窮地~戦場に響く笑い声~
一難去ってまた一難、ではなく一度去った難が舞い戻ってきた。
現れたのは白い魔人――、アダチ・ヨシトシだ。
「アンタ、まだ居たんだ」
これはアシュリーだな、とすぐにティアナは理解する。
口調や相手への不遜な態度。そして眼光の鋭さ。
義利とは真逆の特徴が見て取れたためだ。
彼の輪郭をそのままに頭髪が白く伸びているため、顔と口調が噛み合っていない。
出会ってまもなくのティアナですら違和感を覚えた。
子供が大人の真似事をしているような印象だ。
そんな風に警戒と観察をするティアナに対し、既にアシュリーは興味を失っているようであった。
「何しに来たの……?」
「逃げてんだよ。あんなヤツまともに相手してられっか」
それを聞いて、ティアナは少々驚く。
「そこまで手を焼くほど強くないでしょう?」
「……そりゃあ挑発か? コッチは文字通り手を焼かれてきてんだよ」
ティアナは疑問を抱いた。
しかしすぐにそれは解消される。
疑問の内容は『私ですら倒せる相手に、この魔人が手を焼くとはどういうことだろう?』というものだ。
その答えは実に簡単な物で『ヨシトシたちがキャロの能力を使えないから』だ。
『見えない壁を作り出す』というキャルロットの能力は、彼らの膂力を防ぐことはできなかった。
しかしフレアの発する熱ならば難なく遮ることができる。
元々、対炎に特化した能力なのだ。物理的衝撃の軽減は添え物でしかない。
その絶炎の壁により全身を包んでいたことで、フレアとも渡り合えたのだ。
炎に対する圧倒的優位性。それが聖人ティアナの特色だった。
全てを理解し、ティアナは策略を練りだした。
現状を打開するためには、まずキャルロットへの対価を手に入れなければならない。
聖人にならない限り、彼女が魔人と戦うことは不可能に等しいからだ。
だが森の中で入手できるモノで対価を用意するには時間が足りない。
それらを踏まえて、目の前にいる戦闘狂の魔人を利用しようと思いついた。
まともに共闘を申し込んだとしても、アシュリーが素直に受けるか。最大の問題はそこだった。
ティアナは、その場面を想像する。
これまでの会話から得られたアシュリーの性格的特徴は「慎重」と「ひねくれもの」の二点だ。
慎重なのは言うまでもない。
義利から申し出た自己紹介でティアナがキャロの名前を言っただけで、いわば格下である相手に敵意をむき出しにしたのだから。
ひねくれもの、というのは半ば勘のようなものだ。
何気ない言葉を皮肉と捉えたことや、仕草から受けた推測に過ぎない。
しかしティアナはその勘に賭けた。
「私はガルドと契約する前だけれど、さっきの魔人――、フレアを仕留める寸前まで追い込んだのに」
と煽るような言葉を、聞こえるように、しかし独り言のように発する。
「あ? 今なんつった?」
言葉に含まれた怒気からして、聞こえなかったわけではないのだろうと判断する。
「いえ、独り言よ。気にしないで」
「ダッチ、しばらく替わってくれ。ムカついてぶっ殺しそうになる」
魔人が目を瞑り、そして開く。
するとそれまであった刺々しさが消えた。
「うわ、変な感じ……」
口調までもが変化している。これはティアナにとって想定外の出来事だった。
「え……。アダチさん?」
「そうだけど?」
ティアナは、魔人化している時に人間と人格の入れ替えが可能だとは考えてもいなかった。
煽って煽って、煽り倒してその気にさせたアシュリーにこっそりと力を貸すことでフレアを退けようというのが策略だったのだが、その必要がなくなり、若干ながら動揺する。
しかしすぐに心を静めて口を開いた。
「アダチさん、それとアシュリー。あの魔人を倒すために力を貸して」
今までの行いを鑑みて、さすがのヨシトシでもこれには頷かないだろうとティアナは想定する。
そのため死を嫌っているらしい彼に、フレアを放置することによる危険性を簡潔に伝えようと、頭の中で言葉を選び始めた。
そしてそれだけではだめだ。
先ほど煽ってしまったアシュリーをなだめなければならない。
その為の言葉も同時進行で頭を働かせている。
――だが。
「うん、わかった」
と一拍も置かない内に受け入れられたために、ティアナのまとまりかけていた構想が崩れ落ちる。
「え……、ええぇぇぇ……」
