表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/125

第三章 15

 それまで一定の速度で進み続けていた馬車が止まったことで、ティアナは感覚を研ぎ澄ませた。ラクスに着くにはまだ早すぎる。だが遠くから聞こえる微かな人の賑わいが、何処かの街に着いたことを彼女に悟らせた。

 鎖の奏でる金属音。それに付随して木材の軋みが響く。

 ティアナは頭の中で、跳ね橋と木製の門を使っている街を浮かべた。しかしすぐに振り払う。該当件数が多すぎたのだ。木製の外構は鉄製のそれと比べれば強度は劣るが、再建の簡便さから採用率が高い。

 僅かに馬車が前進する。そして外から声がした。


「積み荷は?」

「魔獣の死骸だけで、他には何も」


 幌が開かれ、荷台の上に兵士が上がる。


「報奨金目当てか?」

「へっへっへ……。兵士さんも人が悪い。どうかこれでお目こぼしを」

「悪いな。通っていいぞ」


 会話に耳を傾けるが、その内容を理解することがティアナにはできなかった。

 通常、魔獣の死骸は門で回収され、その場で報奨金が支払われるのだ。しかし今、死骸を乗せたまま馬車が市街を通り抜けている。もしやラクスと違う処理方法なのだろうか、と好奇心が疼きだした。ティアナは馬車に身をひそめたまま、死骸の向かう先へ行く。

 ノードレスは確かに経済面では噂の通りであったが、治安の面では違っていた。ティアナが話で聞いていたノードレスでは『商人が護衛を付けずに入るのは、裸で魔獣の前に立つのと同じだ』とまで言われていたのだ。しかし今、ティアナの乗っている馬車は襲われておらず、そして行く手を阻まれて速度を落とすこともない。所詮は噂。信じていたのが間違いだったのだと、彼女は考えを改める。

 馬車はさらに進み、ようやく止まったかと思えば、辺りは喧騒が満たしていた。


「もっと臭み消しを使え! こんなんじゃ犬も食わねぇぞ!」

「利益出せっつったのはテメェらだろうが! これ以上臭み消し使えぁ赤字だっつーの!」

「少ねぇ臭み消しでどうやって騙せるか考えるのがテメェらの仕事だろうが!」


 料理場、にしては酷い臭気だった。腐乱した卵にも似た、鼻の奥を突き刺すような臭いに、思わずティアナは顔をしかめる。嫌な臭いではあったが、既に彼女は慣れ始めていた。なぜならそれは、ティアナからすればずっと嗅がされ続けていたモノと同じ臭いだったからだ。

 荷台の床板を挟んで彼女の真上にある魔獣の死骸が発するモノと、同じ臭いだった。


「おーい、忙しいところをすまないが、コイツを買い取ってくれー」


 馬車の持ち主が声を上げると、途端に喧騒が大人しいモノへと変わる。そして一つの足音が近づいてきた。


「品物は?」

「魔獣の死骸だ。それも、大型の」

「ほほう、コイツをお前さん一人で?」

「まさか。道に転がってたんだよ」

「ちょっと待て、牙は確認したんだろうな?!」

「当然。俺だって、下手を打てばしょっぴかれちまうんだ。抜かりはないさ」

「……確かに、牙は全部あるな」


 二人の会話から、ティアナは魔獣の死骸がどう扱われるかを察し始めた。使い道のないコレを売ろうとしているのだろう。おそらく牙の有る無しで口論に発展しかけたのは、積み荷が国務兵により仕留められたものではないかと疑ったからだ。

 国務兵が行う魔獣討滅の仕事では、死骸を回収する必要はない。倒した魔獣の牙を一本持ち帰るだけでいいのだ。そして嘘を見抜く能力者により「これらは全て、別の個体から回収した物か?」と問いかけられる。それで討滅した魔獣の数を把握していたのだ。残された死骸は調査班が確認したのち、堀へ落として自然に風化させ土へ還す。そう決められている。そもそも、それ以外の用途など有ってないようなものだ。肉は強烈な腐敗臭に加え人体には有害であり、骨は脆く、皮は癖が強い。魔獣をどうにか活用しようと試みて、数えきれない職人が匙を投げたのだ。

