05/18/14:00――陽だまりの少女
昼食を適当に食べてから、町を回って茶葉の店を発見した俺が寮にまで戻ったのは、十四時を過ぎるくらいだった。玄関からリビングに顔を出さないと二階には行けないので、必然的にそこにいる天来と顔を合わせることになる。
「おかえりなさい」
「ああ……」
天来はリビングの、普段は食事をするためのテーブルにノート型端末を開いて、のんびりとしているところだった。
「雑務を終えての休憩中か。確かに夕食までは時間があるし、そういう〝余裕〟を作って活用するのも、寮母としての仕事か……」
「そんなに大げさなものじゃないですよう。やることをやって、手を抜くところは抜く、それだけです」
「俺は褒めたつもりはないんだが?」
「あはは、そうでしたか」
「――ああ、そうだ、思い出した。どうやら学校の職員室では、俺が人殺しだとかいう噂が立っているらしい。反応はいらない、クソ女狐。いいかよく聞け、――警告しておく」
距離は離れている。そのにやけツラを見ながら、俺は語気を荒くするのでもなく、いつも通り、言うべきことを伝えるつもりで口を開く。
「俺の主はかつても今も、国でもなければ組織でもない。――〝忠犬〟は」
「――」
天来の表情が凍る。ぎくりと、跳ね上がった鼓動を強引に抑えるのが、手に取るようにわかった。どうやら、俺の所属――元所属までは知らなかったらしい。
「――主以外には、遠慮なく噛みつく。それが誰であっても同じだ。覚えておけ、二度はない。大した損害のない事実だったとしても、あまりくだらんことはしない方が身のためだ」
以上だと、俺は階段を上る。まあいつか警告はしようと思っていたので、丁度良い。どうせ、俺の情報が少ないから、ちょっと誘いをしてやろう、なんて考えていたのだろう。それに俺は乗ったかたちにはなるが、これで次がなければそれでいい。
身を引いたとはいえ、俺はずっと犬のままだ。
二階に行って、ぴたりと足を止める。窓際のスペースで、女が寝転んでいたのだ。いや女というか、間違いなく桜庭なんだが、ワンピースでごろ寝とは、なんというかこいつ――ほう、なんだ黒か。
足音を立てずに近づき、覗き込んだ俺は納得の頷きを一つして、静かに扉を開いて自室に入り、買い物袋をベッドへ放り投げておく。茶葉というのは、開ければ飲まなくてはならない。まだ残りがあるなら、そちらを先に片づけなくては。
上着を脱ぎ、ネクタイを外し、さてとお茶を淹れた俺は、椅子を引っ張り出して入り口を開き、足を組んで座りながら、のんびりとお茶を楽しむ。陽が傾いていくに従って位置を変える日当たりを、上手い具合に受けるよう、寝返りを打つ桜庭は見事だ。見事というか、陽だまりの猫か何かか、こいつは。
一時間ほど、そうしていただろうか。二杯目を飲み干した頃、のそりと起き上がった桜庭は、可愛らしい無防備な間抜け顔で俺を見上げた。
「あー……」
「よだれを拭け」
「……うん」
袖で拭った桜庭は、左右を見てから、大きく伸びを一つして、仰向けに倒れた。
「おはよー、ルイ」
「よく寝ていたようだな。言っておくがここは二階だ、つまり野郎のスペースだ。危機管理が……いや、まあいい。少し待っていろ、お茶を持ってきてやる」
「あったかいのー」
「そもそも、温かいものしかない」
俺の三杯目と一緒に持っていけば、躰を起こして胡坐で腰を落ち着けていた。まだ眠そうな顔をしているが、これは普段見る桜庭の顔である。
「ふわ……ん、あんがと」
「昼寝か」
「うん。ちょっと汗かいた……」
「この時期、日なたにあれだけの時間いれば、そうなる」
「……脱いでいい?」
「この場を発見した第三者が、俺が悪いと言い出すからやめてくれ。個人的には大歓迎だ」
「よくわからないけど、じゃあやめとく」
損をしたのかよかったのか、俺もわからん。
「ルイって」
「なんだ?」
「軍人さん?」
「どうしてそう思う」
「穂乃花が言ってたから」
「あの女狐は口が軽いな……カゴメは自分から言っていただろう?」
「うん、元軍人さんとか言ってたね。でも、ルイはカゴメと違う感じするし、どうなのかなーって」
「最初に言っておくが、俺はそういう面倒が嫌で、のんびり過ごしたくてここにいるんだ」
「ふうん……あ、言わない方がいいのか」
「俺が黙っている以上は、黙っていればいい。だがまあ、否定するほど馬鹿じゃない。それもまた事実だ――が、俺も同様に元軍人だ」
「若い……んだよね?」
「ちなみに、経歴そのものは、カゴメと大きく違う。あいつはどうせエリート街道だろう、俺の場合はクズの生き方だ」
そうだ。
元軍人だ、なんて平然と言えるような生活はしていなかった。
「なんだ、俺の過去に興味があるのか?」
「知りたいって、思うよ?」
「そうか……聞き耳を立ててる馬鹿もいないし、話してやってもいいが、だったら部屋の中に入れ。そろそろお茶請けがあった方がいいだろ」
「カロリー高い?」
「ナッツくらいなら、問題ないだろう」
立ち上がれば、なんの躊躇もなく部屋の中に入ってくる。この女、大丈夫か? 野郎の部屋に入るって意味合いを、きちんとわかっているか?
