9. デートみたいになっちゃうじゃない
小学校の校庭を出ると、ゆるやかに下る細い坂に出る。花の家は小学校をはさんで幸山くんの団地と反対方向なので、ここから先は花が自信をもって案内できる道だ。
花は、幸山くんにとってはどうでもいいであろう情報を次々披露した。
「ここ、綺麗な白い猫がよくいる場所」
「この瓦礫のところ、よく小学生がポイ捨てしてる」
「あそこのおばあちゃんは、庭でなってる枇杷とか柿とか分けてくれるんだ」
「雨が降った次の日は、この道、ひからびたミミズで足の踏み場が無くなるんだよ」
「あ、この坂をあがると山本くん家があるんだよ!覚えてる?」
時刻は3時になるかならないかだったと思う。まだぽかぽかとして明るいけれど、二つ並んだ影はさっきよりも確実に長くなっていた。
幸山くんは夕方過ぎのバスに乗らなければいけないことになっている。それなのにまだ時間はたっぷりあるような気がしていた。なぜだろうか、小学校の頃のことをたくさん思い浮かべたせいか今日一日は時間の流れがおかしいようだった。
――このあとどうしようかな……まだまだ時間もあるしどこ連れて行こう。
なんとなく花の家に向かって歩いているが、このあたりには若者が行って楽しいところはない。せっかく遠くからやってきたのだから、ここでしかできないことをしてほしい。幸山くんは花に会いに来たと言っているが、自分に会うだけではどうしてももったいないと思ってしまう。
しばらく黙ったのち、花は幸山くんをぱっと見上げた。
「ねえ、すぐ近くに桃井くん家があるの!せっかくだし会っていかない?」
「桃井?え、今から?いきなり行ったら迷惑じゃねえ?」
「だいじょうぶ!もう終業式終わってとっくに帰ってるだろうし」
「ほんとかよ」
「うん。それにびっくりさせるのも楽しそうだし!」
高校に入ってからはほとんど話したことがないが、彼の方も今でもサッカーを続けていると聞く。サッカークラブ時代の仲間に会えたら、幸山くんもきっと喜ぶのではないかと思った。幸山くんは遠慮しているようだったが、花にとっては名案に思えた。
「ね、どう?」
最後にもう一押しすると、瞳を少しゆらしたあと承諾してくれた。
ピンポーン。
幸山くんはチャイムを押しながら、「なんて言えばいい?」ととまどう。
確かに、いきなり名前を言ってもびっくりするだろう。それでも、スピーカーからおばちゃんの声が聞こえてくると、「幸山直樹です」と、しっかりとした様子で名乗った。
おばちゃんはびっくり仰天といった感じで、
「今あの子を起こしてくるからね。ちょうど昼寝をしてたのよ!ちょっと待っててね」
といってプチンと通話を切った。
おばちゃんはバタバタしているのかなかなか出てこない。
こちらをふりかえった幸山くんの目には、いたずら心が見え隠れしていた。
庭用の水道のところに使い古されたサッカーボールが転がっていて、それを見つけた幸山くんは片足でちょんとつついてリフティングを始めた。その家の犬が元気よく吠えてくる。
そしてまた嬉しそうにこっちを見るので花もにこっと笑った。笑顔がまぶしい。
おばちゃんはあわてた様子で出てきた。
そして玄関のドアを開けて、まず見えたのが花の姿だったということに驚いた。
息子の昔の友人が訪ねてきたと思ったら、なぜか花がいるのだ。もちろんおばちゃんは花のこともよく知っていたが、ここ最近はご無沙汰していたので、「どうして?」と不思議がっているのがありありと見て取れた。
すると幸山くんがさっと前に出て、
「お久しぶりです」
とあいさつをした。
おばちゃんは二人を交互に見ながら「あぁ…あぁ」と頷くと、「ひさしぶり」と気の抜けた笑顔を見せた。
花も後ろからぺこりとおじぎをして、
「わたしもお久しぶりです」
と言った。
「あぁ、ひさしぶり」
おばちゃんは何回もうなずいた。
「今日はどうしたの、直樹くん」
「ちょっと遊びに来ました」
「まぁ、ひとりで?」
「はい」
「今日はどこかに泊まっていくの?」
「いや、日帰りなんで」
「サッカー続けてるんだってね。今は部長さんとかしてるの?」
「いや、そんなすごいことはしてないです」
幸山くんは落ち着きを取り戻したおばちゃんの質問攻めに合った。
花はにこにこしながら、おばちゃん、まさかわたしに会いに来たとは思ってないんだろうなと考えて、ひとりで照れた。
しばらくして、やっと桃井くんが姿を見せた。
本当に寝起きといった様子で、ベッドに押しつけていたのか顔右半分が赤く、髪の毛もくしゃくしゃになっていた。
「おう」
「おう」
ふたりは軽く挨拶をしたあと少し無言になったが、桃井くんが次の言葉を発した。
「……ひさしぶりだな」
「あぁ」
男の子の再会ってこういうものなのかと、花は興味津々だった。
すかさず、おばちゃんが「あんたも遊びに行ってきなさいよ。ほら、早く着替えて」と言った。
「え…」
桃井くんは嫌そうな顔を見せた。寝起きでまだ頭も働いていない様子だし、機嫌もそんなに良くなさそうだった。
「何で?せっかく来てくれたのに何を言ってるのよ」
「……いい」
「ほら、行きなさいよ」
「あ、いいですよ、別に。俺たちも突然来ちゃったんで」
らちがあかないというふうに、幸山くんが二人の会話に割って入った。
「あら、そーう…?ごめんね、うちの子ったら」
「あ、ほんとに大丈夫です。おかまいなく」
「わたしの方もすみません。昼寝を邪魔したみたいで」
「それはいいのよ。でもうちの子が行かないとふたりがデートみたいになっちゃうじゃないの、ねぇ?」
その言葉に幸山くんがピシッとかたくなったのが分かったが、ケラケラ笑うおばちゃんに合わせてみんなでハハハハと笑った。
――デート、なんだけどな……たぶん……
少なくとも花はそう思っている。だが改めて意識すると、途端に顔に熱が集まってきそうだ。
空気の読めないおばちゃんをかわいく思うと同時に、桃井くんの反応が気になった。久しぶりの再会なのにあんなにあっさりしていたのは事情を察したからだろうか。それとも単に不機嫌だっただけだろうか。ふつうなら花たち二人が一緒にいることを疑問に思ってもおかしくないのに。
花は少し首をかしげたが、幸山くんはもう満足したようだった。
そこで最後にふたりで頭を下げて、桃井君にもバイバイを言ってその家をあとにした。