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異邦からの契約者~天使と悪魔と血まみれ生活~  作者: 篠宮十祈
第二章 砕け散る平穏の叫び声
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第二章 07 魔人の価値

 プランがアシュリーに取り押さえられてから十数分、張り詰め続けている筋肉が痛みに慣れ始めた頃、隊舎の扉は勢いよく開け放たれた。そしてドカドカと振動を立てながら足音がプランたちの方へと向かってくる。


「アダチさん! ここに誰か来て――、るみたいね……」


 額に大粒の汗を浮かべながら現れたティアナは、荒れ果てた部屋の有様を見るとガックリと肩を落とした。床板の一部は穴が空いており、部屋中に枯れた植物の残骸が散らばっている。おまけに倒れているプランと、その上に腰を下ろしているアシュリーがいれば、大方の出来事を想像することは難しくない。部屋の隅にある蔦で出来た玉にはトワがくるまれているだろうと、ティアナはまずそれを解き始めた。


「ダ……、ダンデリオン指長ですよね?! 逃げてください!」


 あまりにも無防備なティアナに向けて、プランが強ばる体から力を振り絞って叫ぶ。未だ面識がないために彼女が誰であるかがプランにはわからないのだが、ラクスにいる国務兵であることから、その少女がこれから自分の上司になる人物であることを推測し、警戒を促した。しかしティアナはそんなプランからの言葉を聞き流し、トワに巻きついている蔦を慎重に解いていた。


「あー。アナタがゴストフさんの言ってた新人さんね? 混乱しているでしょうけど、全部話すから。それとアシュリー。もうその人からどいてあげてくれる?」

「はいよ」


 それだけではなく親しげにアシュリーのことを呼ぶではないか。さらに魔人もそれに大人しく従っている。何が何やら、プランは混乱させられた。

 電撃から解放されたプランは、それまで考えていたような反撃をしようとはせず、しかし最低限、身の安全のためにアシュリーから出来うる限り距離を置いて様子を見る。

 ティアナはプランの施した蔦の拘束からトワを抜け出させると、その小さな背中を軽く叩き、酸欠によって失っていた意識を回復させた。


「大丈夫? ……って、わかんないか」

「……わかるし、大丈夫。失神には慣れてるから」

「……あなた、言葉が!」

「説明は後でするから。それより、プランさんに私たちのことを話してもらえると助かるのだけど。あんな風に警戒されたままだと、またいつ襲われるか分からないじゃない」


 解放されたプランは、部屋の隅に移動して臨戦態勢を整えている。散乱していたカバンの中身も素早く回収しており、いつでも攻撃をすることができるのだろう。アシュリーから目を離さずにいる。彼女がまだ行動を起こさないのはティアナの存在が大きい。国務兵である彼女が魔人たちと普通に接しているために、一度は頭から消した『彼らが危険な存在ではない』という可能性が蘇ったからだ。

それでも一度抱いた敵意はすぐに消えはしない。疑念がある限り、プランが彼らに対して心を開くことはないだろう。


「あー、プラン……、さん? まず、この人たちは敵じゃないわ。むしろ心強い味方」

「………………」


 ティアナの言葉を受けて、しかしプランは身構えたままでいる。それもそうだ。いきなり人類の敵とされていた存在のことを味方だと言われて「はいそうですか」などと頷けるはずがない。むしろ、ティアナが洗脳されているのではないかという疑問が浮上する。だが、たとえティアナがそれを否定したところでプランの態度は変わりはしない。それはティアナには理解できた。彼女も当初は、足立義利という存在を容易には信用することができなかったのだ。

 信用させることはできずとも、その警戒を緩める方法は、ある。


「アシュリー。融合を解いてもらえるかしら?」


 敵とみなした相手が戦う意思を見せなければ、話を聞く気にはさせることができる。彼女は経験を元にそれを再現しようとしていた。

 しかし。


「ソコの女がどう出るかわかんねー内は無理だ」


 アシュリーはそれを拒んだ。先ほどプランを解放することは素直に聞き入れられたために、ティアナはそこに違和感を覚える。アシュリーとて、まずは話し合いをしないことには現状が何一つ進展しないというこの状況が分かっていないわけではないはずだ。


