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異邦からの契約者~天使と悪魔と血まみれ生活~  作者: 篠宮十祈
第二章 砕け散る平穏の叫び声
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第二章 03 仕事と私事

 エスト国において、ラクスは最も住みやすい街とされている。ラクスから南へ五キロメートル進んだ場所がエストの首都、オーアイルであることもその理由だが、最たるものは治安維持の中枢機関である国務兵の本部、すなわち統括司令部があるからだ。安全で且つ物資も滞りなく供給されるのは、現在のエストの中ではオーアイルとラクスくらいのものだろう。オーアイルは首都ということもあり、人口がラクスの比ではない。多くの人間が集まれば良からぬ考えを持つ輩も自然と紛れることができる。故に、ラクスの方が、比較的には治安が良いのだ。


 そんな国の安全を保つための統括司令部なのだが、魔人の対抗手段とも言える聖人は、一人も常駐していない。


 聖人は戦力であり、事務作業をしている暇があるのならば体を動かすべきだ。という市民からの苦情を上げさせないための対策である。故に、意味もなく遠征をさせられる国務兵も少なくはない。魔人はその対価が重すぎるために頻繁には現れないのだ。魔人討滅が主な任務である彼らは、そもそも仕事があまりない。それを目当てに国務兵に志願するものまでいる始末だ。


「今日も魔人討滅の任務は無し……。平和ですねえ」


「なの」


 ラクスの隊舎にいるだけで給与を得ることができるというのに、ティアナは毎日一度、朝の始業時間だけは必ずこうして統括司令部に顔を出している。そして掲示板を眺め、魔人関連の事件があればその場所へ向かい事件解決に尽力するのだが……、エッダの一件以来、魔人の騒ぎはめっきりと現れなくなっていた。


 彼女の胴に腕を回して抱き付いているキャルロットは、落ち込んでいるアクターとは逆に嬉しそうに相槌を打つ。


「誰も困っていないんだ。これ以上いいことは無い」


 ティアナの上司であるスミレも、真面目な部下に付き合って掲示板に目を通していた。


「でも、あんまり隊舎にいてばかりだと、穀潰しみたいじゃないですか」


「いるだけで抑止力になれるんだ。それに、エッダの討滅は周知のことだ。少なくとも市民からの苦情は来ないだろうさ」


 エッダがラクスに現れたことは、一時のみ市民を震撼させた。警備体制に疑問を唱える者が多く出たが、その声も、誰一人怪我人を出さずに討滅を済ませた女兵士の噂には敵わなかった。ティアナへの賞賛の声は未だに耐えないが、不満の声は既に潰えている。


「そうですね。ありがたいことに、市民『からは』無いでしょうね」


 一部を強調し、ティアナは目をジットリと細めた。


 ちょうどその時、彼女たちの背後に一人の男が現れ、ふふんと鼻を鳴らして自身の存在を示す。


「あ、マルセルなの」


 いち早く彼の存在を目で確認したキャルロットが声にすると、男は今まで気付かなかったかのように振る舞ってティアナに近づく。


「おやおやぁ〜? お一人で魔人を倒したと噂のダンデリオン指長ではありませんかぁ!」


 芝居くさい口調で、彼はティアナへ語りかけてきた。


「ヘーゲンを壊滅状態にしぃ? その上多数の能力を駆使する魔人をお一人で討滅されるとは。流石は最年少で第三大隊に入隊された指長様でありますねぇ。このハングマン、同期として嬉しく思います」


 彼、マルセル・ハングマンは自慢の髪を見せつけるように撫で払い、またも鼻を鳴らす。


 そんなマルセルに、ティアナは心底面倒臭そうな顔で向き合った。


「……ごきげんよう、ハングマン中隊長」


 彼らは同期であるが、その階級には大きな差があった。片や指長、片や中隊長である。その階級には四つもの差が開いている。しかしながらマルセルがこうも嫌味な姿勢を取るのは、所属している隊に起因する。魔人討滅の最前線とされる第三大隊所属のティアナと、事務作業を担当する第五大隊所属のマルセル。世間の目が彼らをどう評価するかなど、考えるまでもない。


