始末
「ウィリアム・アップルの声にアミー・ハルバースタットの無表情。
それで服装はジョン・モロイかL・ビックマンか。
ダニエル・カーネマンのバイアスで喋って、金にないやつをセリグマンの犬にする。
それともランガーとローディンのご老人?
んでまあ、最後は美人局か、つまんねぇ」
うんざりした声色でつづける。
ようやく呼吸が落ち着いてきた男の顔は、赤みがさすどころかさらに蒼白になってくる。
こいつはオレの手口を知っている。見透されている。
卑小な自分を守るために着込んでいた鎧をことごとく剥ぎ取られ、無防備な姿をさらされる恐怖。
「なんだってまぁ、こうも定型的なんだか。読みおぼえたことをコピーするだけってのは、つまんなくないか?
もっとこう、独創性やら創造性やら出せないもんかねぇ?
ご追従笑いが嘲笑になるのをおさえるのに、ずいぶん苦労させられたぞ」
そういうと立ち上がろうとした男の膝裏を軽く蹴って跪かせる。
「もの欲しげに策をろうする人間をハメるのは簡単だね。欲しがってる反応あたえて、罠に落ちたフリをすればいい。
思い通りに行ってると思ったろ?追い詰められた若造を、奴隷にしたと楽しんだよねぇ?
それこそ、相手の名前すら興味がわかないくらいに」
自らも片膝をつき、男と目線を合せる。
「まあ、接待の一種とでもいうかな」
殴りかえすには絶好の位置に顔がある。だが、反撃する気力はもうない。
腕をねじり上げられた、あのとてつもない力と殴り合いなどできるわけもなく、そもそも腰が半ば抜けている。
肉体的に圧倒されてるだけでなく、すでに精神も屈服させられているのだ。
これまで闘いに勝つために学び身に付けてきたものを、ことごとく見透されているのだから。
なぜこいつはここまでオレのことを知っているのか。
「なぜアンタがそこまで内面をカラッポにして外面を築き上げてきたのかも知ってるよ」
その声に男はビクッと震えた。
「同期に有力なライバルがいたんだよね。どうやっても勝てないくらい有能な。
だからアンタは、仕事という組織の外に働きかける力で競うことを諦めて、心理学という組織の内に働きかける力で生きようとした。
組織というのは、結局は様々な命令の集積さ。それによって会社意思とでもいうようなものが構成される。
それへの働きかけにゃ、心理学は役に立っただろうよ。
会社の発展になんの寄与もなかったが、ライバルを蹴落し出世競争に勝つことには成功したね。
それは成功だが、同時にアンタはそうやって作った芝居の役を降りられなくなった。
役を完璧にこなすには、自分を無くすしかなかったのさ。
これが名優なら、役と自分とを両立して表現できるんだが、アンタは、ま、言わせてもらえばヘボ役者だね」
文句はあるかと睨みつける。
無言の暴力をふるっていたときの無表情と打って変って、会話してるあいだは実によく表情が変る。
だからといって、軽薄さはまるでない。
無表情による機械的な威圧感ではなく、会話による相手の心の移ろいに的確にあわさった表情で、相手を確実に追い詰めるものだ。
これが計算された技術であったというなら、男が求めても手に入らない完璧な技量といえる。
「ま、そういうわけで、アンタの良心は崩れだした。当然だな。良心を繋ぎとめる自分が無くなっちまってるんだから。
それで人妻を陥れて関係を強制したり、あるいは、そうだな、場違いに高級なところに入っちまったガキを助けるフリして言い成りの奴隷にしたり」
そういって笑った。肉食獣も笑えるのなら、こういう笑いになるのだろうか。
「面白いじゃないか?自分を出せない鬱屈でそんなことしてるのに、そういう場でも、アンタ自分が無くなっちまってるから、芝居の役柄を演じてるんだぜ。支配者だとかなんだとか。
面白いと思わんか?なあ?」
「な、なにが目的だ、誰にたのまれた」
