表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
86/125

第三章 17

「少し……、やりすぎちゃったかも……」


 リバック・モーブから奪い取った硬貨を眺めながら、ティアナは自らの行いを振り返る。瞼の裏には怯えきった彼の顔がこびりついていた。魔人の脅威を目の当たりにした者が浮かべるそれと変わらぬ表情を、モーブはしていたのだ。死を予感した人のみが浮かべる感情。

--絶望だ。

 悪人といえどそこまで追い詰める必要はあっただろうかと心を傷めるが、必要悪だと割り切った。そうでもしなければ魔獣の肉による被害は止められなかったのだ。

 迷いを切り捨て、ティアナは当初の目的に取り掛かる。

 奪い取った金は、まとめれば真銀貨一枚ほどだ。それだけあれば活動資金としては申し分ない。

 ラクスへ向かうための準備として、ティアナは最初に閉店間際の雑貨屋で針と墨汁を購入し、オマケで罪悪感を手に入れた。

 他人から奪った金での買い物は、齢十五の少女には苦痛でしかなかったのだ。さらには正義感の強い性格が災いして、およそ一般の少女が抱くだろうそれよりも思い負荷が、彼女の心にはかかっている。


「終わったら、全部返さなきゃ……」


 つぶやくが、それができるのは無事に生き残れた時だけだ。既に捨て身の覚悟を決めたティアナにとって、今の言葉は自分の罪悪感への言い訳でしかない。

 心の重石を無視し、ティアナは起こるべき事態への準備として、まずは宿を取った。蓄積している疲労を解消するのも目的ではある。一刻を争うとはいえ--、だからこそ休息は必要だ。疲れ切っていては身体はもちろん頭も満足には働かない。そして休息だけでなく、備える時間もティアナには必要なのだ。単身でラクスまで向かうことにも、ラクス到着後に待ち受けているだろう事態にも、備えが無ければだった。

 ベッドとテーブルのみの部屋をロウソクで照らし、ティアナは真っ先にベッドの移動に取り掛かる。ドアには簡素な鍵が取り付けられてはいるが、木製であるために蹴破ろうとすれば不可能ではない。もしも何の用意もせずに寝ている時に侵入されるようなことがあれば、抵抗するための体勢を整える間もないだろう。そのためベッドをドアに立てかけることで、わずかでも時間を稼ごうとしていた。安楽な睡眠の環境があったとしても、安心して眠れる精神状態でなければ安眠とはならない。


「よいしょっと……」


 片腕であるために四苦八苦させられたが、ベッドをドアへ立て掛けることは完了した。寝場所を重石兼障害物に利用した結果として床に寝ることを余儀なくされる。とはいえティアナにとって地べたで寝ていたここ数日を思えば、雨風をしのげるだけでもずいぶんと休まる環境だった。

 眠る用意は十分。続いてティアナは床に胡坐を組んだ。購入したモノを手の届く位置に置き、明かりを近くへと寄せる。

 ほんの少しの躊躇いを瞳に浮かべつつ、消毒のために針の先をロウソクであぶり、冷ましてから墨汁を付けた。息を吸い込み、止め、口を一文字に結んでそれで足の裏を一刺しする。


「っ!」


 わずかな痛みに小さく身を震わせ、すぐに刺した箇所を親指で拭う。するとそこには先ほどまでは無かった小さな黒子ができていた。

 ティアナが行っているのは、刺青だ。自ら皮膚に針を差し、墨を入れている。何故そんなことをしているのかと言えば、それは国務兵に罪人として捕らえられた時のことを想定してだ。ティアナの計画では、まず国務兵に捕まることが前提としてある。そのうえで話の通じる相手が出てくればそれで良し。そうでなかった時のための、いわば保険だ。

 武器を揃えたところで取り上げられては何の役にも立ちはしない。しかし皮膚に刻んだ魔法陣であれば、まず第一に気づかれない可能性がある。そして気づかれたとしても皮膚をそぎ落とさねば取り上げることはできないのだ。ティアナは保険を用意するうえで、隠蔽の容易さと取り上げるのが困難なこと、その二点を最優先として考え、行きついた答えが刺青による魔法陣だった。

 刺青での魔法陣が有用であることは、スミレが証明している。彼女はその胸に身体強化の魔法陣を彫っており、それを使うことで魔人との戦力差を埋めていたのだ。それも一度きりのモノではない。何度となくそれを使用したと、スミレは言っていた。完成さえさせれば、皮膚を削られない限りは使用が可能なのだ。いくら大罪の容疑をかけられていようと、逮捕と同時に殺害はされないだろう。そう考え、ティアナは刺青による魔法陣を計画の一部に組み込んだ。

 正しい方法は知らなかったが、それが肌に墨を入れているのだという情報だけは知っていた。そこに加えてスミレの言葉だ。刺青の説明をしている時に『肌の下に墨を刺している』とスミレは言っていた。そのことを覚えていたティアナは、刺すという単語から針を思い浮かべ、実行し、成功を掴んでいる。