「いやですねえ、ティアナ指長。昔のように親しみを込めて、マルセルとお呼びください」


「でしたら貴方もその口調と、遠回しで無意味な話をお止めくださるかしら?」


 鼻にかかる口調のマルセルに、ティアナも同じように返す。


 そんな二人のやり取りを横目で見ながら、スミレは初対面のマルセルを値踏みしていた。


 身長はスミレと同程度、しかし体は彼の方が細い。一見するとひょろ長く、弱そうだ、というのがスミレの第一印象だった。肩にかかる金色の髪は枝毛一つ無く、ストレスの少ない環境に居ることが窺える。室内勤務が多いのだろう、彼の肌は日焼けの跡すら見当たらない。


--温室育ちのもやしだな。


 スミレは彼に対してそんな評価を付けると、興味を失ったように掲示板に目を戻した。


 マルセルはスミレの事など目にも入っていない様子で、ティアナとの舌戦を続けた。


「分かりました。仰せの通りに。……ティアナ、君の功績は聞いているよ。その節はご苦労さま」


「まどろっこしいのは無しにしましょう? それとも、貴方は言いたいことも言えないほどの腰抜けになってしまったのかしら?」


 マルセルはティアナの挑発に顔を歪める。


「この『機械人形』が……!」


「二度とそのあだ名を口にしないで」


 それまでマルセルに対しあまり関心のなさそうだったティアナだが、途端に敵意をむき出しにした。それに彼は気分を良くし、勝ち誇ったような顔になる。


「何をするにも機械のようにこなして、誰とも関わりを持とうとせず。そんな君にはお似合いじゃないか! この同期殺しの『機械人形』!」


 直後、彼は後頭部に強い衝撃を受ける。ティアナに胸倉を掴み上げられ、壁に打ち付けられたのだ。


 目を白黒とさせ、侮蔑の中に怯えを隠した瞳で彼はティアナを睨み付ける。


「何を--」


 抗議の声は、ティアナに遮られた。


「--マルセル。マルセル・ハングマン。次は無いと思いなさい」


「おお、脅すつもりか? この私を!」


 声を震わせながらも、彼の虚勢は変わらず。


 ティアナはそんな彼に微笑みかけた。


「いいえ。これはお願いよ。--私にこれ以上、同期を殺させないでもらえる?」


 彼女の見せた殺意に、マルセルは背筋が寒くなるのを感じた。


 彼に実戦経験はない。本物の殺意というものを生まれて初めて浴びせられた瞬間に、本能が彼に訴えかけた。


--こいつは、本気だ。


 それまでの薄ら笑いを潜めて、彼はティアナの手を振り払う。


「ふ、フン! ぼ、僕はこれから仕事なんでね、暇な兵士に構っている暇はないのさ!」

「べー! なの!」


 キャルロットが立ち去るマルセルの背に向けて舌を出す。


「はしたないわよ」


 そんなキャルロットを窘めるティアナの口調は、いつもより力のないものだった。


「前から嫌いだったけど、もっと嫌いになったの」


 そんな二人のやりとりをぼんやりと見ていたスミレは、ふむ、と小さく呟いた。


「そもそも、あいつから絡んできたよな?」


 スミレの尤もな指摘に返すよりも前に、ティアナは頭を下げる。


「すみません、見苦しい所を見せて……」


「いや、気にするな。……それよりさっきの、聞いてもいいか?」


「……私の、訓練兵時代のあだ名ですよ。由来はさっき言ってた通り。それと、悪魔に唆された同期の女の子を、顔色一つ変えずに殺したのも、その一つです」


「ちょっと待て。顔色一つ変えずにだと?」


 スミレは、彼女の同期から一名が訓練期間中に魔人となったことについては知っている。その討滅を行ったのがティアナであることも、後にティアナがどれだけ自分を責めていたのかも。


 だからこそ、彼女は疑問に思ったのだ。


 その疑問に対し、ティアナは悟ったような顔で言う。


「スミレさん。後悔っていうのは、後からするから後悔なんですよ……」


「お前は……」


 スミレは目の前にいる不器用な少女が不憫だった。彼女のことは何でも知っているつもりだったが、それが思い上がりだったことを痛感させられる。


 ポン、と頭に手を乗せられ撫でられると、ティアナはむずがゆそうに肩を縮めた。


「急に何ですか?」


「……気にするな」


 そのままスミレの気が済むまで、彼女は撫でられ続けた。悪い気はしないのでそれを振り払うことは無く、解放されて乱れただろう髪を手櫛で整えようとするも、一切の乱れが無く驚かされる。


