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ある夜の出来事

人通りのない深夜の路地裏、街灯から来た光が折れ曲って入り、わずかに照されて完全な闇ではない。

二人の男がいる。

一人は地面に這いつくばり、さきほどの喉輪のために呻き声しかだせない。両腕でかばおうとしている顔は腫れ上がり、一方的な暴力に涙をながして怯えている。

もう一人の男は、拳頭部分が分厚くなっている手袋の上から手の甲を揉んでいる。

「人を殴るという行為は、実際殴る方によりリスクが多くあるもんさ。だからオレはこういう手袋してるわけだが、まあ、それでも危いことがあるね。

それにしても、こんな手袋した奴酒にさそうとは観察眼に問題ありだな。得意気にお語りになられた、自慢話に目が眩んでおられましたか?

お世辞でいい湯加減にしてくれる幇間相手ってのは、真剣に観ないもんかね。

バーナム効果って知ってる?人は聞きたいことしか頭に残さない。聞けども聞こえずさ。

見れども見えずもそのコンビだな」

「なんでこんなことを」

這いつくばる男はようやく喉輪から回復しつつあり、涙声でうめくように尋ねた。

「まだわからない?さっきから自慢してたじゃない。オレは性奴隷をもってるんだぜ、とかなんとか。

後ろ暗いところがあれば、用心深くなるもんだがなぁ。

つまり後ろ暗いとすら思ってなかったか、ただのアホかどちらかだな。

上等のスーツでハッタリかましてるのみれば、アホの方かな」

事の始まりは、先程まで二人がいた酒場までさかのぼる。




「つまりだね、人間というものは、結局支配する側と支配される側に分れるんだよ。

支配する側はただ支配するし、される側は喜んで支配される。

歴史をみてごらんよ。支配するのとされるのと、序列が乱れると社会全体が狂う。

で、そういう騒乱が終ると、結局は支配する者とされる者は変りない」

まったく、こういう真理を認めたがらないってのは、精神になんらかの欠陥があるんじゃないかと常々思う。

目の前の若造も、熱心にうなずいてるのだが、自分が支配される側だと理解してるのかね?