「あら? アナタにしては弱気ね」

「煽ってその気にさせようったって、そうはいかねーよ。そいつが使った毒は、魔人でも殺せるんだからな」


 あのアシュリーが死を覚悟するほどにプランは強力なのだろうか、とティアナは驚かされる。しかし彼女の目に見えるプランは、拾ってきた野良猫のように部屋の隅で怯えているようにしか写っていない。威嚇をして、警戒をして、自分の身を守るのに精一杯といった様子だ。

 命を脅かされた相手には隙を見せられない。その気持ちもわからなくはないが、ティアナとしては手のつけようがなくなってしまう。話し合いをするにはプランを会話の席に着かせなければならず、そのためにはアシュリーが危険ではないと認識させるために融合を解かせなければならず、そのためにはプランの警戒を解かせなければならない。ひとつながりの輪になってしまった問題を前に、どうしたものかと頭を悩ませる。


「とりあえず、プランを壁で覆え」


 遅れてきたスミレが解決策を示し、ティアナは天啓を受けたように顔を輝かせた。


「その手があったわね!」


 ティアナが腰のポーチをトントンと指で叩く。するとその中から橙色の光が現れた。霊態になっているキャロだ。彼女は少々人見知りをする正確なため、大勢の人が集まる場所に行くときは、霊態となってポーチに潜むことが多い。


「何か用なの?」


 呼ばれたキャロは直前まで眠っていたような、そんな眠そうな口調になっていた。


「出番よ、キャルロット」

「わかったのー」


 ティアナは普段、自分の天使をキャロとしか呼ばない。愛称を呼ぶほど親密だということもあるが、急な危険と遭遇した時に、こうしてキチンと名前を呼ぶだけで融合ができるようにという意図もある。

 すぅっと霊態のキャロがティアナの身体に入り込む。すると、鳶色だったティアナの瞳は、琥珀色の光を帯びた。


「プランさん。少しの間だけ、アナタを閉じ込めさせてもらいます」

「何を――」


 プランには、ティアナが何を言っているのかわからなかった。しかし、すぐに気づかされる。彼女は何処かの部屋に閉じ込められるものと思い込み、その場から逃げようとしたのだが、見えない壁によって阻まれたのだ。前後左右と、上に壁があった。それによってプランは逃げることができなくなっている。逃げることだけでなく、戦うことすらも。

――裏切られた!

 絶望の中でプランは思った。洗脳や、幻覚を見せられているでもなく、ティアナは自身の意思によってプランを閉じ込めたのだ。操られているのなら、こうも自然に振る舞いはしないだろうし、そもそも契約精霊が異変に気づいて融合しないだろう。


「ダンデリオン指長! 目を覚ましてください!」

「私は冷静です。落ち着いて話をするためには必要なことなの」


 焦るプランに、ティアナは毅然とした態度で返す。そうすることで慌てる必要などないと気づかせたかったのだ。


「さ、アシュリー。これでいいでしょう?」

「わーったよ。ただし、そいつがダッチを殺そうとしたら、アタシは許さねえからな」


 そう言うと、アシュリーは融合を解いた。荒れ放題の部屋の中に、更に灰が散乱する。掃除が面倒だなあ、とティアナは場違いなことを考えていた。


「さて、プランさん。今見せたように、この人たちは敵じゃないの。なんでここに居るのか、それを説明したいのだけれど、話し合いをするつもりはある?」

「……わかりました。ただし、私はこのままでもいいですよね? それが会話の席に参加する、私からの条件です」

「えー……、っと。あなたが融合したままだと、今度はアシュリーたちが話し合いどころじゃなくなってしまうのだけれど」

「ならこうしましょう。私じゃなくてそっちの人たちをこの壁で覆ってください。どうやら相当頑丈な物のようですし、そっちの悪魔の身動きも止められるはずですよね?」

「………………」


 ティアナはチラリとアシュリーに目を向ける。見えない壁は魔人となったアシュリーの前には紙切れも同然なのだ。しかしプランから出した条件であるために、その真実を伝えさえしなければ、一応は丸く収めて会話を切り出すことができる。