 その後、満足してどことなく上機嫌なスミレとティアナは、ラクスの巡回へ向かった。







 一方そのころ、隊舎で留守番をしている三人はというと。


「ダッチ、こっちは出来たぞ」


「僕も、もうすぐ完成」


 義利とアシュリーは、部屋の中で布に炭で絵を描いていた。単なる落書き--、ではない。


 布いっぱいに描かれた円の中に一回り小さい円を、そして二つの円の間には共通語がぐるりと一周書き殴られており、内側の円に内接するように一筆書きで六芒星が描かれている。


 召喚陣だ。


 かつてはそこに書かれている文字が何を示すものかを理解できない義利だったが、今は違う。


「此れに触れし者は異国に骨を埋める覚悟をせよ……、ねえ」


 アシュリーに習いながら書いたのだ。間違いようが無い。


「元は国籍を変える時に使われてたんだ。いつの間にか別の世界に繋がる門になっちまったけどな」


 召喚陣の本来の用途は、異国の王族同士が婚姻を結んだ際に、籍を移す者が言葉で不自由しないために使う事だった。それが民間に漏れ出し、異世界との通用口になってしまったのだ。


「不思議なこともあるもんだね、っと」


 カリカリと炭を擦りつけ、布に描いた模様を濃くはっきりとさせる。掠れて途切れているような箇所の無いようにと全体を確認し、頷く。


「とりあえず完成したよ」


「よっし。んじゃあ早速やろうぜ」


「うん。トーワー!」


 彼が声を張ると、二階から足音が立つ。トワは基本的に部屋にこもりっきりでいるのだ。特に、スミレが隊舎に居る時などは食事と入浴以外では部屋から出て来ない。しかし義利が呼べば、こうしてちゃんと応じてくる。


 彼の部屋にやって来たトワは、何か用? とでも言いたげに首を傾げた。


「そこに乗ってくれるかな?」


 通じないとは知りつつも言葉にして、彼はベッドの上にある召喚陣に指を向けた。


「………………」


 するとトワは少し悲しそうな顔を見せると、服の裾に手を掛けてゆっくりとまくり上げた。彼女の素肌が露わになり、生々しさの薄れた、二度と消えないだろう傷跡が義利の目に入る。蚯蚓腫れ、火傷、裂傷、擦傷、それら傷跡を出来る限り隠したいらしく、トワは腕を体に巻き付ける様にした。局部を一切隠そうともせずに。


 彼女はベッドに横たわると、目をつむって足をわずかに広げた。


「まっ……、違うトワ! 別にそんなつもりは……!」


 思わず思考停止していた義利が、ようやく慌てて止めに入る。極力トワの体に視線を向けずにシーツを巻き付け、ベッドに敷いていた召喚陣を記した布を持ち上げて彼女に見せつけた。


「これ! コレなんだよ!」


 その陣を見て、トワは首を傾げる。何らかの魔法を使うのだろうか、などと考えて部屋を見回し、もう一つの全く同じ魔法陣がある事に気付き、ようやく納得出来た。


「~~~~~~ッ!!」


 と同時に恥ずかしさが彼女を襲う。これではまるで、そうされることを期待しているようではないか。


 体に巻き付けていただけのシーツを頭まで被せ、顔を隠しながらトワは陣の上に乗った。


「あ、アシュリー。この後はどうすればいいの?」


 どうにか召喚陣の上にトワを上らせることには成功したが、それが起動する様子が無いために、義利は未だ動揺が抜けきらない上擦った声でアシュリーに尋ねる。


「アイツが魔力を込めりゃ反応があるんだが--、おお。ほら見ろ」


 アシュリーから言われ、義利は召喚陣を見つめる。すると水が滲み広がるようにゆっくりと、召喚陣が色味を帯びていった。トワを中心として、そこから赤黒く変色して行く。


 次第に色の浸食は加速し、全てが染まり上がると、光を放った。


 一際まばゆい光を放つと、次の瞬間にはトワがほんのわずかに移動をしていた。


 床からベッドへ。距離にしておよそ三十センチメートルだ。これほどの短距離を移動するために召喚陣が用いられたのは、おそらくガイア史上初のことだろう。


「……気分はどうだ? アタシの言葉、分かるか?」


 アシュリーがトワへ問いかける。仮に義利の言葉を最初に聞いた場合、日本語に自動翻訳されてしまうのではないだろうかという懸念から、共通語で真っ先に話し掛けようと事前に決めていたのだ。


