい。おかげで彼らに祈る者はいなくなり、力は弱まる一方。今では三つ子の末っ子、タケミカヅチに『おこぼれ』をもらって神格を維持している状態なのだという。

 兄弟以外とまともな会話をするのはいつ以来なのか。彼の挙動は『神』というより、無理矢理外に連れ出された臆病なイエネコのようだった。

「あの、ミカハヤヒさん? 先ほどから拝見しておりましたら、何かをお探しのご様子でしたが……」

「見つからねえのか? 何失くしたんだ?」

「あ、えっと、その、僕らの持ち物がなくなったわけじゃなくて……」

「おう、なんだ?」

「水槽見たら空だったから、鳥に持ってかれちゃったのかなぁ、って……」

「……サラの?」

「うん。水草しかなくて。別の水槽に移したわけじゃないよね?」

「……マルコ? 心当たり……なさそうだな。その顔は……」

 子供が誘拐されたと告げられた父親の表情とは、このようなものであろうか。マルコは両手を頬に当て、真っ青な顔で呟く。

「わ、私のせいです……昼休憩の少し前、換気のつもりで窓を開けて……閉めた覚えがありません……」

「いや、ちょっと待てよマルコ。そんないきなり絶望モード入るなっての! サラ、ただの魚じゃねえじゃん? 水の外でも呼吸できるし、その気になれば宙にも浮けるし……」

「で、ですが、鳥のくちばしで咥えられたりしたら……穴が開くかもしれません……」

「あー……柔らかいもんな、サラ……」

 プニョプニョとした質感の青い金魚を思い出し、ロドニーも表情を雲らせる。

「サラの気配、感じねえのか?」

「はい……普段は接続を切っているので……」

「なあオオカミナオシ? お前、探せねえのかよ?」

 ロドニーは自身が宿す神に向かって問いかけるが、顕現した白いオオカミは首を横に振る。

「なんだよお前、使えねえなぁ~!」

「違う。探せないという意味ではない。探す必要が無いのだ」

「え? どういうことだ?」

「サラは遊びに出ているだけだ。誰もオフィスにいない時間は、たいていそうしている」

「マジかよ! どこ行ってるんだ⁉」

「今は情報部庁舎で隻眼の男と話し込んでいるようだが?」

「隻眼……って、まさか……肌が黒くて、全身機械化されてる男か?」

「ああ、そうだ」

 ロドニーは全身で『なんてこったい!』という感情を表現している。言語化不可能な複雑極まりないポーズで身をよじり、超高速で「ヤバい」を連呼している。

「あの、ロドニーさん? その方は、一体どなたでしょうか? サラがご迷惑をおかけしているようですから、すぐにご挨拶に……」

「伺っちゃダメなやーつ!」

「なぜです⁉」

「情報部長官セルリアン! 騎士団長と同じかそれ以上の権限を持つ騎士団の裏番長! ウチもジルチも知らない最重要機密を完全網羅してる最強サイボーグおじさん!」

「サイボーグおじさん⁉」

「情報部員以外は基本的に面会できないはずの人! ふらっと遊びに行っちゃいけない感じのアレ! ヤバい! 何がどうヤバいのか正直分からないけどヤバい!」

「え、ええ~っと、その、では、どうしたらいいでしょうか? どなたかにお願いして、手紙を届けていただくことは……」

「で、でで、できると言えばできるけど……うわぁ~、情報部員には会いたくねえ~!」

「会いたくない? 先日話題に上がっていたナイルさんとシアンさんは、皆さんと懇意にされていたのでは?」

「シアンに可愛がられてたのはゴヤだけ! ナイルと俺は微妙に接点なし! その他の先輩たちは超スパルタ教育で訓練キツすぎてゲロ吐いた記憶しかねえ!」

「そうなのですか⁉ ゴヤッチが絶賛していたので、てっきり皆さん、仲がよろしかったのかと……」

「ないないない! ベイカー隊長に代替わりするまで、ウチって超実力主義で露骨に生贄リンチあったから! こんなフリーダムな空気になったのって、つい三年前だぜ⁉」

「え? あの、生贄リンチとは……?」

「入隊基準にギリギリ満たないヤツを『特別選考枠』って名目で一人入れて、そいつイジメてストレス解消すんの。歴代特務部隊員の名簿調べてみろよ。だいたいどの隊長の時代にも、一人か二人は『原因不明の病死』か『訓練中の事故死』がいるから」