「椅子に座ってろ。俺はベッドでいい」
「私もそっちー」
「やめろ。どうせお前は、話の途中で俺のベッドで眠り出す。そうした時、あとが大変だ」
「むう……」
とりあえずテーブルにお茶請けを出してやれば、そちらに椅子ごと移動した。
「さて、どこから聞きたい?」
「んー、ルイは大人びてる。軍って、アメリカの?」
「ああ……といっても、カゴメは航空兵科だろう。俺の場合は海兵隊だ。日本じゃ少年院に送られるような馬鹿どもが、あっちにはよく集まった。十歳くらいの頃、まあ理由はいくつかあるんだが、俺は訓練校に入ってな」
「早い?」
「もちろんだ。向こうじゃ若いと言っても、せいぜい十六くらいなものだからな。俺みたいな例外がいないわけじゃない……が、さすがに若すぎるから、三年くらいは訓練校にいた。走り込みくらいはやったが、あとはほとんど雑用だ。銃を持ったのも遅いし、正式訓練も後になってからだったな」
まあ、だからこそ、芹沢のテスターなんていう変な仕事を回されることになったのだが。
「海兵隊訓練校では、一年でもう戦場に出る。経験を現場で積んで、帰ってきたら階級も上がって、仕事も増える寸法だ。十四くらいまでは、各地を転転としながら生活をした」
「えっと……階級は?」
「十四の時には伍長だ。訓練校の面倒も見たし、主に狙撃の仕事を回された。もちろん現場にもよく出た」
「あのさ、実感はぜんぜんないけど、現場って、戦争の?」
「まあ――そうだな、似たようなものだ。このところ、戦争なんてものはあまり聞かないが、前線支援なんてのは大抵がそうだ。命の奪い合いだよ。お陰で俺も、戦友をそれなりに亡くした」
「……うん」
「わからんだろう? ははは、同情はいらん。それに俺は、今でも軍が悪い場所だったとは思っていない。多くのことを教わって、――失くしてもきた。だが忘れたことはない」
「じゃ、どうしてやめたの?」
「そこは、やや複雑な事情がある。どう言えばいいのか……そう、引き抜きにあったんだ。二年前になるのか、俺は軍に近い〝組織〟に拾われて、そこで仕事をした。まあなんだ、仕事自体は似たようなものだったが……ともかく、組織は軍ではなかったと、そういうことだ」
「先生が違う学校に赴任する感じ?」
「ああ、それは近いものがあるかもしれない。だが、その学校が廃校になってしまってな……軍なら、次の職場の推薦状が出されるんだが、うちの組織はそういうこともなく、まあしばらく休めと言われた。そこで俺は、亡くなった戦友が冗談交じりに言っていた、田舎で呑気に暮らしたいと、そんな言葉を思い出して、ここに来たんだ」
「ここは、どう?」
「その性質ゆえだろう、外部の人間に対しての懐が広い。そもそも、ガキの八割は〝孤児〟だ――必然的にそうなるだろ」
このナナネと呼ばれる一帯は、そういう場所なのである。もちろん、そうした者だけで構成されているわけではないが、いわば避難所であり、全員が平等なのだ。
「ルイも?」
「ん、ああ、軍の仕事で両親を殺した。まあ、軍というかマフィアというか、そういう親だったからな。そういう意味では、俺は親から逃げたのかもしれん」
「あ、変なこと聞いた。ごめん」
「構わないが?」
「だって私、聞かれたら面倒だもん」
「……それもそうか。いや、良いことだろう、そういう判断ができる上、謝罪もする。どっかのエリートとは大違いだ」
「カゴメのこと嫌いなの?」
「嫌いではないが、イラつく相手だ。あんなのと現場で一緒になったら、手がかかって仕方ない」
「そっかな? カゴメはしっかりしてると思うけど」
「お前と比べれば大抵のやつはしっかりしてる」
「えへへ、そっかなあ……」
「おい照れるな、褒め言葉じゃない」
「む。でも私、学校じゃしっかりしてる!」
「俺が見ていないことを、胸を張って言うな馬鹿。お前がしっかりしているのは、せいぜい下着の色を何にするか決める時くらいだろう?」
「……黒はだめ?」
「特定のこだわりはないが――なんだ、見られていたのに恥じらいの一つもなしか」
「寝てた間はしりませーん」
それはどうなんだ……?
