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第三章 05

 炎はティアナにとって心の傷だった。松明程度の大きさであれば問題はないが、焚き火にまでなると嫌悪感を催す。――はずだった。今はその炎の暖かさや揺らめきが、荒んだ心に安寧をもたらしている。

 薪を焼べ、火力を保つ。以前であれば熱量を感じるほどに炎に近づけば冷や汗を流していたのだが、ただの作業としてそれを行うことが出来ていた。復讐を果たしたことで、ティアナの中にあった炎に対する心の傷は癒えたのだ。


「はぁ……」


 ため息を吐き、ティアナは上を見る。少し前まではそこから糸のようにか細い光が差し込んでいたのだが、無くなっていた。おそらくは夜になったのだろう。洞窟にたどり着いてから、半日が経過していることになる。それだけの時間を一つの場所で過ごすことができたのは、ヘーゲン以来だった。少しの休眠と言っていたはずの義利も、ティアナが見ていた限りでは横になったままで、アシュリーに至ってはいびきまで上げていた。

 そうなるほどに、二人の疲労は蓄積していたのだ。

 止むことのない追跡、怠ることのできない警戒、そして不殺という信念を持った中での戦闘。そんな中でようやくにして安息を手に入れたことで、張り詰めていた糸が切れたのだろう。

 対するティアナはこの三日を、ただ義利によって運ばれるだけで過ごしていたために、体力が有り余っていた。その活動量の低下から、睡眠欲が減衰している。夜通し火の番をしていたが、彼女は一切の眠気を感じていなかった。

 夜が明ける。そしてようやくアシュリーは目を覚ました。


「クッソ……! 寝すぎた!」


 アシュリーは起床と同時に自責の念からかそう言うと、目を瞑って少しの間静かになる。探知を行っているのだろう。精度が悪くとも、集中することでわずかではあるが探知能力が向上するのだ。

 彼女が眠っている間は聖人の探知を行えないため、トワが意識を尖らせている様子ではあったが、さすがのトワも不眠不休では限界がある。今は、義利の頭を抱えたまま寝落ちていた。


「……なんだこいつら?」


 探知を終えたアシュリーが周囲を見回し、首を傾げる。


「……どうかした?」

「いや、この辺に反応がある……、んだけど」


 ティアナからの疑問に惑いながら返し、再び拠点としている区画内を見るが、そこに追っ手の姿は無い。


「たぶん、上にいるんでしょ。あっちからしても『このあたりにいるはず』って困ってるんじゃない?」

「あー。なるほどな」


 偶然とは言え洞窟を選んだことが彼らを助けていた。精霊の探知は、立体ではなく平面でのものだ。この位置に居る、とはわかるが、その高度までは把握できない。丘陵地帯にある洞窟内に潜んでいることにより、追跡者を地表で彷徨わせることとなっていた。


「んじゃあ、しばらくは休めそうだな」

「そうもいかないんだ……」


 胸をなでおろして再度の休憩を取ろうとしたアシュリーに、義利は水を差すようにして口を挟んだ。上体を起こし、何かを探してか視線を巡らせる。が、目当ての物は見つからなかったらしい。


「……アシュリー。悪いんだけど、荷物を取ってくれる?」

「あの、アダチさん? 荷物なら手元にありますけど……?」


 義利が動いたことで、彼の枕となっていたトワも目を覚ましていた。

 トワからの指摘を受け、義利は手を動かす。おそらくは寝ぼけていたのだろう。彼がヘーゲンから背負っていた荷物は、見落とすはずもないほど近くに、手のそばに置いてあったのだ。


「……ああ、ホントだ」


 その荷物を引き寄せると、義利は寝ぼけた様子はなく、手際よく荷物を地面へと並べ始めた。

 小ぶりなナイフとナタが一つづつ。寝袋が三つ。毛布が三つ。魔法陣の描かれた布が三枚。水の入った革袋が一つと、カラになった革袋が六つ。鍋や、その他の調理器具が一つづつ。

 野宿をするには十分だが、逃亡生活をするのには心もとない。そんな装備の中で最も重大な問題が、食料だった。


「なるほど。こりゃあのんびりはしてらんねぇな」

「精霊の三人は魔力を補給すれば済むけど、このままじゃあ僕とティアナとトワは餓死することになるし、それ以前にまともに動けなくなる」

「そうですね……。最低でも水くらいはないと」


 食糧問題は、そのまま死活問題だ。生きている以上は身体を動かすためのエネルギーが不可欠であり、人は食事でしかそれを得ることができない。そして水も、食事と同等に重要な問題だ。逃亡を続けるしかない現状では、この二つの問題を解消しなければならなかった。


「水は……、出来れば安全なものが欲しいけど、この際背に腹は代えられない。川の水を汲むことにしよう」


 自然の水は、人には有毒である場合が多い。井戸のような地下水であれば雑菌も微生物も極少量なのだが、地表を流れている川では様々な問題がある。そのため飲用水として利用するのであれば水源から汲み取るべきなのだが、追われる身である内はそうしていられるだけの余裕がない。

 危険ではあるが、そうする他にないのだ。


「まあ、アタシら精霊は水なんざいらねえから、そのへんはお前らの判断に任せるさ」


 精霊にとっては、水は嗜好品のようなものでしかない。最低限の魔力さえあれば精霊の身体を維持できるのだ。契約時であれば食事ですら不要となる。


「その……、私の能力を使うために、飲み水以外の水を確保したいのですが……」


 遠慮がちにトワが意見を出す。切迫している中でのことであるために気が引けていたのだろう。だが、それを受けて義利は眉を寄せて黙り込んだ。

 トワの能力は水の操作だ。今までは水を浪費しないためにもと、彼女は戦闘に参加せずにいたのだが、義利の負担を減らそうと戦闘への意欲を示していた。


「……僕とアシュリーだけじゃ、そろそろ手も回らなくなってきたからね」


 実際に、既に何度かティアナを攫われかねない状況に追い込まれている。電気負荷によって移動速度を極限まで引き上げてはいるが、もしも転移系統の能力を持つ者がいたのなら、それで義利の逃亡は失敗になるだろう。

