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異邦からの契約者~天使と悪魔と血まみれ生活~  作者: 篠宮十祈
第二章 砕け散る平穏の叫び声
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第二章 02 ちょっと変わった朝練

 食後、義利はキッチンにある流し台で皿を洗っていた。地球では当たり前にあるはずのスポンジも洗剤も、ここにはない。あるのは湯気の立っている温水と布巾のみだ。彼は使用済みの皿を湯に浸けて大きな汚れを落とし、それを隣にいるティアナに渡す――。


「おっと」


――つもりだったが、いつもはそこにいるはずのティアナは、今はリビングでくつろいでいることを思い出した。普段であれば食器の片付けは彼ら二人で行うのだが、風呂場での一件を容赦するための条件として、ティアナは義利一人にさせたのだ。


 清潔な布巾で湯通しした皿を拭う。一つを拭った面で別の皿には触れず、一度使った面を内側にして折り次の皿、と繰り返し、ある程度まで折ったら別の布に変える。洗剤のないガイアではそれが一般的なのだ。食器は撥水性の高い樹脂で塗り固められているために、衛生面での問題はない。


「これで終わりっと」


 すべての食器を洗い終えた義利は、流し台の下に桶を置き、栓を抜いた。台の中に溜められていた水が渦を描きながら器を満たしていく。そうして八分目まで溜まった桶を抱えて外へ運び、中身を捨てる。


 このように下水施設が整っていないため、環境保護の観点から洗剤はあまり出回っていないのだ。式典や祭典を含め、客人をもてなす際の清掃以外では使うことはない。


 土を返さないようにある程度流しては場所を変える。畑に水やりをしているような気分になる義利だったが、そこにあるのは雑草だけだ。


 程なくして水を捨て終えると隊舎へ戻り、桶を元の位置に戻して、そしてリビングにいるティアナへ声をかける。


「終わったよ」


 直前までだらしなくテーブルに伸びていたティアナが、彼の接近に気づいて背筋を伸ばす。義利からの印象を『しっかりもの』で定着させようとしているのだ。そんな健気な努力は叶い、義利の目に緩んだ彼女の姿は映らなかった。


「ん。ご苦労さま。じゃあ朝の件はお互いに忘れるってことで」


 まるで年長者が寛大さを見せるような口ぶりでティアナは言う。そうやって冗談めかすことで少しでも負い目を感じさせないようにした彼女の気遣いが、今の義利には痛かった。 


「……本当にこれだけでいいの?」


 義利としては重い罰でも甘んじて受けるつもりだが、彼女から言い渡されたのは皿洗いを一人でこなす、という軽いものだった。


「そこまで狭量じゃないわよ。誠意が見られたからそれでいーの。はい、おしまい。もう忘れました」


 そう言ってティアナは席を立つと、自室へと向かった。


 これ以上蒸し返すことはティアナに不快感しか与えないと、義利も忘れることに徹しようと決める。


 パンパン、と二回頬を両手で叩き、気持ちを入れ替える。そして彼は玄関に行き、靴を履いた。浴場へ向かう時のようなつっかけではない。革製の、脛までを覆う重厚な靴だ。くるぶしより上にある三つのベルトを、それぞれ血流が妨げられない程度に締めつけ、最後につま先で地面を叩いて慣らす。


 その靴は国務兵に支給される物で、元はスミレの靴だった。しかしスミレは自前のブーツ以外を履く気がなかったらしく、靴箱の隅で真新しいまま保管されていたものを、義利に譲ったのだ。女性であるスミレ用のそれが自身の足にぴったりと――どころか少し大きいと感じる程――適合したことに、当初は複雑な気持ちで受け取った義利だったが、今ではすっかり気に入っている。


 彼は外へ出ると、倉庫から木剣二本を持ち裏手へ回った。


「お待たせしました、スミレさん」


 真剣で素振りをしているスミレに呼びかけると、彼女は刀を鞘に収め、義利の方へ顔を向けた。スミレは毎朝、こうして欠かさず素振りをしている。義利も、ヘーゲンからスミレが帰還した日以降は彼女に毎朝稽古を付けてもらっているのだった。


