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異邦からの契約者~天使と悪魔と血まみれ生活~  作者: 篠宮十祈
第二章 砕け散る平穏の叫び声
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第二章 25 日没、暗闇

 魔獣。それは義利にとってはガイアに来て初めて遭遇した存在だった。巨大で、獰猛で、強大。当時はそれに恐れ慄き、涙を流しながら逃げ惑いもした。しかし今。死と隣り合わせの戦いをくぐり抜けた今の義利にとって、魔獣は驚異にはならなかった。


「野犬、か」


 低く唸り、威嚇をしてくる魔獣を前に、義利はぼんやりと呟く。


「不思議だね。今は君のことなんか、少しも怖くないや」

「おい、ダッチ。魔人にゃあなれねえんだから、気をつけろよ」


 村を出た際に、アシュリーから聖人の存在を知らされている。ヘーゲンにはティアナ以外にもう一人、聖人がいる。それがどれだけの探知能力を有しているかは不明だ。しかし、融合をした際に探知されては疑いをかけられるやも知れぬ。そのため義利は、武器もなく、魔人化することもなく魔獣を倒さなければならないのだが――、そんな大役を前にも彼は落ち着き払っていた。


「大丈夫。心配いらないよ」


 そう言って、彼は地面にあったこぶし大の石を掴む。その動作の最中に、魔獣は襲いかかった。相手が目を離し、そのうえ地面に手を伸ばしたのだ。これ以上ないほどの隙を、野生動物が見逃すはずもない。地面ごとを噛み切る勢いで、魔獣が噛みかかる。

 しかし、義利のそれは隙ではなかった。

 魔獣とは言え生き物であることには変わりない。殺すには、脳の破壊がもっとも安全で確実な手段である。頭部に乗り、打撃による破壊が義利にできる唯一の魔獣を殺す方法でもあった。しかし、それには大きさの問題がある。初戦でアシュリーがそうしたように、魔人の脚力で跳び上がり、首にまたがることができれば楽だったのだが、義利には二メートルもの高さを跳ぶ能力はない。何らかの方法で、魔獣の頭を下げさせる必要があったのだ。そのために、わざわざ大きな隙を見せた。

 魔獣の牙が迫る。義利は身体を回転させてそれを回避した。そしてすぐさま首あたりの体毛を空いている手で掴む。喰らい損ねた魔獣は身体を立てる。義利は、首の横にしがみついていた。身体に取り付いた人間をふるい落とそうと、魔獣は身体を大きく揺さぶる。その揺れの中で、彼は口と左手のみでよじ登った。

 犬にとって、後頭部は重大な弱点である。死角となっており、さらに身体の構造上、手足が届きにくい。

 握り締めた石で、義利は魔獣の頭部を強く打つ。

――グジュっ

 腐った果実を地面に叩きつけたような、そんな音が数度なった。石による殴打。それが魔獣の皮膚を押しつぶし、徐々に剥ぎ落としてゆく。血肉が飛沫となる。魔獣の悲鳴が、幾度となく上げられた。

 一撃一撃に全力を込め、打ち付ける。すると次第に音に変化が現れた。水気のあった音から、乾いた音へと。義利の殴打により皮膚が剥離し、頭蓋骨が露出していた。そこをさらに、無心で叩き続ける。何度も、繰り返し、止むことなく。硬質で鈍かった音が、徐々にトーンを上げる。骨が削れたことにより薄くなっているのだ。

 もちろん石を握ったままの義利の手も無事では済まない。何度もの殴打により、彼の手もまた石によって出血をしていた。それほどの回数を積み重ね、ようやく骨を穿った。


「ごめんね。痛かっただろ。ゆっくりお休み」


 言って、義利は頭蓋の穴に手を差込み、かき回し、一部を引きずり出す。魔獣は最後に嘶くような悲鳴を上げると、息を絶えさせた。身体を地に倒し、最期の息を吐き出す。義利は念の為に五分ほどを置いてから魔獣の死骸に近づいた。死んだふりをして襲いかかられでもしたら、ひとたまりもないからだ。さすがにこの巨体で五分もの呼吸を止めているのは無理だろうと、専門的な知識のない素人考えではあるが、魔獣は確かに死んでいる。脳を破壊された時点ですでに死んではいたのだが、彼の行動が慎重すぎるということはない。魔獣の生態を詳しく知らない以上、ある程度は慎重に動かなければならないのだ。もしも魔獣の中枢神経が脳じゃなかったら。そう考え、彼は確実に死を確認してから事後処理を開始した。

 魔獣の巨大なまぶたを強引に押し開き、眼球に拳を打ち込む。身動ぎ一つ、悲鳴の一つも上がらなかった。獣にとって、視覚は重要な感覚だ。もしも異物が入れば反射的に瞬きをするだろうし、それが攻撃となれば全力でよけるはずだ。そして呼吸も止まっている。つまり、死んでいた。


「……さて。二本くらいでいいかな?」


 一人、誰に問うでもなく呟くと、義利は作業を始めた。

 先ほど魔獣の頭蓋を貫いた石を用いて、魔獣の歯茎を削る。強く押し付け、それで擦り上げると、歯肉はみるみる削り出された。無心で手を動かし、どうにか一本目を抜き取り、すぐさま二本目に取り掛かる。

