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異邦からの契約者~天使と悪魔と血まみれ生活~  作者: 篠宮十祈
第二章 砕け散る平穏の叫び声
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第二章 24 はじめての依頼

 ラクスからの脱出には成功した。門を破壊することもなく、何の問題もなくラクスを抜け出すことはできた。しかしそれは――魔人が容易に出ることができたということは――魔人が容易に侵入できることも意味する。今のラクスには義利の知る限り、聖人は三人しかいない。それも、直接的な戦いに向いている能力はアルのみだ。もちろんプランの能力も、使い方次第では戦闘に役立てることができる。傷を負わせて毒草を体内に埋め込むという、彼自身が体験させられたあの戦法だ。しかしそれには致命的な欠点がある。

 第一に、相手に傷を付けなければならない。魔人と聖人ではその身体能力に大きな差があるのだ。魔人がプランに対して姿を見せることなく戦いを繰り広げれば、それだけで封殺されてしまう。

 第二に、体内に種子を植えなければならないのだ。運良く魔人に傷を付けても、それが塞がるより早く種を蒔かねば効果は期待できない。

 この二つを成功させるには、おそらく魔人が油断をしていない限りは不可能と言える。傷を付けられて、それを放置したまま戦う魔人でなければ。近接戦闘が主体の魔人でなければ。


「ストック。探知をお願い」


 そのことに気づいた義利は、ストックに指示を出した。この場で魔人を探知できるのは、現状ではストックのみだ。キャロは意識を失ったままのティアナから出てこず、アシュリーは悪魔であるためにそれができない。


「二人――、ラクスの近くに居るのはそれだけ」

「わかった。案内して」

「……君は人が良すぎるよ」

「そうかな?」


 ストックは探知の理由を、身を守るためだと思っていた。しかしそうではないために、関心よりもむしろ呆れさせられている。これだけの痛手を負わされてなお、自身のことだけを考えることなく行動する義利は、ストックからして馬鹿らしくすら思えていた。


「まあいいか。指示通りに動いて」


 そうは思いながらも、ストックは案内を始める。それに従い二人を抱えている義利は移動をした。右肩にはティアナを、左脇にはトワを抱えながら、彼は器用に木々の間を縫って駆ける。

 一人目の魔人は、そう離れていない場所にいた。

 同じ魔人であるために義利のことを仲間だと勘違いをしていたその魔人の首を、すれ違いざまに上段蹴りにて一撃のもとに刈り取り、次なる魔人を探す。

 二体目の魔人は、ラクスへの侵入を試みようとしていた。


「おい、気づいたか? 結界がなくなってるみたいだぜ」


 それが最期の言葉となり、魔人は絶命する。

 今の義利は、その攻撃力においては魔人を凌駕する存在となっていた。余命の半分を対価としたことで膨大な魔力を操ることができ、さらには度重なる戦闘による経験も得ている。よほど突出した能力のある魔人でなければ、彼の前には塵も同然だ。

 それほどの力を手にしても、ネクロを相手にしては通用しなかったが。


「さ、ひとまずこれで終わり。行き先はどうしようか」


 二人の魔人を討滅した義利の手際に、ストックとアシュリーは閉口させられる。あまりにも迷いがなかった。どころか、それを問題とすら思っていない節すらある。以前はあれほど嫌っていた命を奪うことを、義利はこともなげに済ませたのだ。

 まるで、虫か何かを払うように。


『……お前、大丈夫かよ』

「なにが?」

『何がって……』


 アシュリーは知っている。初めてエッダを殺害した義利がどれほど心に深い傷を負ったのかを。取り乱し、泣き叫び、そしてエッダが生きていると知った時に喜んですらいたことも。――再びその命を奪った際には涙を流すことも忘れるほどになっていたことも。