「今日も実戦形式でいいんだな?」


「お願いします」


 義利が木剣の一本をスミレに渡し、三歩下がる。受け取ったスミレは真剣を腰から外し、正眼の構えで義利と相対した。


「行きます……!」


 ひと呼吸挟み、義利が突進する。下から切り上げられた彼の木剣は、スミレによって狙いを逸らされた。体勢を崩してがら空きになった彼の胴に、スミレは木剣で触れる。


「一回」


 すると最初の間合いに戻り、構えなおす。


 再び彼は駆け出すと、今度は肩で担ぐようにしてから木剣を振るった。純粋な力比べでは義利に勝ち目はない。そこで彼が考えたのが、自力に遠心力を加える、というものだ。


 しかし、それは力ではなく技で受け流された。


 切り結ぶはずだった木剣同士だが、スミレが流れるように滑らかに手首を回転させ、自身の木剣で義利の木剣を撫でつつ狙いを大きく反らせたのだ。そこから彼女は素早く木剣を彼の喉笛に向けなおす。


「二回」


 義利が下がり、間合いを戻した。そして三度目の踏み込みを始めかけた彼に対し、スミレが言う。


「お前の攻撃はいつも単調すぎると言っているだろう。いいか、その剣を真剣だと思え。それで私を殺すつもりでかかってこい」


 動きが単調と言われ、義利は目を瞑った。彼は脇の鞘に収めるような形に木剣を構える。


――居合だ。


 相手の気配を読み、間合いに入った瞬間、全身全霊を込めた一閃を放つ。彼はその時を待っていた。


 そんな義利を見てスミレは深いため息を吐く。たんっと軽く跳躍して間合いまで飛び込むも、気配と足音を消した彼女に義利は気づくこともなく構え続けている。呆れ果て、柄で義利の頭を小突いた。


「がっ!」


 叩かれた痛みよりも、いつの間に、という衝撃の方が強く彼を襲う。


「素人が居合なんぞ真似するな。これが実践だったら今死んだぞ」


「でも剣って『斬る』くらいしか攻撃方法ないじゃないですか。それを単調って言われたのでこうしたんですけど……」


「お前の言う『斬る』は幅が広すぎるんだ。いいか?」


 するとスミレは義利との間に距離を置いた。そして両手持ちの状態から木剣を身体に引き付けると、片手でそれを振り抜いた。


「なぎ払い」


 そのままの流れで、スミレは指先だけで剣を逆手に持ち変えると地面に切っ先を埋める。


「突き刺し」


 それを引き抜く動作で一気に頭上にまで振り上げた。


「切り上げ」


 最後に一直線に地面を目掛けて振る


「切り下ろし。これは全部、同じ『斬る』動作だが、用途は異なる。わかるか?」


 実際に動きを見せることでわかりやすくしたつもりのスミレだが、義利には通じなかった。


 頭の上に疑問符を浮かべて首を傾げる彼に、スミレはまたもやため息を吐かされる。


「……全身を鎧で覆っている相手に、お前は切りかかるのか?」


「いえ……。たぶん、鎧の隙間を狙って突きます。……あ」


「そうだ。相手との体格差、相手の装備、相手の姿勢、相手の重心、それらを冷静に判断して使い分けろ。それと、第一手では突きや袈裟斬りみたいに関節を伸ばしきる攻撃はするな」


「なぜですか?」


「次の動作に移る前に『引き付ける』という動作を挟まなければならなくなるからだ」


「なるほど……」


「それを踏まえてもう一度だ。今度は私を親の仇だと思って、全力で、殺すつもりでかかってこい」


「って言われても……。怪我させちゃいますよ」


「安心しろ。今のお前じゃあ、私に触れることすらできん」


 カチン、と義利のスイッチが切り替わる。男としてのプライドに火が着いたのだ。


「……どんな手を使ってもいいんですよね?」


「そう言っている」


 義利は心を深く沈めた。そして、目の前の彼女に対し憎しみを乗せる。


――この人は僕の両親を殺した。


 ありもしない罪だが、そう思うことで稽古の認識を薄めたのだ。より実戦に近づけるために、彼は何度も自分に言い聞かせる。


 開戦の合図は彼の第一歩と、二人は決めている。彼が動かない限りスミレも動かない。


 義利はグッと腹の底に力を込めた。そして正眼の構えのままスミレに突進を試みる。


 スミレはそれを弾いていなすと、すぐに剣を正中線上に構え直し、突き返した。義利は身体を回すことで辛うじてそれを避け、剣から片手を離してスミレの腕を掴もうとする。だがそれは彼女の膝蹴りによって防がれた。