 痛みが完全に引いたところで、ティアナは自身の親指を軽く唾液で湿らせ、再度拭った。もちろん、入れたばかりとはいえ刺した墨は濡れても消えはしない。それを確認し、ティアナは針先に墨を付ける。


「……これ、何回やればいいのかしら」


 小さく弱音をこぼし、ティアナは以降、黙々と作業を続けた。

 魔法陣を作るうえで注意すべきことは、実はそれほど多くない。魔法陣としての形が、如何なる方法であろうとも作られてさえいれば、それが魔法陣となるのだ。例えば義利がプランとの戦闘訓練中にしようとしていた地面に線を引くことでも可能であり、極端な例で言えば大勢の人を並べて手をつながせることでも、その魔法に見合うだけの魔力があれば発動できる。気をつけなければならないのは、途切れないようにすることだけといっても差し障りはないほどだ。人を並べて作る例で言えば、どこか一ヶ所でも手を繋いでいないところがあれば、それは魔法陣として機能しない。

 魔法陣の外円と内円との間に刻む文字だが、あれは書かずとも魔法陣は起動できる。魔法陣の文字は、魔力を魔法へ変換する際に『魔力を何に変える』のかを陣に組み込むためのものでしかない。そしてそれは、口頭で唱えることで代替が可能だ。


「ふぅ……」


 額に浮かんだ汗を拭い、ティアナは針を置く。

 怪我をする機会が多いためにある程度の痛みであればこらえられるとはいえ、他者から突発的に傷付けられると自ら継続的に針で刺すのとでは異なる。それに加えて戦闘中は興奮状態となり、痛覚は鈍くなっているのだ。平常心である今は、痛みは緩和されることなく全てがティアナの神経を刺激していた。

 そんな苦痛の末に完成した魔法陣には、呪文は書かれていない。痛みのあまり手を止めたのではなく、あえて彫っていないのだ。


「……さて」


 ティアナは立ち上がり、余計な力を抜いて目をつむる。

 そして呪文を唱え始めた。


「『世界の始まり、四元の力、清涼な風よ現れたまえ』」


--ふわり。

 まるで撫でるような優しい風が、閉め切った部屋に流れる。


「……よし。陣は完成してる」


 魔法を実際に使うことで、ティアナは陣に不備が無いことを確かめたのだ。もしも確認をせず、必要な場面に出くわした時に魔法が不発に終われば目も当てられない。そうした事を起こさないためにもと、彼女は慎重になっている。

 そよ風を起こしたのは、炎や水などでは周囲に被害が出るからだ。風であれば、余程のことが無ければ宿を損壊させはしない。その上、呪文の内容だ。魔法の基礎の基礎、その中の初歩である四元魔法を使い、そこに『清涼な』という文言を入れたことで威力を抑えている。

 魔力を『火・水・風・土』に変換する四元魔法は、名詞もしくは形容詞により威力の増減が可能だ。例えば義利がプランとの試合で使った火の魔法では『浄化の炎』だった。『火』ではなく『炎』と、さらに『浄化』と書き込んでいたために、彼は人を包んでもなお余るほどの大きな火球を放ったのだ。義利はそれをけん制に使ったためにプランは無事だったが、直撃していれば只事では済まなかっただろう。

 義利とプランとの試合。それはほんの二週間ほど前の出来事であるのに、ティアナには遠い昔のことのように思えていた。

 ふっと口元を綻ばせるも、すぐにティアナは頭を左右に振ることで、雑念として思い出を払いのける。


「今は感傷に浸ってる場合じゃないわよ」


 自分に言い聞かせるための独り言も、既に癖となり始めていた。

 緩みかけた心を、深く呼吸をすることで静め、ティアナは魔力の運用に慣れるために魔法を乱発する。

 身体強化の魔法を唱え、用済みになった針で手のひらを突く。針は容易に折れた。

 筋力強化の魔法を唱え、テーブルの足を指で摘まみ、力を込める。軋んだところで指を離した。

 風化の魔法を唱え、手のひらに置いた針の断片に触れる。針は錆び、崩れ、塵となった。

 治療の魔法を唱え、右腕の断面に触れる。五分ほどかけて、ようやく瘡蓋をはがすことができた。


「……強化系統は十分使える。風化も適性あり。治療は……、これじゃあ頼りにはできないわね」


 おそらく今後必要となるだろう魔法を試し、その実用性を確かめて評価を口にする。彼女としては残念なことに、最も必要としていた治療の魔法が申し訳程度の効力しか発揮しなかった。なにも腕を生やそうとしていたのではない。浅い切り傷を十秒以内に治すことができればそれで満足できたのだ。しかしティアナには適性がなく、塞がりかけている傷を五分もかけて治すという、戦闘では気休めにもならないモノだった。