 戦力は、多いに越したことはない。トワであれば何の対価も必要とせずに能力を発揮できる。加えて攻防ともに行える能力だ。

 それらトワが参戦することで生まれる益と、戦闘に加わることで生まれる危険を天秤に乗せ、義利は決断を下した。


「わかった。水袋のうち二つはトワの能力用にしよう」

「……少し心許ないですけど、それだけあればなんとか」


 トワの能力は、扱う水が多ければ多いほどに威力を増す。だが現状、最低限の飲み水を確保した上で、さらに水を持ち運ぶとなれば、水袋二つが限度だった。

 それをトワも十分に理解している。

 水袋二つ。約三リットルだ。攻撃をするのにも防御をするのにも、それでは満足には行えない。だからといって、次にいつ水を汲む時間ができるともわからないのだから、あまり多くをトワに回すことはできないのだ。

 追い込まれている。この現状確認で、彼らは改めて自身の劣勢を思い知らされていた。


「……まだ追っ手は来てない?」

「大丈夫だ。この辺に居ることはいるが、どうも迷ってるみたいな感じだぜ」


 洞窟があるかもしれない、という発想がまず無いのだろう。そうでなければ同じ場所をひと晩も探し歩くなど、間抜けでしかない。


「それじゃあ、僕とアシュリーと……、ストック。三人で探しに行こう」


 この場の六人で力の均衡を考えれば、人選は自然とそうなる。戦力として数えられるのは義利とアシュリーのペア。そしてトワだ。ティアナとキャルロットは二人で一組みなのだから、義利の選択は正しい。

 さらに言うならば、聖人の探知対象であるアシュリーとトワの二人を分けることで追っ手をかく乱することもできる。

 そんな、現状では最善と言える義利の組み分けに異を唱える者はいなかった。


「トワ。いざとなったら自分の身を第一に考えてね」

「……ッはい!」


 出発の直前、義利からの言葉を受けたトワは、喜色の強く現れた返事をした。彼の言い方から、トワの中ではティアナよりも自身が優遇されていると判断したのだろう。

 こうして、ティアナとキャルロットとトワの三人を残し、義利とアシュリーとストックは食糧調達のために出発した。


「ねぇ」


 三人を見送って数分。沈黙を破ったのはトワだった。


「なんで落ち込んでいるフリをしてるの?」

「は?」


 それまで無言で目立った動きもなく、焚き火を絶やさぬようにだけしていたトワからの言葉だ。聞き逃しそうになりはしたが、その真意までも、ティアナには伝わっていた。

 敏いトワは、ティアナの嘘を見抜いていたのだ。

 ティアナが、既に平常心を取り戻していることに。

 誤魔化すために威圧するような低い声で返したティアナだったが、トワにそんな脅しは意味をなさない。


「本当に落ち込んでいる人は怒らないわ。もっと無気力で、やる事といえば痛みから逃げるくらいのもの。だけどアナタは、何度かアダチさんから逃げようとしたでしょ。追っ手に捕まれば苦痛があるってわかってるのに。なんで?」


 トワの指摘は、全てが図星だった。スミレの死を知ってから、その次の日にはティアナの心は限りなく平常に近づいていたのだ。薄情だから、ではない。そう出来るだけの経験を、ティアナは積んできている。

 仲間の死を目撃したこともあった。悪魔に魂を売り渡した同期を殺したこともあった。部下が魔人となった姿を見た。

 それら数々の経験から、ティアナは心の乱れを押さえ込む方法を身につけていたのだ。親代わりのスミレの死は、それらとは比べ物にならないほどの衝撃ではあったが、今は十分に受け入れることができている。

 できていながらも、ティアナは義利の前で閉鎖的な態度を装っていた。


「……私が何をしようと、私の勝手でしょ」


 そうして見抜かれているトワに対しても、心を閉ざして見せる。

 するとトワは怒りを顕にしてティアナの胸ぐらを掴み上げた。


「もしもアナタがアダチさんに害意を持ってそうしているなら、私はアナタを殺すわ。そうでないなら理由をいいなさい!」


 トワの怒りは、全て義利を思ってのことだ。ティアナがいなければ、義利は追われる理由が無くなるのだ。確かに魔人である以上は討滅対象ではあるが、どこか、あるいは誰かからの依頼がない限りは積極的に狙われることはない。ティアナという指名手配犯を連れているから、義利は追われ、身を削ることとなっているのだ。それが許せなかった。だからトワはティアナを問い詰めている。


「……私は」


 逃げ場を失い、ティアナは本心を零しそうになった。それをすんでのところで飲み込み、トワから顔を背ける。


「私は、死にたい……。できるのなら殺して」


 そんなティアナに呆れ果てたのか、トワは投げ捨てるようにティアナを離した。


「嫌。アダチさんに嫌われたくないもの」

「なら自分で……」

「そんな覚悟、ないくせに」

「……ええ」


 そこから先、二人は義利たちが戻るまでの間、一切口を開かなかった。

 ティアナはこれ以上、内心を知られないようにと。トワは全てを理解して、その上でティアナを見限ってのことだ。

 キャルロットは、そんな二人が放つ無言の圧力から、ただ傍観していることしかできずにいた。


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