番外編3 二月十四日
2014年の2/14日活動報告に記載していたSSです。
本編とは一切関係のない、完全なる趣味です。
「今日って何月何日?」
街を歩いていると隣にいるダッチが突拍子もなく聞いてきた。
まあ、こいつは突拍子のあったことの方が少ないからもう慣れつつある。アタシは、目端に移った果物屋が掛けている暦を見てダッチの質問に答えた。
「牛の月の二週目末だから、十四日目だな。それがどうかしたのか?」
けどダッチが突拍子も無いことをするってことは、大体の場合で何かオモシロイことが起こる前兆だから、アタシは少し期待しながらその意図を聞いてみる。
「牛の月? えっと、それって一年の内で何番目の月?」
「二番目だ」
だが、残念なことに今回に限ってはそこまでオモシロイことじゃあなかったらしい。
「そっか。今日はバレンタインデーか……」
どこか懐かしそうに、ダッチは聞きなれない事を言った。
「ばれんたいんでー?」
「ガイアにはないよね〜……。えっと、僕の国での催し物で、二月の十四日には、好きな人だったりお世話になってる人だったり友達にチョコレートをプレゼントするっていう風習があるんだよ」
チョコレートと聞いて腹の虫が疼きそうになる。
前に一度だけ、それもほんの一欠片を口にしただけだが、アレはいいものだった。アレよりも甘くて美味い物は今までに食った事がないと言ってもいいほどだ。そんな物をくれる催し物があるとは、一度でいいからコイツが元いた世界に行ってみたいものだ。
ふと、食欲を紛らわすために会話を続けようと隣を見ると、ダッチは寂しそうな顔をしていた。
……もしかして、故郷を思い出したせいで落ち込んでんのか?
そりゃあそうだろうなぁ。十七のガキが自分の意思でなく親元から引き離されたんだ。二~三日なら兎も角、一週間もすれば故郷が恋しくなって当然だ。
なんとかしてやりたいとは思うが、アタシにはコイツを故郷に帰してやることはできない。
だがそこで、名案を思いついた。
「ダッチ。お前、先に帰ってろ」
「え、アシュリーは?」
「ちょっと用事ができた」
「一人で大丈夫?」
心配そうに聞かれて噴き出しそうになる。むしろそりゃあアタシの台詞だった。何度か通った道とはいえ、コイツが一人で帰れるのかは不安だ。
とはいえここから先は一緒に行動するわけには行かねえ。だからアタシは普段通りに返す。
「ガキじゃあるまいし」
「夕方までには帰って来るんだよ?」
「お前はアタシの親か」
そんな軽口を叩いてからアタシはダッチと別れた。
目指すは流通市場だ。ダッチの喜ぶ顔を想像しながらアタシは足を進めた。
◆
エストの外門近くでは、商人どもが色んな国との貿易で仕入れた品物を並べて店を構えている。ペイルズ、サウラズ、ウェイストの三国の名産品を手に入れるには、エストではラクスのここ以外には不可能だろう。なぜなら各国共に貿易品を並べられるのは一つの街に限られているからだ。あまり流通すると市場価値が下がるから、という何とも金に汚い人間らしい理由だそうだ。
いくつもある露店の中から、アタシは目当ての看板を見つけてその前に立った。
「おやお嬢ちゃん、お使いかな?」
痩せぎすのジジイが気安く話しかけてきたのを無視して品物を眺める。
端から端まで注意深く見たところ……。ここには無いらしい。
「お嬢ちゃんやい、探し物かね?」
無視を決め込もうかと思ったが、思い直す。餅は餅屋ではないが、流通市場のことは商人に聞くのが一番だろう。
「チョコレートって知ってるか?」
「おやおや、中々お目が高い」
「知らねえならいいや」
年寄りは話好きが多い。遠回しな返事からしてこいつもそうなのだろう。長話になんか付き合ってられるか。と、アタシはその場を去ろうと踵を返す。
「短気は損気。ワシ、チョコレートも扱っとるよ」
「はぁ? 並んでねーだろ」
誰かさんと違って痴呆症に付き合ってやるほどのお人好しじゃないアタシは、背中越しに返しながら次の店を探し始めた。
すると。
「そりゃあ高級品だからねぇ。ちゃんとコッチ側に隠してるのさ」
