第三章 13
マリアという名の天使の背中を睨みつけるように見ても、アシュリーにはその心の内をうかがい知ることはできなかった。想像を巡らせても、やはりその目的がわからないでいる。
まず第一に、村人を騙してまで悪魔を迎え入れることで得られる益が思い浮かばないのだった。マリアが天使でないのならば、ただのお人好しだと、アシュリーはそう判断することができたのだ。だが違う。悪魔は近くにいないという発言を受けてから、アシュリーは探知を使ったのだ。結果は言わずもがな。マリアは、天使だった。
では追い返すことで損が出るのかというと、そうでもない。村の中に入れるくらいであれば、追い返そうとして暴れさせたほうが、恐らくは大抵の場合で被害が少なくなる。村の長である者の精霊がお墨付きを押したのだから、村人は無条件で疑うことを放棄するだろう。そうなれば、アシュリーにその気は無いが、寝静まってから一人一人を暗殺し、村人を抹殺することすらできるのだ。その場合と比較すれば、村人で囲んでいたあの場で全員で押さえ込み、女子供だけでも逃す方が、生存者の数は増えるだろう。
迎え入れることが損となり、追い返すことが得となる。その状況でマリアはアシュリーを迎え入れたのだ。ーー村人全員を欺いてまで。
裏がある。そう思わずにはいられない状況が出来上がっていた。
とはいえ、アシュリーは頭が回る方ではない。そして気も長くない。
そのため焦れたアシュリーは、部屋へと通されマリア以外の村人の目が無くなったところで、我慢をやめた。
「お前、何が狙いだ?」
もしもこれが言葉による戦闘であれば、「自分は無策です」と言っているようなものだ。相手の腹づもりが分からない。だから聞いた。実に率直で無駄が一切ない質問だが、それゆえ相手に対して手の内がカラである事も伝わってしまうのだ。心理戦であれば、すでにアシュリーは敗北している。
しかしその質問を受けたマリアは、頭に疑問符を浮かばせたようで、首を傾げて形のいい眉をわずかに寄せていた。
「はい? ねらい、でしょうか……?」
顎に手を当て、マリアは困ったような仕草をしてみせる。
それに対してアシュリーは目尻を釣り上げた。
「とぼける気か?」
「とぼけるも何も、私には何が何やら……」
激しい剣幕を見せるアシュリーに、マリアは困惑させられている様子だった。まるで本当に意味が分からないといった風な反応を見て、アシュリーは怒気を納める。ここまで迫られて一切の敵意を除かせないのだから、少なくとも害意があるわけではないと判断したのだ。
「……何もしてこなけりゃ、アタシも何もしねぇよ」
しかし念には念を。「何かをするのであれば、それ相応の覚悟をしろ」と釘を刺す意味を込めて言う。
「はぁ……?」
「え、えっと、色々あって人間不信なの!」
それまでアシュリーとマリアの会話を戸惑いながら聞いていただけのキャルロットが、慌てた様子で口を挟む。まるですぐにでも会話を断ち切らなければならないと急かされているように、彼女には余裕が見られなかった。
そんなキャルロットの言葉を咀嚼し、マリアは深く頷く。
「ああ、そうでしたか。そうですよね。野盗に襲われたんですものね」
哀れむような目をアシュリーに向け、マリアはキャルロットの曖昧な言い訳を好意的に解釈した。
「そうなの!」
「おいキャロ--」
護身のための舌戦を繰り広げているつもりでいたアシュリーは、横槍を入れられたことに不満を唱えようとするも、その口をキャルロットの小さな手によって押さえつけられる。
「--しー、なの! 後で話すの」
わずかに力のこもった小さな声で、キャルロットはアシュリーを制した。その目があまりにも真剣なものであるため、何かしら重大な理由があるのではと、アシュリーはその指示に従う。
「それで、アダチーー、アシュリーのお兄さんも、目が覚めて知らない人が居たら驚いちゃうかもしれないの。だから、図々しく思われるかもだけど、人払いをして欲しいの」
「なるほど……。では、しばらくは誰も近づかないように、私から指示を出しておきますね。アダチさんが起きて、落ち着いてからでいいので、村長へ顔を見せに来ていただけますか?」
「はいなの」
「こちらは来客用の部屋ですので、遠慮なく、ご自由にお使いくださいませ」
「ありがとうなの」
こうして不快感を持たせることなくマリアを追い出し、ようやくにしてアシュリーたちは密談を開始する。
「……んで、どういうつもりだってんだ?」
