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異邦からの契約者~天使と悪魔と血まみれ生活~  作者: 篠宮十祈
第二章 砕け散る平穏の叫び声
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第二章 05 水面下の攻防

 自分では決心しているつもりだった。いや、諦めた、と言ったほうがいいだろう。

 しかし心の中にある不満がここに来て顔を出し、そして辞令を受けて以降ずうっと感じていた不安を増長させ、動けなくなってしまった。


「……どうして、こうなってしまったんでしょう」


 赤墨色のお下げ髪の少女がラクスの隊舎の前で呟く。その肩が落ちているのは、単に大きな荷物だけのせいではないのだろう。深いため息を吐き、さらに肩をすぼめる。

『第三指団が人員不足で、ウチから誰かが行かないとなんだけど、フォーレスが行くよな?』

 少女は自身が所属する第四指団の長から受けた言葉を思い出した。確認をするような口ぶりだったが、それが強制力を持つものだということを少女は嫌というほどに身体に叩き込まれていた。その結果。『わかりました。喜んでお受けいたします』と即答し、怒涛のように手続きが進み、そうして今の状況が作られているのだった。


「あの時殴られてでも断っておけば、こうはなってなかったんじゃないかな?」


 少女のつぶやきに答えるのは、彼女の大きな鞄から出てきた光の球――契約精霊だった。深緑色の光が少女の周りを漂い、顔の隣で落ち着く。


「グロウはあの痛さを知らないからそんなことが言えるんです」

「痛いって言っても、今まで一回も傷跡ができたことなんてなかっただろう? そんな程度なら、魔人と戦うよりよっぽどマシだと思うけどねー」

「……それもそうかもしれません」


 はぁ……、と少女はまたも溜め息を吐く。

 彼女たちこそが、今後ティアナの部下となる存在だ。プラン・フォーレスとその契約精霊グロウ。

 自主的に志願をした仕事熱心な人、というゴストフの説明とはかけ離れているが、間違いではない。辞令は命令ではなかったし、その時と同じく押し付けられた仕事を全てこなしてきたプランを聞こえ良く言えばそうなるのだから。


「魔人って、強いですよね……」

「まぁ、強いだろうね。直接見たことはないけど」

「……私もです。騒ぎがあったらすぐ逃げてましたし」

「だよねー。自分から危険に近づくとか、馬鹿としか思えないよねー」

「そのバカに、今から私たちもなるんですよ」

「……だよねー」


 はぁ……、と二人の溜め息が重なった。

 グロウの能力が直接的に戦闘で使えるものであれば、彼らの心労もここまでの物にはならなかったかもしれない。しかし、どれほど良いように空想を広げても、彼らの脳裏には自分たちが魔人に勝つ映像が浮かんでこなかった。良くて足止め、悪くて瞬殺。そんな嫌な想像ばかりが浮かんでは消えてを繰り返していた。


「……おっし! いつまでウジウジしてたって、もう取り返しはつかないんだから、さっさと済ませよう!」


 気合を入れるように言うと、グロウは人間態になりプランの背を押してドアへと近づけさせた。


「ま……っ! 待ってください! まだ心の準備が!」

「それっていつも通り、いつまでも決まらないヤツじゃん!」


 プランは踏ん張りを効かせてその場に留まろうとするも、細身ながらも男性なグロウにはかなわず、じわりじわりとドアに近づきつつある。それがすでに変えようのない事で今更どうしようもない事であることを理解していながら、彼女はどうにか時間稼ぎをしようと頭を働かせた。嫌なことからはできるだけ逃げる。それがプランの生き様だった。

 そんな時、ちょうど中から物音が立ち、グロウの後押しがわずかに弱まる。

――やった。プランは小さくガッツポーズをした。


「き、きっと取り込み中なんですよ! 邪魔をしてはいけません! 少し時間を潰しーー」

「しっ!」


 言い訳を並べるプランをグロウが遮る。口の前に人差し指を立て、静かにするようにと指示を出していた。それを見たプランは、ただ事ではない何かを感じ取り口を閉ざす。

 会話が止まり、グロウは小さな物音すらも聞き取ろうと耳に手を添えた。それにプランも習う。すると――。


「平和って、いいねえ」

「そうかぁ? 日がな一日何にもしないで、アタシは退屈だね」

「私も。何もやる事がないのは辛い」


 隊舎の中から、そんな会話が聞こえてきた。声質からして男が一人、女が二人だとグロウは推測する。それはあくまで最低人数だ。会話に参加していない者がいる可能性も頭に置き、それを踏まえて彼はプランに声をかけた。


