表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

執拗な影

作者: 森中 隼人

~現在~

 診察室から二十代の男が出てきた時、私は目を疑った。相手は気がついていないようだったが、間違いなくあの男だったのだ。私は今日たまたま歯医者に来ていた。特に歯が痛かったわけでも、歯の詰め物が取れたわけでもない。たまたま定期検診に来てみようと、朝ベッドから起き上がったとき、ふと思ったのであった。

 そう、私は運命的にあの男とまた出会うことができたのだ。私にとっては幸運。あの男にとっては、不幸としか言いようがないであろう。明日以降、歯の心配などする必要がなくなるのだから。

***

~二年前~

 私の名前は神野咲。私は、某飲食業界の採用担当を任されていた。簡単に言うと、自社を受けにくる学生を採用する立場にあったわけだ。ただ正直、私の会社はまだ設立してから歴史が浅く、人気企業ではなかったため、そもそも会社を受けにくる学生が少なかった。少しでも多くの学生に自分の会社を知ってもらおうと、多くの大学に出向き、企業の紹介プレゼンをした。セミナーでは少しでも学生の気を引こうと、会社の魅力を、毎回毎回熱心に伝えた。その姿勢を評価され、上司からの信頼はあつい方だと私自身、自負していた。仕事はきついが、決してつまらなくはなかった。

 会社の歴史が浅いからこそ、自分と同じ二十代の社員が多かったのもその理由の一つだ。ただ、数日前から私はある恐怖に苛まれることになったのである。それは、ストーカー行為である。はっきりと誰が私のことを付け狙っているか把握はしていなかったが、会社を受けにくる学生の一人であることは間違いなかった。というのも以前セミナーアンケートを回収した際に、全く同じ筆跡を目にしたのだ。一週間前に自宅のマンションのポストに入れられていた一通の手紙と全く同じものと。

 その手紙には、いかにもストーカーが書くようなセンスのないラブレターのようなものであったが、セミナーのアンケートには「今後とも何卒宜しく御願い致します」とだけ書かれていた。事情を知らない人が目にしてもいたって何の変哲もない文章だが、当事者からみたら、恐怖感と嫌悪感を同時に引き起こすだけの力があった。

***

~現在~

 あの男が歯医者からでるやいなや、すぐに私も歯医者をあとにした。男は全く私のことを覚えていないようだった。あいつのせいで私の人生が狂わされたのに。よく時がとまったという表現をテレビドラマで耳にするが、私の場合、時はとまっていない。ずらされたという表現の方が的確かもしれない。私が歩むはずであったコースは決してレッドカーペットとは言えないものであったが、少なくとも間違いなく楽しい人生を歩めたはずだ。

 自分の好きな人が働く会社で、自分の好きな飲食に携われる。私には充分すぎるくらい幸せであった。思い出すだけで心の底から怒りがこみ上げてきた。のうのうと歩くこの男をどうするか。私は必死に考えた。

***

~二年前~

 私はこの一件を自分の上司である細田守に相談することにした。細田は採用責任者、すなわち学生の採用をする最高責任者というわけだ。細田と一緒に大学に赴いたり、学生の前でプレゼンをしたりすることもあった。自分がストーカーの被害に遭っているということと、それが自分の会社を受けに来ている学生だなどと相談することに初め戸惑いはあったものの、あとで迷惑をかけるよりは、早く話しておきたかった。細田は初め、私の年齢が若いからだと冗談交じりに冷やかしてきたが、すぐに自分の真剣さが伝わったのか、真摯に相談にのってくれた。まず私達はストーカーである学生の特定をすることとした。

 セミナーの際に学生から集めた履歴書と、ラブレターや、アンケートの筆跡を照らし合わせたところ、一人の学生の名前があがった。某中堅私立大学に通う山野徹という名前だ。この男の筆跡は特徴的であったのですぐに特定することができた。女性の字のような美しさと、一方で男性特有の筆圧の濃さを兼ね備えたような字体だった。

 結局上司である細田の判断で、ストーカーこと、山野徹に対して「お祈りメール」、すなわち不合格通知をだした。学生は自分が落ちた理由を企業から知らされないから、君がストーカー行為を行ったからだと言う必要は勿論なかった。この学生は自分がストーカーであることを何故隠そうとしなかったのだろうか。純粋に筆跡から判断されるということを想像していなかったのか、それとも私に熱烈なファンであるということを知らせたかったのか。どちらにしろ、私にはもうどうでもよかった。この学生から今後同じような「ラブレター」をもらうことはないと考えたからだ。

 ただ考えが甘かった。私はこの学生の執拗な愛を見くびっていた。不合格通知を出されたことに腹を立てたのか、会社の誹謗中傷をネットの掲示板に書き込まれ、自宅のマンションのポストには、何が原料か分からないハート型の物体をいくつもいれられていた。結局上司の細田は最後まで真摯に相談にのってくれたが、私は責任を感じ、会社を辞め、マンションも引っ越した。

 履歴書に学生の住所も記入されていたので、警察に相談することもできたが、私はそれがどうしてもできなかった。採用担当をしていて、自分が原因で会社の中傷をネットに書かれることほど辛いものはなく、それゆえ私は一刻も早くこの現在進行形で起こっている物語をストップさせたかったのだ。私は文字通り、この学生に人生を狂わされた・・・。

***

~現在~

 信号待ちしている男の背後に私はいた。このままつきとばしてしまおうか。一瞬そう考えたが、それだと瞬間的な苦痛しかもたらさないから面白くない。私は人生を台無しにされたのだ。七十度のお湯を何度も頭からかけるような苦痛を与えてやりたい。一度に百度のお湯を浴びせて殺してしまってはいけないのだ。必死に考えた結果、私はある事を思いついた。この男にもストーカー行為をしてやろう・・・。

 私は男の家を特定した後、早速作戦を実行に移した。まずこの男の会社に大量の怪文書を送りつけた。怪文書というと少しおおげさな表現だが、ただの嫌がらせである。私はSNSを用い、考えられるありとあらゆる手段をあの男のために尽くし、結局あの男をノイローゼにし、会社から辞めさせることに成功した。自宅にも総攻撃をしかけてやったので、居づらくなったのか、数日後、表札の名前が変わっていた。

 私は昔から「ねちっこい」と言われているだけあって、こういうことはかなり得意であった。私が中学生の頃も、担任の先生が気にくわないやつだったから、徹底的に頭を使い、遂には学校からやつを放り出すことに成功した。

 今考えれば自己PRで目的遂行力を長所の一つにあげとげば良かったかな。具体例を交えながら。そうすれば私は二年前のあの時、不採用通知をもらわずに済んだかもしれないのに。自分がどうしても就職したかった会社だったからこそ、理由もなく落とされたのは本当に辛かった。許せるはずがない。

 もしあの男が私の顔を覚えていたら、歯医者であった時点で姿をくらますなり警察に相談するなり対策を練ることができたのに。まあ、分かるわけないよな。自分が不採用通知を出した学生の顔なんて覚えてるわけがない。私は執念深いんだ。あの女だって会社を辞めさせてやった。素直に私の愛を受け入れていればおけばよかったのに。




山野徹は神野咲、細田守の人生を狂わせたことに達成感を覚えながら、ビールを一杯口にした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