 バランスを崩し地面が近づいてくる最中、彼は未だ宙にある剣を持ち直してスミレの軸足に斬りかかる。スミレはそれを飛んで躱した。受け身なしで肩から倒れた義利は、身体を丸めつつ腰を捻ることで転がり、立ち上がる。すると直前まで彼のいた場所にスミレの剣が突き立った。落下の力が加わっているため刀身の三分の一程が埋まっている。あれがもしも胴体に命中していたら、ただでは済まされなかっただろう。


 義利は剣を振りかぶりつつ、つま先で地面を蹴り一気に間合いを詰めた。振り下ろされた彼の腕は、途中でスミレの左手に肘を掴まれて止められる。彼女はそのままもう一方の手で義利の胸元を掴むと、投げた。


 天と地とが反転する中で、彼は自身の刃で手傷を追わぬようにと、咄嗟に剣を手放した。


 背中から地面に叩きつけられた彼は、歯を食いしばることで痛みを堪えつつ次の手に移ろうとする。が、その眼前に切っ先が向けられて止まることを余儀なくされた。


「王手」


 短くスミレが言い放ち、義利の『負け』は決まった。彼は全身の力を抜き、起こしかけていた頭を地面に預ける。


「参りました」


 ふぅー、と息を吐き、それから肺いっぱいに空気を吸い込む。彼は戦闘中、無意識に息を止めていたのだった。


「動きは悪くない。だが殺気がまるでなかったぞ」


「ちゃんと、あなたを……、親の仇だと思って……、いたんですけど……」


 呼吸を整えながら彼は返す。するとスミレは彼をまたぎ、木剣を逆手に持ち変えた。その先端が眼前に向けられているが、義利は彼女が何をしようとしているのだろう、と疑問だった。


「今は別に何とも無いだろう?」


「はい」


「これに殺気を込めるぞ」


 その瞬間、義利の背筋が泡立つ。


「――――ッ!!」


 咄嗟に両腕で顔を庇った。目の前にあったのは確かに木剣だったはずだ。しかしそれが真剣に変わり、顔に目掛けて猛スピードで伸びてくるような錯覚が彼を襲った。相手はスミレで、これは訓練なため怪我をさせられることもまずない。そうとわかっているのに、義利は殺されるという確信をしたのだ。


「こんな感じだ」


 スミレが言うことで、彼の体の硬直が解ける。激しい運動によるもの以外の汗が、彼の額から流れていた。


 剣と顔との距離は変わっていない。これが眼球スレスレまで木剣を近づけていたのだとすれば、生存本能による防御反応だと説明がつくのだが、どうやらそうではないらしい。


「殺されると思っただろう?」


「……ええ。目を潰されると思いました」


「今までの戦闘でお前は殺気を受けてるし、出しているはずだ。それを思い出せ」


「って言われても……」


 無茶だと顔に有り有りと書かれている義利を見て、スミレがポケットから折りたたみ式のナイフを取り出した。柄に仕舞われている刃を出し、刀身を三本指で摘んで彼に差し出す。


