第二章 13 憤怒の炎
ゴウゴウと音を立てて人が燃える。衣服や毛髪は真っ先に灰となり、五指や耳介等の細かなパーツ、四肢と細かな部位から順に炭に変わる。支える力を失って倒れてもなお炎の勢いは留まることはなく、全身を燃やし尽くしたところでようやく消えた。
助けを求める声も、悲鳴も、身体と共に小さくなる。その様子を、ただ見ていることしかできずにいた。アルは助け出そうとしたのだが、それをティアナの作り出した壁が阻む。
「まさか……」
ティアナは、その炎を見たことがあった。その炎を知っていた。その炎を、探していたのだ。
全身をめぐる血液が加速するのを実感する。無意識に握り締めた拳から血が漏れ出す。人の燃えた煙が晴れ、魔人の姿を見たティアナは確信した。
頭に巻いたバンダナ。燃えるような瞳。紫色の爪。その特徴は一度たりとも忘れたことなどない。脳に、網膜に、細胞の全てに刻み込まれている。
「コロナァァァアアアッ!!!!!!」
それまで五人を囲っていた壁が砕ける。同時にティアナは駆け出した。足元に散らばる灰を踏みつけにし、魔人に向かう。
彼女の心は復讐に染め上げられてしまっていた。もはや魔人・コロナ以外は目に入っていない。コロナの指先の動きすらも正確に捉え、飛来した黒い種火を武器で弾きながら猛進する。
そんなティアナの異変に真っ先に気づいたのは義利だった。今の彼女には冷静さの欠片もない。
「ティアナ、その武器は……!」
ティアナは逆手に持った武器を、コロナの心臓を目掛けて全力で振り下ろした。一突きで心臓を破壊するつもりで放った一撃だが、それは魔人の皮膚に止められる。魔人の体は、一般の人体と比較すれば強固だ。人の皮膚は縫い針で貫くことができるが、魔人の皮膚はそれを通さない。だが、精錬された武器ともなれば別だ。粗雑な作りでは、皮膚は裂けても筋肉で止められてしまう。上等な程度では筋肉を絶つことはできても骨に阻まれる。薄く、丈夫で、よく切れる。ティアナは普段遣いしているナイフをその基準で選んでいる。
だが現在、彼女が手にしているものは、武器と呼ぶにはあまりに粗末な物だった。試験中であるために刃物の類は全て預けていることすらも、ティアナは失念していたのだ。彼女が魔人に突き立てたのは、木剣だった。
突き立てた木剣から骨を砕く感触を感じはしたが、それが皮膚を突き破ることはない。そして骨折程度であれば、魔人はすぐに修復してしまう。
コロナはティアナを睨むと、木剣を掴んで動きを一度止める。
「痛ってぇなぁ……」
そして、コロナの手のひらと木剣の間から黒い炎がチラチラと覗く。ティアナはその炎の恐ろしさを知っている。一度纏わりつけば、対象物が燃え尽きるまで決して消えることのない代物だ。
コロナが空いている手をティアナに向けて伸ばすも、寸でのところで展開された見えない壁によって遮られる。不審に思って眉根を寄せたところで、ティアナは後ろに下がった。
その炎は手のひらからしか出すことができないのだ。それを知っているからこそ、ティアナは大胆に動くことができる。
「お前、俺のことを知ってるな?」
魔人の問いに、ティアナは更に怒りを強く顔に表す。
「忘れるものか……。この十年、お前と会える時を待ってたんだ!」
「おお、熱烈な愛情じゃねぇの。こりゃあ俺も、熱意を持って答えねえとなぁ?」
巫山戯るように笑うコロナは、ひとかたまりの炎を両手に出し、ティアナに向けて投げた。
「殺すッ!」
「待った」
再度飛び出そうとしたティアナの肩を、義利が掴んで止める。転げそうになった彼女は踏みとどまると、殺意をむき出しにした目で義利を睨みつけた。
「邪魔するならあなたもッ」
「殺す?」
言葉を遮られたことによる憤りが、一周回ってティアナを少しばかり正気に近づける。そして今、自分が言おうとしていたことを思い返し、言葉に詰まらされた。
殺気が収まったのを感じた義利は、すぐに壁を張ることを指示し、ティアナも大人しく従う。すると直後に黒い火炎が周囲を覆った。
間一髪で炎をまぬがれたところで、義利はティアナの頬を平手で打つ。
「様子を見ていれば、あれが君にとってのなんなのかはわかる。でも落ち着くんだ。キミの仕事は何? 魔人を殺すこと?」
「……いいえ。人を、守ることよ」
「そうだ。ここにいるのは僕とキミだけじゃないことを忘れちゃダメだ。それと、さっきのティアナはまともじゃなかった。自分の武器すら見えてなかった様子だし、何より足元に何があるのか、何を踏みつけにしたのかも覚えていないんじゃないかな」
義利の問いに、ティアナは首を傾げる。確かに木剣で斬りかかったことは無謀を通り越してただの馬鹿であったことは、彼女自身もよく理解している。しかし、足元に関することなど、意識の外のことだったのだ。
言われたことで改めて地面を見て、ティアナは絶句した。
そこにあるものは、無数の灰だ。小さな灰の山が複数個積み上がっている。その中には、辛うじて人の形を残しているものもあった。それは、直前まで人だった灰なのだ。だが、人の足によって踏まれた痕跡がある。わざわざ確かめなくとも、ティアナにはそれが自身によるものだとすぐにわかった。