「プラン。今の聞こえたよね?」

「ええ。それが何か変なのですか?」

「……君の警戒心の無さには呆れを通り越して感心させられるよ。いいかい? 僕たちは人員が足りないからここに配置された。でも中からは三人分の声がする。ここまで言えばいくら君でもわかるだろう?」


 やや苛立ち気味にグロウはヒントを出してプランの気づきを手助けする。


「えっと……。お友だちでしょうか?」

「………………はぁ。もういい。君に少しでも期待した僕がバカだったんだね」


 呆れを通り越した感心をさらに通り越し、一周回った結果グロウは呆れた。

 とはいえ、彼はそこまでこの状況を緊急事態だとは思っていない。でなければ今のように話をしている余裕など無くなる。

 当のプランも、そんなグロウの内心を読み取っている訳ではないが、さほど問題ではなさそうだという気配から警戒心の欠片も感じさせていない。


「不当に悪く言われている気がしました。お詫びと訂正を要求します」

「正当な悪口だからお詫びも訂正もしないよ」


 プランの戯言を軽く流してグロウは続ける。


「『日がな一日〜』って言った口ぶりからして、おそらく三人は隊員じゃあない。もう少し上の隊ならそれもあり得たかもしれないけど、聞いた話ではここって指団らしいから、それはないはず。どう考えても怪しいじゃないか。仕事の時間に隊員以外が隊舎にいるなんて!」

「……そういえば!」


 ここに来てようやく違和感に気づいたプランは、急に怯えたような顔つきになった。それを見てグロウは、プランが自身の思い描いていた答えにたどり着くことができたと察する。


「はい。それじゃあプラン。アクターとして何か僕に指示を出すべきなんじゃないかな?」

「グロウ、念のために探知をお願いします!」

「まったく……」


 この時のグロウは、中にいるのはおそらくここの隊員の使用人か何かであって決して魔人がいるなどとは考えていなかった。あくまでプランが今後、第三大隊の一員として生き残る上で必要となるだろう警戒心や洞察力の向上を図るためにわざとらしい演技まで交えて、その上で兵士として取るべき行動を考えさせているのだ。少しの情報から多くを予測し最悪を想定しての行動をさせる。そうすることでプランの生存能力を底上げするためだけの、言うなればグロウからすればお遊びのようなものだったのだ。


 だから――。


「――えっ……」

「どうかしたんですか?」


――中にいるのが魔人だとわかった時、グロウの頭は真っ白になってしまった。

 冷や汗が頬を伝う。

 彼にとってもこれほどまでに魔人に接近したのは初めてのことである。そのために行動を決めあぐねていた。攻めるべきか守るべきか、はたまた逃げて応援を呼ぶべきなのか。魔人を直接見た経験はなくとも、意識を集中させた際に感じる魔人特有の嫌な気配は幾度となくその身に受けていたのだ。自分の身を、あるいはアクターの身を魔人から遠ざけるために。それをこれほどまでに至近距離で受けて冷静さを欠いたグロウがとった行動は、おそらくこの場合では最悪とも呼ぶべき物であった。この場合とはつまり、こちらが魔人の存在を感知していて、魔人側がこちらを感知していない場合だ。


「プラン、融合だ」


 精霊の探知に引っかかるのは相対する精霊が融合をしている場合に限る。天使の探知には魔人が、悪魔の探知には聖人が引っかかるのだが、融合前の状態では探知の網を潜り抜けることができる。つまり融合さえしなければ、今のプランとグロウが中にいる魔人に気づかれることはないのだ。そんな基本的なことすらも失念するほどに、グロウは動転していた。