 だからこそ、今の義利の精神状態に気が気でなかった。殺したことだけでなく、いくつもの命が失われる瞬間を目にしたのだ。よもや心が壊れてしまったのではなかろうかと。


「僕は平気だよ。それより今は、二人の傷を治せる場所を探さなきゃ」


 平気。そんなはずがなかった。他人の死を目撃し、知人を殺され、魔人を殺し、その上で平気でいられるのなら異常でしかない。

 今の義利は、異常だった。


『……ヘーゲンなら、結界もないし、前の恩を忘れてなけりゃあ、無一文でも治療をしてくれるかもな』

「そうだね。とりあえずはヘーゲンまで行こうか」


 行き先が決まるまでに時間はかからなかった。それもこれも、彼らには馴染みのある場所が少ないからだ。ラクスとヘーゲン、それとテーレ大樹林。もはやその中での選択肢はひとつしかなく、故に簡単に決まった。

 ヘーゲンまでの道のりは、それほど長くはない。馬車で向かうとすれば障害物を避けねばならないが、魔人状態での徒歩なら直線での移動が可能なために、今の義利であれば半日とかからず踏破することができる。

 道中、義利は幾度かティアナとトワの様子を伺うだけで、それ以上の何かを一切しなかった。休むことも、飲食をすることも、振り返ることも、声を発することも、一切合切だ。

 しかし彼の心の中では複雑な感情の変化が幾度も起きていた。逃げたことを悔み、スミレの死を悼み、プランやアル、ナイトなどの知人を心配し、ラクスの今を想像しては涙を堪え、意識を喪失している二人の傷を見ては、自分の力のなさを痛感させられ……。何もかもが自分のせいに思えて仕方が無かった。今更何かができるわけでもなく、それでも悔やむことしかできず、だから彼は、何もできなかった。

 悩み、迷い、悔やみながら、そうしてヘーゲンへとたどり着く。

 以前に訪れた時とは違い、ヘーゲンの周囲には簡素ながら堀と壁ができていた。エッダの襲撃からおおよそひと月。それだけの期間で深い堀と丸太を植えた村を覆う壁を作り上げていた建築能力には賞賛の言葉しかないが、今はそれが邪魔でしかなかった。

 入口にあたる門の前――、堀を挟んで向かいに立つ。そこでまずは身なりを整えた。服装を、ではなく二人の抱え方を、だ。今のままではただの人さらいにしか見えない。そもそも重傷で、加えて意識を失っている少女を二人も連れて歩いていれば、誰がどう見ても人さらい以外の何者にも映りはしないだろうが……。

 ティアナは肩を組むように支え、トワはしっかりと背負う。先程よりは幾分かましに思えるだろうと義利なりに満足のいく格好をし、そうして彼はようやく声を出す。


「誰かいませんか?!」


 すでにアシュリーとの融合は解除している。魔人状態のままではまともに取り合われないだろうというストックの判断の元にそうした。

 彼の声に反応し、一人の男が除き窓から顔を出した。時刻はすでに夜に差し掛かり始めている。そんな時間の来訪者に、警戒をしているらしい。

 夕闇の中ではその距離を挟んでの相手を視認することが難しく、故に男は問う。


「何の用だ?!」

「けが人がいるんです! 医者か、治療のできる人はいませんか?!」

「……そこを動くなよ! 少しでも変な動きを見せれば、ここには寄らせないからな!」


 ゆっくりと、跳ね橋が下ろされる。実物を目にするのが初めてなそれに興味はあるが、今は好奇心よりも優先すべきことがあるために義利は抑えた。ティアナの容態は悪化の一途をたどっている。顔は蒼白に、傷口からは再び血が溢れ、意識は未だに取り戻せていない。トワに関しても同じようなものだ。二人とも失神の直接的原因は失血で、ティアナはそこに極度の疲労が加わっている。

 兎に角医者に見せなければと、義利の頭にはそれしか浮かんでいなかった。

 橋が渡された後、男がゆっくりと近づいてきた。明かりを片手に、もう一方には剣を握っている。強い不信感を抱いているためか、彼の足取りは至極慎重なものだった。


「……君たちは何者だ?」

「お願いします。今はこの子たちの治療を……」

「ふむ……」


 彼がそこまでの警戒心を抱くのは、以前に襲撃を受けたことも関係するのだろう。どれだけ義利が懇願しても、歩みは遅いままだ。いっそこちらから近寄ろうかとも考えるが、それで逃げられては元も子もない。焦る気持ちを抑えて、義利は男が間近まで来るのを待った。

