第三章 02
ティアナが義利を批難してから、随分と時間がたった。既に日は傾き、空は橙色になり始めている。
あれからティアナは、ラクスでの戦闘を何度も反芻し、スミレを死なせない行動を見出そうとしていた。結果、見つけられたのはただ一つ。ティアナが自力で、それも重傷を負わされることなくコロナを退けていた場合のみだ。それが唯一の可能性だった。コロナの元へ義利が現れず、スミレと共闘をしていればネクロを討滅することができていたはずだ。二人で駄目でも三人なら、出来ていたかもしれない。そこからティアナは何度もコロナとの戦闘を無傷で勝利するための方法を模索した。何度も、何度もだ。だが、いくら策を巡らせようとも、空想上のコロナにすら、無傷では敵わなかった。どころか、生き残ったことが奇跡なのだと改めて思い知らされることとなる。単独でコロナとの戦闘をするという想定をしたところ、ティアナは必ず敗北していた。自分の力も相手の力も理解した上での想像であるから、おそらくは現実としてそうなのだろう。ティアナは自身の空想の中で、何度もの自身の死を目撃した。そして三人での共闘――、アルとナイトの協力を得ての戦闘においても、おおよそ九割は全滅している。残りの一割の中でも、ティアナが生き残れたのは五割。つまりは五分しか存在しない。その生存の場合ですら、致命傷を負ってのものとなっている。しかし現実にあった義利の介入を想定すると、その生存率が逆転するのだった。
今のティアナがあるのは、義利によるものだといっても過言ではない。だというのに、ティアナは彼に感謝をしてはいなかった。むしろ、恨んでさえいる。
それほどまでの力があれば、スミレを救うこともできたのではないか。なぜそうしなかった。なぜスミレではなく自分を助けた。なぜ、ネクロを倒せなかった。
もはや八つ当たりですらない。責任を押し付けているだけだ。自分には力がなかったという言い訳を盾にし、力のある義利に全てを投げつけているだけだ。
そんな醜い自分の本心に向き合わされ、さらにティアナは沈んでいく。
「ティアナ」
今のティアナが最も聞きたくない少年の声がした。幻聴ではなく、彼はそこに立っていた。今の今まで心の中で何度も罵った義利が、つい数時間前に批難を浴びせた義利が、そこにいたのだ。
「……何しにきたの?」
恨みの念を込めた瞳で、ティアナは義利を睨みつける。それをものともせずに義利は彼女に接近すると、左側から膝と脇に腕を回された。
「何をっ、するのよ!」
義利の手が乳房に触れそうになっていたために抵抗をするも、片腕では上体を支えることができずに体勢を崩すこととなり、そこを義利によって支えられ、持ち上げられた。左の肩が彼に密着しているために、そこからの抵抗では貧弱な義利にすら意味をなさない。片腕を失っただけでこうも弱体化するのかと、自分の――、人間の無力さを、ティアナは噛み締めさせられた。
ティアナを横抱きにした義利は、その背に大荷物を背負っていた。少し前までであれば、それだけで息を切らしていた義利だったが、今は更にティアナを抱えていながらも平然としている。
「一緒に来ないっていうから、こうするしかないと思ってさ。君を拐うことにした」
平然としながら、義利は言った。彼の顔に冗談を言っている様子はない。
「下ろして! 下ろしなさい!!」
身体を捩り義利の腕から逃れようとするも、彼はしっかりとティアナの身体を抱えたまま離しはしなかった。意味をなさない抵抗と分かっていながらも、ティアナは左手で拳を作ると、それをただ力だけで振るい、義利の顔面を殴打した。鈍い音が立つが、それだけだ。義利は顔色一つ変えずにいる。
「いいかい? 今の僕らの関係は、誘拐犯とその被害者だ。君の言い分が通ると思う?」
「ふざけたこと言わないで! いい加減にしないと……」
ティアナは枕元に置いていた愛用のナイフに手を伸ばした。そしてその鋒を、義利へ向ける。例え戦いの経験の無い者だとしても感じ取れるほどに凄まじい殺気が、そこには込められていた。