「え……。まさか?!」

「そのまさかだよ……!」

「グロウ、お願いします」


 冷静さを失っていたのはグロウだけではない。アクターとしてプランも精霊の探知については知っていたのだが、彼女もまた、このときだけは魔人が探知を行う可能性を失念していた。

 再び霊態となったグロウがプランの中に入り込む。瞳の色を緑に変化させた彼女は、重い荷物を下ろすと、そこからある物を取り出して地面に埋めた。そして警戒心を強め、ゆっくりとドアを開き、潜入を開始する。







 トワの持つ気配を察する能力は彼女の生まれには関係ない。奴隷として過ごす中で身に付いたものだ。知的好奇心の旺盛なトワは、飼い主の留守中に良く書斎へ忍び込んでは本を読みあさっていた。背表紙からヌネグ語で書かれているものを探し、それを読み知識を手に入れていたのだ。当然見つかればただでは済まない。ムチを打たれ、焼きごてを当てられ、爪を剥がれ……。そんな痛みを受けぬようにと徐々に定着した物だ。成長、あるいは進化とも呼ぶべきそれは平和に過ごしていた一ヶ月程度で失われはしなかった。

 プランとしては完璧な潜入のつもりだったそれは、トワによって見破られていた。


「………………」

「あれ、トワ。どうかしたの?」


 人の気配には鈍くとも内心の変化には敏い義利は、トワの小さな変化に気づいた。

 彼に言うべきか、トワは迷う。本来であれば言うべきなのだろうとわかってはいる。だが彼の平穏を乱す事をトワは嫌った。加えて、誰かに頼るということに慣れていないのだ。今まで頼れる相手がいなかったから頼り方を知らないこともあるが、ぞんざいな扱いをされるのが常だったために未だ誰かと親しくすること自体が彼女は苦手なのだった。


「……いえ。なんでもないですよ」


 悩んだ結果をトワは義利に告げた。

 最低限自分の身は守れるのだから、いざとなったら戦えばいい。それでもダメな時は、仕方なく彼に助けを求めよう。頭の中で自分に対する言い訳を羅列し、トワは部屋から出ようとする。


「どこか行くの?」


 そんなトワに当然、義利は声をかけた。先ほど感じた変化もあってか心配そうにしている彼に、どう返すかを一瞬だけ考える。


「女性の離席について言及するのは、あまり行儀よくありませんよ?」

「便所だろ」

「あ、ゴメン」


 普段であれば睨みつけてしまうほど明け透けに言うアシュリーだが、それによってうまく義利の追求を躱すことができた。

 申し訳なさげに顔を赤らめる義利と、トワの動向にあまり興味のないアシュリーを残して、侵入者の元へ向かう。


「………………」


 一人になったトワは足音を消しながら、壁伝いに出入口へ向かってゆっくりと歩く。意識を尖らせ、相手の具体的な情報を探った。床の軋む音、足音の間隔、微かに聞こえる息遣い。それら一つ一つに集中することでおおよその体格までを図ることが、トワにはできる。敵は一人、体重は軽く、背は低い。そして女性であり、聖人だ。

 それだけわかれば十分だった。壁を背に、トワは侵入者を待つ。惜しむらくはこの隊舎のドアが全て外開きであった事だ。内開きであればドアによって身を隠すことができたのだから。

 足音が近づく。息を潜め、トワはその時に備えた。

 言葉を尽くすという選択肢は既に捨てている。気配を消して近づいてきている以上、少なからず相手にも敵意があるのだから、会話の余地などない。

 ドアノブが回され、ゆっくりとドアが動き出した。それと同時にトワは全力でドアに体当たりをした。


「きゃッ!!」


 小さな悲鳴とともにプランが転倒する。すかさずトワはプランの両肩を膝で押さえ、同時に叫び声を上げられないように口を手で塞いだ。そして鼻同士が触れない程度まで顔を近づけて警告をする。


「静かに。あなたが私に対する害意を持っていないならこれ以上の手出しはしない。これから幾つか質問をするために手を離す。もしもその時に抵抗したり大声を出したら殺す。わかった?」