まあ、素直に静聴する相手がいるのは楽しい。

あたりまえだが、知人の類はみなオレの言うことに逆らわん。

これはこれで良いのだが、やっぱり自分が支配者であることを再確認するには、こういう、まったくの第三者に認めさせるのが一番だな。

ここはちょいと高級目のバー。

”ちょいと高級目”ってのはあくまでオレのような階級でのはなしで、この若造のごときじゃ、夢にみるほどの高級さ、とでも言うべきだな。

こいつを見つけたときにゃ、吹き出しそうになったね。

首を動かさずに目だけきょろきょろ動かして、手にもったグラスを見ちゃ溜息。

飲んじまった酒を後悔してる。

決めたつもりの衣装も、本物をしらんガキがせいいっぱい高級らしさを努力したようなもの。

おそらく冒険のつもりでこのバー選んじまって、帰った客の支払い額聞こえちまってビビッちまったんだろう。

ちょうどいいオモチャが見つかったんで、助け船だしてやった。

その時の泣きだしそうな安堵の表情がまたたまらなかったね。

この時点で、こいつはオレの奴隷に決定さ。少なくとも、このバーを出るまではオレに断じて逆らうことはない。


「男女の仲も同じだ。男は女を従えるもの。これは生物学的に決定されてることで、反論する奴ははっきりいって低能でしかない。

男女平等?ちゃんちゃらおかしい。いいかい、ちゃんちゃらおかしいことなんだよそれは」

少しくどかったか。まあいい。こいつは逆らわんのだからな。

ここらでこいつのコンプレックスでも刺激しとくか。

「君、女を何人従えてる?」

「そ、そんな、何人もなんて・・・

学生時代に一人付き合ったことがあるくらいで・・・

いまは仕事が忙しくって、とてもそんなヒマは・・・」

ほらこの通り、予想通りの返事。これでこいつは奴隷族に決定。

「君、ヒマが無いなんて言い訳にもならんよ。通勤路、外食、宿舎の周囲、女なんていくらでもいるだろう。

人妻だろうとなんだろうと、好きにしていいんだよ、男だったら!」

「そ、そんな・・・職業柄、そういう奔放なことはとてもできないんです・・・」

「職業柄?君、どこに勤めてるんだい?」


なんと、役所づとめか。しかも勤めてる部署が問題。今うちで進めてる事案、あれにかかわってる。

すでに大詰めに入り、成功もほぼ間違いなしなんだが、オレはもぐり込みそこねた。

しかし、役所相手の許認可申請に手間取ってる。

だいたい2年後を目処にしてるようだが、こいつを短縮すれば、成果はオレがいただける。

この若造自体はたいして価値ないが、こいつを取り込んで、その上司その上司と伝手を広げていったら、面白いことになりそうだ。

なんという幸運。

やはりオレは支配者たるべく運命付けられてる。

こいつの分をオレがオゴる時点で、すでに搦め捕ってるが、もう一押しいれて仕留めとくとするか。

「君、男としての自信を持つ方法知りたくないかね?」


バーを出て、人通りもまばらな夜道を二人連れで歩く。こいつに人妻を抱かせるために。

オレが抱えてる人妻は四人。

まあ、こいつに抱かせるのなら、一番下でいいだろう。

なんにしろ、人妻抱いた時点で、こいつは永遠にオレに逆らうことはできなくなる。

さてタクシーでも呼ぶか。

すると若造が、「あの、こっちで・・・」と声をかけてくる。

「どうした?」と振り向きざま、首に衝撃を受けた。

何メートルも自分が飛び上がったように感じたが、すぐに着地したのだから、数センチも浮いてなかったんだろう。

声も出せず、呼吸が苦しい。

嘔吐するように身体を折り曲げてげえげえ言うと、「駄目ですよ、こんなところで吐いちゃ」と奴めは大袈裟な声を出しながら、まるでオレを介抱するように背中をかかえ込んだ。

そして身体を被せた影で、腕をねじり上げる。周囲から見えないように。

とてつもない力だ。

喉の鈍痛に呼吸困難、その上こんな力で締め上げられては逆らいようがない。

この男につれられて、オレは人通りをはずれた路地裏に入った。

出せぬ声でやめてくれと懇願しようとして、気がついた。

オレはこの男の名前を知らん。

なぜだ、なぜオレは名すら知らん男をここまで信用してしまったんだ!




締め上げられた腕が緩む。

いくらか呼吸が回復してきた男は、逃げ出そうとするが、その瞬間腹に爆発するような衝撃を感じる。

拳の一撃を食ったのだ。再び呼吸が困難となる。

反射的に腹をかかえこもうとしたとき、次の餌食は顔面だった。

気絶させず、かつ最大限の痛みをあたえるべく威力と角度を調節された連打。

倒れかけ、あわてて顔を守るため上げた腕を再びつかまれる。おそるべき力で、ねじ上げられ、立ち上がらさせられる。

歯で口中は切り裂かれ、鉄の味に満ち、視界は踊って霞むどころではない。

声にならない声、表情にならない表情で命乞いをするが、攻撃はまったく休まらない。

男は、攻撃者がまったくの無表情で、こちらのいかなる表現にも反応しないことに恐怖する。

かつてはこの男も、この無表情というものを武器に相手への支配力を発揮していたのだが。

今度は受ける番になっている。しかも過去男が使ってきたいかなる表現よりも強烈に。

━━死ぬのだ。オレは死ぬのだ━━

いかなる抵抗も無抵抗も何の効果を持た無いことを悟ったとき、男は、機械にまき込まれた者が抱く無慈悲な絶望を感じた。

と、その瞬間、唐突に暴力は停止した。

手袋を揉みながら、

「人を殴るという行為は、実際殴る方によりリスクが多くあるもんさ」と静かに語り始める。

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