「ほかの質問は?」
「……後悔してる?」
「いや、していない。ああ……そうだな、悔いがあるのは確かだ。今はいない戦友の存在が、ずっと教えてくれている。だが、それを含めて俺だ。俺は俺を否定しない。――しては、ならんのだ」
「……」
「どうした、間抜けなツラ――は、変わってないが」
「すごい。ルイ、強い」
「――、そうか。そう見えるか」
「ちがう?」
「さあな、よくわからん」
誰だとて似たようなものじゃ、ないのだろうか。誰だって、何かを背負って、何かに恥じない生き方をしようと、願うものじゃないのか。
「強いと思う」
「はは、素直に受け取っておく。だがサーヴィスはしない、夕食まで我慢しろ」
「だいじょぶ。間食太るし……」
「運動すればいいだろう」
「ボードくらいしかやんない」
「あれも運動にはなるか。休息日を使って、ぶっ倒れるまでやって、上官に怒られたのも懐かしい想い出だ」
「……? いつ?」
「連中には軽く話したが、テスターをやっていたんだ。この際だから言うが、俺がまだ訓練校に所属している頃にな。一応、組織に引き抜かれてからも、遊び道具として使っていた。使っていたというより、テスターをしていた過去を上官が知って、いいから遊ぶぞと、六台くらい揃えてな……」
あの人は、あの頃から無茶な人だった。
「いや、余計なことだ。黙っておいてくれ」
「……隠してた? どして?」
「過去をぺらぺらと語るような男は、嫌われるものだ」
「そんなもんかあ」
「俺の話はこれくらいでいいだろう。お前は今日、朝からあの調子か?」
「んーん、昼前まで学校にいた。生徒会長の引き継ぎ作業とかあったし、まだ引き継ぎは先だけど」
「なんだ、思いのほか、きちんとやっているんだな」
「うん、いちおう」
「それで帰宅して惰眠をむさぼる意味合いはよくわからんが」
「え、眠たかったし」
「食いたいだけ食って、寝たいだけ眠れば、程よく肥えた豚ができるとは言うが、そういう作りの豚が美味いかと言われれば、そうでもない」
「……意地悪」
「そうふくれるな、悪いとは言っていない。こうして俺の話にも付き合ってくれているしな」
「うん。面白いよ、ルイの話」
「褒めても何も出ない」
言いながら、お代わりの茶くらいは淹れてやる。
しばらく、ほぼ無言のままの時間が過ぎた。お互いに話題を探すような真似はしないし、かといって考え込むようなこともない。ただ、過ぎる時間を無為に過ごし――のんびりとする。まるで縁側の老人だ。
しかし。
「おい、のんびりするのはいいが――そろそろ部屋に戻ったらどうなんだ、お前は」
「んー」
それは肯定なのか、否定なのか、はっきりしたらどうなんだ。
ちなみに、桜庭は蛍たちが帰宅するまで、俺の部屋にいて、部屋の便所を使っていた。
なんなんだこの女は。座敷童だと思えばよかったのか?