 瞳を見れば魔人かどうかは一目瞭然だ。自身を魔人であると認識させることで、トワは相手の戦意を失わせようとそこまで顔を近づけたのだった。魔人の筋力を持ってすれば人の首をへし折ることなど造作もない。プランも既に自分の命が握られていることを理解しているために、トワの思惑通り戦おうとする意思を投げ捨てた。警告を受け入れたことを示すようにわずかに首を縦に動かす。それを見てトワは抑えていた手を口から首に移した。


「まず、あなたは何者?」

「プ……、プランと、プラン・フォーレスと申します」

「………………」


 望んでいたものとは違う答えに、トワはわずかに苛立つ。この状況で何者かを問われて、まさか名前を名乗るとは思っていなかったのだ。

 苛立ちを顔に出さぬように努め、次こそ間違えようのない言葉を選んでから、トワはもう一度問う。


「どんな目的でここに来たの?」


 トワが知りたいのはそれだった。この人物がどんな目的で忍び込んできたのか。それ以外には今のところ、あまり興味がない。


「目的と言われましても……。仕事ですとしか言い様がありません……」

「……仕事?」


 プランの言葉でトワは改めて自分が押さえ込んでいる人物の服装を見た。どこからどう見ても酪農家にしか見えない服装なのだが一点、二の腕の辺りに身分を示す物を見つけた。

 丸い鉄に、二枚の三角を組み合わせて作る六芒星とそれの中心を貫いている剣の彫刻が施されている飾りのある腕章。それは国務兵であることの証だった。兵装か腕章、いずれかを以てして国務兵の身分は示さなければならない。ティアナの場合、腕章を着けることはあまりない。仕事中は常に兵服でいて、買い物などで規定の勤務時間外に外に出る際にはその上から羽織りものをすることで悪目立ちを防ぐ程度だ。動きを少しでも軽くするためには鉄製の腕章は荷物になるから、という理由からそうしている。

 あまり見慣れない物ではあったが、知識はある。そのためプランの職が国務兵であると分かり、トワの警戒心が強まった。


「魔人を殺すためにここに来たの?」


 国務兵と仕事、この二つの単語から連想されるのはそれしかなかった。しかしプランは首を横に振って否定する。


「配属が変わって、今日からここに住むことになったんです。それで、人がいないからと異動させられたのに中から会話が聞こえて、それで、グロウ――、私の契約している天使が変だって言うから探知させて、それで魔人がいるって分かって、それで様子を見ようと思っていたんですけど……。それでこうなっています」


 動揺からか緊張からか、思考のまとまらないまま言葉を選びつつ話すプランの要領を得ない言葉をどうにか汲み取り、おおよその状況を把握したトワは、馬乗りのままで事情の説明を始めた。


「私はここで保護されている、純粋な魔人なの。人を襲うつもりはない。もし不審に思うならそのうち帰ってくるティアナ・ダンデリオンに確認を取ってもらえば、私の素行を証明してくれるはず」


 ティアナの名前を出すことで発言の信用度を上げる。これで襲われることはないだろうと、トワは立ち上がった。


「いきなり襲いかかったことは謝ります。でも、身を守るための行為であったことを理解していただけますか?」

「え……、ええ。良くわかりませんけど、敵ではないんですね?」


 威嚇するような口調から敬語に変わったこともあり、警戒をわずかに緩めてプランは起き上がる。未だ警戒も恐怖もあるが、もしも少女から敵とみなされていたのなら既に命がないこともあってか、敵意は薄れていた。


『プラン、少なくともあと二人いること、忘れてないよね?』


 グロウの言葉にハッとさせられる。敵意がないならなぜ姿を見せないのだろうかという不安がプランの心を平穏から遠ざけた。


「あ、あの。他の人は誰なんでしょうか……?」

「普通の人よ。これから同じ屋根の下に暮らすことになるのだから、今から紹介する」


 普通の人がなぜ隊舎にいるのだろうかと疑問に思うも、抵抗すれば殺すという宣言があるために従わざるを得ない。プランに勝ち目があるとすれば事前に仕込んでいた仕掛けを使うことのみだが、目の前にいる魔人も未だ能力を見せていないことを考えればそれを使うのは得策ではない。

 既に後手に回ってしまった今、信用しているフリをするために、プランは大人しくトワの後ろを追いて行くしかないのだった。


 

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