「そ……そのような行為が、実際に……? そんな、非人道的な……」

「だろ? 普通はそう思うよな? だから先代のアル=マハ隊長が、『もうこんなクソみたいな伝統やめようぜ』って言ってくれたんだよ。で、その当時『生贄』だった隊員を自分の補佐につけるようになって……ま、そのあたりから、ちょっとずつギクシャクしてたんだけどさ。結局、散々ゴタゴタやらかした挙句にベイカー隊長に代替わりしたわけ。その辺の話はそのうち嫌でも聞くことになると思うから、覚悟しとけよ。死ぬほどドス黒い話だから」

「は、はい……」

 マルコはふと、先日のグレナシンの様子を思い出した。

 性的マイノリティについての話をした際、彼はいつになく真剣な表情でマルコに警戒を促していた。ほんの一瞬だが、普段の『オカマ口調』から男言葉に変わってもいた。

 あの時の彼の言葉は、単に、世間知らずな自分を心配していたのではないのかもしれない。

 彼は先々代の特務部隊長、今や騎士団長を務めるクリストファー・ホーネットの時代に特務部隊に入隊している。小柄で細身で女顔。見た目通り、腕力もスタミナも無い。地方の少数民族の族長の子だというが、中央社交界への影響力はゼロ。これといった特殊技能も、特筆すべき資格も持たない。その彼が、なぜ特務部隊に入隊できたのか。これまで若干の疑問として、マルコの中で引っ掛かっていた。

 その疑問は『生贄リンチ』と『特別選考枠』という二つの単語のおかげで、あっさり答えに導かれてしまった。

(……つまり、副隊長は……)

 同性愛者は入隊試験で落とされる。彼が元から『オカマキャラ』だった可能性は皆無だ。もともとノーマルだった彼が『生き残る方法』として選択したのが、『女言葉を使って、あえて下に見られること』だとしたら――。

(そう考えてみると、副隊長が実際に性的対象として男性を見ていたことは……?)

 それらしい言動を取ってはいるが、本当に男性に対して欲情するなら、隊員たちとの共同生活には諸々の不都合が生じるはずである。しかし現状、何の問題も発生していない。休みの前日に宿舎のリビングで酒を飲んで雑魚寝してしまったときも、グレナシンはごく普通に酔った仲間を介抱していた。触られている隊員らも、それを見ていたマルコも、性的なニュアンスを感じたことは一切なく――。

「……ロドニーさん、私は、とてつもなく深い闇に気付いてしまった気がします……」

 顔を引きつらせるマルコに、ロドニーも同じくらい苦々しい面持ちで頷いて見せる。

「『元特務』とは必要以上に関わるなよ。脳ミソとか胃袋とか、色々病むから」

「はい……」

 マルコは残念に思った。先日の暴動鎮圧の様子を見て、きっと、とても素晴らしい先輩たちなのだろうと思っていたから。実際に会ってみなければ、本当のところはよくわからない。自分を心配して、ロドニーが大げさに牽制している可能性もある。しかし、ロドニーはむやみに人を悪く言うタイプではない。とするとやはり、あまり会わないほうが良いのだろうが――。