「アタシは構わねーよ」

「僕も」

「……わかった。それじゃあ、立ちっぱなしも辛いでしょうし、先に椅子に座ってもらえる? それから壁を張るから」


 二人の同意を得たために、席に着いたと同時に壁で覆う。そののち、プランの壁を取り除いた。

 プランはすぐに二人の傍により、壁の具合を確かめる。まずは軽く、ノックをするように。そして思い切り蹴った。人間よりも少しばかり筋力が強化されている聖人の力でも、壁には傷一つ付けることはできない。


「……どうやら、手を抜いたりはしていない、みたいですね」


 蹲ってつま先を抑えながらプランは言う。


「……大丈夫?」

「平気……、です!」


 心配をするようなティアナの視線を振り切り、プランもテーブルに着いた。

 こうしてようやく、誤解を解くためだけの話し合いは始まった。



 ティアナはまず、エッダとの戦闘を語った。ヘーゲンからの来訪者が悪魔に操られて襲いかかってきたこと。その時にまともな戦闘すらできずに守ることで手一杯だったこと。そして、その窮地を義利とアシュリーによって救われたことも。何もかもを包み隠さずに明かした。すると初めのうちは疑わしげな顔で聞いていたプランも、その話があまりにも詳細で現実味を持ったものだったため、徐々にティアナの話を信じ始めている。そして、彼らとの出会いからフレアを退治するまでの出来事を語り終えた時には、誤解はなくなっていた。

 出来すぎているとも思っていた。悪魔と契約をしてしまった異邦人。その悪魔がたまたまアクターのために動く存在で、国務兵と共闘する。

 絵物語でも聞いているような気分だった。だが、今目の前にいる悪魔と人間を見れば、それが現実の出来事であることも頷ける。まるで兄妹のように気を置かない様子で、そしてお互いに信頼し合っていることがプランには見て取れた。

 そして、プランに後悔が襲いかかる。彼らの話を信じていれば、わざわざ傷つけあうことなどなかったのだ。確かに幾つかの嘘も混じっていたが、それは今のようにプランが作り話と疑わないようにとしたのだろう。プランが彼らを信じらていれば、トワを気絶にまで追い込むことも、魔人となった義利を毒によって死の間際にまで追い込むことも、そして電撃によって自らが苦しめられることもなかったのだ。

 完全に自業自得であり、そのせいで三人に被害を与え、隊舎を破壊してしまったという状況は、プランに深い自責の念を覚えさせた。

 それ以上話すことがなくなったのだろう。ティアナが手を組み、その上に顎を乗せてプランを見ている。プランは一度、頭の中でティアナの言葉を振り返った。そして自身の行動を思い返し、席を立つ。

 無言でアシュリーと義利の背後に移動し、彼らの目が向けられたのを確認し、その場にまず両膝を着いた。

 目を瞑り、深く息を吸い込む。

 そして、叫ぶように言った。


「すみませんでしたぁッ!」


 謝罪と同時、プランは両手で床に三角を作り、その中に額を収めるように頭を下げる。

――土下座、だった。



「私のことをいくらでも罵ってください! 煮るなり焼くなり、殴るなり蹴るなり、どうぞ気の収まるまでその怒りをぶつけてください! 何でしたら殺して頂いても構いません! ですがどうか! これからもその力を人間のために使っていただけないでしょうか!」


 まくし立てるようなプランの言葉に、思わず義利とアシュリーは呆気にとられた。ポカーンという間の抜けた音が、彼らの頭の中でこだまする。プランはどうやら、ふざけている訳ではなく、心からの言葉を二人にぶつけたらしい。身を固くし、何らかの行動が起こされるのを待つように、プランは微動だにしなかった。


