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第三章 10

 足立義利はヘーゲンを出て以来--より正確にはラクスを離れて以降、睡眠を取っていない。横になり、目を閉じていることは多々あった。例えばヘーゲンのファシーレが経営している宿や、この洞窟内での一日目がそれに当たる。魔力による浸食の影響で、彼は睡眠欲も失っていたのだ。だが、彼はそれが魔力に関するものだとは気づいていなかった。過度な緊張感から来る一時的なものだと、思っていたのだ。……例え五日もの間、一睡も出来ていなくとも。

 そうなっても仕方のない状況だと、自身に言い聞かせていた。そしてそれを気取られまいと、狸寝入りをしていたのだ。トワから膝枕をされようとも拒まなかったのは、気遣いを無下にしたくない、という理由もあったが、一番は眠れないことを隠すためだった。

 これ以上に不安の種を増やすことを良しとしなかった。そんな彼の努力は見事に実を結び、誰一人として義利の不眠には気づいていない。--だから、悲劇は起きた。

 ティアナが洞窟を去ったその日その時、唯一彼女の離脱に気づけただろう義利は、意識を失っていたのだ。睡眠欲が無くとも、人の脳に睡眠は不可欠である。横になって身体を休めたところで、脳の疲労までを回復することはできない。結果、五日目にして限界を迎えた義利は意識を失い、それを誰もが眠っているものだと思い込まされた。偶然にもそれがティアナの離脱と重なってしまい、引き留めることができなかったのだ。

 そして、偶然にもそれは、追跡者による襲撃とも重なっていた。

--ひた。

 裸足で岩を踏む音が、暗闇に生まれた。

 不運というものは立て続けに起こることが多く、彼ら一行もその例に漏れていない。それまでにまともな睡眠を取ることのできなかったアシュリーとトワ、そしてキャルロットも、わずかな安息を得たことから気が緩み、熟睡してしまっていた。

--ひた、ひた。

 たき火も、火の番をする手がないために消えている。完全なる闇で、襲撃者は精霊による探知のみを頼りに獲物を探っていた。必然、狙われるのはトワとアシュリーだ。

 仮眠であれば、人の気配に敏感なトワは気づけただろう。意識を失うのがこの日でなければ、義利が対処できただろう。それまでに十分な睡眠を取れていれば、アシュリーは喜び勇んで戦いの幕開けに相応しい雷鳴を轟かせていただろう。

--ひたひたひた。

 足音が、歩調を早める。

 だが聖人である襲撃者と戦える者は、未だ深い眠りに就いたままだ。

--ひた。

 足音が、止まった。

 既に襲撃者の射程内に、トワとアシュリーはそれぞれ納められている。動く必要がなくなった襲撃者たちは、足を止めた。


「さすが僕。時間も人数も正確だ」

「------ッ!!」


 突然の声に、襲撃者たちは正体を問おうと叫びそうになるも、喉の奥で押しとどめた。

 声の主である彼は、戦う術を持たない。腕力は乏しく、武器を扱うこともままならないほどだ。その能力も、戦闘では一切役に立たない。


「冷水でも浴びせてやりたいところだけど、水は貴重だからね。これで我慢してもらおう」


 彼一人では、襲撃者の足止めをすることも不可能だ。

 だから彼は--、ストックは。

 空になった鍋を、渾身の力で襲撃者の一人に投げつけた。


「ッがぁ!!」


 夜目が効いているとしても、光のない空間で飛来する物を避けるのは至難の業である。輪郭を捉えることができたとしても、距離感を掴むことができないからだ。鍛え抜かれた兵士であってもそれは変わらず、ストックの投擲により、襲撃者の一人は叫び声を上げながら怯まされる。

 的中したことにより、推進力を失った鍋が、地面へと落下する。もう一人の兵士が、仲間を襲った鍋に向けて手を伸ばした。人体と金属との衝突ではあまり大きな音は立たなかったが、岩だらけの地面であればそうはいかない。咄嗟のことで判断力が鈍っていたために、兵士は暗殺よりも、それを阻害しようとしている要因を排除することを優先していた。冷静なままでいれば、彼は間違いなく目の前に眠っていたアシュリーを殺害していたはずだ。たとえその後に数的不利を抱えたまま戦うことになろうとも、頭数を減らすためにそうしていただろう。

 その誤りの結果、彼は地に落ちる鍋を掴むことができずに、全員を目覚めさせることとなった。

 銅鑼を打ち鳴らしたかのように、低い金属音が轟く。洞窟内でそれは反響し、襲撃者に思わず耳を塞がせるほどの大音響となった。

 突然の騒音にアシュリーとトワは跳び起き、すぐに状況を確認する。

 アシュリーは聖人の存在を探知することができ、トワには人の気配を察知する特技がある。それぞれが瞬時にそれを行い、敵の数を把握した。


「アシュリー、二人いる!」

「わぁってるってー……、のっ!」


 トワへの返事と共に、アシュリーは襲撃者たちに向けて電撃の弾を放つ。魔人となっている時と比べてしまえば頼りないそれも、人の動きを止めさせるには十分な威力を秘めていた。

 ストックの不意打ちから立ち直りかけていたところへ電撃を受け、兵士は再度ひるまされる。そして筋肉の硬直と痺れから、一秒余りの時間を静止させられた。


「トワ!」

「わかった!」


 短い指示を受け、トワは手のひらに向けて水袋を逆さにする。そうして支配下に置いた水を操り、二人の口と鼻を覆った。呼吸を妨げられたところですぐに倒れはしない。直前に取り入れた酸素が持つ間--、およそ一分であれば活動することができる。兵士二人はクッと力を込めて呼吸を止めるが、そこへアシュリーが電気で追撃をした。