半ば悲鳴に近い質問と言える。もうこれ以上、聞きたくない。知りたくないからこそ隠してきたことを、こいつは何の権利があって・・・
「苦労して色々調べ上げたんだから、語る権利はあると思うんだが、まあ、聞きたくないってんならいいさ。
単刀直入に言おう。
おまえが陥れた人妻に、恵という人がいる」
ああ、一番の上玉だ。一番最後に手に入れた。三人の経験があって、上手くやれたな。
「彼女を解放しろ。解放というのは、むろん完全にってことだ。後腐れなくな。
アンタは馴れた手口で彼女に言い寄り浪費癖をつけさせて、借金をつくらせたな。
その上で、夫にバラされたくなけりゃか。実に卑劣じゃねぇか。
立て替えてやって恩を売るってのなら、まあまだ大物っぽさもあるが、ただの脅しで安く縛り上げるとはね。
おかげで彼女はどんどん追い詰められて、破綻寸前のところまで来ていた。
とりあえず、浪費された服や宝石類は処分して、借金も大幅に圧縮してあるが、それでもまだ残ってる。
おまけに一度ついた浪費癖、依存症なんてのは意思の力だけでどうにもなるもんじゃない。カウンセリングなど様々なものがいる。
そいつのケアも含めて、二千万用意しろ」
金か。恐喝を受けてるのだと悟って、男は逆に力がわいてきた。こいつも所詮は金が欲しいだけの男か。金の奴隷か。いいだろう払ってやろう。だが、罪を犯したんだから、オマエはオレの奴隷になってもらうぞ。
いいだろうと答える前に、相手が割り込んできた。
「もちろん払ってくれるだろう?二千万は彼女にとっちゃ”夢にみるほどの大金”だが、アンタの階級じゃ”ちょいと大金”ってところじゃないか?」
突然、男にわいて来た勇気が吹き飛んだ。
今、なにか恐しいことを言われた気がする。なぜだかわからないが、とても恐しいことがあったような気がするのだ。
肯定のために首を振り、そして尋ねた。
「恵に依頼されたのか?」
「その想像も月並だね。姑だよ、彼女の。彼女は夫に必死に隠してきたが、姑の目を誤魔化せるもんじゃなかった。
まっとうな道をしっかり目を見開いて生きてきたのなら、ちゃんとした観察眼が身に付くもんさ」
そういうと急に目をすえて、
「彼女の依頼は嫁を救い出して欲しいというものだった。それだけであって、アンタへの復讐に暴力をつかえとは言っていない。
いいか。オレに意趣返しを企むのはかまわんが、姑さんは関係ないことを心得ておけ。
この暴力の意味はな」そういうとニヤリと笑って、「媚び笑いさせられながら下んねぇ話を聞かされ続けたことへの鬱憤をはらしただけだ」
そういうとポケットに手を入れる。男はおもわずヒッと息をのんだ。
「いや、別に武器を出すわけじゃないよ。ここでアンタを殺したら、誰が二千万払って恵さんを救ってくれるのよ」
そういうと、名刺を差出した。両手で妙に礼儀正しく。
受け取った男は目をおとす。
”始末屋 山田 太郎”そして電話番号が記入されていた。
「まあ、復讐するにも対象がわかってなきゃ大変だろう。何より、そもそも自己紹介すらまだだったしな」
男は目を上げて相手の顔を見る。明らかに偽名だ。始末屋とは何だろう?
「商売柄、本名を書くのはあまりよろしくないこともあってね。始末屋ってのは文字通りさ。様々な問題ごとを始末するのさ。むろん報酬をもらってね」
呪いのカードであるかのととく、男は名刺をさしだした。
「あれ、受け取った名刺を返すのかよ。いいからとっとけ。アンタがオレに始末を依頼することだってありえない話じゃないんだし。
いや、実際、あんたの虚勢でやり過してきた渡世も、気づいてないようだが、すでに限界にきてるんだよ。
いずれアンタは色々な問題を始末しなきゃならなくなる。
そんなときにアンタが頼れるような知人がいるかね?アンタの虚勢にへいこらしてる知人たちのなかに。
オレしかいないだろう」
それだけいうと、彼はすみやかに闇のなかへ去っていった。