 その上--。


「ぅあ……」


 眩暈を覚え、ティアナは膝をついた。魔法を使うには、当然ながら魔力が必要となる。魔力とは、いうなれば気力のようなものだ。適性の低い治療の魔法を五分使ったことで、ティアナの魔力は底を突こうとしていた。その現れが、眩暈だ。


「訂正……。治療は使えない」


 自身の評価を改め、ティアナは毛布で体を包み、横になった。

 時間に余裕はない。だが月も高い時間ともなれば、移動の脚を確保する手立てもないのだ。魔力切れを起こしていなかったとしても、今から彼女にできることは身体を休めることのみだった。

 けだるさを抱えながら、ティアナは眠ろうとする。


「………………」


 ふと、思いついたことを彼女は実行した。

 仰向けのまま手を上に伸ばし、呪文を唱える。

 

「『雷光よ、現れたまえ』」


 呪文の詠唱は、魔力の使用量に大きく関わる。より明確な文言を呪文として唱えれば、それだけ魔力の消費を抑えられるのだ。

 これはよく、道案内に例えられる。目的地まで最短距離を進むには、それだけ多くを語らねばならない。しかし遠回りをすることになるが、大雑把に方向だけを伝えてもたどり着くことは出来る。この場合どちらが尋ね人にとって負担が少ないかと言えば前者だろう。この道案内の説明が呪文であり、目的地にたどり着くための労力が魔力だ。

 今回ティアナが唱えた呪文は、道案内の例えで言えば方角を伝えただけである。そんなおざなりな説明では道のりが伝わらないように、簡略化した呪文で魔法を使うには、そうでない場合よりも多くの魔力が必要だ。最悪の場合、魔法が発動しないこともある。

 魔力が枯渇している中での、略式詠唱。本来であれば不発に終わる。だが彼女が天井に向けて伸ばした手は、電気を帯びて淡く光りを放っていた。


「電気の適性……、高いんだ……」


 魔法への適性は、言うなれば目的地までの距離だ。適性があれば近く、無ければ遠い。目の前にある建物を尋ねられた場合には指で指し示すだけで良いように、適性の高い魔法を使う際には簡略化した呪文でも発動が可能だ。そして何より、少ない魔力で使うことが出来る。

 目眩を覚えるほどに魔力を使い切っていながら、簡略化した呪文でも使えるとなれば、その適性は非常に高い。

 まさか自分に電気への適性があるなどと、ティアナは思いもしなかった。ただ単純に義利とアシュリーを思い出して、軽い気持ちで試しただけだ。魔力が足りず不発となり、ついでに魔力を使い果たしたことで意識を失うように眠れると思ってそうした。

 入眠を早めるための行いだったが、期待していたこととは逆に働く。


「余計なこと、するんじゃなかった……」


 郷愁のような寂しさが、ティアナの心に生まれた。

 幼い頃から共にいたキャルロット。育ての親であり師でもあったスミレ。敵として出会い、仲間となり、そして兄妹のような親しみを感じている義利とアシュリー。部下であり、年長者のプラン。

 たった二週間前までは彼ら彼女らと、穏やかとは言えずとも楽しい日々を過ごしていたはずが、今は逃亡生活を送っている。

 ティアナは思う。

 何が間違いだったのか。


「……何も間違ってない」


 彼女が魔人の協力者という容疑をかけられたのは、義利が原因とも言える。義利をラクスへと入れたのはティアナだ。そしてネクロとコロナによる襲撃の際に、多くの人間が魔人となった義利を目撃した。そこでティアナと魔人との接点が露見し、ネクロとコロナも仲間であると疑われたのだろう。と、そこまで分かっていながら、ティアナは義利との絆を後悔はしていない。彼がいなければ、より多くの命が失われていたのだ。その中にはもちろん、ティアナの命も含まれている。

 だから、義利をラクスに入れたことは間違いではないと、ティアナは誰に対しても胸を張って答えるだろう。


 ティアナは思う。

 何が悪かったのか。


「……何も悪くない」


 これも彼女は否定する。

 自分の行いが全て正しいとは思っていない。魔人である義利を招き入れたのは、少なくとも国務兵としては悪だ。しかしそれはネクロたちの襲撃には何ら関わりのないことである。日常から逸れた原因とはならない。むしろ彼がいなければそれより前、エッダ・ヴィジョンによりラクスが壊滅させられていたかもしれないのだ。

 だから、義利が悪だと言われたならば、それは違うと彼女は叫び続けるだろう。


 気付けばティアナが考えるのは、義利のことばかりになっていた。どうすればあの少年が穏やかな日常に戻れるか。そればかりだ。自分の保身など露ほども頭にない。

 思い、悩み、やがて彼女は眠りに落ちた。

 その眠りが、逃亡生活最後のモノになるとは知りもせずに--。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