「おいワンコ~、海産物~。こんな草っぱらで何してんだ~?」

 不意に掛けられた声に驚いて振り向く。

 まったく気配を感じさせず、すぐ後ろに男が立っていた。

「い、いつの間に後ろに……?」

「ん? あ、なんだ、レインじゃなかったのか。これは失礼いたしました。はじめましてマルコ王子。ご機嫌麗しゅう♪」

 ピンと立った耳、長い尻尾、ふわふわとした灰色の毛並み、縦長の瞳孔――一目見て『ネコ科種族』と分かる男は、わざとらしくぺこりと頭を下げる。

「貴方は……?」

「情報部所属、ピーコックと申します。特務部隊と同じ案件を担当することもございますので、現場で鉢合わせたときにはどうぞお手柔らかに。あ、それでこちら、うちのボスからのお届け物です。確か、王子様のペットですよね?」

「あっ! す、すみません! サラ! 大丈夫ですか?」

 ピーコックの手の上には、腹を見せてぐったりとしたサラの姿があった。

 やはり水の外で長時間過ごすのはつらいのだろうか。マルコはサラの健康状態を心配し、両手でそっと受け取り――その感触と重さに眉をひそめる。

「……サラ? ひょっとして、今ひっくり返っているのは……?」

 サラは胸鰭で、ぺちぺちと腹を叩く。どう見てもパンパンに膨れ上がっていた。

「……ちゃんと『頂きます』と『ご馳走様でした』は言いましたか?」

 青い金魚は大きく頷く。もともと言葉を話せない『魚状態』でどう伝えたのかは疑問だが、本人がそう言うなら信じるのがマルコである。

 マルコは改めてピーコックに礼を言う。

「サラを届けてくださって、どうもありがとうございます。あの、サラにご飯を下さった方にもお礼を申し上げたいのですが……」

「あ、無理無理! それは無理ですよ王子様~。うちのボスは基本的に会えないことになってますからね~。伝言なら、俺が言付かりますけど?」

「では、マルコ・ファレルが『うちの子の面倒を見てくださってありがとうございました』と言っていたとお伝えください」

「はいは~い、え~と、うちの子の面倒を……と。はい、確かにお伝えいたします♪」

 いつの間に取り出していたのか、つい先ほどまでサラを持っていたはずの手には手帳とペンがある。マルコには、取り出した瞬間が分からなかった。

(あれ? この人の服、こんな大きさの手帳なんて、どこに……)

 仕舞うところを見てみたいと思ったが、手帳を閉じたところで、ピーコックは耳をピコンと動かした。

 大きくてフワフワした長毛猫の耳の動きに、何気なく視線を向けた直後――。

(……ん? 手帳とペンは、どこに……?)

 一瞬視線を逸らした隙に、手帳とペンは消えていた。視線を手元から外したのはほんの一瞬だ。上着のポケットもズボンのポケットも、こんな一瞬では手を突っ込むことすら出来ないと思うのだが――。

「それじゃ、お届け物も無事に渡せたことだし、失礼しますね♪ さようなら~♪」

「あ、はい、さようなら……って、あれ?」

 わざとらしくコミカルな動作で手を振って――次の瞬間には、もうその姿は無かった。

「……消えてしまわれましたね……」

 びっくりして、何度も何度も瞬きしてしまう。しかし、その瞬きに違和感を覚えた。

「……? 目が、やけに乾いて……?」

 ロドニーのほうを見ると、彼は真顔でフリーズしていた。

「あの、ロドニーさん? 大丈夫ですか?」

「……駄目。かなりマジで駄目。地獄の特訓が脳裏をよぎりすぎて思い出しゲロ吐きそう……」

「そ、それほど過酷な特訓を……?」

「マルコ、鏡見てみ?」

「鏡?」

 特務部隊の基本装備品にも手鏡は含まれているが、身だしなみを整えるために私物の鏡と櫛も持っている。マルコはそれを取り出し、自分の顔を映して驚愕した。


 頬に落書きされている。


 ピンクのマーカーでハートマーク。その上に黒いペンで『彼氏募集中』という一文が――。

「わあああぁぁぁーっ⁉ こ、ここ、これはいったい、いつの間に⁉」

「分かんねえだろ? 全然分かんねえんだよ! あいつがいつ現れて何したか、一つも分かんなくて……俺、それ系のイタズラでもう何度もガチな連中に迫られて……うわぁあぁあぁ~っ!」

