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第三章 25

 トワが致命傷を受け、そのトワを抱えて義利が広場を離れたことで、此度の戦いは幕を下ろした。ラクス市民と兵士たちの胸中に一抹の不安は残ったが、一人として騒ぎを掘り返そうとはしない。今は誰もが現実を素直に受け入れることができずにいたのだ。

 魔人により魔人が倒された。

 悪い夢でも見ていた気分で、皆が自宅へと引き返す。おそらくその静けさは一過性のもので、次の日には苦情も上がり始めるのだろうが--、今の義利には、そんな先のことにまで頭を回す余裕などありはしなかった。


「トワ……、死なないで……。死んじゃ嫌だ……」

「私としては、アダチさんからの、お願いであれば、叶えたいんですけど……、さすがに無理です」


 息を乱しながら、トワは苦しそうに、そして力なく笑った。胸の傷からは、今も絶えず血が流れ出ている。その傷口を抑えながら、義利は救いを求めてひた走った。当然、魔人である彼らを受け入れてくれる者など居らず、すでに三度、相手を脅えさせるだけで終わっている。この時住民の大半は広場に出払っていて、残っているのは騒動を知らぬ者だけなのだから、義利たちの来訪は、ただ魔人が現れたのと変わりないのだった。故に、救いの手が差し伸べられることは、ない。


「誰か……、お願いだから助けて……」


 腕の中から、時が経つにつれ温もりが失われていく。それに義利は涙を流し願うことしかできずにいた。傷を塞ぐ魔法陣の作り方を知っていれば、使っていただろう。医術の心得があれば、針を握っていただろう。少女の命を救う策は浮かんでも、それを実行する力が義利には無かったのだ。


「アダチさん……、隊舎に、向かってください」


 息も絶え絶えに、トワは言う。顔からはすでに血色が消えていた。

 混乱の中にいる義利は即座に進路を変えて隊舎へと向かい出す。--何らかの手立てがあるのだと信じて。


「着いたよ。トワ、どうすればいい?」

「ベッドに、運んでください」


 言われるがまま、義利は自身の使っていたベッドにトワを寝かせた。もはや体内には残りがないのか、出血の勢いは衰えている。じわりと、滲むようにしか出てきていなかった。

 横になったトワは、ふぅ、と息をつき、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める。


「私、いい思い出って、ここくらいにしか無いんです……」

「待って……。話なら、元気になったらいくらでも聞くから。今はどうすればいいかを言って……」

「お願い、です。最期まで、私の話し相手になってください」

「最期って……、何言ってるんだよ! 何か、助かる方法があったんじゃ--」

「無いです。ただ、死ぬのはこの場所がいいなって」


 すとん、と義利はへたり込んだ。今までにも二度、トワは大出血から立ち直っている。今回も何か打つ手があると心のどこかで期待をしていたのだが、それを否定されたことで、立っていることもできなくなっていた。


「アダチさん、手。握ってくれませんか?」

「……うん」


 涙で霞む視界の中、弱々しく伸ばされた彼女の小さな手を、義利は包み込むようにして優しく握った。自分にできることは、些細なお願いに応えることしか無いと悟ったのだ。


「私と、初めて会った時のこと、覚えてますか?」

「うん。忘れてないよ。その……、僕にとって奴隷って初めてだったから、衝撃的でさ」

「……良かった。ずっと、謝りたかったんです。あの時、すぐに信じられなくてごめんなさい」

「いいよ。言葉が分からなかったんだし、仕方ないよ」

「私、あの時うれしかったんです。この人は痛いことをしない。優しい人なんだって。そんな人が次の飼い主なんだて」


 天井を見上げているトワの目は虚ろで、手の温度は氷のように冷たくなっていた。その手をしっかりと握り、義利は相づちを打つ。


「でも私は、その時から奴隷じゃなくなった。ちゃんとした人として、ここの人たちが受け入れてくれたから」


 握り返される力が次第に弱まっていく。別れの時は刻々と迫っていた。残酷な現実が、義利はの涙を加速させる。


「嬉しいことがたくさんありました。楽しいこともたくさんありました。それまでの人生を、忘れるくらい」

「まだ……。まだトワの知らない楽しいことがたくさんあるんだよ! 生きるのを、諦めないで! 僕が、脅してでも医者を--」


 そう言って部屋を出ようとした彼の手を、最期の力を振り絞ったトワが引き止めた。その場に彼を繋ぎ止めるほどの力はこもっていない手だが、義利にはそれを振りほどくことができなかった。

 トワが、泣きそうな顔でいたからだ。


「怖いよ……。死ぬのが怖い……。でも、あなたが手を握っていてくれれば、安心できるの……」


 初めてのことだった。いつも遠慮がちな態度で接してきていたトワが、敬語を使うことなく、ただの子供として義利に言ったのだ。「一人にしないで」と。心の底から出された本音だ。それを拒むことなど出来ようものか。

 義利は腕で涙を拭い、覚悟を決めた。最期まで、トワを安心させる覚悟だ。そのために涙は邪魔でしか無かった。

 無理やりに笑顔を作り、彼はトワの手を握りなおす。それだけで痛みも不安もなくなったかのように、トワの表情が穏やかになった。


「アダチさん。最後のわがまま、いいですか?」

「なんでも言ってよ。僕にできることなら、何でもするから」


 トワは少し迷いがあったのか数秒言い淀み、それから彼の目を見て、はっきりと言葉にした。


「口付けを、してください」

「わかった」


 すっ、と義利は迷うことなく自身の唇をトワのそれと重ねた。触れるだけの軽いモノだ。感情の一切を取り去れば、肌と肌が触れ合ったという、ただそれだけだ。たったそれだけのこと。それだけで、トワは幸せそうに微笑み--。


「トワ……?」


 笑って、呼吸を止めた。

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