 それをどうしようというのか。国務兵としてではなく、一人の人としてティアナは好奇心を抱いた。


「ほれ、金だ。受け取れ」

「へへっ、毎度」


 馬車の持ち主が嬉しそうに硬貨を鳴らしている間に、ティアナはそっと馬車を降り、近くにあった木箱の陰へと移動する。

 魔獣の死骸を買い取った男は、慣れた手つきで荷台から台車へと死骸を移し始めた。血で汚れるのを防ぐために敷いていた幌を掴み、幌ごと死骸を移送する。動き出した台車を追って、ティアナは物陰から物陰へと移り潜む。


「おらお前らァ!! 仕事だ仕事! キリキリ働け愚図共が!!」


 客と直接取引をしていた先ほどの男が、この場を取り仕切っているらしく、男の声で全員が動きに機敏さを見せた。即座に犬型魔獣の死骸を囲み、それぞれが手に持ったナイフで丁寧に死骸から皮を剥ぎ取る。切り離されている四肢も同様にして、ものの五分で切り分けは終わった。

 期待を込めてそれらを見守っていたティアナは、その後おぞましい光景を目の当たりにすることとなる。

 彼らは魔獣の皮を剥ぎ、それを革製の武具や装飾品に加工していたのだ。とても売り物にできる代物ではないはずだ。

 魔獣の皮は、生きている間は魔力による強化をされているため、鈍ら刀をはじき返す強度を誇るが、死んでしまえば強化も消える。そのうえ魔獣も元はただの獣だ。魔力を蓄えた結果、閾値を超えたそれにより巨大化しているにすぎない。無から有が生まれないのと同じく、成長あるいは巨大化も、長い年月とそれを成せるだけの養分が無ければだ。そのどちらもが欠けた魔獣の身体は、ただ魔力によって強引に延ばされている。だから細胞の一つ一つが、そしてその結びつきが弱く脆い。少しの負荷で千切れてしまう。

 それだけであれば--、魔獣の皮を粗悪品として売り出しているだけであれば、問題は無かった。だがそこで行われていたのは、皮の加工だけではない。

  魔獣の肉を、食肉として売りに出していたのだ。細かく切り分けた肉に、大量の香草を揉み込み、臭みを誤魔化そうとしていた。ティアナは馬車に潜んでいる際に聞こえた喧騒が、これを示していたのだと知る。

 男たちは肉を秤に乗せ、一定の重さごとに小分けにし、それを大きな香草で包んだ。


「まさか……」


 思わず声になる。それほどの衝撃だった。

 肉の包みを持った男が、分厚い黒の外套を羽織り、加工場を出る。ティアナは自身の予想を否定しながら男を追った。その先で、予想は現実のものとなる。

 男を追ったティアナが行きついたのは、そこかしこで地べたに寝そべる人のいる、いわゆる貧民街だった。夜半に差し掛かったそこは、まともな身なりをしている者などおらず、衣服を持たぬ者までいる。一つだけ共通しているのは、誰もが痩せていることだ。頬のこけがあるだけ。あばらが浮かぶほどに。枯れ木のようにと、程度の差はあれど、標準的な体形をしている者など一人としていなかった。

 外套の男は数いる者の中から、中年の男に声をかけて連れだす。

 そしてティアナは目撃した。

 外套の男が、やせ細った男に小包を売るその瞬間を。


「ほれ、鉄銭五枚。これ以上は下げられねえからな」

「ああ……、ありがてぇ」


 外套から伸びた手に、男が金を乗せる。言葉の通り、鉄銭を五枚。概ねりんご一つ分の値段で取引されたそれは、魔獣の肉だ。食らえば魔力の濃度が急激に高まり、死に至る。そうと知らぬ男は、受け取った小包を大事そうに抱え、彼が根城としているだろう端材でできた小屋へと駆けていった。

 慌ててティアナが追うと、既に男は肉を鉄板に並べ始めていた。


「なんだ、ねぇちゃん。奪おうってんなら--」


 男の言葉に耳を貸すこともなく、ティアナは鉄板の肉をつかみ取ると、それを火にくべ踏みつけた。


「何しやがる!!」


 男はティアナを殴り、声を荒げた。当然だろう。彼からすれば、苦労して手に入れた食料を、突然現れた小娘に捨てられたのだから。

 ティアナは痛みを発する頬を手の甲で抑えながら、努めて冷静に男へ言う。


「今のは魔獣の肉よ。食べたら死ぬ。それくらいわかるでしょ?」

「あぁ? 何を馬鹿なことを!! 返せよ、俺の肉ッ!!」

「私は見たの。あの外套の男が、魔獣の死骸を捌いてからあなたに売りつけるまでを」

「返せって……、言ってんだろッ!!」


 逆上している男に、言葉は通じなかった。となれば、ティアナにできることは一つしかない。

 掴みかかってきた男の腕をいなしつつ、片足軸に身体を逸らし、足を掛けて転ばせる。倒れた男の腕をひねり上げ、動きを封じた。

 ティアナの対人格闘術は、国務兵の基礎教練によるものでもあるが、それ以上にスミレの教えによるところが大きい。魔人と渡り合うには剣術でも不可能ではないが、勝ち目は薄い。地力の差ゆえに押し負けてしまうのだ。しかし相手の力を利用して自らの力と変えるスミレの合気道は、魔人との戦闘ではもちろん、民間人を相手にも十二分に有用だった。