 彼女が狙ったのは、トワによって浮かべられている水だ。アシュリーが単身で扱える電力では、体表に撃ち込んだところで怯ませるのが精々といったところである。事実として一度目の電撃では兵士たちの意識を奪い取るには至っていない。

 だから、水を狙ったのだ。トワの操る水は、兵士の口腔と鼻腔を満たしている。そこは外部とつながっていながら最も脳に近い場所だ。二人の兵士は脳をかき回されるような錯覚に陥る。それほどまでの衝撃だった。止めたはずの息を、強制的に吐き出させられる。薄れている意識は酸素を求めて肺に活動を強いる。しかし気管に流れ込むのは空気ではなく水だ。反射的に押し返すも、空になった肺でそれは叶わない。

 こうして二人の兵士は意識をはく奪された。


「……さて」


 勝利の余韻に酔いしれることなく、二人は警戒をしながら、それぞれ兵士に近づく。つま先で蹴りつけ、反応がないことを確認すると、装備に手をかけ始めた。防具を奪い取り、武器を取り上げ……、せめてもの情けとして下着だけは残し、そのほかの全てを剥ぎ取り、ベルトなどの拘束に適した物はそのまま束縛のために流用する。

 事もなげに対処されてしまった二人の兵士だが、決して彼らが弱かったわけではない。ティアナの追跡に当てられているのは、確かに戦闘よりも束縛や転移など、確保に適した能力を有する者がほとんどだ。拘束されている二人は、それぞれ『五十メートルの瞬間移動』と、『人体融接』という能力を備えていた。丁度五十メートルしか移動はできないが、連続での使用が可能で、加えて触れているものも連れての移動ができるため、戦線を離脱するのに適している。人体を融かし、つなぎ合わせる。別の個体同士を混ぜ合わせることまではできないが、その能力は身動きを封じるには十分だった。

 だがどちらも、戦闘に使用するのであれば超近距離でなければならない。対するアシュリーとトワは中距離から遠距離での戦闘に適している。

 相性の問題、そして判断能力の問題だった。

 もしも兵士が仲間を襲った鍋に意識を向けることなく、目の前にいたアシュリーを始末していれば、少なくとも勝機はあった。その後のアシュリーとトワが敵を認識し、殲滅行動に移るまでの速さが異常なだけで、まともな人間が相手であれば強襲は成功していただろう。


「……っつーかいつまで寝てんだバカ」


 一仕事を完了させ、それでも横たわったままの義利を、アシュリーがつま先で小突く。しかし、一切の反応を示さない。


「……アダチさん?」


 流石に違和感を覚えたトワが、しゃがみこんで義利の様子を窺う。義利は比較的寝起きは良い。声をかければ目を覚まし、蹴られなどすれば跳び起きる。そんな彼が、まったくの無反応だったのだ。

 トワは耳を傾け、呼吸音を確かめる。息はしていた。--が、細く弱い。慌てて心音を確かめれば、やはり弱く、そのうえ不規則だ。トワは心の中で義利に謝罪を浮かべながら、彼の指先をナイフで浅く突いた。

 反応は、やはりない。


「た、大変! これ、意識を失ってるわ!」

「なっ--! 本当か?!」

「痛みに反応を示さないし、たぶんそう……」


 意識の評価として、現在の義利は最低の状態だった。痛みにまったくの無反応--、つまり生物としての最低限の反射すら途絶えている。生きているだけ。むしろそう言う方が、今の義利を表すには正しい。


「……どうすんだよ」

「とりあえず融合して! 肉体面の異常だけでも直しておかないと……!」

「寝てるアクターに融合なんて--」


 ぼやきながらも、アシュリーは行動に移す。

 霊態となり、義利の胸に飛び込む。すると予想に反し、アシュリーの意識は義利と合わさった。


「……意外とできるもんだな」

「何か異変は!?」

「……ない。つまり過労ってことだ」

「過労で昏睡って……。やっぱり魔力の影響で?」

「だろうな」


 それ以外に二人には理由が思い浮かばなかった。そして、間違ってはいない。魔力の影響で不眠となった故の昏睡だ。


「……寝かしとくべきなんだろうな」

「ええ……。けど、襲われたてことは、ここが他の兵士にも知らされてる可能性が高いわ」


 兵士たちは連携して襲撃を繰り返している。一組として独立していては、どこかで齟齬が生じていただろう。それがなかったのだ。情報は全員が共有しているのだろう。つまりこの洞窟の位置も、既に知れ渡っていると考えるべきだ。


「移動するとして……。ティアナとキャロはどこに?」


 トワがようやくにして二人の不在に気づく。


「キャルロットのヤツは、起きた時にはいたはずだが……」

「た、大変なの!」

「お、来やがった」


 噂をすれば影が差す。

 アシュリーが話題に挙げたその時、洞窟の入り口からキャルロットが駆けて来た。よほど慌てているのだろう。霊態となれば息切れを起こすこともないというのに、人間態のまま駆けまわっていたようで、肩を大きく上下させている。


「大変なのはこっちだっつーの。ダッチのヤツ、気絶してやがるんだぜ」

「そ……、そんな……」


 愕然として、キャルロットは膝をつく。


「んで、オメェは何が大変だっつーんだよ」

「……ティアナが、どこにもいないの」

「……はぁ?!」


 こうして、ようやくにして義利を除く一行は、ティアナの不在を知ることとなった。

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