「今日の訓練は殺気を出すことに集中しよう。もちろん、仕事の時間までだ」


「……殺気を出せるようにする意味ってあるんでしょうか?」


「相手の動きを牽制できるようになる」


「はぁ……」


 渋々、といった様子で彼は立ち上がり、ナイフを受け取ろうと手を伸ばす。すると突然、スミレは指先でナイフを弾いて持ち替えると、義利の手首を横一線に切り裂いた。


 彼は手首を抑えて後退る。


「何をッ!!」


 そう言ってスミレを睨むも、彼女は未だにナイフの刃を指先で持ったままだった。恐る恐る手首を見れば、そこに傷は負っていない。先程のスミレの動きは全て幻覚だったのだ。


「理解したか?」


「……はい」


 今度こそ、義利はナイフを受け取った。両手を使えば完全に隠せてしまうほどの小さな刃物だ。刃から手を離し、スミレは義利の前に横たわった。


「私に跨って刃先を目に向けろ。そして押し込む自分を強くイメージするんだ」


 言われ、指示の通りにする。


 スミレの胴と脇の間に膝を着き、ナイフを逆手に持ち替える。彼女の顔の隣に左手を置き、そしてナイフを目から数センチの所まで近づけた。


――イメージ……。


 義利は目を瞑る。そのナイフがスミレの目を貫く瞬間を思い浮かべた。


「……どうですか?」


「ダメだな。まるで感じない」


「難しいですね……」


「綿密に想像するんだ。ナイフが目に刺さるとどうなる?」


 もう一度、彼は脳内で映像を再生する。


 ナイフをたった数センチ前に進めるだけでスミレの瞳孔は縦に裂け、傷口からは透明な液体が溢れてくる。さらに進めると瞼に触れ、血が滲み出す。この大きさでは一度の刺突で死に至らしめることは不可能だ。彼女は痛みに悶え、身を捩るだろう。それを押さえ込み、持ち手を捻りながら引き抜き、もう一度刺し――。


――パァン。


 と手を弾かれたことで義利は現実に引き戻される。


「合格……、には程遠いが、及第点だな」


「出せました?」


「少しな。いつでも、一瞬でそれが出せるようにしておくんだ。街で前を歩く人を振り向かせられるように訓練しておけ」


「それって怖い人に絡まれませんか?」


「人くらい選べ馬鹿」


 鐘の音が響く。朝を知らせる合図だ。これは毎朝、決まった時間に鳴らされる。ティアナとスミレにとっては出社の知らせだった。


「スミレさーん。行きますよー」


 支度を終えたティアナが、スミレを呼びに顔を出した。その瞬間はどこか物憂げだった彼女だが、次の瞬間にはドス黒いオーラを身にまとう。


「……特訓って、言ってたわよね?」


 義利の脳に、自身の顔面に彼女の膝がめり込むような映像が過ぎる。


 それは紛れもなく、今しがた習ったばかりの殺気だった。


「……スミレさん。これはいったいどういうことでしょうか?」


 ティアナ自身が言ったように、ほんの数秒前まで訓練をしていたのだ。彼女が殺気を放っている理由が分からず、義利はスミレに助けを求めた。


「アイツからは、お前が私を押し倒してるように見えるんだろうな」


 言われ、納得する。傍から見れば確かにそう映るだろう体制にある。しかし力量差を知っているティアナであれば、それが起こりえないことだとすぐに判断がつくはずだ。襲いかかったところで取り押さえられることは疑う余地すらないのだから。


――つまり。


 と義利はある結論に至る。


 つまり彼女は、忘れると言った朝の件で、僕に対する警戒レベルを上げていたんだ。と。


 ティアナが近づいてくる中で、義利の脳内での映像が徐々に鮮明になる。鼻がしらに当たった膝が鼻骨を砕き、それだけに留まらず前歯をへし折り唇を貫通するだろう。


「スミレさん。実行される前に説得をお願いします……」


「わかってる」


 彼らは立ち上がると、ティアナと対面した。誤解は、まだ解けていないようだ。


「落ち着けティアナ。これも訓練の一環だ」


 至っていつも通りの口調でスミレが説明をするも、ティアナは顔を真っ赤にして叫んだ。


「スミレさんから誘ったんですか?!」


 予想の斜め上を行く反応に、さすがのスミレもがっくりと崩れそうになる。


「……殺気を出す練習だ。お前にも昔やらせただろう」


「ああ……、アレですか」


 ようやく怒りが収まったティアナは、一転。羞恥に顔を染めた。


「まっ……、紛らわしいことしないでくださいッ!」

 

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