「召喚陣をこんな目的で使うなんて、少しもったいない気が……」


 トワの第一声は、それだった。


「ゴメンね。会話できないと色々不便だから、勝手にやっちゃった」


「いえ。不満はないですよ。こうして通訳なしでお話ししたいと、いつも思っていましたから」


 にっこりとほほ笑み、トワは義利に向けて小さく会釈をする。


 そんな少女の所作に、義利は優雅さ以上に感じることがあった。


「……なんていうか、硬いね。敬語なんて使わなくていいんだよ?」


「そーだそーだ。目上だからって敬語使ってちゃあ、息苦しいっつーの」


 彼に同意する形でアシュリーがへらへらと言う。


「安心して。アシュリーには敬語を使わないから」


「おいおい、態度が違いすぎるんじゃねえの?」


「当然。むしろ何故アナタに敬意を払わなければいけないのか問いたいくらいよ」


「……お前、無口な奴かと思ってたが猫かぶってやがったな?」


「いいえ。一々話すたびに通訳を介していたらアダチさんの時間を無駄にしてしまうでしょう? だから、必要最低限の会話で少しづつ言葉を理解しようとしていたのだけれど……。無駄骨になってしまったようね」


 言葉の通じるようになったトワは饒舌だった。義利もアシュリーと同じく無口な少女だと思っていたために、これには驚かされる。


「感謝の言葉……。今度使ってビックリさせようと思ってたのに……」


 口をへの字に曲げて、トワは小さくつぶやいた。


彼女は日常生活の中で義利の言動に注目し、何かを渡した時や片付けの手伝いをした時に彼が「ありがとう」という言葉を使うことから、それが感謝の意を表す言葉だと理解していたのだ。日中は一人で部屋にこもり、それを繰り返し唱えることで記憶し、発音を何度も確認し、そしてようやく彼女自身で納得のいく練度にたどり着いた時に、こうして召喚陣によって言葉の壁を越えてしまったための落胆だった。


「とりあえず、僕にもアシュリーと同じように接してよ。敬語じゃあ疲れるでしょ?」


「いえ。貴方から受けた恩は一生をかけても返せないほど大きいんです。今はまだ敬意を払う事しか出来ませんが、きっと恩義に報いてみせますので」


「うーん……」


 義利としてはそこまで大した事をした覚えはなかったために、彼女の重すぎる感謝に戸惑わされる。鎖を壊して足枷を解いた。たったそれだけなのだ。それなのにどうしてここまで? と不思議だった。


 足枷を解いただけ、と彼は思っているが、それは奴隷だった者にしてみれば命を救われたに等しい行為なのだ。奴隷であることの証を破壊--、つまりは奴隷からの解放だ。加えて彼がトワに入れ込んでいなければティアナからの扱いも今とは違っていただろう。ティアナがトワに対して世話を焼くのは、当然仕事として等の理由もあるが、それ以上に義利の存在が大きい。トワをぞんざいに扱えば彼の機嫌を損ねて協力関係を保つことはできないだろうという打算から始まり、エッダとの共闘によって交友が結ばれたようなものだ。もしも義利がいなければ、ティアナはあくまでトワのことを奴隷として扱っていただろう。


 トワはそのことを理解していた。それに加え、スミレとの一件もある。あの夜の出来事においては、義利がいなければ確実にトワは命を落としていただろう。それに関してはアシュリーにも多少の感謝の念はあるが、彼女がスミレと戦ったのはあくまで義利がいたからだ。彼がトワに対して無関心だったのであれば、アシュリーは見向きもしなかっただろう。


 それらを踏まえての義利に対する敬意だったのだが、彼はそんなことを知る由もない。


「何でも申し付けてください。可能な範囲で応えますから」


「うーん……。あ」


 ぽん、と義利は手を軽く打ち合わせた。


「じゃあ、敬語を止めてっていう僕のお願い、聞いてくれる?」


「……そんなに嫌なんですか?」


「嫌ってわけじゃないけど、敬語だと心を開いてくれてないみたいじゃないか。あ、でも。君が僕に対して一線を引きたいって言うなら、無理強いはしないよ?」


「ズルいです。その言い方は……」


「そんなに敬語を使いてえんならアタシに使えよ。ほれ」


 ヘラヘラと笑うアシュリーに向けてにっこりとほほ笑むと、トワは一言、言った。


「丁重にお断りいたします」


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