目眩を覚えて額を抑える。
真剣に考え事をしていたのを馬鹿らしく思った。
「私が言うのも変なことだけど、私は一度あなたを殺そうとしたのよ?」
この時のティアナは、幼児を相手に経済等の複雑な話をしている気持ちだった。
教えたところで理解はできないだろうと、ある意味では高を括っている。
この時点でのヨシトシに対するティアナの評価は「別の世界から来たらしい無知な少年」だったのだ。
その認識は直後に覆される。
「でも今はそうじゃないでしょう? ならいいよ」
彼の契約しているアシュリーが一瞬でも対応を遅らせていたら、あるいはティアナが人間だろうと躊躇なく殺めることのできる性格だったなら、そうでなくとも勢いでナイフを振り切っていたならば死んでいたかもしれない。
にもかかわらず、ヨシトシはそんな風に割り切ったのだ。
ティアナはこの少年に対しおぞましさを覚えた。
他人の悪意に鈍感すぎるのだ。
ティアナが利用しようとしている可能性など考えてもいないのだろう。
殺意を向けられていたことすらも、本当にどうでもいいかのような平然とした表情だったのだ。
無邪気や愚鈍ではふさわしくない。
『気味が悪い』などという言葉では的確に表せない、もっと不気味な何かを感じ取った。
「それで、具体的には何をすればいいの?」
「まずはそうね……、融合を解いてもらえると嬉しいのだけれど」
「わかった。アシュリー?」
ティアナは平静を装っているつもりだったが、放つ言葉が少々ぎこちなくなっている。
彼女自身はそのことに気づいていないがキャルロットは不安を抱いた。
「ティアナ、どうかしたの?」
ヨシトシがアシュリーを説得している隙に、キャルロットは尋ねた。
「大丈夫よ。なんでもない」
目も合わせず義務的に返されただけの言葉は冷たいものだった。
だがこれでキャロは確信する。
目の前にいる魔人は、人間の味方ではあるがティアナの敵である、と。
程なくしてヨシトシの魔人化が解かれ、霊態のアシュリーが現れた。
その直後のことだ。ティアナがその光球に向けて頭を下げた。
「さっきは失礼なことを言ってごめんなさい」
アシュリーは反応を示そうとしない。
「どうして、あんなことを?」
場を読んだヨシトシがそう疑問を呈する。
「素直に頼んでもアシュリーは協力してくれないと思って……」
嘘を吐く理由もないのでティアナは正直に、頭は下げたまま答えた。
「だってさ」
ヨシトシは会話の橋渡しの役割を続ける。
「もし普通に頼まれてたらどうしてた?」
そんな三人のやり取りをキャロはオロオロと怯えつつ見ていた。
彼女の中ではまだ、アシュリーに対する驚異認定は完全には解かれていないのだ。
目の前で危険物をぞんざいな手つきで扱っているのを見守っているような気分だった。
「まぁ、受けちゃいなかっただろうけどさ……」
義利からの説得を受けたアシュリーだが、しばしの試案を挟み、首を横に振る。
「やっぱ無理だ。ダッチ、考え直せって。コイツはアタシらを利用するだけ利用して、用が済んだら手のひらを返すかもしれねぇだろ?」
彼女の言い分はもっともなモノだ。
つい先ほど命を狙ってきた相手に背中を預けるなど、馬鹿げている。
アシュリーの反対によって和解が不成立を迎えようとしたその時。
周囲の温度が急激に上昇した。
◆
ここでも、まず異変に気づいたのはアシュリーとティアナだった。
義利は二人の友好関係が前進したことに満足して頷いていたので、突然の怖気にたじろいだ。
その結果として魔人化の進行に支障をきたし、背中が焼け焦げる感覚を体験させられることとなる。
「ッぁあ!!」
苦痛に喘ぎ、そこでようやく魔人・フレアに追いつかれたと気がついた。
覚悟を決めて、熱気に堪えながら炎の魔人に向けて拳を振り抜く。
全身に及ぶ火傷の痛みは、拳が届く直前に消失した。
魔人化が完了したためだ。
アシュリーは義利の突き出した拳を全力で叩き込むと、すぐに後退した。
「やるじゃんダッチ」
異臭を放つ右手をプラプラと振りながらアシュリーが言う。
今までの通りに魔人化が終了するのをただ待っているのでは、確実に無防備な時間が発生してしまう。
そこで義利は、殴打のための体勢を整えてから肉体を明け渡したのだ。
阿吽の呼吸。