 男は手が届かない寸前のところまで近づくと、明かりを持ち上げティアナの身体を照らし出す。足の方から徐々に上へ。そして腕の傷を見て、悲鳴をあげた。


「な、あ……ッ! なんだこの怪我は?!」

「魔人にやられて……。お願いします、早く治療を」

「とりあえず中へ!」


 ようやくにして村の中へと立ち入ることができ、義利は僅かに安堵する。たとえ医者がいなくとも、手当だけはできるはずだ。せめてそれだけは済ませねば。そう思っていたが、彼は真っ先に医師の下へと案内された。


「先生! 急患だ、それも二人!」

「まさか、また魔人か?!」

「知らねえよ、余所者だ! けどよ、一人は腕を切られちまってる!」


 そこは野戦病院とでも言うべき簡素なテントだった。今しがた義利を案内した男と、白衣の老人。それ以外には誰ひとりとしていない。助手も、看護師も、患者すらも。あるのはいくつかの治療器具の並んだ棚と、椅子と、治療用と思しき台だけだ。

 あまりにも物がないために呆然とする義利に、白衣の男が激を飛ばす。


「早く見せんか!」

「はいっ!」


 驚きながらも、義利は二人の身体を慎重に台の上に寝かせた。一人用と思われる台に二人。だが、どちらも体躯が細いために、そしてティアナの腕が切り落とされているために、密度は高いが問題なく寝かせることはできている。

 白衣の男はまず、ティアナの腕の傷を注視する。


「……ひどいのぅ。肉が焼けて変質しとる。それにこれは刀傷だ。焼けた刀剣で切られたのか?」


 金属製の針で断面を探りながら、医師は言い、続いてトワの診察に入った。


「こっちの子は、それほど心配なかろう。見事な手当がされておる。まずは、そっちのお嬢ちゃんじゃな」


 重傷患者からの手当を優先するのは、どこの世界でも共通認識である。トワに関してはステイムによる手当を受けているために止血がされているが、ティアナの傷は義利が布で縛っただけの手当であったために、未だに血は流れていた。そのための医師の判断だろう。


「かなり時間が経っているようじゃのう。なんでこんな状態の子を……」


 彼の言葉にはわずかな怒りが見えていた。命を救うものとして、許しがたいことだったのだろう。怒りのこもった鋭い視線で射抜かれた義利は、隠しだてする意味がないだろうと、真実をそのまま告げた。ただし、自身が魔人であることは伏せて、だ。それを明かすのは危険が高い。最悪の場合、ティアナの治療すら拒まれることもある。そう考えた上で事のあらましを伝えた。

 義利の言葉を疑ってではないだろうが、医師はティアナの服装や顔を改めて眺める。彼にとっては、魔人との戦いでこれほどまでの手傷を負わされて生存していることは信じがたいことだった。


「……お前さんらは出とれ」


 信じがたいことだが、信じる他になかった。国務兵の証である腕章と、その傷の痕が全てを物語っている。腕の傷は、焼けた剣で切ったものではなかった。もしもそうしてできていたとすれば、骨の断面にも焼け跡がなければならない。しかしティアナの腕は、骨の手前までで肉の変質は止まっている。腕が焼かれ、止むに止まれず切り落とした。そう仮定すると納得がいく。傷を見るだけで、医師の彼にはそれだけの情報を得ることができた。


「まったく、若いモンに無茶させおって……」


 ぼやき、年老いた医師は施術を始める。



 男子三日会わざれば刮目してみよ。

 日本でのそんな諺を、義利は思い出していた。『日々鍛錬を重ねている人は、三日もすれば見違える程の成長をしている』という意味だ。

 エッダの襲撃からわずかひと月あまり。それだけの期間で、ヘーゲンは目まぐるしいほどの変化をしていた。以前は外壁などなく、出入りは完全に自由だった。それが今や堀まである。むしろ魔獣や悪魔のいる世界では、これが当たり前なのだろう。であれば、今まではどのように住民を守っていたのかと不思議に思う義利だったが、その答えはすぐに知ることになる。