「あーえー……。ティアナ? これってどういう意味?」

「簡単に言うと最上級の謝罪よ。床に両手足と額を床に付けた状態だと、何をされても抵抗できないでしょう? こっちでは、格上の人を相手に謝る時とかにはそうするの」

「僕のところでもそうだよ……。そうじゃなくて、なんでこんなにするのって意味で」

「本人に聞いてみたら?」


 自分の役割は既に終わっているとでも言いたげな態度をティアナは取る。実際に、既に彼女にできることは全て完了しているのだ。ティアナにできることは、誤解を解いて両者の間の橋渡しをすることだけであり、それは問題なく全うされている。ここから先をどうするかは、義利とアシュリーの意思でだけ決めることができるのだ。


「プラン、さん? 殺そうとしたことなら気にしてませんよ? 魔人がどういう扱いなのかはもう知ってます。それに、僕はこうして生きてますし……。だから、頭を上げてください」

「できません。至極個人的なことを言わせていただきますが、貴方がたは人類にとって貴重な戦力と成り得るのです。それを私一人の行為が切っ掛けで、人類全体への悪意を持たれてしまえば、末代まで呪われても仕方がないほどの重罪となってしまいます。どうか、貴方がたの手によって、私を罰してください。お手を汚すのがお嫌であるならば、一言、『自害しろ』とおっしゃってくだされば、この場で舌を噛み切って見せましょう」


 誇張や冗談でなく、プランの語っていることが全て本気であると、義利にはわかった。頭を下げたままなので表情を見ることはできないが、彼女の言葉が今までの怯えたような物から一転して覚悟を決めたような物に変わっていたのだ。死など恐ろしくもない、二人の人類への怒りを取り去れるのなら喜んで差し出してみせよう。そう言う覚悟が、言葉には現れていた。自信のなかったプランが、それほどの凄味を放っているのだ。そんな人間の言葉が嘘であるはずがないと、義利は確信していた。

 アシュリーも彼女の凄味を感じたのだろう。興味深げに見つめている。


「とりあえず、なんであなたが僕たちをそんなに大物扱いしてるのか、教えてもらえます?」


 ひとつだけ、彼にはわからないことがあった。人類に味方をする魔人というだけでなぜ、そこまでされるのだろうかという一点のみだ。

 少し人間より丈夫で、再生能力が高く、そして純粋に強い。彼にとって魔人はそれだけだった。首を落とせば死ぬし、人間の命という対価がなくなれば無力な存在になってしまうのだ。それを、命を張ってまで味方につけようとする理由がわからないのだった。


「……あなたは、国務兵が魔人と戦って生き残れる確率を知っていますか?」

「ううん」


 静かなプランからの問いに、義利は首を横に振りながら答える。


「一割以下です。ここにいるダンデリオン指長やアイランド隊長、それと、以前までいたマニエン氏は例外中の例外なのです。こんな末端の部署にいるのは本来ありえないほどに、貴重な戦力なんです。すぐに動けるようにという建前の元、この三人は上の席を脅かすからと、第一大隊でも遺憾なく発揮されるだろう力を、第三大隊で燻らされているんです」


 義利にも、思い当たる節はあった。

 まずガルドだ。彼は複数の天使と契約を交わしていたために、当時は殺人行為を禁止していなかったアシュリーとの戦闘をまともに繰り広げていた。手加減なしでのアシュリーが全力を出して、それでも一撃を受けきっていたのだ。それ以降は殺人を禁止していたために、実質的には全力のアシュリーとの戦闘を経験したのは彼一人である。そして、一応はそんな中でも生き延びている。

 次にティアナだが、彼女の場合は炎を操る魔人に対しては絶対の力を有しているという長所があるのだ。炎の雨だろうが、溶岩の津波だろうが、彼女が生成する壁は完全に熱を遮断できる。さらには魔人であっても容易には破壊できないほどの強度を有しているのだ。電撃による筋力強化と痛覚の遮断を持つアシュリーでさえなければ、ある種の絶対防御である。

