第三章 21
目を覚まし、そこでティアナは意識を失っていたことに気づく。
大罪人とされているのだから、逃亡を防ぐために失神させられたのだろう。そして今は、牢の中だ。
「………………」
音は無い。明かりは細いロウソクが一つ。左腕と両足は、鎖で繋がれていた。自由も、無い。
ティアナにとって不幸中の幸いであったのは、魔力に関しては封じられていないことだ。事前に用意した策が、いざという時には使える。
状況の確認をしたティアナは、ほぅ、と脱力した息を出した。
もしも全ての手足を切断され、更に魔力を封じられている状態であったなら心を挫かせていただろう。そうであってもおかしくないのが今のティアナだ。しかし現実、コロナ戦で失った腕以上の怪我は無い。拘束されたのちに手を加えられていなかったのだ。
つまり。
「……少なくともまだ、利用価値があるって思われてるのね」
そうでなければ即刻殺害されているはずだ。
生きている。そこから彼女は、言葉を交わす機会が与えられるだろうと予想を立て、その際の言葉を選び始めた。
どうすれば足立義利を無害と認識させることができるか。事実を並べたところで戯言と撥ね退けられるだろう。嘘を見抜く能力を持つマナ・ジャッジマンが同席の場であったとしても、魔人の脅威を知る国務兵からの信用を得るためには乏しい。功績を伝えたところでも同じだ。であれば可能性が高いのは、彼の人間性を嘘偽りなく伝えることだと、ティアナは考える。殺しを嫌い、人の死には涙を流し、嬉しいときには笑う。そんな当たり前のことこそが、彼を残虐な魔人ではないと知らせることができるのではないか--。
どれだけの時間を思考に費やしただろう。どれだけの案を浮かべては否定しただろう。
牢の前に、一人の男が現れた。
「よう」
親し気な雰囲気を声から感じ、ティアナはその方を見る。
そこには、彼女の知る少年の姿があった。
「アル……?」
「おう。深夜の見張りは新人の役割りなんだとさ」
新たな明かりであるランプを持って現れたアル・ブロウは、床に腰を下ろし、ティアナと鉄格子を挟んで向かい合った。
彼の来訪により、牢の中は照らし出される。半球状の牢は、その半ばに鉄の格子で境目を置いており、牢の内には鎖以外は何もない。アルの居る、牢の外には机と椅子があった。彼はそれに座ることなく、ティアナと目線を合わせるために床に座っているのだ。
一息を挟み、アルが口を開く。
「あの後、俺とナイトはめでたく採用されたんだ。まあ、欠けた人員を補うための臨時採用みたいだけどな」
「そう。無事で何より」
短い沈黙が生まれ、アルが重々しい声で言う。
「無事、だと?」
「……え?」
するとアルは上着を脱ぎ捨て、上半身を晒した。
そこに刻まれている無数の生傷に、ティアナは言葉を詰まらせる。
「……アンタらは知らないだろうな。魔人は、あの後しばらくしたら逃げていった。だが問題はその後のことだ」
アルは、ティアナの返事に期待はしていない。毒を吐くように、真実をティアナに突き付けた。
「死んだ人間が、起き上がったんだ。起き上がった死体は、近くにいる人間に襲い掛かった。……地獄だった。アンタ、想像できるか? 見知った顔のヤツが襲ってくるんだぜ。家族だったり、ダチだったり、恋人に襲われるヤツもいたかもしれない。俺は、もちろん死体を破壊しに行った」
息継ぎのためか、アルの言葉が一度止まる。そこにティアナが疑問を挟んだ。
「……その時に、怪我を?」
切り傷や、ひっかき傷、そして噛み傷。中には刃物でできただろう刺し傷までもがあった。無数に、数えるのも阻まれるだけの傷が、起き上がった死体により付けられたものだというティアナの予想は、しかし外れだ。
「いや。死体には考える力がないらしく、単調な動きだった。そんな人形同然の相手にやられるような俺じゃない。それは一緒に戦ったアンタにならわかるだろ」
ティアナは、ある種の自信を滲ませているアルの言葉に頷かされる。コロナとの戦いで、アルは現役の国務兵にも見劣りしないだけの動きを見せているのだ。例え考えて襲い掛かる相手だとしても、大勢に囲まれない限りは無事に切り抜けるだろう。ティアナを以ってして、そう思わせるだけの実力者だった。
ではなぜか。それを、彼は言葉にした。
「この傷は、火傷以外は全部、死体のことを守ろうとした人に付けられたモノだ」
「なんで--」
「なんでだと? 少し考えればわかるだろうが……。お前は、たとえ魔人の操り人形だと知っても、大切な人を傷つけた相手を許せるのか?」
静かでありながら、アルの声には怒りが感じられた。
「動く死体は、指一本になっても人を襲った。頭を落としても、四肢を切り離しても、動ける限り人を襲い続けた。だから兵士は、動く死体を細切れにした。遺族に遺体を届けることすら許されなかった……! 粉々にして、ようやく被害は止まったんだ。……俺は、仕事だと思って当然のように死体を壊した。結果がこの傷だ。目の前で、息子だった死体を粉々にされた母親が、恋人だった死体を粉々にされた男が、祖母だった死体を粉々にされた男が……、みんなが、俺を恨んでやったんだ」
