7.全然変わらない
「この塀こんな小さかったけ?」
幸山くんはさきほど飛び降りた塀をしげしげと見つめ、首をかしげた。
本気で不思議がっている様子なのが面白くて、花はくすくす笑った。
「幸山くんがおっきくなったんでしょ。昔は小さかったもんねえ」
「やっぱりそういうもんかな」
「うん!」
昔住んでいた棟までたどり着くと、幸山くんは携帯を取りだし、外観を写真に収め始めた。壁は茶色く汚れているしおせじにもおしゃれとは言えない建物だけど、幸山くんの目には全然違うふうに映っているのだろう。
本人が緑がかっていると言った目が、光を取り込んでキラキラしているように見えた。
「変わってる?」
「いや、まったく」
幸山くんは建物のまわりをぐるっと一周した後、薄暗い廊下に足を進め、自分が住んでいた部屋の郵便受けの名前を確認した。
「今は違う人が住んでる……」
知らない名字が書かれた郵便受けをながめて、ぽつっとつぶやいた。
「せっかくだし、上にあがってみようよ」
そんな幸山くんに花は明るく声を掛けた。
「いいの?」
花はうなずいて、自分が先に立って階段を上がった。
1階分あがるごとに、踊り場から見える景色が変わった。隣の官舎の屋根がどんどん低くなり、空にどんどん近づいている気がした。
雲がぽかりぽかりと浮かんでいて、ねむたそうな青。
階段を上がると少し汗ばむくらい、春にしては暑い日だ。
幸山くんが後ろからついてくる。
ドアの前に立つと、何と言うこともないドアだった。年季は入っていそうだが、趣があるわけでもない。花も昔このドアを開けて、幸山くんやおばちゃん、それからお姉ちゃんを訪ねたことがあるはずなのに、何も思い出せない。
もちろんドアを開けて中を見ることもできない。
――こんなんでも見れてよかったのかな?
幸山くんは何も言わなかった。ふたりして黙ったまま今度は幸山くんが先頭になって階段を下り、建物から出た後になってようやく彼が口を開いた。
「付き合ってくれてありがとう」
晴れやかな笑顔だった。
「懐かしかった?」
「あぁ、覚えてたとおりだった。それに俺の記憶力も捨てたもんじゃないって分かった。やっぱり毎日見てたものは記憶に残るのかもな」
「そっかぁ、そうかもねぇ」
思わず、わたしは変わった?と聞きたくなったが、その答えを聞いてどう反応したらいいかが分からない。逡巡しているうちに、幸山くんがつぶやいた。
「全然変わらない」
自分の質問に答えられた気がして花はびくっと身体を震わせた。官舎を振り返っているところを見ると、この景色に対しての感想なんだろうけど。
花はいちども転校したことがない。
生まれてからずっとこの町で暮らしているから、家が変わるとか故郷はどこかと聞かれて答えに迷うとかいう気持ちが分からなかった。幼い頃に数年すごした町というのは本人にとってはどういうものなのだろうか。どうしてこの町に来ようと思ったんだろう。
わざわざオフの日を使ってくるくらいだから、花に会いに来る以上の理由があるのかもしれない。
幸山くんの横顔をちらっと盗み見ると、「何?」と穏やかな声で聞いてくる。その表情からは幸山くんの感情を読み取れそうになかった。花が首を振ると、幸山くんは顔をしかめてみせた。
「それにしてもあちーな、今日」
「小学校も行ってみる?」
「いいね」
小学校に向かう道々、幸山くんは懐かしいエピソードをたくさん披露してくれて、花はなんども大笑いした。大笑いしながら、やっぱりいつもと違って、胸の奥の奥の方でドキドキが続いているのを感じた。