ティアナの決意は固く、揺るぎないモノとなっている。頑として、義利と別れようとしていた。刃に込められた殺気は、本気のものだ。最悪の場合として、殺害をしてでも、というのが彼女の本心だった。
「悪いけど、もう時間があんまりないんだ」
その本気を前に、まるで子供の駄々に付き合っている暇はないとでも言いたげな義利の口調に、ティアナの中にあった理性が崩壊する。怒りで支配された彼女の手は、一切の容赦なく少年の体にナイフを突き立てた。
利き腕ではないとはいえ、ナイフの扱いに関して言えば、彼女は左手でも十分にできる。右腕と同じだけの力を込めることはできないが、その半分であれば可能だった。
刃渡り十センチほどのナイフ。その刀身の半分ほどが、義利の肩から体内に侵入していた。
痛みに顔を歪めはするが、それでも義利はティアナの身体を離さない。軽く揺するようにしてティアナを抱え直し、それによってティアナにナイフを手放させる。
「あっ……」
不意を突かれた形となり、ティアナは小さく声を漏らした。
肩に刺さったナイフをそのままに、義利は哀れむような目をティアナへと向ける。
「どうしちゃったんだよ……。キミは、こんなことをするヤツじゃなかっただろう?」
これまでの期間でティアナの人格について、義利は把握しているつもりでいた。彼の知るティアナは、少なくとも腹立たしさを理由に人を刺したりはしない。だからこそ恐ろしいまでの殺気を前にも怯むことなくいられたのだ。
ティアナは観念したように全身の力を抜くと、ポツリとこぼした。
「……疲れたのよ、もう。生きることに」
生きる気力の喪失。それが義利に対して非協力的な姿勢を取る理由だと、ティアナは言う。
ティアナは、確かに精神的に強い。復讐を胸に自分を押さえ込んでいたからだろう。彼女は同年代の中では浮いた存在となり、一回り上の世代の中では馴染むことができる。そもそもとして、彼女を取り巻く人々が、主に一回り上なのだからそうもなろうものだが、十五という年齢を鑑みればそれは異常でしかない。世間一般からすれば親元にいてもおかしいところなど何もない子供が、自立し、家庭を築いている大人の中にいて、違和感を生じないなど、間違っているとしか言いようがない。確かに大人らしい振る舞いをすることもできるが、それはあくまで偽装だ。自分を偽り、大人を装っているだけだ。
生きる上での技術として身にまとっていたその虚勢が、腕の喪失と、スミレの死による衝撃で、ひび割れ、剥がれ落ちた。それだけの話だ。
「お願いだから放っておいてよ……。お願いします。放っておいてください」
投げやりに、ただ発声をする。
義利は、そんなティアナに愛想を尽かしたのか、再びベッドに横たえると、テントを出た。
その直後のことだ。
茜一色だった世界が、白との明滅を始めた。それに合わせて雷鳴が響き渡る。そこに数度、男同士が言い合っているような声が混ざり、すぐに収まった。
そして再び義利はテントの中へと戻ってきた。
生傷を、いくつも増やして。
「……悪いけど、もう時間切れみたいだから」
息を整えながら、義利は言う。おそらく先ほどの閃光は、義利の戦闘によって生じたものなのだろう。そう考えるとティアナは納得できた。電撃を操った際に生み出された光が、その正体だと。
だが、ひとつだけ疑問だった。
「……怪我、直さないの? 私への同情?」
切り傷程度、魔人となった瞬間に修復される。それをしない理由は、見当たらなかった。もしやティアナの付けた傷を直さないことで痛みを分かち合っていることを表明しようとしているのだろうか。そんな風に頭を巡らせ始めたとき、ティアナの背後から声がした。
「テメェのせいだっつーの。面倒だから、もう寝てろ」
眼球の奥で、小さな火薬が爆発した感覚だった。その爆破を合図に全身が痺れ、感覚が薄れていく。
ティアナの意識は、深く沈んでいった。