「そんな……」
心の傷を吐き出したアルは、はっとするとすぐに上着を着なおし、ティアナに頭を下げた。
「……すまない。こんなことを言うつもりは、なかったんだ……」
アルは自らの言葉を猛省する。あの時、もしもティアナがいたとしても出来ることはなかったと、彼は知っているのだ。腕を落とされ、おびただしい量の血を流したティアナには、身を休める以外にできることなどなかった。
真に怒りをぶつけるべき相手は、それをした魔人だ。ティアナを責めることは筋違いだ。アルはそれを分かっている。分かっていた。分かっていた、はずだった。
だというのに彼の口は、まるでティアナに責任を求めるような言葉を発した。
「本当にすまなかった……。恨み言があれば、言ってくれ」
「……いいえ。私の方こそごめんなさい。知らなかったとはいえ、アルの心を傷つけるようなことを言って……」
沈黙が生まれる。
冷静になり、頭の熱を取り去り、ようやくアルは本来の目的を思い出した。
「こんな雰囲気にして悪かった。本題に入らせてくれ」
何も世間話をしに来たのではない。牢の見張りは、あくまで建前だ。見張りの仕事は、牢獄の外で脱走を防ぐだけで良いのだ。ティアナの前に顔を出す必要はない。彼がここまで来たのは、ティアナを手助けするためであった。
「アンタらのことだ。何か策があって捕まったんだろ? 俺にも手伝わせてくれ」
「……なんのこと?」
きょとんとして返すティアナに、アルは苦笑する。
「信用できないだろうとは思ってる。けど、本心だ。あの日、俺はアンタに随分助けられただろ。その恩を、返したいんだ」
「そう言われても、策なんて無いもの」
「……は?」
ティアナの発言に、アルは耳を疑う。
「まさか、無策で捕まったのか? アダチが近くに隠れているんじゃないのか? 国を挙げての捜査を一週間近く逃げ回ったってのに、アンタ一人だけが捕まるなんて、何かの作戦じゃ……、ないのか?」
困惑を如実に表情で表し、ティアナの反応を見たアルは一瞬だけ言葉を失わされる。
「アンタは……、恩を返す機会すらくれないのか」
涙をこらえるように背中を丸めたアルに、ティアナはふと、自分の姿を重ねた。
スミレという恩人を、ティアナは恩を返せぬままに失っている。だからだろう。痛いほどに彼の気持ちが分かってしまった。
「策なんてない。--けど、目的があるの」
その言葉にアルは表情をやや明るくする。
「教えてくれ。できる限り手を尽くす」
ティアナの目的はただ一つ。足立義利に、彼のこれからに平穏を与えることだけだ。しかしそれを直接言うことはできない。そうすればアルは、喜々として義利の善行を広めようと駆けまわるだろうことが思い描けたからだ。
故に、ティアナは言葉を濁す。
「……処刑は、広場でやる。これは間違いない?」
「ああ。マルセルってヤツが嬉しそうに言ってた」
「なら、もしも私の口が塞がれていたら、それを外すように仕向けて。そうね……、『醜く命乞いをさせましょう』って感じでマルセルに言えば、彼はきっとそうするわ」
「わかった。必ず外させる。……それだけでいいのか?」
「ええ。ただし、私とあなたに繋がりがあったことは絶対に悟られないで。それを知られると、少し問題があるから」
問題というのは、アルの立場のことだ。
ティアナとの関係があると知られれば、彼までもが同罪と扱われかねない。それを防ぐためとは伝えず、彼女はある意味では恩を利用しようとしている。
心に刺さる罪悪感の痛みを隠し、ティアナはアルに向けて笑顔を浮かべた。
「ありがとう。一人だと厳しいと思ってたの。アルが来てくれて、本当に助かったわ」
その言葉を受けて、アルは初めて年相応の笑顔となる。
共闘していた時は、戦いの場であったために顔を強張らせていたのだろう。その前の試験では、緊張から表情を固めていたのだろう。そんな彼が、ティアナに恩を返せると知って見せた笑顔に、胸の痛みはさらに激しくなった。
「それじゃあ、俺は外に出ておく。交代が来た時に中にいたことが知られるのも、問題になりかねないからな」
「ええ、そうね」
ランタンの明かりが無くなり、牢の中は小さな火だけが光源に戻る。
「………………ッ!」
薄暗闇の中で、ティアナは唇を強く噛んだ。ツゥ、と一筋の血が流れ出る。
アルを利用した自分への罰だ。自由が利けば、岩壁に頭を強く打ち付けていただろうほどの自責の念を、ティアナはそうすることで抑え込んだ。
外の様子は分からない。しかしアルの言葉から、今が深夜か早朝であることは想像ができた。だが、眠ることなどできはしない。自らを呪い続ける彼女には、眠れるだけの精神的余裕がなかったのだ。
「死んじゃえ……。私なんて……」
怨嗟を唱え、訴える言葉を選定し、また自分への呪詛を吐く。
そしてーー。
「やあやあ、ご気分はいかがかね? ティアナ・ダンデリオン?」
醜悪な笑みを浮かべたマルセル・ハングマンが、姿を見せた。