義利が魔人化していないことに油断してか、腕を蒸発させるほどの高温でなかったことも助けている。
手応えは確かにあった。
「あなたたち、そんなに死にたいのかしらぁ……?」
それでも、黒い魔人にはあまり損傷を与えることはできていない。
感情の昂ぶりを表すように空気の温度が更に上がる。
こうなっては最早、触れることすら許されない。
不殺という縛りさえなければ、その一撃で仕留めることもできたのだ。
それだけの力をアシュリーは備えている。
しかしアシュリーはそのことで気分を害してはいない。
むしろ困難にぶつかっていることに喜びを感じていた。
殺さず殺されず。
魔人を相手にそんな無理難題を如何に突破するかを考察することは、退屈とは真逆の位置にある。
頭も身体も休めることはできず、一歩間違えば怪我では済まされないような、そんな状況を楽しんでいるのだ。
『アシュリー、ティアナたちの様子が変だ!』
義利に言われるまで意識の外に追いやっていた二人の様子を目端で確かめる。
「あいつら、なにやってんだ?」
純粋に、訳が分からず声に出していた。
ティアナがキャルロットを背負ってこの場から離れて行っているのだ。
背負うのは、まだ理解できた。
あの二人の体格差からして二人で走るよりもそうした方が早いからだろうと。
だがそれ以前に、融合して逃げればいいではないか、と不審に思う。
それを言ってしまえば戦えばいいのに、とも思っていた。
義利には問答無用で襲いかかってきたのだから、そうする方が自然だ。
「まぁいいや。ダッチ、アイツら守れってんならここで戦うのが一番ってことはわかるよな?」
『そりゃあそうだけど、僕らだって危ないんじゃない?』
そんな当然の疑問に、アシュリーは満面の笑みで答えた。
「任せとけって」
言うともう一度距離を置き、そして駆け出した。
義利に認識できたのはそこまでだ。
魔人から一旦離れて、駆け出して。
次の瞬間には破裂音が鳴り響き、視界から魔人の姿がなくなっていた。
アシュリーが振り向く。
そこにいるのは右腕を肩口から失っているフレアだった。
「なに――、え、あぁぁぁがああああッ!!」
フレアが絶叫し、傷口を抑える。
滴り落ちる鮮血は地に落ちると、周囲を焼き焦がしながら蒸発して消えていった。
「まさに熱血、ってか?」
『つまらないよ。それより何をしたの?」
「……フツーに殴ったら触る前に手を消し炭にされるから、そうなるより早く殴っただけだ」
得意満面でのたまってしまっただけに、一蹴に伏されて落ち込むアシュリーだったが、説明はしっかりと行った。
義利はその簡素な説明を聞き、先ほどの破裂音の正体を悟った。
だが納得まではできていない。
アシュリーの行ったことは実に単純だ。
燃やされるなら燃え尽きる前に殴る。
ただそれだけだ。
そのために肉体が音速に至っていること以外、実に納得のできる攻撃方法だった。
これは痛覚を無視できるアシュリーならではの、アシュリーにしかできない荒業なのだ。
普通は痛みを感じれば反射的に動作が鈍くなる。
音速を出した肉体は、当然の如く無事ではない。
魔人の修復能力によってそれ自体は完治するが、そうとわかっていたとしても真似をできるはずがない。
「名づけて、超速拳!」
『………………』
思わず呆れ返るも、義利が言葉を失ったのは、その異常性による。
超速拳を、仮にティアナが使用可能だったとしよう。
契約した精霊の能力が『肉体を音速で稼働させる』だとしたら、という仮定だ。
その場合でもティアナは絶対に、たとえ更にもう一体、回復系統の能力を持つ精霊と契約していたとしても、超速拳を放つことはできない。
過剰な負荷をかけられた筋肉の発する痛みという名のリミッターが静止を掛けるからだ。
どうあっても、人間の肉体では音速にたどり着く事はできない。
それを平然とやってのけているのだ。
義利はアシュリーのことを、痛みに耐えることのできる強靭な精神の持ち主だと考えていたが、それが誤りであったことを知った。
アシュリーの過去を、彼は知らない。
だが痛覚を無視できるようになるまでの過程を想像し、悲しみを感じた。
いったいどれだけの痛みを、どれだけ与えられればそんなことになるのか。
それに今まで気づくことのできなかった自分に対しての怒りがこみ上げてくる。
『アシュリー、痛覚を僕が感じるようにすることはできる?』