「話を聞いて。別に悪意があってしたことじゃないわ」

「……っざけんな。ようやくメシにありつけたってのに、こんなのあるかよ……」

「……わかった。見てて」


 ティアナは男の手を解放し、火傷を負うことも構わず未だ燻っている火に手を差し入れ、そして捨てた魔獣の肉を拾い上げた。

 逡巡し、灰に塗れたそれを一口分だけ口に含み、飲み込む。


「っグ……!!」


 拒絶反応は、すぐに現れた。

 強烈な吐き気と共に身体の内が火を入れたように熱を持つ。


「ぅえげッ!!」


 抗う術はそこにはなく、ティアナは胃の中身を空にする勢いで吐瀉をした。乙女としての恥じらいなど感じていられる暇もない。一瞬でも早く侵入してきた異物を除去しようと、生存本能が働いているのだ。感情の入り込む余地などなかった。

 初めは乳白色だった吐瀉物が、次第に色を失い、ほぼ無色になったかと思えばそこに血が混ざり始める。

 目の前で嘔吐する少女を前に、やせ細った男はただでさえ悪い顔の色を蒼くさせた。


「こ……、これでわかっ……、たでしょう? 灰で汚れた、だけなら……、こうはならないわ……」


 涙目になりながらも、ティアナは男への説得を続けた。

 そこまでをされれば、食の恨みも消え去ろうものだ。嘔吐され、胃液を吐かれ、吐血までした少女の言葉である。

 尤も、男が魔獣の肉を食った場合ではそこまでの反応は起きはしない。

 聖人であるティアナは清浄な魔力に触れることが多く、そして不浄な魔力に触れる機会がほとんど無い。それは魔力の運用のほとんどを、契約精霊であるキャルロットが代行していたからだ。生存に必要な最低限の魔力すらをも、キャルロットによりもたらされ、生活の中で自然に消費されて生まれた不浄な魔力のすべてはキャルロットによりぬぐい去られていた。

 不浄な魔力への反射は、免疫と同じなのだ。身体に馴染まないから押し出そうとする。しかし少量から始め、長い年月をかけて次第に触れる機会を増やして行くと、身体がそれを異物と認識できなくなるのだ。そのため普段から不浄な魔力に触れる機会が多い義利であれば、あるいは魔獣の肉を問題なく食せることもあり得る。もちろん、その後は死あるのみだが……。

 ともあれ生き物である以上、誰もが魔力を使っている。それはどれだけやせ細ったとしてもだ。むしろ、栄養不足により低下している生命維持機能を保持するために、飢える者はそれだけ多く魔力を消費することになるだろう。魔力を使えば、身体に残渣が貯留する。それを除去できる存在の天使と契約をしていなければ溜まる一方だ。

 つまり、男が魔獣の肉を食べたとしても、かなりの確率で反射を起こさない。もしもティアナが止めに入らなければ、空腹を満たして満足した死を迎えることとなっていただろう。


「お、おう……。それより大丈夫なのか?! 魔獣の肉って、猛毒だって話だろ!!」

「大丈夫……。全部吐いたから……」

「なんで赤の他人にそこまでできるんだよ……」

「……死ぬ前に犯罪の片棒なんて、担ぎたくないのよ」


 悪意があった訳ではない。あくまで移動の足を確保するための手段として魔獣を殺し、利用しただけだ。それでもティアナは知ってしまった。魔獣の死骸が売られていることを、そして魔獣の肉と知らずに買ってしまう人がいることを。

 このままではティアナの殺した魔獣の肉で、人が命を落とすことになる。たとえ間接的にでも、誰かを脅かすことは避けたかった。ただそれだけのために、彼女は血反吐を吐いたのだ。


--せめて後顧の憂なく最期を迎えたい。


 それがこれから死にゆく少女が持つ、たった一つの願いだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