「おい」


 共にテントを追い出された男が義利に言う。


「お前さん、腕は立つほうか?」

「えっと……、まあ。一応は」


 魔人になれますよ。などと言うわけにもいかず、曖昧に返す。すると男はしげしげと義利の身体に目を凝らした。


「おそらくだが、アンタは聖人で、自己再生の能力を持つ精霊と契約をしている。そうだろ?」


 義利の服は、度重なる戦闘によってボロ布と化していた。もはや端切れを巻きつけているような状態だ。そのうえ血まみれになったために色も赤黒く染まっている。彼の隣にいる男性も、その色が服の色と思い込んでいるほどだ。

 おまけに、義利を自己再生能力のある聖人だと思い込んでいる。


「なぜそう思ったんですか?」


 義利に聞かれた男性は、得意げな顔をして答えた。


「服はズタボロ。なのに肌は汚れちゃあいるが、傷はない。じゃあ治療系統かもしれないが、そうなると連れの嬢ちゃんたちの怪我を治さない理由が必要になる。対価を切らしたってぇ線もあるが、自分はかすり傷まで治しといて、腕の傷を治さないなんて思えない。つまり、自分の傷しか治せねぇって考えたんだが、どうよ?」


 その男性の観察眼と考察力は優れている。義利の今の姿から、概ね正解とも言える答えを導き出したのだから。

 しかし、そうではない。義利は自己再生の能力も有してはいるが、それはあくまで付加価値的なものだ。あくまで彼がアクターとして行使できる能力は電撃で、そして彼の契約精霊は天使ではなく悪魔だ。

 心に浮かべたそれを、そのまま口にはせず、義利は驚いたような顔で答えた。


「すごい……。たったそれだけで気づくなんて!」


 間違えは、あえて指摘しない。この場を穏便にやり過ごすにはそれが最適だ。疲れきってはいても、義利の判断力は鈍ってはいなかった。

 男性は胸を張って鼻を高くするが、直後に姿勢を低くする。


「……あのよぅ。折り入って頼みがあるんだが」

「……なんでしょうか?」


 あまり良い予感はしなかったが、そこで話を切る訳にもいかず、義利は耳を傾けた。


「実はよぉ、近くに魔獣がいるみてぇなんだ。夜になると遠吠えが聞こえてきてな……。それで子供たちが怯えちまっててよ。よかったら狩りに行ってもらいてえんだ」

「はぁ……」

「も、もちろんタダとは言わねえさ! 嬢ちゃんたちの治療費は取らねえし、メシと宿も手配する。それでどうだ?」

「別に構いませんよ。むしろ、喜んでやらせていただきます」

「そいつぁ助かる!」


 喜び勇んでいる男性を他所に、義利の反応は希薄だった。

――なんだ、そんなことか。

 魔人の退治を最悪の場合として想定していたため、頼みの内容を知って気が抜かれていた。本音の部分では面倒だとも思っているが、無一文の彼にとって、治療費と宿代と食費という報酬はありがたくあったため、二つ返事での了承をする。


「あ、そうだ。できればでいいんだが、ちゃんと退治した証拠――、魔獣の牙あたりを持ち帰ってきてくれ。そうすりゃあ子供たちも安心させられるからよ」

「わかりました」


 義利が微笑んで答えると、男性はさらに足取りを軽くして門の手前までを跳ねるように歩いた。そこで、ようやく彼は名乗る。


「俺、ファシーレ・ビトレイ。俺の客だって言えば、他の奴でも橋を下ろしてくれるはずだから、そう言ってくれ」

「はい。では、いってきます」

「おーう、気をつけてなー」


 軽い挨拶を交わし、義利が橋を渡り切るのを待ち、ファシーレは橋を上げなおす。それを終え、最後に門を閉めている時に、ふと彼の頭には疑問が浮かんだ。


「……あいつ、武器かなんか持ってたっけ?」


 言わずもがな。手ぶらである。

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