今は緊急時であるために、わざわざ避ける暇などないことは確かだが、そのことにすら気づけなかった自分を、ティアナは恥じた。なんの感慨もなく、まるで地を這う虫同然にそれらを踏みにじっていたのだ。
「……わざわざ言う必要はないと思うけど、あえて言うよ。今キミが生きてるのは運が良かっただけだ。魔人が木剣を気にもせずに炎を出してたら死んでたよ。そうでなくとも、僕が止めなかったらもう一回飛びかかってたよね。武器のないまま」
返す言葉など、ありはしなかった。全て義利の言うとおりだ。冷静さとは対極にある狂気に支配されていた。この場にこうして諭してくれる存在がいなければ、今頃は間違いなく殺されていただろう。
死にたくなるほどの自責の念が、ティアナにのしかかる。
「ごめんなさい……」
どうにか紡ぎだせたのは、謝罪の言葉だけだった。その謝罪でひと段落とし、義利はティアナの肩へ手を乗せていう。
「ここはティアナに任せたよ。だから、あっちは僕に任せて」
「あっち……?」
疑問への答えはなされなかった。義利はティアナから離れ、壁に触れる位置まで移動する。そしてその場で足元に線を引き、身振りで壁を張るようにと伝えてきた。
指示の意図はわからないまま、ティアナは壁の内側に更に壁を張る。すると彼は、その場で融合をし、壁を破壊して跳び去った。
壁の範囲はそれほど広くはない。内側にいる者たちからは吉利の姿ははっきりと見えていたのだ。義利もまた魔人であることが、この場にいる者には露見してしまった。
「終わりだ! 魔人が三人も! あはっ、はははッ!」
マルセルが狂ったように笑い出す。だが入隊希望者でしかない二人は、どこか落ち着いた様子だった。
現状を確認するために振り向いたティアナは、小さな引っ掛かりを覚え、そして気づく。
「……三人も?」
今、確認できる魔人はコロナと義利の二人だけのはずだ。しかしマルセルは確かに『三人も』と言っている。いくら絶望的な状況とはいえ、そんな言い間違いをするだろうか。そう思い、答えを求めるように二人の少年を見る。
「融合してるなら、精霊に聞けばわかるだろ」
するとアルが呆れたように言い放つ。
ティアナはアルの言葉を受けて、顔を青くした。
「ゴメン、キャロ! 頭に血が昇ってて……」
天使と人間との融合は、力の賃借だ。対価を払いさえすれば力を引き出すことができる。そのため人間が完全に心を閉ざしている時には、精霊からの干渉の一切を断絶することができるのだ。それは精霊からの融合の解除であったり、語りかけも含まれる。
『……心配したの。怒ってるの。でも、言いたいことは全部アダチに言われちゃったの。この気持ちの行き場を教えて欲しいの……』
無視をされなかったことに、ひとまずは安堵する。ここでキャロの機嫌を損ねては、戦闘の際に不利にしか働かないからだ。
「本当にごめんなさい……」
謝る以外に今のティアナにできることは一つもなかった。怒りのあまり、最愛のパートナーの存在すらをも忘れていたのだ。謝ったところで許されることではないほどの、裏切りにも近しい行為を犯したと、ティアナは自覚している。
『いいの。実はそんなに怒ってないの』
だというのに、キャロはそんなふうに簡単に許した。
『探知をしたら、コロナとアダチと、もう一つ。魔人の反応があったの。その魔人のところに、アダチは向かってるの』
そして何事もなかったかのように、事情を語りだした。
キャロは誰よりも長くティアナの隣にいたのだ。だから彼女がどれだけの憎しみを抱いているのかも知っている。だからこそ、許すことができるのだ。積年の恨みを向けるべき相手を見つけて冷静でいられるわけがない。怒りのあまり自分自身すらも見失うのも当然だ。そこまでを理解しているから、許せた。
「……ありがとう」
『お礼は全部終わったら、たーっぷり聞かせてもらうの』
「そうね」
会話に一区切りをつけ、ティアナは現状を再確認する。義利の離脱によって、この場にいるのは自身を含め四人だ。その中で戦闘能力が把握できているのはアルとマルセルの二人。アルの戦闘能力をティアナは認めているが、コロナを相手に肉弾戦では分が悪すぎる。マルセルは言うまでもなく戦力外だ。残るはナイトだが、ティアナから見て彼はあまりにも頼りなかった。義利よりも細いその体は、とてもマルセルをしのげるとは思えないほどだ。
「ナイト、だったわね。あなた、戦闘で魔人を倒せる自信はある?」
しかし、それでも念のためにとティアナは尋ねる。
「ありません」
期待はしていなかったために、さして落ち込むことはなかった。守るべき対象が二人から三人に変わっただけだ。一人以上となればその労力にさしたる変化はない。
「僕には倒せませんけど――」
三人を守り、かつコロナを討滅するべく作戦を練ろうとしたところで、ナイトが言った。
「二人なら、できます」
ニヤリと笑ったその意味が、ティアナには理解できなかった。