ヒョッヒョッヒョ、とジジイが愉快そうに笑う。アタシは思わず電撃をブチかましそうになったのをどうにか堪えてジジイへ向き直った。
「それ売ってくれ」
「金はあるのかね?」
ジジイがアタシのことをジロジロと眺めた。言外に貧乏臭いと言われたような気がして腹が立つ。
しかしジジイの機嫌を損ねた結果「お前には売らん!」などと言われたら殺してしまいかねない。--最悪それはいいとして、黒髪の精霊=悪魔だと周囲に知られては面倒だ--グッと堪えてダッチから別れ際に摺った皮袋を見せる。
「少しゃぁ持ってるぜ?」
皮袋から、硬貨を一枚取り出す。商人であれば一瞬もあれば十分だろう。アタシがチラッと見せたそれは、銀貨だ。
「ほぅ。それで、チョコレートはどういう用途で必要なのかね?」
平然を装ってはいるが、目つきが変わっている。先ほどまでの舐め腐ったような物から商売人のそれになったのを確認し、アタシは自分の無知を晒すのも承知で、ジジイに聞き返した。
「用途? チョコレートに使い方もクソもあるのかよ?」
「最近のことなのじゃが、薬品としてではなく嗜好品として楽しむ方法も見つかったのじゃよ。もっとも、ワシのような貧乏人には到底手の届かぬことじゃがな」
チョコレートの嗜好品と聞き、無意識に口元が緩む。恐らくはダッチの国のチョコレートに近いものがコッチでも作られ始めたのだろう。風味が似ていたから、そこから試行錯誤すれば現物に近いものを作れるかもと思ってはいたが、まさかそれ自体が手に入るとは、嬉しい誤算だった。
「とりあえずソレ、あるだけくれ」
「お嬢ちゃん……、いくらなんでも足りないだろう」
「はぁ? 銀貨五枚もありゃ足りるだろうが」
「そりゃあ現地で買えばそうじゃが、コッチは遠くからわざわざ運んどるんじゃわ。運賃として少しくらい上乗せするわな」
「わーったよ。そりゃそーだ。んで、幾らだ?」
「そうじゃのう……。かわいいお嬢ちゃんじゃから銀貨六枚じゃ」
ジジイは、恐らく硬貨同士のぶつかる音から皮袋の中に何枚あるか知ったのだろう。ちょうど全額を代金として提示しやがった。
「……アンタ、長生きするよ」
ここで値切るには恐らく経験が足りない。下手をすればさらに上乗せされかねないと思い、アタシは皮袋ごとジジイに投げつけた。
「まいど」
喜色満面に品物を差し出すジジイの手から引っ手繰るように奪い取り、アタシは家路に着いた。
◆
「帰ったぞー」
ドアを開けると、ちょうど目の前にいたダッチと目が合った。
「お帰り。どこに行ってたの?」
「流通市場」
「どういう場所なの、それ?」
「色んな国から取引してきた商人が品物を並べてる場所」
簡素に答えて、アタシは手に入れたチョコレートを差し出した。
「ほら、やるよ」
総量は大体二百グラム。あの時キャロが持ってた物と同じ程度だ。これだけあれば満足だろう。
ダッチは袋の中身をつまみ上げると、驚いて取り落としそうになったらしい。手をわたわたと動かして、地面に着く直前で拾った。
その手に乗せたものをまじまじと見つめ、それからダッチは目を丸くした。
「え……、もしかしてチョコレート?」
「そーだよ。『ばれんたいんでー』なんだろ?」
「あ、ありがとうアシュリー……」
突然、ダッチの目から涙が滲み出した。
「えっ、おい! 何で泣く?!」
あまりに突然の事で思考が追いつかなかったが、一つの答えにたどり着く。
「……そんなに故郷に帰りたいのか?」
郷愁のあまりに泣き出したのかと思ったが、そうではないらしい。物凄い勢いでダッチは首を横に振った。
「あのさ、僕……、家族以外の女の子からチョコレートを貰うの初めてなんだ。それが嬉しくって……」
そこまで言われてコイツの言っていた『ばれんたいんでー』の内容を思い出す。
--好きな人だったりお世話になってる人だったり友達にチョコレートをプレゼントするっていう風習が--
そこから、今の言葉から読み取れるコイツの心情は……。
「ばっ……! ちがっ……! ちげーからな?!」
好きな人にチョコレートをプレゼント。つまりはアタシがダッチのことを好きだと言ったのと同じになるってことか?!