 何かを思い出して嘆きの悲鳴を上げるロドニーの後ろで、ミカハヤヒとオオカミナオシが何事かを話し合っている。双方難しい顔をしているが、話はすぐにまとまったらしい。

 オオカミナオシがマルコに近付き、真面目な声で言う。

「青年、イエルタメリ、我々はしばし、あの者に憑く」

「え? なんでだよ?」

「あの者から、人ならざる者の臭気を感じた。あれはなにか、とても恐ろしいものと接触を持っている」

「人ならざる者……って、合成獣とか人造人間じゃなくてか? 情報部で何体か飼ってるらしいけど……」

「そのような者とは別種だ。あの者からは、マガツヒの神と同じにおいがする」

「マジかよ? え? でも、それならあいつも『神の器』とか……?」

「いいや。あの者自身は人間だ。しかし、このにおい、世界の何処かに不具合が生じている可能性が高い。原因を突き止めてくる。行くぞ、ミカハヤヒ」

「あ、タケぽんとサイトに何か聞かれたら、オオカミと一緒にいるって伝言よろしく……」

「はあっ⁉ あ、おい、ちょ……っ!」

 二柱の神はフッと姿を消し、そのまま立ち去ってしまった。

 するとどうだろう。神の気配が消えると同時に、先ほどまであんなにたくさん集まっていた小鳥たちが一斉に飛び立ってしまう。飛び回っていた羽虫も、草葉の陰でコロコロと鳴いていたコオロギの類も、ピタリと動きを止めてしまった。

 心なしか、風が肌寒い。植物の緑も急激に色褪せたように感じる。

 生き物の気配が乏しくなった草地で、二人は呆然と立ち尽くす。

「……やはり神……なのですね。ミカハヤヒさんも……」

「おう……さっき、飛んでる鳥とか、けっこう乱暴に捕獲してるように見えたんだけど……」

「捕食されるわけではないと、分かっているのでしょうね」

「スゲエな……。うん、滅茶苦茶スゲエけど……そのカミサマにも原因がわかんねー『臭気』ってなんだ……?」

「サラ? サラは何も感じなかったのですか?」

 手の上の魚に話しかけてみるが、満腹状態の魚は半分寝ている。トロンとした目でマルコを見て、「何か言った?」とでも言うような顔を見せる。

「……サラ、人を疑えとは言いませんが、無防備すぎるのも如何なものかと……」

 グレナシンが自分に忠告してくれたときも、こんな気持ちだったのだろうか。どうにもスッキリしないモヤモヤを感じながら、マルコはサラを抱いてオフィスへと戻った。




 二人が戻ると、オフィスにはベイカーがいた。

「おお、ロドニー。やっと戻ったな」

「あ、すみません、お待たせしちゃいましたか?」

「いや、気にするな。俺が勝手に張り切っているだけだ」

 見るからに旅支度のベイカーに、マルコは首を傾げる。

「隊長、出張のご予定は来週でしたよね?」

「ああ。これは出張用ではなく、『地球調査任務』のための支度だ」

「地球⁉ 今からですか?」

「王宮側の都合で、急遽出発することになってな。今から俺とロドニーは地球文化の調査……という名目の『お土産購入ミッション』に就く。補佐の二人も連れて行くから、今から月曜の昼まで、隊長室は完全に空になる。不測の事態には副隊長の指示を仰ぐように」

「はい……あの、そのミッションに、私も同行するわけには……」

「すまない。俺からも進言してみたのだが、女王陛下からの許可が下りなかった」

「ですよね……」

 地球調査任務――それは建国以来連綿と続けられてきた、非常に重要なミッションである。二つの世界を繋ぐ『ゲート』を通り、あちらの人類がどのような文明社会を築いているか詳細に調査するものだ。

 もちろんはじめのうちは、本当に『調査任務』だった。こちらの魔法文明には存在しない科学的見地に基づく論文、工業機械、地球にしか存在しない動植物のサンプル採集など、調べるべきことは山のようにあった。