問うているのは、もちろん先ほどの横槍についてだ。相手がとぼけ続けている以上、一方的にでも抵抗意思を示して置かねば、受け身に徹することとなってしまう。釘を刺すだけでも、相手に対する牽制として機能するのだ。それを遮るのであれば相応の理由がなければ、アシュリーの不満は怒りへと変化せざるを得ない。
平静さを意識しつつ、アシュリーはキャルロットの言葉を待った。
話すと言ってアシュリーを黙らせておきながら、キャルロットは言うべきかを悩んでいるようで、口元に手を当てながら眉根をしかめている。
その顔で少しの間を空け、意を決したのか、真剣な面持ちでキャルロットは言う。
「……落ち着いて聞くの。今のアシュリー、悪魔じゃないかもしれないの」
「は? 何言ってんだ」
悪魔ではないと言われ、アシュリーはそれを一蹴する。だがキャルロットの表情に嘘を言っている様子など一切なく、それゆえにアシュリーは困惑させられる。何か別の意味があるのではないかと考え、言葉を別の捉え方で読み解こうとした。
そこへキャルロットは更に情報を書き加える。
「話が変だと思って、キャロも探知をしてみたの。そしたら本当に近くには悪魔がいなかったの」
「それが何だっつーの」
「近くっていうのは、ここら一帯のことなの。アシュリーからも、悪魔の気を感じなかったの……」
キャルロットもことこの状況下で何も考えずに行動をしてなどいない。アシュリーが抱いていたモノと同じ疑問に頭を悩ませていたのだ。その際にキャルロットとアシュリーには、存在の性質から明確な差が生まれる。悪魔であるアシュリーにはマリアが天使であることしか分からず、天使であるキャルロットにはマリアの言葉に嘘がないことが分かったのだ。
『近くに悪魔はいない』
アシュリーを警戒させたその言葉には嘘偽りがなく、キャルロットにも悪魔の存在を探知することができなかったのだ。
近くには、悪魔は探知できなかった。目視できる距離にいるはずのアシュリーも含めて。
「何度探知をしても、悪魔の気配は感じられなかったの……。キャロにはもう何がなんだかわからないの……」
天使が悪魔を探知できなくなるとすれば、それは悪魔が死んだ場合に限る。どれだけ息を潜めて気配を殺したところで、敵性精霊への探知は逃れることなどできやしないのだ。だというのに、無事に生きているアシュリーが悪魔として探知することができないでいる。
それに納得のいく理由をつけるとすればーー。
「ーーアタシが悪魔じゃなくなりつつあるって、そういうことか……」
そうとしか考えることができなかった。生きていながら敵性精霊の探知を免れているのだから、敵性の喪失をしている以外には無いだろう。
悪魔でなくなる。だからと言えど精霊は精霊にしかなることはできない。精霊が人間になることはできないのだ。
つまりアシュリーは、悪魔でなくなりつつあり、天使になりつつある。
決めつけるにはまだ情報が不足しているが、魔人化の際の肉体の変化が穏やかになったことや、修復能力でも義利が目を覚まさないことも、天使となりつつあるのであれば十分な理由となれるのだ。
「……信じられないけど、そうとしか思えないの」
キャルロットとしても、それ以外に説明ができなかった。
「……ゴチャゴチャ言ってたって何にもならねぇ。今はダッチの回復が最優先だ。そうだろ?」
「そうだけど……、なの」
「ひとまず寝ろ。お前も疲れてんだろ。んで、起きてもダッチが寝たままなら、お前が医者を呼んでこい。話はこれで終わりだ。アタシも寝る」
捲し立てるように言い、アシュリーは布団を頭から被る。まるで何かを誤魔化すような、恥態を隠すような不自然さを感じたキャルロットは、これ以上の言及は不仲の原因になりかねないと口を閉ざす。そして蓄積した疲労を拭うためにも、早めの就寝を取った。
その夜。
「………………はぁ」
マリアに案内された客間を一人で抜け、アシュリーは屋根へと上り月を見上げていた。
地につくほどに長い髪を一房だけつまみ、月明かりで照らす。目を凝らしても、おそらく本人でしか気づけないような小さな変化が現れていた。
光を全て吸い込むような漆黒であったそれが、ほんのわずかに淡くなっている。
月明かりで透かせたそれは、藍色とも言える色彩となっていたのだ。
「まさか、天使化するたァな……」
天使化。
確かにアシュリーはそう言った。彼女は自身に起きた変化の原因を知っている。ーー知っていて、そしてそれを恥じている。
「あーあ……。ま、後悔はねえけどよ……」
誰にでもなく自分に言い聞かせるように、独り言を呟く。
指先で毛束を遊ばせ、一つ小さなため息をついた。
 