 そんな義利の姿を後ろで見ていたアシュリーが、ポツリと呟く。


「……なんか、変わっちまったな。お前」

「そうかな?」


 義利は、作業をしながら答えた。彼には変わった自覚などない。しかしアシュリーは、義利の変化を確かに感じ取っていた。


「前のダッチなら、きっとこうはしてなかっただろうよ」

「……殺さなかったってこと?」

「いんや」


 首を横に振り、アシュリーは義利の言葉を否定する。

 義利の生命の剥奪に対するスタンスとして、確固たるものがひとつある。生きるための殺害であれば、それは悪ではなく、咎められることではないというものだ。人を殺すことを極端に嫌っていた義利だが、フレアとの戦闘において、彼は魔人による殺人行為を『食事』と例えている。見方によってはその認識であってはいる。ただしその見方とは、悪魔側から見た場合だ。人間から見た人間の殺害は、どうあっても食事とは置き換えることができるはずがないのだ。殺害ではなく、殺人と、わざわざ呼び方を変えていることからもそれが伺える。人が食事のために家畜を殺す。つまりは殺害に当たるが、これをしたところで誰も罪に問いはしないだろう。しかしこれが、たとえ食人趣向の人間が人を食らうために殺害したとしても、それは罪となる。それが一般的な人間の思考だ。

 だが、義利は違う。殺人であったとしても、それが食事のためであれば責め立てはしない。それが彼の、思考だった。

 だからこの魔獣退治も、彼の中では罪ではない。そもそも相手が魔獣なのだから、誰から見ても罪ではないはずだ。それでも、以前の義利であれば――。


「そんな、作業みてぇには殺さなかったんじゃねェの?」


 少なくとも、アシュリーはそう思った。まるで道端の石をどけるように、邪魔な枝葉をへし折るように。魔獣相手とは言えそこまで無感情に殺しはしなかっただろう。

 息の根を止める際に労わるような言葉をかけてはいたが、所詮それだけだ。死骸から牙を抜いていることには何の思いも感じていない。死んだ生き物を、死骸としてではなく物として扱っているのだ。だから義利は無心で作業をすることができている。心を痛めることなく。悼む心を抱くことなく。

 指摘をされたところで、自身の変化というものは、周りからは見えても本人には見えにくいものだ。


「……そうかもね」


 薄い反応を見せ、二本目の牙をえぐり出した。

 人の顔ほどの大きさのある牙を二本。両手に一つづつそれを持ち、ヘーゲンへの道をたどろうとしていた義利は、全身から漂う生臭さに顔をしかめた。血と脳漿と、魔獣の唾液。それらの混ざった、腐乱した卵の様な臭いが、目にまでしみたのだ。

 一度自覚をするとその感覚はさらに強くなる。臭いと分かっていながらも、つい鼻で息をしてしまい、吐き気を催すほどの臭気に、思わず嗚咽を漏らした。


「あのさ、この辺に水場とかないかな?」

「しらねーよ」


 アシュリーから面倒くさそうにあしらわれた義利は、だよね、と力なく返す。

 ヘーゲンに訪れたのはこれで二回目だ。そして一度目は戦闘を繰り広げていたために、散策をしている暇などなかった。この場の土地勘は、ないのだ。


「あ、僕は知ってるよ」


 するとそれまで我関せずを貫いていたストックが声をあげた。


「そうなの?」

「うん。行ったことがあるし、ここからなら道もわかるよ」

「へぇ。ストックって、この辺に詳しいんだ」

「いや、ぜんぜん」


 話が微妙に噛み合わず、義利は首をひねりだした。そして変わりとばかりにアシュリーが割り込む。


「じゃあ何で知ってんだよ」

「何を言っているんだよ。前に来た時に、君たちが教えてくれたんじゃないか」


 笑顔でありながら、目の笑っていないストックは言った。重い霧のように、足元から忍び寄る重圧をまといだしたストックを相手に、アシュリーは冷や汗を流す。そして、何かあっただろうかと記憶を探り出した。

 ヘーゲンでの出来事。その時の戦闘にストックは参加していない。じわりと、古紙にインクで絵を描くように、記憶が徐々に形を為す。最後に見たのは、エッダとの戦闘が始まる前のことだ。その後義利が怒りに囚われ、ストックの姿はなくなっていた。

 朧ろ気な記憶を、さらに掘り下げる。どこでストックを手放しただろうか。そうして、思い出した。地下への階段、それを登りきったところで義利が落としたのだ。


「……あ」


 戦闘後、そこにストックの姿はなかった。戦いで起こった爆風でどこかへ運ばれたと、そう考えるのが妥当だろう。

 記憶の繋がったアシュリーが小さな声を漏らし、それでストックは察した。


「さすがの僕も、池に入れられると起きるみたいでね。いやぁ、あの時は驚いた」


 義利は思い出せはしなかったが、おおよその予想は建てられた。


「えっと……。ごめんね?」


 微妙に重い雰囲気となった三人は、その後ストックの案内で小さな池にたどり着く。池で粗方の返り血を洗い流すと、ずぶ濡れのままでヘーゲンへと道を引き返し、そして門の前に立った。

 すでに日は落ち、堀を挟んだ対岸には闇しか見ることのできないほどの暗さとなっている。


「すみませーん。ファシーレさんの知人なんですけどー」


 義利は声を張る。すると、四角く区切られた光が見えた。それは覗き窓からもれている光だ。吉利の声を聞き、何者かが門から様子を伺っているのだろう。


「魔獣退治を頼まれて、終わったから報酬をいただきたいので、入れてもらえませんかー」


 採取した魔獣の牙を掲げると、跳ね橋がゆっくりと下ろされた。それを『入れ』という意味に捉えた義利は、橋を渡って村の中へと帰還を果たす。


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