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10. なんか弾いてよ

桃井君の家に別れを告げると、いよいよ行く場所がなくなってしまった。平日の午後は道も閑散として、ただ鳥がのどかに飛んでいく。

そもそも幸山くんは、昨日までサッカー部の遠征があって、その疲れを取るために特別にお休みをもらったらしい。それなのにこんなに連れ回してしまって、さすがに足を休めなくては。



この界隈はただの住宅街で、小さなカフェのひとつもない。

休めるところ、それはひとつしかなかった。

花の家だ。



しかし花はあまり恋愛に興味がないままここまできてしまったせいで、親のいない家に男の子を上げてもいいものなのかどうか判断が付かなかった。若い男女が密室にふたりきりなんてよくないかもしれない。男は狼なのよ気を付けなさい、なんていう言葉が頭をよぎる。だが家に上げるくらいで意識していたら幸山くんに失礼な気がする。かといって二人きりと思うと変に緊張してしまう。


うだうだ考えたところでほかに休めるところを思いつけるわけもなく、花自身の足も痛みを訴えはじめているのに気付いた。



――幸山くんなら昔何度も遊びに来てたし、気にする方がおかしいよね。


心の中でそう結論づけ、家に案内することに決めた。






いつもなら近所のおじちゃんおばちゃん誰かしらに見られ、「おかえり〜」と声をかけられるところなのに、不思議と今日は誰にも会わなかった。

鍵を開けていると幸山くんが、


「親は?」


と聞いた。ドキンッと心臓が変な音を立てたが、平然を装った。


「いないよ。うち、共働きだもん」


幸山くんが横で心なしかまじめな顔をしている気がして、やっぱりまずいのかなぁ……という思いがちらっと頭をかすめたが、その思いに気付かなかったふりをした。





「片づいてないかもしれないから、ちょっとここで待っててね」


キョロキョロしている幸山くんをとりあえず玄関で待たせておいて、干しっぱなしの洗濯物や机の上に出しっぱなしの物なんかを片付けた。


「どうぞ」

「お邪魔します」



「ちょっとここに座っててくれる?」

「あぁ」


幸山くんには先に掘りごたつに入ってもらい、その間に花は冷たいお茶ともらいもののお菓子をお盆に載せて用意した。キッチンに入って顔が見えなくなることで、平常心を少し取り戻せる気がした。



「おまたせしました。お茶でよかった?」

「おお、サンキュ」

「歩き疲れたよね」


花はテーブルの一角をはさんではす向かいになるようにしてそろっと腰を下ろした。こたつにあたりながらお茶を飲むなんて熟年夫婦みたいでおかしい。ああ、やっとゆっくりできる、と思った。幸山くんもリラックスした表情を見せた。気付けば話に花が咲いていた。







花は修学旅行の話をして、そのときあったショックな出来事を聞いてもらった。代わりに向こうの高校生活の様子も詳しく教えてもらった。


文化祭のときクラスで映画を撮ることになって主役にさせられた話は、メールで聞くよりずっと楽しかった。

学年でもかわいいと評判の子が相手だったらしいが、最終的に振られる役回りで、ほかの男子が手をつないでいてちょっとうらやましかったこと。

その女の子が「学年一かわいい子はだれか」という執行部によるアンケートで、2位になって怒ったこと。その様子を見て女子は怖いと思うようになったこと。

でも次の年見事1位になったこと。

ちなみに「学年一かわいい男子はだれか」でうっかりランクインしてしまったこと。


サッカー部の友達のくだらない話。


尊敬している、音大を目指している子の話。



「かわいい男子」に選ばれたことは本当に不本意だったみたいだが、幸山くんなら十分ありえそうで笑ってしまう。中性的というわけではないが、人懐こそうな印象がそう思わせてしまうのかもしれない。

尊敬している友達の話をしているときの目が綺麗で、花はほわっとあたたかい気持ちになった。




幸山くんはふと話をとめ、部屋に置いてあるピアノに目を止めた。幸山くんが来ていたときからそこにある、家庭用のスタンディングピアノだ。


「今でもピアノしてるの?なんか弾いてよ」

「えっ、でも全然上手じゃないよ」



なんとなく続けているだけでピアノは苦手科目だ。

でも下手でもいいと言うので、本当に上手くないからねと念押しして、仕方なくピアノの前に座った。幸山くんは「これは居住まいを正さないといけないな」などとふざけて、こちら側を向いて正座した。


「いや、ふつうにしててよ!」


あわてて止めたが、笑うだけで正座を崩してくれない。あきらめてパラパラと楽譜をめくり、心を決めた。姿勢を正し、ふうと一呼吸置き、鍵盤の上に両手をのせる。



選んだのは、チャイコフスキーの「甘い夢」。

この曲は彼が甥に捧げるために書いたと言われている曲で、幸せだった子ども時代を甘く思い出させてくれるような、やさしくて叙情的なメロディが特徴的だ。何ヶ月ぶりかに弾いた。いつ弾いてもメロディラインが流れるように心地よい。

何とか大きく間違えずに弾き終えることができ、幸山くんをふりかえって肩をすくめて見せた。



「おー、すごいじゃん!」



褒めてもらえたのはよかった。でも、音大を目指すような子の演奏を聴いている人の前で弾くなんてもう絶対しないからね、と心に誓った。










帰りの電車の時間まで、そのあともいろいろと話が弾んだ。今日一日の中で、一番目を合わせて話せた時間だった。

掘りごたつの中で、何回か足がぶつかった。

携帯の画像を見せ合うときは、何回か手が触れあった。

花はそのたびに意識してしまうのに、幸山くんはなんてことなさそうだった。



だが、それだけだった。

心配するようなことは何も起こらなかった。

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