 だが、それらはすぐに解析が終わってしまった。こちらは魔法と科学の二刀流。対する地球は科学のみ。文明の発展速度はウサギとカメだ。こちらの人類は地球人が数万年かけて到達した文明レベルにあっという間に追いつき、今や隣の惑星への移民計画まで持ち上がるほどになった。

 いまさら地球人から学ぶことなど何もない。なのに、なぜ地球に赴くのか。


 理由はひとつ、『観光』である。


 ゲートは王宮敷地内にあり、王家によって管理されている。地球観光ができるのは月に一組、二名まで。上級市民以上の国民から抽選で選ばれ、当選すると『ペア旅行券』が送られてくるのだ。

 一年に二十四人しか参加できない、非常に貴重な観光旅行。どれだけ大金持ちでも、公開抽選に当選しないことにはどうにもならない。大貴族ばかりが特別扱いされるこの国において、これは非常に画期的なシステムだった。

 ここは現在戦争状態にない平和な王国。貴族らの興味の対象は、もっぱら賭博やスポーツ観戦、芸能、旅行等々。それらを語り合うサロンの主役は、たいてい大貴族の当主やその奥方である。だが、地球旅行の話のときは主役が変わる。何と言っても、実際に行った者でなければ地球の話は出来ないからだ。

 この『ペア旅行券』が送られるようになってから、サロンの様子は一変した。これまで同じ階級の者としか会話しなかった貴族が、自分のサロンに地球旅行経験者、つまりは大学教授や医師、音楽家や芸術家などの上級市民を招くようになったのだ。

 貴族らは次第に、身分が高いだけでは『話を聞いてもらえない』ということに気付き始めた。一応は聞いている素振りで、相槌なども打ってもらえる。だが、誰の目も死んだ魚のようにどんより濁ったまま。扇子で隠した口元で、退屈のあまりあくびをこぼしているような有り様だ。

 豊富な知識と経験に基づく、上級市民らの『外の話』。対する自分たちは、狭くて使い古された『内輪の話』ばかり。これではいけないと気付いた貴族らは、積極的に領民と対話するようになった。

 旅行券プレゼントが始まったのは約五十年前。現在は当時の貴族らの子供、孫世代が当主となっている。危機感を持って意識改革に当たった貴族の家は、今なお隆盛を極めている。対して何の危機感も覚えず、いつまでも内輪のスキャンダルと賭博にしか興味を抱けなかった貴族はというと――。

「俺たちが留守の間にムルターグ子爵家から手紙や使者が来るかもしれんが、放っておいて構わないからな。あの件では既に国税局が動いている。今更娘を売り込みに来ても手遅れだ」

「ムルターグ子爵というと……先日の、アデリーナ嬢の御父上ですね?」

「そうだ。今、あちこちの家に『うちの娘を嫁に…』というのをやっているらしい。はじめにそれをやっていたら、もう少し立て直しのチャンスもあったのにな」

 スフィアシティでの任務の後、アデリーナ嬢の消息について驚愕の事実が判明した。

 ムルターグ子爵家の娘は未婚のはずだが、五人全員が出産、もしくは堕胎手術のために別邸に籠っていたのだ。

 馬鹿な金の使い方をしただけあって、ムルターグ子爵は、その後の対処も最悪だった。せっかく器量も気立ても頭も良い娘が揃っているというのに、まともな縁談を調えようともせず、パーティーの度にあちこちの貴族と関係を持たせた。特定の相手に嫁がせて資金援助を受けるより、このほうが数十人から同時に、多額の援助を得られると考えたのだろうが――。