 そして最後にスミレだ。未来予知という完全回避の術と、修復能力。これを以てすれば敗北など無いも同然だ。どれだけ高速で動く相手も、それがどこにどのように動くのかが分かっていれば、封殺できるだろう。実際に、その能力の前に敗北寸前までアシュリーは追い込まれたのだ。未来を見ても反応ができない光速での攻撃でさえなければ、スミレは危険を感じることすらなかっただろう。

 今までは、相性が悪かっただけだ。例えばトワが敵になったところで、ティアナにとっては驚異にはならない。壁によって守りは完璧である上に、例えばティアナは一度もそんな使い方をしていないが、敵の体内で壁を発生させれば、おそらくは切断能力のようにも使えるはずだ。スミレにしても、トワは相手にもならないことは既に証明されている。初遭遇の際、トワはスミレに死の寸前まで追い込まれているのだから。

 こんな実力者たちにばかり会っていたために、義利はそれがこの世界での常識だと思っていた。上には上がいて、これほどまでに強い人間すらも使い捨てのコマ同然の扱いをされるのが当たり前のことなのだと。

 だが、本当にそうならば、人間は魔人のことを驚異だなどとは思わないだろうことに、彼は気づかされる。魔人と聖人の力が、相性次第でその天秤を傾ける程度の差だったなら、そもそも魔人を殺すことが仕事になることすらなかっただろう。魔人と聖人の力の差は、『相性が良ければ、どうにか聖人が勝つことができる』ということだ。だから、魔人狩りが仕事として成立する。そうでなければ誰も彼もが勝手に魔人を倒して悪魔を絶滅させていたはずだ。それができないから、国務兵が存在している。

 プランがアシュリーを相手に優勢に見えたのは、殺害どころか傷つけることも禁止されていたからであって、相性云々の問題ですらない。一般の、アクターなど道具としか思っていないような悪魔を相手にしていたのなら、プランは抵抗する間もなく命を散らしている。

 一人の聖人など相手にもならず、魔人をも倒し得る可能性が、義利とアシュリーだ。貴重どころの話ではない。魔人に対する最終兵器と言っても過言ではないほどに重大な戦力である。それが敵に回る可能性を、自分ひとりの命で回避できるのならば、誰もがそうするだろう。義利には簡単に想像することができた。


「プランさん。僕は本当に気にしてませんから、どうか頭を上げてください」

「できません」

「ダッチ。頭を上げさせりゃいいんだな? アタシに任せろ」


 悪巧み顔で、アシュリーはプランに向けて言った。


「アタシらの指示に逆らってんだ。つまり、お前がそうしてんのは敵対行為ってことだよな?」

「……すみませんでした」


 今のように言われては頭を上げないわけにはいかない。暗に、頭を上げなければ人類を敵とみなすと言っているのだから。

 プランは正座のまま、二人を見上げた。


「貴方がたが私を許してくださるという寛大な心には感謝してもしきれません。ですが、このままでは私が私を許せないんです。どうか、せめて思い切り殴ってはいただけませんか?」

「だってよ」


 プランが懇願し、その判断をアシュリーは義利に委ねる。

 流石に魔人化しての全力の拳を受ければ死は免れられないことくらいは義利にもわかった。

 あれこれと他の手段を求めるが、すぐに見つかりはせず、結局はプランの願いを聞き入れる以外にはない。

 義利はため息を大きく吐いた。


「わかりました。では立ってもらえますか?」


 今度は大人しく、プランは義利の指示に従う。手加減をすればプランは納得しないだろうと、義利は右腕に力を集中させた。それから、流石に女性の顔を殴ることはためらわれ、プランの頭頂部に向けて振り上げた拳を叩き込んだ。正真正銘、義利にとっては全力の拳だったのだが――。


「……優しいんですね」


 微笑みながらそう言うプラン。義利にとっては全力のげんこつだったが、プランからすれば小突いただけに思えていた。殴られなれていることもあるが、単に義利の貧弱な筋力ではプランに悶えるほどの痛みを与えることができないのだ。

 言葉にできない悔しさのような物によって、義利は唇をへの字に歪める。

 和解はできなかったが、誤解を解くことができ、ようやく隊舎には和やかな空気が漂い始めていた。

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