「ありがとうアシュリー! 大事に食べるよ!」
「返せ! そういうのじゃねーんだよ!」
「すでに所有権は僕の物だ!」
「話を聞け! アタシはお前が寂しそうにしてたから--」
有頂天なダッチの耳にアタシの言葉は届かず、三回目にしてようやく理解をさせることができた。
「……えーっと、バレンタインの話をしてる僕が寂しそうに見えたから元気付けようと、せめて故郷の味を堪能させてくれようとしてた、ってこと?」
「そういうこと」
「あの……、そろそろ足を崩しても?」
「ダメだ。アタシの味わった恥辱を理解するまではな」
「そんなぁ……」
と言いつつも、別にアタシは怒ってはいない。単に恥ずかしかっただけだ。理由はわからないが、なんとなく。
「ま、そろそろ許してやるよ。とりあえず食おうぜ。アタシももっかい食いたかったってのもあるんだ」
「それじゃあ、早速」
と、ダッチが入れ物から花型の物を取り出して口に含んだ。
「うん。おいしい!」
ダッチの喜ぶ顔が見られて満足だ。がしかし、それと食欲とは別だ。アタシも入れ物からチョコレートを摘み上げる。形は、十字を模っていた。
「あむ」
と口に入れると、じんわりと溶けて口の中に甘みが広がる。ダッチの物と比べると少し風味が強いが、それでもかなり近い味だ。
そのまま少しの間、アタシらはチョコレートを堪能した。ダッチもどこか満足そうな顔をしている。
その顔を見て、来年もまたチョコレートを渡してやろうと、アタシは密かに心に決めた。
◆
「これで少しは紛れたか?」
買った分のチョコレートを平らげたところでダッチに聞いてみる。
「うん? 何が?」
しかしどうもピンとこないらしく聞き返された。
「寂しさだよ。ばれんたいんでーを思い出したお前が寂しそうにしてたから、故郷に帰りたいのかと思ったんだが、違うのか?」
「ああー……。あの時ね……」
どうやらアタシの思い違いだったらしく郷愁ではなかったらしい。
ダッチは少し恥ずかしそうに言った。
「さっき言ったでしょ? 今まで家族以外の女の子からもらったことない〜〜、って」
「そう言えば言ってたな」
「それを思い出してチョットね……。自分の男としての価値が低いんじゃないかなって、それだけだよ。心配させてごめんね」
なるほど、とアタシはひとりで納得する。チョコレートをもらっていないってことは、『好きな人』『世話になってる人』『友人』という枠組みに入れられていない事になり、つまりは自分の価値を客観的に見る際の指標としてもチョコレートは機能してるってことか。
「なんだよ、アタシの取り越し苦労かよ。……まあ、いいや。美味かったし」
「ところで--、やっぱりいいや。なんでもない」
何かを言いかけてダッチは取り消した。大方チョコレートの代金について聞こうとしたのだろう。それを口にしないコイツの他人に気遣えるところは、嫌いじゃない。そのせいで自分の意見を圧し殺してさえいなければ美点にもなるだろうに……。
「来月、楽しみにしててね」
「あん? 何かあんのか?」
「ホワイトデー。バレンタインのお返しをする日だよ」
お返しってことは--。
「チョコレート以上の物を期待していいってことか?」
「あいや……、それはチョット……」
「楽しみにしとくよ」
こうしてアタシたちの平和なひと時はゆっくりと過ぎていく。戦うことはやめられないが、こういうのも、たまには悪くない。