「もともと『内輪のお付き合い』ばかり選んでいた家だからな。あっという間に噂が広がって、あの家の娘と寝る男はいなくなったようだぞ?」

 マルコもロドニーも、それはそれは大きな溜息を吐いた。特にアデリーナに惚れていたロドニーは、見るからに肩を落としている。

「アデリーナちゃん……まさか妊娠しちゃってたなんて……」

「それでも口説くというなら、俺は止めないが?」

「いえ、あのバカ子爵と義理の親子になんてなりたくありません」

「だよな。良かったじゃないか、中途半端に付き合っていなくて」

「まあ、そうなんですけど……」

 先ほど以上に深い溜息を吐くロドニーだが、マルコのほうは、ロドニーとは別の意味で表情を曇らせている。

「父親に脅されて嫌々やらされていたのならば、姉妹の身柄を保護することも出来るのですが……」

 誰がどう見ても売春行為を強要されている。性犯罪の被害女性を一時的に保護する法も施設も十分にあるのだが、現状、彼女らはそこに収容されるだけの条件を満たしていない。

 その条件とは、本人が『被害に遭いました』と申告することである。

 ベイカーも眉間に深い皺を寄せていた。

「本人たちが『自分の意思だ』と言い張っているのだから、仕方があるまい」

「ええ……これは、被害者本人の『尊厳』の問題ですから……」

「難しいな」

「はい。とても……」

 複数の男と関係を持ったことを『社交界の武勇伝』とするか、『売春行為を強要された』とするか。いずれにせよふしだらな女と謗られることは避けられないが、後者は父親を犯罪者として告発することとなる。父を罰して貴族としての身分を捨てるか、父親に道具扱いされながらも貴族であり続けるか。これは彼女らの今後の人生を左右する、非常に大きな決断である。

「まあ、本人がそれを望むのなら、俺たちが口出しできることはない。法的に、粛々と財務処理を進めてもらおう。土地を七~八割も手放せば、あの家は十分立て直せるはずだからな」

「そうですね……」

 ちっともスッキリしない幕引きとなるが、特務部隊の請け負う案件は多くがこのような終い方をみせる。いちいち気を揉んでいたら自分の心がもたない。

 三人は気を取り直し、話の筋を戻す。

「隊長? このたびの地球行き、どなたの護衛でしょうか? 前回は文化人類学のハイマー教授でしたよね?」

「ああ、見事に『その分野』の第一人者が当選してしまったからな。いや、あれは大変だったぞ。教授の中では、あれは観光でなく調査と研究だったから……あまり現地住民とは接触を持ちたくないのだが、いくら止めても手あたり次第話しかけに行くし……」

「分かります。あの方は、とにかく行動力がおありになりますから」

「だが、まあ、今回はのんびり温泉にでも浸かっていられそうだ。俺もロドニーも、仕事というよりは休暇気分だな」

「ということは、当選者は以前からのお知り合いですね?」

「ふっふっふ、それは秘密だ」

「秘密……ですか? 機密ではなく?」

「ああ、秘密だ。無事に帰ったら教えてやる」

「そんな。気になります、ヒントだけでも!」

「いやぁ~? それは教えられないなぁ~?」

 ニヤニヤしながら勿体付けるベイカーの様子に、マルコもニヤリとする。

「あ、さては私の知人ですね?」

「う~ん、それはどうかなぁ~?」

 わざとらしくすっとぼけて見せるのが、ベイカーからの大きなヒントである。

 中学、高校、大学――いずこかで机を並べた同窓生か、教えを乞うた教諭陣か。女王からの許しが出ない自分を悔しがらせたがっている誰かがいるということだろう。

 さて、月曜日になったら、いったいどこの誰から『久しぶりに会おう』と声が掛かるのか。マルコは週明けを楽しみに待つことにした。

「土産のリクエストくらいは受け付けるぞ。何がいい?」

「では……地球らしい図案のTシャツか何かを」

「分かった。いかにもそれらしいのを買ってきてやろう。では、また月曜に」

「はい、行ってらっしゃいませ」

 大きな旅行鞄を抱えたベイカーと、いつも通り薄っぺらな書類鞄ひとつで出て行くロドニー。対照的な二人を見送り、マルコはふと、どうでもいいことを考える。




 ベイカーの鞄には、ロドニーの着替えまで入っているのだろうか、と。


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