「ああ? できねぇことはねーけど、そんなことしたら戦いにくいだろーが」
痛みとは感覚だ。
魔人化により視覚や聴覚などを共有しているように、痛みも共有することはできる。
だが今は、その全てをアシュリーが請け負う事で義利は無事でいられているのだ。
『僕たちは運命共同体だって、前に言ってたよね』
「それがどうかしたのか?」
『なら痛みも分かち合いたいんだ。少しでもいい。君と同じ痛みを感じたい』
捉え方によってはこの上なく変態的な発言にもとれるが、それをアシュリーは好意的に受け取った。
「わかった。けど半分の半分だ」
『?』
「ダッチがこれから受けるのは、普通に感じる痛みの半分の半分だけだ。じゃなきゃ正気をなくしちまう」
『そこらへんの加減は任せるよ』
義利がどうこうしようとも、痛覚のコントロールなどできはしないのだ。
ここで『それは嫌だ』と言ったとしても、実際に痛覚を操るのはアシュリーなのだから、誤魔化されていたとしても彼に気づく術はない。
「……それじゃ、いくぞ」
その言葉と共にアシュリーは戦闘を再開した。
腕の修復がまだ完全ではない魔人は、その場に留まり膨大な熱を放出し続けている。
そこを目掛けて駆け出した。
踏み出した第一歩目で、既に義利は涙目になっている。
四分の一の痛みというのが正確なのかは不明だが、確かに気が狂いそうだと痛感させられた。
通電による筋力強化でアシュリーは戦っているのだが、それは決して筋肉の耐久性までも強化している訳ではなかったのだ。
景色が滲むほどの速度でする移動は、その一歩ごとに筋繊維を破壊し、修復しながら行われていた。
地を蹴るたびにナイフで肉を掘られるような、そんな激痛を受けながらも、彼は悲鳴を抑え込む。
アシュリーの邪魔をすまいと、必死でこらえているのだ。
「ダッチ! 歯ァ食いしばっとけよ!」
そんな掛け声と同時に景色が一変する。
アシュリーが超速拳を、未だ苦しんでいるフレアに放ったのだ。
『ウッ……』
それには耐えきれずに、ついにうめき声を上げてしまったが、破裂音によってかき消される。
想像以上の、想像を絶する苦痛に早くも挫けそうになるが、これは彼女の受けていた痛みの四分の一であることを思い出した。
超速拳、という少々間の抜けた名前に似合わず、その代償は峻烈なものだった。
拳自体はぶつけた衝撃で砕け、その指は各々好き勝手な方向を向いている。
振り抜くために使用した腕の筋肉はもちろんのこと、腹筋や胸筋、背筋も断裂し、全身のいたるところから流血が見られる。
それも次第に修復されるのだが、完了までの間は痛みが続く。
殴られた方も当然、ただでは済まされない。
「きぃぃぃィィィイイイッ!!」
『ギ……、ガハッ!』
フレアはもう一方の腕をも失い、金切り声を出す。
それによって義利の短い悲鳴はアシュリーには届かなかった。
先に破壊した腕は半分程まで生えているが、その修復速度でアシュリーの猛攻を凌ぐことは不可能だ。
「まだまだいくぜェッ!!」
破損したアシュリーの腕が修復するのと、喪失したフレアの腕が再生するのでは、当然アシュリーの方が早く完了する。
拳の修復が終わると、アシュリーはすぐに攻撃を再開した。
『アシュリー、待って!』
「殺しゃあしねえよ!」
そうしてさらに二回、超速拳は放たれた。
「〜〜〜〜〜〜ッ!!」
四肢のすべてを失った魔人は、声にならない悲鳴を上げて悶え苦しんでいる。
それを見下ろしてから、アシュリーは凶悪な笑みを浮かべた。
「力の差が、わかっただろ?」
魔人の放つ熱で肌が焼かれない程度の距離を置き、ティアナの方を伺う。
彼女たちは遠くから、二人の魔人の行く末を見届けようとしていた。
キャルロットを背中から降ろし、アシュリーを視界に捉えている。
「そいつの体を捨てりゃあ見逃してやるよ」
悪魔との契約は、その命が尽きるまで解かれることはない。
しかしアシュリーがそうしているように肉体から離れることは可能だ。
そのまま二度と会わなければ、融合もできない。
人間が悪魔と多重の契約ができないように、悪魔も人間との多重契約はできない。
アシュリーの提示した案を受け入れるのは、悪魔にとって死と同義だ。
契約をせず、ただ漂うだけの存在に成り果ててしまう。
義利に出会う前のアシュリーと同じく、永遠に続く苦痛を味合うのだ。
「――ざけんじゃないわよ」
ゴウッ‼
更に熱量を増す魔人に、アシュリーはたじろいだ。
木々は灰と化し、水分を失い砂塵となった大地が熱風に押されて舞い上がる。
それにより視界は一瞬塞がれる。
「なんだぁ? まだヤル気かよ」
ある程度底の知れた相手には興味を失うのか、ティアナに対してそうであるように、つまらなさ気な声を出す。
少しの間を置き、粉塵が晴れると、そこは更地になっていた。
爆発的熱量によって全てが焼き尽くされたのだ。
そんな中、焼き払われた大地の上に見慣れないものをみつけて、アシュリーは目を細める。
『石、像?』
人の形ではある。
だが赤茶けた岩石で構成されたその身体は、人間の二倍ほどの大きさだった。
注視すれば、関節部や所々にあるヒビ割れから溶岩が流れていることが分かる。
「最低の気分よ……。よくもこんな……、こんな醜い姿を……!!」
呼気とともに、多量の水蒸気を吐き出す。
くぐもった声であったものの、その喋り方から正体を特定すると、アシュリーは凶悪な笑みを浮かべた。
「ホントにもぉー! 楽しませてくれるじゃねぇか!」
歓喜に打ちひしがれるアシュリーとは対照的に、義利はその魔人の変化についての考察に専念していた。
魔人の姿でいた時には周囲の景色が揺らめいでいたのだが、今はそれがない。
義利の痛覚が通常よりも鈍い状態であることも関係するのだろうが、あたり一面を更地に変える程の熱を発したのに、今はそれを感じられなかった。
『アシュリー。よくわかんないけど注意して』
不穏な空気を感じ取り、そう注意を促すが――。
「まぁずはいっぱぁつ!!」
聞く耳を持たず。
小手調べとばかりに超速拳を放つ。
衝突の瞬間、堅牢な見た目とは裏腹に、岩石の鎧はいともたやすく欠損をした。
――……期待はずれの見掛け倒しか。
アシュリーは落胆をしそうになったが、その鎧の真骨頂は攻撃されたことによって発揮される。
拳が鎧にヒビ割れを作り出した際に、そこから粘度の高い溶岩が吹き出した。
それがアシュリーの腕にまとわりつく。
ぬぐい去ろうにも粘りつくそれを完全に落とすことはできず、前腕の骨が露出するほどに肉を溶かされていた。
「んなッ?!」
驚きはするが慌てず。
アシュリーは修復までの時間を稼ごうと後退する。
「逃すわけがないでしょうッ‼」
鎧の奥で恨みの籠った声を出す。
しかし、肥大したその体では素早い動きはできないだろうと、アシュリーは考えていた。
もちろんその通り、岩石の鎧の動きは重鈍だ。
拳を振り上げているあいだにも、アシュリーは十メートル以上の退避を完了させている。
鎧の射程はおよそ二メートル、これほどの距離があれば拳は届かない。
――はずだった。
『アシュリー逃げて!』
義利がいち早くそれに気づき、叫ぶ。
だがほんの少し、射程外にいることで警戒心の緩んだアシュリーは反応が遅れた。
「まさか!」
まさか、あの見た目で腕が伸びるなどとは思いもしなかったのだ。
義利はその瞬間を見ていた。
アシュリーと見える景色は全く同じなのだが、『見えている』と『見ている』のでは違う。
石を投射していたアシュリーと同じような構えを取った鎧は、そこで一度静止する。
拳を振るうのを断念したのかと思えば、肘関節周辺から水蒸気が噴出し、前腕が射出された。
あまりの速度と反応の遅れから、アシュリーはその腕に胴体を鷲掴みにされてしまう。
流石に触れれば火傷をするほどの熱があった。
思わず叩き壊そうとするも、抵抗したとたんに内部から溶岩が噴き出し、それ以上を阻む。
魔人である以上、上半身と下半身が分断されても生きられる。
最悪の場合として下半身を切り捨てることまで頭に浮かべるも、その状態でいればすぐにもう一度捕獲されるだろうことは明白だ。
なにか打つ手はないかと考えている間に、打ち出された鎧の腕は元の位置に戻った。
「私は炎と爆発の悪魔、フレア・ヴォルカニアよ」
自身で醜いと称したその鎧の中で、フレアは言葉を紡ぎ出す。
目の位置にあたる部分のひび割れから覗く溶岩が怪しく輝きを放つ。
「自分を殺す相手の名前くらい知っておきたいでしょう?」
本格的な命の危機を前に、さすがのアシュリーも笑うことはできなかった。




